おやすみ、エド 【妻side】
「チェスカ、起きて?」
愛しい人の声が聞こえる。
お腹に響くような、低くて優しい甘い声。
瞼も唇も、指も足先も、一ミリも動かせなくなって、何年が経ったのか……。
何も見えない。
何も分からない。
日に焼けた少し浅黒い肌、月のように輝く瞳、艷やかな黒髪を短く切り揃えた主人――エドの顔が見たい。
エドは毎日キスをくれる。
瞼にふわりと彼の唇が触れる。
これが今の私の、一番幸せな瞬間。
『魔力消散症』、私はこの病に倒れてからずっと身体が動かせない。
意識はある。
眠りもしない…………出来ない。
ただずっと音を聞いているだけ。
時々そっと触れてくれるエドの温もりだけが、心の支えだった。
老いることも、衰えることも、終えることもなく、ただ浅い息をして眠り続ける魔力消散症。
まさか意識があるなんて思いもしなかった。
あの日、あの瞬間までは――――。
「なぁ、チェスカ……」
「なぁに?」
「そろそろ、子供でも」
頬を染めながらそっと私の髪を一房取り、ちゅ、と口付けたエド。
二人だけの合図。
奥手な彼が考えた、精一杯のお誘い。
笑って抱きついて、唇にキスをしたかった。
なのに…………。
世界が暗闇に包まれた。
悲痛なほどに泣き叫ぶエドの声を、聞き続けるしか出来なかった。
『大丈夫よ、聞こえているわ』
そう、伝えたいのに、伝えられない。
もどかしくて、悔しくて、苦しくて。
泣きたいのに、泣けない。
「……チェスカ、起きて?」
『おはよう、エド』
彼は、毎朝キスをくれる。
「チェスカ、ごめんね。触れるよ」
『ありがとう、エド』
魔力のおかげなのか、せいなのか、汚れることはないけれど、エドは毎日身体を拭いてくれた。
綺麗に、丁寧に、髪を梳かしてくれた。
「あぁ……もう夜か…………」
『ゆっくり眠ってね、エド』
彼に届くことはないけれど、ずっと応え続けた。
「エドガルド・ゴルドン殿でしょうか?」
「はい……」
ある日、家の扉が叩かれ、エドが誰かを招き入れた。
魔力消散症になった者は、五年ほど経つと、『魔力防護膜』という国防装置への魔力供給を求められる。と噂で聞いていた。
あの日から五年も経っていたのだと知った。
「ゴルドン家フランチェスカ殿に一年間の魔力供給を要請する」
「かしこまりました」
とうとうお別れなのね。
発症後五年ほどで国の役人が突如訪問して来て、要請書と謝礼金を置いて発症者を回収して行くと、まことしやかに囁かれていた。
本当に来るとは思わなかった。
拒否権はなかったはず。
国民であれば当然に受けるべき要請。
かなりの高額な謝礼をもらえるという高待遇。
一年の供給と継続しての供給が選べるらしい。
一年間での終了を選んだ場合は、翌年には戻れる。一年を家族の元で過ごして、その翌年にはまた要請されると、役人が話していた。
これで、やっとエドが楽になれると思った。
毎日毎日働きながら私の世話をして、どこにも出かけないエド。
時々こっそり泣いているエド。
『とうとうお別れなのね。いままでありがとう、エド』
エドにも誰にも聞こえないけれど、お別れを伝えた。
「どうされますか?」
「一年間でお願いします」
『え……』
「では、こちらにサインを」
『まって、それは駄目……』
もう、楽になって欲しい。
もう、泣かないで欲しい。
私なんか切り捨てて、新しい奥さんをもらって、幸せになって欲しい。
…………本当は嫌だけど。
でも、エドに幸せになって欲しいの。
「チェスカは、どんな場所で、どんな状態で、魔力供給するのでしょうか?」
「国防に関わる機密事項ですので」
「…………はい」
力なくエドがそう答えたあと、頬が包まれ、瞼に温かいものが触れた。
「いってらっしゃい、チェスカ。帰りを待っているよ」
『…………さようなら、エド。素敵な人を見付けてね?』
ぞんざいというほどではないけれど、生きている人間としては思っていなさそう。そんな、なんともいえない扱いを受けながら移動を繰り返し、何の音もしない空間にドサリと置かれた。
時々、警備をしているらしい人の声や、魔道具技師らしき人の声が聞こえていた。
ここには五人の魔力消散症が集められているらしい。
「五番は来週で返送だ」
その言葉から、私以外は一年以上ずっとここにいたのだと知った。
新参の私が五番。ここに来て初めて出ていくのも五番。
私以外の全員が永続的な契約だった。
家に戻されるのが、少し怖かった。
相変わらずの、なんともいえない扱いを受けながら、家に送り届けられた。
「……おかえり、チェスカ」
『エド、ごめんね。帰ってきてしまったわ』
頬を撫でる、カサついた手。
パタリパタリと顔に落ちてくる、熱い水滴。
瞼に触れる、柔らかな唇。
久しぶりに聞いたエドの声は、少し掠れていたけれど、私の耳を甘く擽った。
彼は、新しい愛を見付けなかったらしい。
それを嬉しく思ってしまう、私がいた。
『……ただいま、エド』
二人きりの一年間を過ごしたあと、また魔力障壁へ魔力の供給の要請があった。
また運ばれ。
また番号を付けられ。
また静かな場所で、ただただ時間が過ぎるのを待つだけだった。
そうして、とてつもなく長い年月が流れた。
カサついて細くなった指。
掠れて弱々しくなった声。
咳き込み苦しそうな呼吸。
エドと同じ時を刻み共に歩めると思っていた、なんてことない日々が、懐かしい。
最近、とても怖いと思うことがある。
いつか、彼の声が聞こえなくなる。
いつか、彼に触れてもらえなくなる。
それが、今日かもしれないし、明日かもしれない。
何年後かもしれない。
それでも――――。
今日もまた、瞼に柔らかな甘いキスが降る。
「おやすみ、チェスカ」
『おやすみ、エド』
―― fin ――
二話完結(早っ←)
お付き合いありがとうございました!
評価、ブクマ、いいね、感想、誠にありがとうございます((o(´∀`)o))
今回はしんみり作品なので、ここらで素早く撤退!
あ、活動報告に素敵な絵とか絵とか報告とかありますので、よかったら見てみてちょ☆
(結局、ベラベラ喋るスタイル←)
ではでは、またどこかの何かの作品で。
笛路