レゾラ・レゾ・レッティ
ヘルガとアルバが互いに敵と相対する傍、四階の戦いに決着が着こうとしていた。
塵がゆったりと流れ、冷涼とした空気に包まれたなんの変哲もない学校の廊下で魔術師二人の魔術が幾度となく交錯する。銀閃が空と大地を活殺自在に切り裂き、ありとあらゆる遮蔽物を千に切り刻む。赤い光が明滅し、その凶刃から術者を保護し、相手の意表をつく。
交錯する銀と赤は何度となくしのぎを削り、両者の魔術が一度直接ぶつかり合うだけで同心円状に波動が広がり、校舎を歪ませ、窓の鉄枠が軋む音が響いた。轟っと風圧が周囲に押し寄せ、廊下のタイルが粉々に砕け散り、裏側の配線や電線が宙を舞った。
銀閃を振るう方も人外だが、それとまともに敵対できる赤を操る魔術師もまた化け物の類だ。彼女の攻撃を赤に集約させ、攻撃を紙一重で躱し、カウンターを食らわせるという綱渡りを幾度となくこなし、時にはこちらから攻撃することだってあった。単純な力勝負ではなく、技巧を用いてイシュカはハキに対抗していた。
しかしそう何度も何度もハキの眼を誤魔化せるほどイシュカの赤は強くはなかった。彼が操る風水の色は赤、火を司ると同時に相手の精神を高揚させたり、興奮させたりする効果を有している。この魔術を使えば相手の気分を高揚させて正常な判断能力を失わせたり、注意を別のものへ向けることも可能だ。そして常に南側を背にして戦うことでその効力は飛躍的に伸びていた。
おおよそこの魔術で人を傷つけることはできない。彼が起こす炎も本当にささないもので、アルバが扱う人を傷つけることを前提とした炎とは威力が雲泥の差だ。そんな魔術でも人を操り、扇動し、神殿を築くことを生業としていたイシュカにとってはこの上なく有用な魔術だった。自分自身に魔術をかければ自己暗示すら可能となり、常人を超えた馬力で圧殺することは容易だ。
だのに彼の拳は空を切る。炎の鏃はありえない反射速度で打ち消される。攻撃のすべてが見透かされ、見切られ、見抜かれ、カウンターを食らわせたと思いきや刀の反りで防御されていたことなんてザラにあった。相手がこちらの魔術を探っていた時はまだこの拮抗状態を維持できていた。それもハキの攻撃がかするようになってからは意味をなさなかった。
「赤」
刀剣を構えたと同時にイシュカは赤を展開する。人の脳に多大な負荷をかけ、注意を赤に固定する精神攻撃魔術、イシュカがこれまで何度となく追っ手の魔術師に使い、逃げおおせてきた魔術だ。だがそれを見抜き、ハキの刀剣はイシュカの脇腹をかすめた。校舎を寸断するほどの一撃はかすっただけで彼の血管を破裂させ、勢いよく血飛沫を上げた。
痛みから表情を強張らせる。反撃をしようとイシュカは炎を起こす。炎は滑らかな軌道を描き、ハキへと襲いかかった。燃え盛る炎の熱量は100度、人間を焼死させるには十分な威力だ。だがハキには通用しない。純粋な物理法則である不定形で実体のない炎を一太刀で吹き飛ばし、その余波は飛ぶ斬撃と化してイシュカの肩に仇花を咲かした。
「ぐぅうああが」
「よく付いてるね。普通ならずれ落ちてもおかしくないんだけど」
「風水使いは頑丈でね。この程度では死なない、いィ!?」
ハキの刀剣がイシュカの肩を切り落とした。右腕は刀剣を振った衝撃で潰され、柘榴の果実が溢れ出した。それはグレープサイダーの炭酸が暴発したようで、少なからずハキの顔にも血がついた。
冷涼な笑みを浮かべハキはその血を唇になぞった。痛みで汗と鼻水をだらだらと垂らし、恨みがましい目でこちらを睨むイシュカを蹴り飛ばし、彼女は刀剣についた血液を舐め取った。
「ねぇ?もう一度言ってくれない?風水使いはなんだって?」
「このクソ女。人の腕をなんだと思ってやがんだ!」
「あははは。それ最高。その口の悪い貴方の方がさっきまでの猫撫で声よりもよっぽど魅力的ね。まぁだからって生かしておくわけでもないのだけど」
