戦いました。
月明かりが照らす山肌を、晩秋の風が吹き下ろす。黄色から茶色へと色変わりした草原がザワザワと生き物のようにゆらめいていた。
それは風の強い夜だった。
グーグであるオレは昼間に睡眠をとったことで夜にねれず、夜遅くまでうつらうつらしていた。
そのオレの耳に、風音とは違う鈍い音が聞こえる。
カンカンカン、カンカンカン
夜を切り裂くように音が村中に響き渡っている。
音はいつまでも鳴りやまず、しばらくすると家の中がバタバタとし始めた。
「グーグ!、おきているかっ」
部屋に外出着に着替えた父親が入ってきた。
父親はオレを抱えると家の居間にいる母親に渡した。
父は仕事で使う斧を右手に持ち、荷物を左腕で抱えて家の明りを消し始めた。
「よし、それじゃ行こう!」
「はい、あなた」
二人は家を出て隣の家に向かう。
隣りではドワーフのジルさんが家の前で待っていた。
ジルさんが険しい顔でオレ達を家の中に迎え入れる。家の中ではナーサとナーサの母イーダと姉クーリアがいた。ドワーフである母親は片手に鉄鎚を持ってる。まるでこれからの戦闘に備えるように。
「グーグ、今村の近くに魔物がやってきている。もしかすると村に入ってくるかもしれない。だからジルさんのとこでいっしょに隠れているんだ。いいな?魔物がやってきたら声を出さずに隠れているんだ。できるな?」
父コダーダはそう言ってジルさんからこの家で打たれたらしい剣を受け取り、母に「行ってくる」と告げた。
母は父と短く抱擁を交わし、背を向けた父に「気を付けて!」と声をかけた。
ジルさんもナーサの母である奥さんに別れを告げつと、剣と盾を持って父といっしょに村の広場の方に走っていった。
「閉めるよっ。メルーザ、扉を封鎖するからてつだっとくれ。クーリアは釘を持ってきて、ナーサはグーグちゃんをみとってちょうだい」
「はいっ」
「わかった」
イーダの号令でみんなが入り口に木材で封をしはじめた。木をうちつけて開かなくしたのち、さらにその前にテーブルや重い物をたてかけて外からの侵入が完全にできないようにした。
オレはナーサに抱かれながらそれを見ていた。
ナーサもじっと見ている。
これから何がおころうとしているのかわかっているのか、それともわかっていないのか、ナーサの横顔からではうかがうことができなかった。
「…ナーサ、こわくない?」
「ん。グーグちゃんはこわいの?」
逆に聞かれてしまった。
おそらくは命の危機があるのだろう。だが、魔物や魔族に慣れているオレとしては、”魔物がおそってきた”だけでは恐怖のしようがなかった。
ゾンビが大群だとかハイオークが大群だとかゴブリンがゴブリンメイジを複数つれている、とか言われないかぎり、野良の魔物などどうとでもなると思っている。
オレをこわがらせたいのならば、魔物の構成を教えてくれ。
ともあれ、それをナーサに言うわけにもいかない。
『グーグ』としてはまだ一度も魔物を見たことがないのだから。
「こわい、かも」
「そうなんだ。ナーサはこわくないよっ。グーグちゃんもナーサがまもってあげるよっ」
そう言いながらオレをギュッと抱きしめてくる。
ナーサの体はあたたかい。それだけでオレは気持ちが落ち着く気がした。
うむ。
窓にも板がうちつけられている。外から気がつかれないように明かりが消され、暗い部屋の中でオレたち5人は静かに外の物音に耳をそばだてていた。
遠くの喧騒が聞こえる。戦闘がおきているようだ。
それにしても長い。これほど戦闘が長引くとは、複数の魔物が来ているのかもしれない。
様子がわからないというのももどかしい。
気持ちとしては見に行きたい気持ちがあるのだが、今の体では足手まといにしかならないだろう。
今日はオレの出番はない。
けれどいつか、オレに牙をむく奴らを黙らせてやりたいものだ。
オレはナーサの腕の中で、早く父親がかえって来るのを待っていた。
音がした。
バキバキと、そう遠くではない場所から何かが壊れる音だ。
母親二人に緊張した空気が流れた。
村の中で物を壊す。
それは住人ではないだろう。
「みんな、静かにね。もし何かあっても、かあちゃんが守るからね」
イーダはそう言って鉄鎚を両手で握った。
「わ、わたしも…守りますっ」
母は鍋をふるえる手で握りしめる。
けれど母の決意を吹き飛ばすように、家のすぐ近くから音がする。ガリガリと家の石壁を硬いものがなぞる。家を巡り、扉の前。入り口で音が途切れる。
――一撃。
それは一撃で扉に打ち付けられた板を吹き飛ばした。
二撃目は扉の前のテーブルや重しを吹き飛ばし、そして三撃目
大きな破砕音をあげながら扉が吹き飛ばされた。
大きな生き物だった。ドワーフ家族の家の入口は人間種族のものよりも小さい。その入り口の枠に太い指がかかる。
その魔物は背をかがめながらゆっくり家の中に入ってきた。
「でておいきっ!」
イーダが鉄鎚を振り下ろす。
魔物はそれを片手でつかみ、イーダごと壁に放り投げた。
壁にぶつかり、家具をくずしながら床に倒れる。
イーダはおきあがらない。意識がもうろうとしているのか、うめき声をあげているが。
あぁ、これはやばい。やばいやばいやばい。
いてはいけないレベルのモンスターだ。
