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午後2時半、警察署の前でヘルガとラスカーは合流した。互いに互いを睨み合い、まるで千年来の因縁の相手、怨讐の好敵手を目の前にしたような張り裂けた雰囲気を漂わせ、嘱目し合う。それはある種の牽制、しかして横着だ。嫌いで嫌いで苦手で苦手で目障りで目障りでしょうがない二人が今こうして一つの目的のために動いている事実は奇跡のようなものだ。
呉越同舟という古代中華の故事成語の通りに考えるならば手と手を取り合って協力する。I love you, I admire youの精神で相手に対する黒ずんだ感情の熾りを無理やりにでも押し殺して、目的を遂げるだろう。
しかしヘルガ・ブッフォもラスカー・タルシュ・ラフォーラントも根本的に呉越同舟の世界に、日常の世界にはいない人間だ。自分とは明らかに行動原理が、行動規範が、行動基準が違う相手を目の前にして一体どういうお人好しならば協力し合えるというのだろうか。小さな小さなディッシュマナーひとつで反目しあい、殺し合いに発展しかけるほどに剃りが合わない二人が、だ。食肉主義者と菜食主義者が仲良く高級フレンチレストランに入っていくくらいには信じられない光景だ。
いついかなる時も互いにさっさと死ね、なんならぶち殺してやるとすら思っている。そんな二人だ。何を開口一番言うかだなんてもう決まっていた。
「「よぉ、まだ死んでいなかったのか」」
常套句、あるいはあいさつ。互いに同じセリフを吐き、満足を覚えたのか、くつくつとヘルガとラスカーは双肩を揺らしはにかんだ。彼らは再確認していた。まだ相手がこちらに敵意があるのか、ないのかを。そしてあるからこそ安心した。敵意のない相手を殺すのは気が引ける。だが敵意のある相手は殺してもなんら感慨を覚えない。自分の中で行為が正当化されるか否か、そんな些細な違いだ。
「予定時刻にぴったりだな。思いのほか時間にタイトな性格をしているとは意外だった。しかもその面持ちからして何か有力な情報を入手したのだろう?」
「そっちだってそうでしょ。僕はちゃんと情報を話すから、そっちもちゃんと教えてよ?」
「ああ。もちろんだ。そうでなければフェアじゃない。いや、我々はそうしなければ互いに安全を担保できない、と言うべきか?」
蛇足、蛇足、蛇足。しかし足のある蛇は転じて龍となる。何気ない一言、何気ないアドリブが後世注目の的となるのだ。ラスカーの無邪気とも考えなしとも言える一言を受けて、ヘルガは鼻で嘲笑った。侮蔑を込めて。その幼稚とも浅慮ともとれる反応にラスカーは舌打ちで返した。土台剃りが合わないのに一緒にいる二人だ。何気ない会話でこうなる。むしろどうして長時間の電車の旅で爆発しなかったのかが不思議なほどだ。
軽い咳払いをして、ラスカーはジロリと射抜くような視線をヘルガへ向けた。だがそれだけだ。敵意はあるが、害意はない。つまり、ただ睨んだだけだ。しかしそれは区切りをつけるために睨んだのだ。憂さ晴らしのようなものだ。
「とりあえずは私の掴んだ情報から話そう。図書館で面白い文献を見つけた。例の怪物について、というよりこの街に古くから伝わっている巨木についてだ」
「確か、怪物を生み出したんだっけ?」
「そうだ。だが実態は大きく異なる。少なくとも私が読んだ文献では巨木、とは書かれていなかった。代わりに切り株と書かれていた」
巨木ではなく、切り株。まだ成長する余地があるか、それとももう成長しないのか、そんな生と死という二律背反を感じさせるフレーズだ。青々としげる大樹を崇拝することと、吹きさらしの切り株を崇拝するのとでは伝わる意味もまた変わってくる。前者ならば高貴を、後者ならば腐乱を感じさせてくるのだ。
どうして表現が入れ替わったのだろうか。しかも入れ替えておきながらどちらの主張もちゃんと残してある。これがここ最近書かれた書物ですというのならともかく古い話のはずだ。表現を変えるならもっと徹底してもいいだろうに。
「それで他にはどういった違いがあった?ストーリーの展開が違ったとか?」