血がついた刀剣を捨て、ハキは再び刀剣を生成する。足元からにゅるりと生えた二振りの刀を握りしめ彼女は立ち上がろうとするイシュカへ襲いかかった。振るった刀剣とイシュカの赤が再び交錯する。それは注意を向ける赤ではなく、炎の塊を帯びた赤だった。
白銀の刀剣と鉄が融解する1600度の超高熱が交錯し、両者の魔術は互いに反発し術者ごと吹き飛ばした。球場の衝撃波が校舎を揺らがせ、完全に四階から上の階は支えを失い崩れ去る。激しい落石が階下まで伝わり、三階の天井が抜ける。二階の天井が抜ける。一階の天井が抜ける。
落ちてくる巨岩を刀剣の一太刀で切り裂くハキはその様相は舌打ち混じりに眺めていた。視界いっぱいに広がる瓦礫の山はどこをどう見ても人の潜り込める隙間ばかりだ。探すにも奇襲を警戒するにもいやらしく、考えるだけで頭が痛くなる。
昔から考えることが嫌いだ。シンプルであればそれでいい。シンプルに一問一答の世の中であればいいのにと願わなかった日はなかった。ひたすら闘争に身を投じ、ただ刀を振るうだけの人生だったらどれほどよかったことだろうか。
しかし現実にはそんな戦闘マシーンにはなりきれなかった。感情は存在するし、考えて行動しないと命の危険が自分にも味方にも訪れる。その結果として一家皆殺しを成し遂げた空斬 葉器は大きなため息をこぼした。自分の家族を皆殺しにした過去を悔いることはない。しかしその意味のない正義感のせいで今の彼女は瓦礫の山の上に立っている。
目に入るすべてがこれまで殺してきた、壊してきた、救えなかったすべてが咎めているようで気持ち悪かった。なんでそんな目で私を見るんだろうか。すべて自業自得じゃないかと何度となく彼女は己に言い聞かせる。それでも救えなかった人間の顔ばかりが脳裏をちらつき、殺した人間は耳元で囁いてくる。
——気分を変えるため視線を絶えず光を放つ光柱へ向けると、その真下で剣戟を演じる少年と少女の姿があった。彼らは周囲で何が起きているかなんてまるで気にしていなかった。あれくらい何かに没頭することができればいいな。柄にもなく誰かへの憧憬を覚えたことにハキはとまどいを覚えた。だがそれを考える余地など彼女にはなかった。
「——っと。そうだ。そろそろ出てきたら?」
それまで漂っていた静寂の雰囲気に混じった微かな異分子を感知し、再びハキは刀剣を引き抜いた。同時に周囲のごっそりと瘴素が消費された。彼女が抜き放った刀剣はそれまでの白銀ではなく、夜を切り取ったような紫と青の混合色だった。
「これ以上の戦いは不毛だからさ、一発で終わらせようと思ってね」
何もない空間に彼女は語りかける。はたから見れば間違いなく阿片でもやっているのかと思われる異常さだ。それも刀剣片手にやっているのだから中毒者を通り越して犯罪者か何かかと思われても仕方ない。
しかしこの場には彼女と彼女と敵対する魔術師以外は存在しない。刀剣をいくら振ろうが誰にも迷惑はかけない。ハキが本気を出そうと困るのはせいぜいがこの学校の生徒くらいなものだ。
「とっととくたばれ、雑魚野郎」
構えた刀剣をハキは無造作に振り下ろす。特別な所作や技術は必要ない。彼女はただ刀を水平に振るだけでいい。力も速度も正確性も狙い澄ましも開けた視界も補助も距離を縮める脚力も必要ない。
神が何かをするために道理は必要ない。それがハキの本気だ。
——この刀剣を振るう時だけ、空斬 葉器は神と同質の奇蹟を起こすことができた。
その一閃は空を薙ぐ。揺らぎを起こす。直後、彼女によって四肢をすべて切断されたイシュカ・ランジョーが血みどろになって瓦礫の中から吐き出された。
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次話投稿は10月2日19時を予定しています。




