第8話 学園の秘密
入学式後、浅野はじめ数名の特待生だけが案内された場所、それは王閨学園の隠れた歴史をレクチャーするための視聴覚教室だった。
入学式終了後、高校入学組1年生は3クラスに分かれ、クラス担任に名前を呼ばれるとそのまま引率されて各教室に向かっていった。ただし、なぜか俺を含む数名の生徒はどのクラスの名簿にも載っていないようで、ほぼ全員いなくなった後もその場で待機させられた。名簿のミスだろうか?見知らぬ同士、お互い顔を見合わせていたとき、
「理事室までご案内します」
事務職員の女性についてくるように促される。訳も分からずとぼとぼとその後についていきながら、初めて納得がいった。この集まりは多分…
「特待生だ」
と思ったことと同じことを言う声が後ろから聞こえてきた。声の主をよく見ると、どことなくひょうきんな顔をした男子生徒が、愛嬌のある笑顔を向けながら得意満面と言った風でこちらと目を合わせる。
「だよね。君たちみんな特待生入学者だろ?」
その声を受けて、一人は「何をいまさら」とつぶやき、もう一人は「あっなる程」と声を上げ、今一人は「僕もそう思った」と言っていた。「何をいまさら」と言ったのが背が高く顔立ちが整い、イケメンな感じであったが、その言説のせいだろうか冷たい印象を与えていた。名を横堀博人。「あっなる程」と声を上げたのが水川聡、「僕もそう思った」と言ったのが八木陽太、最初に気づいて皆に確認した奴が千葉丈太郎・・・という事を後で知った。偶然の一致なのか全員男子だった。ダイバーシティやジェンダーレスの思想はこの高校にないのだろうか?しかし生徒会長は女性だった。やはり偶然だろうか?・・・。
「私語は慎んでください」
事務職員の注意が飛ぶ。
「でへっ」
と丈太郎が舌を出す。女子だと可愛いかもしれないがお前がやると憎たらしいだけだぞ、とみんなの心の声が木霊するなか、私語を禁じられた俺たちは黙々と事務員の後をついていく。
高校とは思えない程、瀟洒な建物の中の、さらに金のかかっていそうな分厚い木製のドアの一室の前まで案内される。入り口に「理事長室」と書かれた金色のネームプレートが掲げられている。中には分厚い絨毯と観葉植物、豪華な調度品が配置され、重役然とした面々がすでに集まっていた。
「第128期特待生諸君をお連れしました」
事務員がそう言うと、中央の席に腰かけた人物が
「ご苦労」
そう言いながら俺たちに向き合う。
「一同礼!」
そういう掛け声が前の方から聞こえる。生徒会長の高坂玲子であった。お歴々と思われると大人たちに混じって、全く引け目を感じさせない威丈ぶりであった。
「ヘェ~」
等と思う間もなく、さっと反応したのが横堀博人であった。反射神経では負けていない。俺もほぼ同時に頭を下げることが出来た。一呼吸おいて千葉丈太郎が続き、八木陽太と水川聡はやや遅れた印象をぬぐえない。
「フム」
俺たちの戸惑った様子をどう受け取ったのか、理事長と思われる人物が席を立ち、俺たちの前に立つ。
「王閨学園に入学おめでとう。特待生の活躍に期待している。ぜひ本校の名誉のためにも学園生活を充実させ、頑張ってもらいたい」
秘書から渡された事例のようなものを受け取ると、一人ひとり名前を呼ばれ、手渡しされていく。
「横堀君。君がトップ合格だ。全学科ほぼ満点。期待しているよ」
「水川君。君が次席合格だ。トップの横沢君に次ぐとはいえ、例年なら間違いなく主席の成績だ。期待しているよ」
「八木君。君は中学生で水泳の日本記録を出したそうじゃないか。期待しているよ」
「千葉君。中学剣道大会全国一だそうだね。期待しているよ」
「君は?浅間君?」
ここで理事長が不可解な顔をする。秘書が慌てて耳打ちをする。
「ああ、君か・・・・。まあ頑張りなさい」
きっと俺の耳は真っ赤になっていたに違いない。確かに俺だけはこれと言って実績がない。それどころか、道場破りまがいをしているのだ。俺すら何で合格したのか分かっていない。「期待しているよ」と「まあ頑張りなさい」の落差に気づいて、下げた頭が上げられない。とりあえず俯いたままエビのように後ろに下がる。
その後はその場に居合わせた数人の理事と呼ばれるこの学園のお歴々と言葉を交わしていった。横堀と呼ばれる主席合格の生徒には何らかの声がけが行われ、他の生徒はその理事の興味によって時々声がけが行われる程度だった。もちろん俺に何かを話しかける理事などいなかった。しかし、俺は刺すような視線が俺に向いていることを感じていた。高坂玲子・・・彼女に声掛けなど行う権利はないらしく、その場で佇んでいるだけだったが、真っすぐ俺を見据えて憚らないのだ。
(何だ?なぜ見つめている?)
