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作者: ソラさん1230

私は18年間暴力を受けて育ちました。 それはあまりにも私にとってトラウマ的で調教って言葉を簡単に言い合わせれられる言葉でした。

人間不信になり今でも人が前に居ると喋れなくなったり、文章を書く時も何も出なくなり、頭が真っ白で何も思いつかなくなります。あんなに文を書く前や、人と喋った後は、言葉がいっぱい出てくるのに、いざその場面になると硬直してしまう、この文章を書いてる時もそうです頭真っ白です。ご了承ください。

私の親は自分達の子供である私を、動物と言い表しました。私は、どこかの本で読んだ象の話を思い出しました。サーカスの話です、サーカスの象は最初大きい鉄の杭で、逃げれない様にその杭と象の片足にロープを着けて、年月をとる事に杭を小さくしていきます、そしてサーカスで失敗するとムチで打たれて象は従う様になり、象は杭が小さくても逃げなくなります。私にとっての人生はサーカスの象と同じで、鉄の杭はトラウマです。

本来親は、結果を褒めるのではなく、結果から生まれる過程や努力を褒めるべきです、そうする事で子供は挑戦する事や努力を覚えます。 失敗しても罵声や暴力をしては行けないと思います。

力でねじ伏せれたとしても意味の無い事です、結局親に怒られ無いように子供は嘘を付いて、親を騙します、でも嘘がバレ最後は暴力と暴言で親は子を黙らせます。親は子供の意見を聞くということをしません。

親が目指した子供の在り方は自分で考えて行動しながらなんでも出来る人間にしようとしているのに、体罰をした親が理想にしてた子供とは真反対に成長します。

考える事を辞めて、指示を受けても何も出来ない人間になるのが、どうしようも無く虚しいですね。

私の進路であるトレーナーとしての夢は無くなりました親によりトリマーに進路変更させられました

親は子供に対して、手を挙げては行けない、どうしてこんな簡単な事も分からないのでしょうか、人間の育成は動物の育成とは違います、平等に接しなければ何も変わらない人間とは本来そーいうものでは無いのでしょうか?結果が出たら、失敗を訂正する、親と子で一緒に意見を言い合えるそれが正しい親子というものでは無いだろうか?動物の上下関係ではなく、自分の会社が他の会社に対してプレゼンをする、その対等さが親子に必要な要素では無いのか?互いを尊重し合えるのが本当の愛であり家族というものではないのか?と私はそう思います


追尾


私が高校の時に我慢の限界で警察に通報したら、指紋取られたらしいです。親ざまぁ





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