デイルアート市の真実
「私を殺した責任、取ってくれる?」——レアリティ・トゥルク・オールレア《死神》
全く予期していなかった赤髪の女のカミングアウトにヘルガは息を呑んだ。頭上の星座へ再び視線を移し、自分の目を疑いながらもやはり彼の目にはさそり座が写っていた。本来ならば夏場にのみ見ることができる星座であるにもかかわらず、堂々と秋の夜空に君臨している節足動物が今は常識よりも彼女の言葉を優先させていた。
しかしににわかには信じられない話だ。いきなり目の前に現れた死神を名乗る赤髪の女がそう言っているだけで、街が停止したと言われても実感すら湧いていない。同じ一年の積み重ねという言葉すらヘルガには理解できない話だった。徐々に眉間にしわを寄せ、口をへの字に曲げていく彼を見て、赤髪の女はくすりと小さな笑みを浮かべた。
「確かににわかには信じられない話でしょうね。でも誓って私は嘘は言っていない。確かにこの街は五年前の7月25日から時間が止まっているの。それについて一から十までちゃんと説明できるやつのところにこれから連れて行ってあげるわ」
「それって……君の協力者みたいなもの?」
「近いわね。それと君だなんて他人行儀じゃいけないわ。私の名前はレアリティ。レアリティ・トゥルク・オールレア。長ったらしいからレアと呼べばいいわ」
夜風で赤髪をたなびかせ、レアリティと名乗った女はヘルガへと向き直った。ドレスのスカートを片手でつまみ、一礼してみせる姿は優美なことこのうえなく、気品さがこれでもかと表れていた。いずこのお姫様と言われても言い過ぎでない優雅さを前にしてはこれまでの五年間でヘルガがアテルラナ学園で学んできた貴族的作法が霞むほどだ。
「僕はヘルガ、ヘルガ・ブッフォ。好きなように呼んでくれ」
そう言って一礼するが所作はとてもぎこちない。つい最近お手本を見たばかりのようだ。これまでの五年間で何をやってきたのか、とマナー講師なりが見たら痰を吐き捨ててくるほどひどい所作だった。
そんな動きを肌で感じ取り、ヘルガは恥ずかしく思えてきた。赤面する彼をレアリティは優しくなでる。しかし憐れみが混じっていたせいかあまり心地の良いものではないとヘルガは自分の未熟さを恥じた。
「ヘルガ・ブッフォね。ヘルガ・ブッフェなんて気取った名前じゃない。両親は家名に合わせたのかしら」
レアリティの言葉の意味がわからずヘルガは首をひねる。ヘルガという名前に祈りという意味が込められていることは両親から昔聞いたことがあるが、どうしてブッフォがブッフェで道化になるのかはわからなかった。
「じゃぁヘルガ。さっそく街の外れにある森林へ行きましょう。そこに隠れ家があるの」
「隠れ家?それに森林ってどっちの?」
北と言われヘルガはデイルアート市の地図を脳裏に思い浮かべる。街の南北にそれぞれ広がる森林地帯は南はキャンプ場として使われているが、北は古い砦跡があるため開発されていない地帯だ。人が寄ることは滅多になく、隠れ家として使うには絶好の場所だ。
隠れ家というフレーズがヘルガの童心を呼び覚まし、まだ8歳かそこらだった頃、よく屋根裏なんかに「秘密基地!」とか言って色々と持ち込んでいた記憶を思い起こした。結局両親に見つかって片付けさせられたが、今に思えば両親を困らせたのはあの時限りかもしれない。
過去に思いを馳せて歩く中、気がつくとレアリティがはるか遠くを歩いていた。急いでヘルガは彼女のあとを追った。
「ちょっと待ってよ。もう少しゆっくり行かない?」
「ごめんね。でもちょーっと急がないとなの。このデイルアート市で今、この場所を歩いている人間はだれもいないから」
謝罪ついでによくわからないことを口にするレアリティに首を傾げながらも、ヘルガは黙って彼女についていった。そして10分足らずでヘルガとレアリティの前に黒い森が見えてきた。街の面積の8分の1は占めているんじゃないかとすら言われている深い樹林だ。街の外までその範囲は続いていて、奥に行けば行くほど濃霧がひどくなるため長らくデイルアート市に住んでいるヘルガも森の中に入ったことはほとんどない。
森の大部分はオークの樹で構成され、秋になると鮮やかなオレンジ色の葉を付ける。そもそもこの森林自体がヘルガの家から近いおかげで秋葉になると家の窓からその様子を見ることができる。今までは大して気にも留めなかったが、レアリティの話と矛盾しているなとヘルガは真っ暗な大樹を見上げながら感じた。
「都市が停止しているって言ってもちゃんと四季は巡っていたよ。少なくともその記憶がある。11月頃に落ち葉拾いだってしたはずなんだけど」
「説明がちょっと難しいのよ。まぁとりあえず私の隠れ家までって、もう着いたわ」
樹木の隙間からわずかに灯りが見え、その灯りの先へ視線を向けると、素朴な石造の小屋が見えてきた。まるで童話に出てくる小人が住んでいそうな古風な作りの小屋の窓からは灯りが漏れ、屋根に設けられたえんとつから灰色の煙が登っていた。
ヘルガが古屋へ意識が留守になっている傍ら、レアリティは木製の扉へ近づき、3度ノックする。ギィーという黒板を引っ掻くような音によりヘルガの意識が戻されるとレアリティが扉を開けて自分を待っているのが見えた。急いでヘルガは扉へ駆け寄り、そして小屋の中へと入った。
「なんだ、そのガキは。おいレアリティ、余計な客をつれてきてんじゃねぇぞ」
扉が閉まると同時にヘルガの真横からしわがれた声の罵倒が飛んだ。驚いてヘルガが視線を向けると、白髪の老人が厳しい眼差しで彼を睨んでいた。眉間にシワを寄せているせいか、ただでさえ多いシワが一層多く見える。祭服を着た大柄の男性で、見下ろす形で警戒するヘルガを威圧してきた。
どこか値踏みするような視線にヘルガは不快感を覚え、とっさに視線を逸らした。それが男の琴線に触れたのか、さらに不快感を示し、彼はレアリティへ視線を向けた。
「このガキはあれだぞ?自分のする事なす事全部正しいって思うクチの人間だぞ?目ぇ見りゃわかる。最初は大人しくへーほー言うが後になってにわか知識を披露すんだ。で、墓穴を掘って自滅する。オレはそんな爆弾抱えたまま一年間の潜伏を無に帰すようなこたぁしたかねーぜ、レアリティ?」
「大丈夫よ。彼はこの局面において重要な切り札になるわ。だって私を殺したのよ?その言葉の響きだけで十分な戦力でしょ?それにあなたの主観で物事を語らないで。無駄な軋轢を生むわ」
不承不承といった雰囲気を漂わせ、神父服の男はヘルガに向き直る。まだ信用できないと目が言っており、初対面ながらヘルガはすぐに彼が嫌いになった。