表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
62/146

最後の会話

 ——それは唐突に現れた。カーテンコールを開くが如く、光柱に一筋の線が入り左右に退いていく。


 音もなく、ごくごく自然に光のヴェールが取り外され、光柱の中から禍々しい姿の化け物が現れる。シルエットだけだったその輪郭がはっきりと夜空に映り、ぎょろりと翠眼を動かし下界へと視線を向けた。その時になり始めて中庭の三人は上層に現れたシルエットの存在に気がついた。やや遅れてヘルガが視線を上げると、そこには確かに黒いもやがかかっている真正の人外の姿があった。


 五指の鉤爪で空を掴み、無数の尾を生やした翠眼の神。それは龍のようにも果てははるか古代の神々のようにも見えた。トカゲのように鼻骨から顎にかけての骨格が突き出た人間らしからぬ頭の形状、片やシルエットは人間のそれである一方、無数の蛇ともネズミとも取れる尾が背部から突き出し、毒気を帯びた吐息を口腔から、鼻腔から眼孔から耳孔から身体中の穴という穴から解き放ち、それを周囲に纏っていた。


 大きさは3メートルか4メートルほど。体躯はたくましく、放つ覇気は人間のものとは思えないほどに気持ち悪い色を帯びていた。


 「龍神、か?」


 それを目にしたアルバがぽつりと呟く。東洋の絵画などでは度々描かれる緑の鱗を持った蛇に似た四つ足の獣、総じて龍と呼ばれる神話の獣と彼の目の前に現れた奇怪な神はよく似ていた。外見は似ても似つかないが、体内で蠢く力の在り方はまさしく龍の神と呼んでも差し支えなかった。


 やばいな、とアルバの眉間を汗が伝う。ヘルガの死亡という危機とは別の意味でアルバは動揺していた。それもこれもすべては目の前に突如として現れた神が真正の神だからだ。


 魔術師の最終目標は神の座へ辿り着くことだ。それを目指し、アルバも研鑽を積み、その成果とも呼べる魔術式を組み上げていった。魔術式は魔術師の自己研鑽の象徴であると同時に基盤となる神を理解する上での道程を記した証でもある。


 近くはヴィーナスがアフロディーテ、遠くは東洋にてインドラが帝釈天、極東にてヴァイシュラヴァナが毘沙門天と呼ばれるように、名もなき個人が神の名を騙るための下地こそが魔術式と言っても過言ではない。すべからく十全に力を発揮するなどは不可能でも、同等の地位までのしあがることはできる。


 しかしそれはあくまで神の座に至るための手段の一つでしかない。より知見を広げれば人の身で神となった神話は世界の至る所に存在する。ヘラクレスなどは一番わかりやすい例で、屈強な肉体と知見を以てヘラクレスは十の試練を制覇し、人の身でありながら神となった。


 今アルバの眼前に浮かんでいる神はまさにヘラクレスだ。従来の神の名を借りること、語ることなく独立した神としてこの世に君臨していた。神を騙ることができないのならば、自らが神になってしまえというシンプルで暴力的な力任せの回答、そんな暴論が通るなんてそうそうあることではなく、神となるためには膨大なレベルの瘴素(エネルギー)と飽くなき研鑽が必要不可欠となる。


 「どうやって?百年や二百年の研鑽ってレベルじゃねぇぞ?ヘラクレスは元々神の子だったから神になれた。天賦の才能という土壌があったからこそ神になれたんだぞ?現代を生きる人間が瘴素がたくさんあるからってそうそうぽんぽん神のステージに辿り着けるものかよ!なんだって言うんだ、あいつは!」


 ことさらに才能とは理不尽そのものだ。アルバの六十年以上の人生の果てにやっと形になった「炎の英雄(プロメテウス)」すらハキというまだ二十歳にもなっていない少女の魔術式に敗北するように、時間がカバーするのはあくまで経験だけだ。時間が才能をカバーすることはなく、元よりスタート地点が違えば歩く速度が同じでも目的地に到達する時間は違ってくる。


 それにハキだって一から魔術式を組み上げているわけでもない。彼女の術式は一子相伝の家宝とも言える代物だ。彼女の先祖の研鑽をハキの代になって終局に近づけたに過ぎない。


 それを凌駕する才能の持ち主?それも魔術式に頼らない方法で?馬鹿げている。才能と時間が有り余ってなお高みに至る道は険しく、人類にとって踏破困難であるはずだ。苛立ちと焦り、嫉妬がアルバの腹の中で赤いとぐろを巻き、それは彼の表情に、肌の色に、息遣いに色濃く現れていた。


 「百年?二百年?とんでもない!あの男の妄執は君が考えている以上だぞ、魔術師。アレはその程度の時間の妄執では済まされない!」


 鋭敏に彼の動揺を感じ取り、イシュカが口を開いた。かつてないほどに表情を曇らせ、唇を震わせる彼を見てアルバとハキは双眼を細めた。


 「キイカ・ランジョー。あいつはそう名乗っていた。その名前に何か意味がある……んですか?」


 荒く息を吐きながらヘルガは顔を上げた。まだ体は痛むが、痛いから戦えませんはこの場では言えない。それ以前に眼球をしめつけてくる痛みが逃亡を許してくれそうになかった。頭に血が上っていき、沸騰していく意識が怒りの情念を掻き立てた。