美少女に見つめられて、悪い気はしなかったが、その目は冷徹で俺を見透かすような、値踏みするような、決して好意の感じられない、鋭い何かであることに間違いはなかった。
理事達による特待生の辞令交付が終わり、先ほど案内してくれた事務員がまた俺たちを迎えに来る。だが、俺たちが連れていかれたのは教室ではなく、視聴覚教室のような部屋であった。
その教室の一番前、教卓に当たるところに一人の女性が立ち、俺たちを丁寧に向かい入れてくれた。20代後半ぐらい。目鼻立ちが整い、凛とした感じを漂わせた美人だった。
「皆さんこんにちは。前から着席してください」
訳も分からず前の方に着席すると、その女性が俺たちを眩しそうに見やりながら自己紹介を始めた。
「私は君たちの世話係になる千葉沙苗と言います」
「君たちがクラスに入り、他の生徒と一緒になる前に、知っておいてもらいたいことがあります」
そう言いながら手元のスイッチを押すと、室内がゆっくりと暗くなり、教室の天井に供えられたビデオプロジェクターが明るく灯り始め、ブルーの初期画面が正面のスクリーンに投影され始めた。
「これから『王閨学園の歴史』という本学園の歴史と歴史上に名を刻んだ諸先輩方の足跡を記録したビデオ資料を上映します。王閨学園の歴史はすでにご存じ方も多いかと思いますが、特待生の諸君にだけ知っておいてもらいたい幾つかの秘匿事項が含まれます。皆さんは特待生としての入学時に願書と共に機密秘匿事項契約書にサインしていただいていると思います。このビデオの内容はその機密事項が含まれます。もしこの内容を他言した場合は、特待生資格が失われるだけでなく、多額の賠償責任が君たちの保護者の方々に課せられますのでご注意ください」
高校生に向かって「機密秘匿事項契約書」とか「賠償責任」とか「冗談?」と思って周りを見やる。だが、あれほど剽軽だった千葉丈太郎ですら神妙な顔つきでその言葉を聞いている。
(えっこれマジ?…なの)
思わず心の中で叫ぶ。「機密秘匿事項契約書」・・・俺そんなものにサインしたっけ?思い出そうとしても、書類がいっぱいあって手当たり次第に住所や名前を書いたので何も覚えていない。キョロキョロ、オロオロする俺を尻目に、プロジェクターが『王閨学園の歴史』を上映し始めた。幕末から明治維新・明治政府と続く中で、様々な英雄たちが生まれては暗殺され、失脚し、下野していった様子が手短に要領よく紹介されていった。政府に残らなかった者もその類まれな才能を発揮し、あるものは銀行を興し、あるものは重工業を興し、あるものは鉄道を敷き、電力会社を興し、学校を創設し…、と今や有名名だたる名士となった歴史上の人物達が現れ、走馬灯のように時代を駆け巡っていく。その様々な金融機関や交通機関、商社や重工、エネルギーインフラ、自動車会社、報道機関までを束ねる一大コングロマリット、財閥の頂点である3つの財閥が紹介される。教科書に載っているような大人物や名士と謳われる歴史の人物が何らかの形でこの財閥に係り、皇族や貴族と血縁関係を結び閨閥を形成していく。各財閥は互いに影響を受け、時には対立し、時には共闘しながら、実質的にこの国を支配していた。
歴史の裏舞台を見させられた、という思いで俺は呆然とその事実をかみしめていた。歴史上の有名人が、教科書に載っているような人物が、閨閥でつながり、何らかの形でたった3つの財閥に収斂されていく相関図は、何も知らなかった俺を叩きのめした。財閥が、政治・経済・金融・産業・貿易・マスコミをコントロールし、新たな価値と富を生み出していく様は壮観さを通り越してそら恐ろしいほどであった。
「第一部 完」
と表示されると、ゆっくりと照明が元の明るさに戻る。
「これが財閥が解体される前、第二次世界大戦が終結するまでのこの国の実態よ。近現代史は高校まではほとんど教えないので、知らない諸君も多かったでしょう。どう感想は?」
千葉沙苗先生が、俺たちに感想を求める。ふと隣の水川と八木の顔を見ると、やはりショックを受けた顔をしていた。だが、横堀と千葉は知っている様子だ。
「これほど詳しくはないですが、父からおおよその話は聞いていました」
千葉がそう話すと、横堀が続く
「どれも、秘匿事項に当たるようなことは語られていないですよね。公表されているような事実ばかりのような気がしますが?」
と余裕のある回答を返す。俺を含む残りの三人はただ驚いて返す言葉も出ない。俺たち特待生の種々の反応をにこやかに見届けながら千葉沙苗先生が続ける。
「確かにそうね。それでは10分の休憩後、第2部を見てもらうわ。戦後の財閥解体後の話ね。」