「大まかには同じだ。だがところどころ妙な部分がある。例えば「少女は逃げました」のくだりだが、前後の文章に違和感を感じる。「少女は怯え、怖くなりました」と「振り返ると怖い顔で追手が追ってきました」だ。文章としておかしいし、まずどうして怯え、怖くなるというそれまで怖くなかったかのような文章になるのかがわからない。まるで、直前までは怖くなかったようじゃないか」
「あれじゃない?少女が白い悪魔の軍勢の第一発見者だった、とか?」
「かもしれないが、おかしな点はまだある。少女が持っていた笛、これは祭の行事で吹かれる笛だ。つまり祭司か巫女が吹くべき代物のはずなんだ。なのに全く無関係の少女が持っている。変じゃないか?」
「それは、そうだね」
ギリシア神話などでも巫女、もとい預言者は度々出てくる。有名どころだと「スパルタの予言者」だろう。麻薬で朦朧とした美しい肢体の女性のうわ言を予言と決めつけ、周囲に控えていた骨と皮と精力ばかりの老爺らが彼女の体に恍惚とした舌先と亀頭の先端を押し当て、完備な堕淫にふけりながら神託を下す、というなんとも胸糞悪い話だ。
それはさておき巫女や預言者は決まって祭祀のための道具を用意するものだ。それは盃であったり、ハンドベルだったりする。聖柊十時教ならば聖書や聖句などがそれだろう。そういったものは神聖不可侵にして絶対権威の象徴だ。とてもおいそれとなんらバックグラウンドのないメアリー・スーともデウス・エクス・マキナとも言える少女が持っているなど常識的にありえない。
「他にも探せばまだ出てくるだろうな。とにかく、宿屋で読んだものは一般的な絵本だった。地域伝承の類だ。だがこれは違う。誰かが意図して内容を隠している。まるで、誰かに真実を知られることを恐れているかのように」
「怖いな。まるで陰謀論だ。こんな時勢から行き遅れた街で聞くとは思わなかったよ」
だが全く関係がない、とは一概に言えない。閉鎖都市、このリッドヴィーム市はそう形容するにふさわしいくらい過疎化している街だ。外部へも外部からもほとんど情報が出たり入ったりしない街ならば秘め事の一つや二つはあってもおかしくはない。
過疎化が進み、外部へ情報が出ていくことを遮断された街などもはや誰も気にはしない。秘匿された碑文はそのままに、誰に気づかれることもなく街と共に埋没していく。そうあることを望まれているかのようにリッドヴィーム市は寂れていた。
——だから決して笑い飛ばせるほどの戯言でもなかった。何かを隠していると考えてもおかしくはない。
天を仰ぎ、スゥーっと息を吸い込むとこの街からはそんな味がした。クドすぎる油肉の丸焼きを食んでいる気分だ。ねっとりと無駄に油がのり、細かな味付けで隠してもまだありありと味がわかってしまう。
ひどい話だ。まだ推測の段階だが、事実だとすればとっくの昔にこの街は汚染されていた。魔術師の襲来という厄災よりも前にすでに毒されていたのだ、この街は。
「それでだ。君は一体何を得た?どんな情報を得た」
ひとしきりの情報開示を終え、ラスカーはヘルガを問うような眼差しで見つめた。その感覚にささやかな敵意を覚えながらヘルガは川の水位、そして食中毒事件について知らせた。話を聞くとラスカーは目を細め、ふむ、とだけ頷いた。
「可能性としては考えていた。廃工場にユリウスがいる、と。だが情報が足りず、判断しかねていたところだ」
「それなら明日にでも廃工場に行ってみる?」
「そう急くな。向こうがどんな罠を張っているかもわからないまま突入するなど無謀もいいところだ。今わかっているだけでも向こうにはユリウス当人、ノスガド、そして不確定ではあるが怪物とその奏者がいる。奏者に戦闘力があるかは知らんが、無視できるほど与し易い相手でもないだろう。特に川辺の通りの破壊跡を見ればな」
ごくりとヘルガは喉を鳴らした。たった一体で短期間にあれだけの破壊の跡を残すほどの怪物、それが敵の手元にあるのは恐ろしいことだ。だが恐ろしいで立ちすくんだままではいられない。
「とにかく署長に会ってみよう。そしてこの街から排除するような言動があればもうクロ確定だ。この街は、信用できなくなる」
「初めから信用していないでしょ?」
「心外だな。私は書物などについて、行動については信じているさ。言動を信じていないだけだよ」
いやらしく笑い、ラスカーは歩を警察署へと向けた。