家に入ってきたのはトロールだった。
トロール族は巨人族に分類される。体色が緑であり、主に高い山にすみ、山の生物を主食にする魔物だった。単体ではランクC、複数体だとランクBに分類されるかなり危険な魔物である。
普通であれば人間なんかの集落にまではやってこないはずだが、いったいなぜ村にまでやってきたのだろうか。
母はおびえてしまい子供たちの前で立っているだけだ。たぶん盾になるつもりなのだろう。けれどそれは時間稼ぎにもなっていない。
トロールは母に手を伸ばし、掴み上げる。
「ヒッ、いやぁ!」
悲鳴をあげ暴れる母を地面に叩きつける。
トロールはぐったりした母を持ち上げスカートをめくりあげる。
やつは母の太もも見てうまそうに舌なめずりをすると…母の脚を食べようと口を開けた。
「《ふれいむあろー》っ」
オレの放った《火矢》はトロールの顔面にあたり、奴の顔右半分を燃えあがらせた。
「ぐぎゃああぁーっ!」
トロールは悲鳴をあげながら顔についた火を消そうともがく。
「《かげしばり》っ」
奴を束縛しようと《影縛り》を放つが、トロールの筋力には勝てずすぐに引きちぎられてしまう。
火を消したトロールは母を床に放り出したまま、今自分に魔術を放った相手を探し始めた。
ナーサの姉のクーリアは床にへたり込み泣き出している。
ナーサはオレをぎゅっと抱きしめ、オレを守ろうとトロールに背中を向けていた。
その中でオレは片手をトロールに向け、次の魔術を放った。
「《らいつ》っ」
カッと部屋が光に包まれる。
明りで目つぶしされたトロールは、しかし目が見えないまま腕を伸ばしてナーサごとオレをつかみ上げた。
「やーっ」
「わっ・・く、ふ《ふれいむあ…」
ふりまわされ、魔術の詠唱がとまってしまう。
オレからナーサを引きはがし、ナーサをそのまま床に投げ捨ててしまう。
「いたっ、うう…うぐっ、グーグちゃんを、はなしてっ!」
ナーサは泣き出しそうになりながら、やつの足にひっつき体を登ろうとしている。
けれど簡単に払いのけられてしまう。
やつは…トロールはナーサのことなんて羽虫か何かのようにあつかっている。やつはずっとオレを見ている。憎々し気な瞳で、オレが魔術を使えばその瞬間にオレをひねり殺せるように。
しばらくオレをどうするか考えていたのだろう。ぶきみに笑いながらオレを掴んでいる手とは別の、もう片方の手ものばしてきた。
オレの下肢を掴み、ギリギリと力を加えだした。
ぎえ、ぐ、あ、あ…でるっ…オレの中身がでちゃうっ
このままでは体が上下に分かたれて全部でちゃうっ…!。
オレは恐怖に身をすくませながら足をバタつかせる。命がけで!。
すぽっ
つかまれていた手が、スボンとオムツごとはずれる。
よし、この寸胴体型が役に立った。あとはもう片手だけだが…え、ええい、ままよっ!
「《ふれいむあろっ》!」
「ぐぅ!?」
トロールは手にあてられた《火矢》の熱さにオレを放した。
ナーサの上に尻から落ちたオレは、びっくりするナーサをおいたまま玄関へとダッシュしはじめた。
オレの高速這い這いがうなる。
この狭い家の中では背の高いトロールは移動するのにもままならない。
オレはフェイントをかけながらジグザグに移動し、家の外に出た。
村の入り口の方があかるい。けれど他の場所は静かなままだ。
よし、別の場所から入ってきたトロールはこの一匹だけか。
なら方法はある。
オレは胸にいっぱいまで息を吸い、ゆっくりと歌いだした。
「あーあーあぁーあー…」
背後から音がする。家の入り口を大きな音をさせながらトロールが這い出してきたのだ。
やつはオレを見つけてにんまりと笑う。
もうオレを捕まえたつもりでいるのだろう。トロールは家の入口の壁に立てかけておいたらしい木槌を手に取った。
木槌を振り上げ振り下ろす。
オレを殺すために。
迫る必殺の木槌に、オレは顔をむけて声をはりあげた。
「ァァァァァァァアアア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ァァァッーーーーッ!!!」
木槌が歪む。それはそのままトロールの上半身を歪ませた。
「!!!??」
歪みはどんどん広がり、ナーサの家の壁までも歪ませ始めた。
けれどまだだ。歪みはどんどん深く、怪奇になっていく。すでにトロールの上半身はトロールのカタチをしていなかった。絵具を混ぜた渦のように赤と緑が幾重にも層を成し、混ざり合い、黒い点へと変わっていく。
そして唐突にはじけた。
音もなく、歪ませていたすべてが急に復元力をとりもどす。とりもどした反動で――すべてを破裂させたのだ。
魔王技――《災歌》
広範囲を滅ぼす、魔王のスキル。それがトロールの上半身を粉砕したのだ。
木槌も、家の屋根も、近くに生えていた木々も根こそぎ消えてなくなっていた。
幼児の体でさえ、これほどの威力が出る。
すばらしい。
そう、これでこそ『魔王』なのだ。
何者も魔王には逆らえず、抗えず、頭を垂れるしかない。絶対の王者。
オレは満足しながら意識を手放していく。
……流石に、《災歌》を使うための生命力がまだ、足りなかったらしい。
オレは暗くなる意識の中、家の中のナーサを見た。
あぁ、よかった…
無事だったか
と。