 倒したと思っていた敵が突如として復活する。全く笑ってしまいたくなるほどに刺激的な展開だ。滾り紅蓮を覚えた衝動を加速させ、この上なく残酷に残虐に斬新に凌辱したくなる。残心すら覚えないほど徹底的に、完膚なきまでに、滅殺してこそヘルガの殺意は鎮火できる。それが彼にとって自分の日常を汚した存在に対する制裁だった。


 そのためにもまずは相手を知ろうと思った。目の前でなぜか布にくるまれているイシュカ・ランジョーの先祖であることは本人の口から聞いた。戦っている時は「あーそうなのねー」くらいにしか思わなかったが、イシュカの口ぶりからそれだけの存在では済まされないように感じられた。それこそランジョー家全体がアレに毒されているんじゃないかと勘繰ってしまうほどに。


 「どうなんだ、イシュカ・ランジョー。どぉせ死ぬか保存液の中だ。この際思い当たることは全部言っちまえ。でねぇとおめぇ影薄いだけのキャラになんぞ?」


 「君に言われるとイラつくのはなぜなんだろうね?まぁいいさ。どうせあいつが暴れりゃみんな死ぬんだ」


 どこか吹っ切れたような眼差しでイシュカはキイカを一睨みした後、訥々と語り出した。


 「キイカ・ランジョーは元々舶来の魔術師だった。今からざっと500年以上昔の話、彼は極東のとある島国に来訪し、その地で密かに自身の研究を始めた。人が神となるために魔術式ではなく、神の肉体と頭脳を手に入れるための実験だ。魔術的に言えば『共感呪術による人間神の創造』だ。彼の全存在が世界の一部と化し、宇宙を振動させることすら可能となる。


 しかしそれは現実的には不可能だ。寿命と才能という点でだ。だが奴は自分から肉体を捨て去ることでその枷から外れた。死後の500年近くを家系の人間に寄生する形で過ごし、ちょうど200年前に長年の研究が実を結び、あの男は神に近しい肉体を手に入れた」


 そこまでの話を聞き、ヘルガはキイカの体躯を思い出した。のっぺりとしたゴム人形のような凹凸のない体つき、それは視ているだけで眼球が火照っていた。眼前に突如として現れた光柱ほどではなかったが、拒絶感を情欲のように滾らせてなお足りたない異物感を感じさせた。


 それが神に近づくというのことなのか。それとも神とは別種の何かだからか。禍々しいとも神々しいとも違う圧倒的な毒物としての存在感があの黒い人型の塊からは感じられた。それはさながらこの世界とはまた違った別の世界から漂流したかのようだった。


 「神とは本質的にはより高次の存在だ。物質世界や精神世界といった既存の三次元とも四次元の法則とも隔絶したはるかに上位の次元を支配し、また君臨する存在だ。いかに神の肉体を得ていようとも人が神となるためには莫大なエネルギーを必要とする。それがあの男が祭壇、神殿を欲する理由だ。多量の瘴素を獲得し、自らを昇華させる。それが為されて始めてあいつは神となる」


 つまりはエレベーターと変わらない。最もこの場合は上にしか行かないエレベーターだが。神の体はエレベーターの箱と装置で、エネルギーは電力だ。電力を落としてしまえば神の体を持っていても機能はしなくなる。


 「てなると潰すのは祭壇、か?」

 「ええ。見たところまだ完全に昇華しきれていない。本当に神であるなら()()()()()()()()()()()()()()()()()


 ごにょごにょと話し合うアルバとハキの言葉に耳を傾けつつ、ヘルガは両足に力を入れた。血はまだ足りず、足腰にも思うように力は入らない。ナイフを握る右手だけが異様に汗ばみ、熱く熱く激っていた。


 じんじんと痛む瞳は夥しい熱量を発し、暗闇の中でもしっかりとその眼光を確認できるだろう。ボロボロの私服をワイシャツ一枚まで脱ぎ捨て、左袖を破りヘルガはナイフを構えた。


 「祭壇の破壊は僕がやるよ。どうせそれくらいしかやれないだろうし」


 「待ってくれ!君の傷はまだ完治していない!これ以上傷を増やせば死ぬかもしれない!いや、死ぬ!そもそも神の領域まであと少しのレベルにあるキイカ・ランジョーをどうやって止めると言うんだ!」


 堰を切ったようにイシュカはヘルガを止めようともがく。だが所詮は四肢なし、彼が暴れるだけ無駄だ。どれだけ暴れようとハキの傍から逃れることはできず、またハキも逃すつもりは一切ない。膿んだ瞳で懇願する魔術師の静止はヘルガの耳には届かず、彼の意識はズキズキと両眼を痛めつける祭壇へと向けられた。


 黒い光の中で朧げな輪郭を放つ長方体の物体が見えた。黒一色の世界と言っても黒の濃さというものがある。その世界で神は非常に濃い黒、そして祭壇はやや薄めの黒だった。目算距離で3メートルあるかないかといったところだろうか。体力が万端だったら数秒とかからない距離だが、今の体調ではまともに走れるかどうかすら怪しかった。誰かが気を引いてくれれば、とちらりとアルバへ視線を向ける。意図を汲み取ったのか、老神父は一瞬表情をしかめて頭をかきむしった。


 「じゃぁ、よろしく」


 「あーあ。お守りってだから嫌なんだよ」


 アルバの炎を合図にヘルガは一直線に祭壇まで走りだす。それを感知して、キイカ・ランジョーが動いた。


✳︎

次話投稿は10月12日19時を予定しています。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