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愛しています、死んでください。  作者: 賀田 希道
悠久ナルキッソス
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夕暮れ時の一幕

 その日の5時ごろ、軽い夕食を摂り終えたヘルガは河岸を歩いていた。夕暮れ時の、いやもう西の山々の彼方に沈みかけた日の光に照らされて凸凹の山頂が紅色に、空は紫色に染まっていた。黒に濡れた河面の水音が耳元で囁き、暗がりに沈んだ日没間際の街の存在感を陰らせていた。


 街が沈む。夜に沈む。口腔に吸い込まれるようにひずんでいく。


 ただでさえ人の気配が希薄だったリッドヴィーム市が一気に静まり返り、より顕著に木々のしなる音が耳元に漂ってきた。人が消えることで自然の自然らしさが表出していた。それは悲しく、同時に雄大さに溢れていた。決して広々としていないこの街だからこそ、自然を身近に感じられるのかもしれない。


 普段決して見せることのない潤んだ瞳でヘルガは山々の山頂を見つめていた。四方を山々に囲まれたせいか、山頂に沿った陽光が灼熱のマグマのように見えた。それはまさしく——地獄の釜のようだった。決して出ることが叶わない地獄の釜、夜という蓋が置かれた時、本当の暗闇が訪れる。そんな嫌な妄想がこみあげてくるくらい、山々に沿った陽光は怪しく美しかった。


 やがて夜が訪れた。太陽は山の裏側へと沈み、月がひっそりと夜空に輝いていた。街灯に乏しいリッドーヴィーム市ゆえに星々も気がつけば煌めいていた。東の空を仰げばオリオン座が見えた。オリオン、女神たらしの巨根野郎、ともっぱらの噂だ。太陽が消えた頃合いを見計らってフッと東の空に現れる辺りが彼の神話との親和性を物語っている。


 アルテミスに懸想をしている、と言われてもおかしくはない。そりゃアポロンも(サソリ)を放つという話だ。蠍、そういえばあの街でもことの発端は蠍だった。


 不意にヘルガは悲しくなり、視線を東に見える山々から目を逸らし、北を見た。見えたのは空いっぱいの星空と北の山頂にある古めかしい城、もう太陽がなく形は判別できないが、尖塔が特徴的な城だ。シティマップでも書かれていた古城だろう。もう何年も放置されていて、シティマップには「危険なので近寄らないでください」と書かれていた。


 思えばあの城の来歴も不明だ。大昔、この地を収めていたユンカーが建てた城と言われればそうかも、と思うし、魔女の家ですと言われてもそうかもと思う。少なくとも街の風景とは場違いで、警察署と似たような印象を抱かせる不思議な建造物だ。


 もし絵本に書いてあったことが正しければちょうど切り株ないし巨木は今城が建っている位置にそびえたっていたことになる。だが遠目から見ただけでは樹木が立っていた面影はない。どういうことだろうか。まさか木が山の中に埋もれたわけでもなかろうに。


 「大体なんだってあの手の城っていうのはいっつも高いところにあるんだろ。めちゃくちゃ不便じゃん」

 「それは見晴らしが良くて、市井を見張るのに丁度いいからですよ」


 不意に聞こえてきた声にヘルガはギョッとした。ギョッとしたのは不意の声、その言語だ。これまでヘルガが何億、何兆、何京回と使ってきたとても馴染みがある言語だった。ゲルマン諸語ではなく、ラテン諸語。ヘルガがつぶやいた一言に、その声はその言語で返した。


 振り向いた先に立っていたのは銀髪の少女だった。ところどころに混じった紅色の頭髪が月明かりに反射に暗闇の中で彼女の姿を露出させていた。着ているのはフリルが付いた白いブラウスと黒いロングドレス、歳の頃は12から13といったところだろうか。出立のせいか外見年齢以上に大人びて見えた。


 街灯に照らされた彼女は口元に微笑を浮かべ、ヘルガを探るような目で見つめていた。こんな過疎化が進み、数年後には廃校になる学校がある街に住んでいるとは思えない上品さを醸し出した、可憐な少女の存在はある種の違和感を覚えさせた。


 「えっと、誰?」


 ポケットのナイフへ手を伸ばしつつ、ヘルガは身をかがめた。こんな暗い夜、怪しげなラテン諸語をしゃべるゲルマン系ともスラブ系ともラテン系ともアジア系でもない変な顔つきの男に話しかける少女なんているわけがない。あきらかに怪しかった。


 「あたしはね、キィハ・ヴァイスロゼ、だよ」


 「僕はヘルガ……。で、君はなんなの?」


 明らかな不審者、魔術師である可能性もある見当違いの第三者。ナイフを首元に押し当てないだけまだ穏便な対応だった。


 「お兄さん、見ない顔だね。コーカソイドともモンゴロイドとももちろんネグロイドとも違う。まるで半端。お兄さんってなに?」


 ニタニタと少女は、キィハは笑う。歯並びのいい白い歯を露わにして、彼女は深い不快な笑みを称えた。


 「質問をしているのはこっちだ。なんなんだ、君は?」


 「強いて言うなら、この髪の色があたしの自己同一性(アイデンティティ)かな。姉達、妹達もそうだったけど、成功例は一つだけ、あは。これってもう答えを言ってるようなもんか」


 「……何言ってんだ、お前」


 眉間に皺を寄せ、ナイフを握る手に力が入る。いつの間にかポケットから取り出されたナイフは彼女へと向けられ、瞳を走る紫電のような痛みが閃光を放っているように感じられた。


 「答えろ、なんだお前。僕が出してるこのナイフ、脅しのためとか思ってんのか?」


 「いや?君は殺し屋だもの。殺し屋の目をしてるからね。そりゃ殺し屋だ。あたしがふざけたことを言えば間違いなくナイフを振り下ろす。それはそれで意味のあることなのかも、とか思ったり」


 遠い目、明後日の方向を見るような虚ろな瞳を少女はヘルガに向けた。死ぬ意味を求めているような死にたがりの目、迷いはなく、例え陵辱されるような死に方であってもその目が壊れることはないように感じられた。()()()、その目はダメだ。その目は壊せない。殺せない。


 無駄を悟り、ヘルガはため息と共にアーミーナイフをポケットの中へとしまった。その仕草を少し残念そうに少女は見つめていた。


 「一つだけ、教えたげる。今日の夜、怪物が現れるよ」

 「——それ、なんで知ってるんだ?そもそもキィハはなんなんだ」


 「それはまだ秘密。お兄さんがあたし達のところに来れたらきっとわかるよ。()()()()()が何者かっていう至極どうでもいい答えがね」


 ——気がつくと少女は夜闇に紛れ、消えていた。まるでそこに最初から存在しなかったように。それは魔術でも異能の力でもない。さながら大地に還るように少女は夜闇の中へと消え去った。


✳︎

次話からいよいよ冒頭部分に入っていきます。つまり、怪物登場!本年度中に終わりたいなぁ。

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