正確に10分後、「王閨学園の歴史」第2部が始まった。今回は3つの財閥のうちの最大の財閥、三坂財閥の話になる。王閨学園の経営母体がこの三坂財閥であることは、受験の際に師匠や牧野から何度も聞かされていた。そしてその三坂財閥を作ったのが、幕末の英雄 坂巻竜頭であった。坂巻竜頭が誰かは今では子供でも知っていることだ。もちろん俺も知っていた。その三坂財閥の元になったのが、言わずと知れた「海衛隊」だ。江戸幕末の英雄 坂巻竜頭が池川屋の暗殺を逃れ、本格的な商船事業に乗り出し、明治維新政府に入らずに日本における一大政商になり上がり、巨万の富を一代で築いた男だ。旧土屋藩の一介の浪人に過ぎなかった快男児が、維新前後の志士と織りなすドラマは今でも映画やテレビドラマ化されている。母体となる団体名も有名であった。
「海衛隊」
そう、三坂財閥は教科書に何度も出てくる、幕末の英雄 坂巻竜頭が創設した義勇軍がそのもとになっている。日本で最初の株式会社とか海軍のもとになったとか・・・言われる有名な結社。明治政府に重用され、経済界だけでなく政治への影響力も絶大であることは疑いの余地もない。もともと旗本株を金で買って世に出た町家出身の坂巻竜頭らしい、
政治の表舞台に立たなくとも、政治家を生み出し、それを支えることで、様々な制御を陰でつかさどってきた男だ。主義の異なる思想を持った政治家を複数育て、競わせはするが、明治以降のこの国の安寧を一手に担ってきたのは坂巻竜頭その人だった。そして今や財閥に逆らうものなどいない。つまり日本は実質的に三坂財閥とその筆頭・三坂財閥頭首によって取り仕切られてきたのだ。
だが、その最初期の頃は安定した基盤を持った組織とは程遠い存在だった。何より坂巻竜頭には2人の娘しかおらず、男子が居なかったのだ。明治維新があったとはいえ、女性頭首など考えられぬ時代・・・坂巻竜頭の後継者を決める段になって三坂財閥(当時の坂巻商会)は大きな壁にぶち当たった。もともと世襲で跡取りを決めることは、坂巻竜頭が許さなかった。世襲で会社を経営してゆくと、親の肩書だけのくだらない人物が大きな権力を得てしまい、良い結果にならないことが多い。有能な人物の子供が有能とは限らないからだ。明治維新を推進し「四民平等」を唱えた人物ならなおさらそう考えたに違いない。トップグラスの頭脳と卓越した洞察力、徳のある人間性・・・全てを兼ね備えた有能な人物でなければ財閥を仕切っていくことは出来ない・・・。しかし、坂巻竜頭とて人の子・・・自分の血縁者に会社を継がせたい。ではどうするか?
坂巻竜頭の出した答えは彼らしいユニークなものだった。次期頭首は、二人の娘婿にふさわしい有能な人材を互いに競わせ、有能なものの中から娘が気に入った相手と結ばせる、というものであった。親の決めた婿を取るのが当時の高家のしきたり。候補者の中から自分たちの気に入った男を選ぶ権利が残ったこの方法に反対するものは当の娘たちも含め居なかった。こうして三園木一真と、高坂明鏡を選んだ二人の娘はそれぞれ「三園木」と「高坂家」を起こし、代々この方法が踏襲されるようになった。つまり「三園木家」と「高坂家」は女系の血縁により坂巻竜頭の血筋を絶やさず、三坂財閥の頭首の嫁として有能な婿を選択する事でその発展を確かなものとしてきたのだ。
ここで、「王閨学園の歴史」のビデオ上映は終わった。詳細な資料が映し出された画面は日本のほとんどの有名人が網羅されていると言って過言がないほど、緻密で説得力のあるものだった。歴代の有名人が色濃く自分の高校に関わっている事を聞き、皆一様に畏敬の念に打たれている。それは横堀や千葉ですらそうだったようだ。暫くは誰も何もしゃべらなかった。
「それで・・・坂巻商会は「坂巻財閥」ではなく「三坂財閥」となったのか・・・」
何とか八木陽太が資料映像を見てぼそりとつぶやいた。
「「三園木家」と「高坂家」が交互に「三坂財閥」を支配する・・・。日本の政財界ではよく知られた有名な事だ・・・何をいまさら・・・」
そのつぶやきを受けて横堀がそう言ったものの、豊富な資料と詳しい閨閥図を赤裸々に映し出した資料は全てを圧倒し、彼の声すら震えている。皆の様子を受け千葉沙苗は更なる説明を加え始めた。
「一般に「三坂財閥」の頭首は「三園木家」と「高坂家」が交互にその役目を担っていると言われていますが、必ずしもそうではありません。これからビデオ映像化が許されなかった最重要秘匿事項の説明を口頭で説明致します。君たちの同級生や友人はもちろん、親・兄弟と言えども口外することは一切許されません」
こうして、千葉沙苗先生は俺たちの前で、特待生だけが知らされる、ある事実を説明し始めた。緊張の面持ちでその説明を聞く俺たちの中で、ただなぜか千葉丈太郎だけが、一人白けた表情浮かべていた。「千葉?」この苗字の一致に何か関係しているのだろうか?・・・
坂本龍馬が暗殺されなかったら・・・というifの歴史上での物語であることを暴露している回です。
追記:2022/10/31三園木という苗字だったことをすっかり忘れて三木にしていました。三園木に戻しました。




