「太歳家殺」空斬 葉器
それは一言で言えばこれまでの罵詈雑言ばっかりを口にしていた陰湿な少女の印象からは程遠い、感情の起伏に正直なティーンエイジャーの行動そのものだった。黒色で抜き身のサーベルを振るい、少女は縦に横に斜めに正面に上に下に右に左に東に西に北に南にサーベルを振るい続けた。
瞬く間に無数の寸分の狂いがない切断線が浮かび上がり、直後に支柱や壁、鏡、鉄骨などなどが視界からズレていく。消化器を切ると白い煙が立ち上がり、放水ホースを切れば蛇口から水が吹き出した。一瞬にして校舎内の至る場所で警報が鳴り響き、それらは直後に落ちてきた天井の重みで押しつぶされた。
「なぁ!?」
ヘルガが間の抜けた声をあげて驚きを隠せなかったのは当然だった。目の前で起きている理解を超えた現実に意識が追いついていなかった。まるで眼で追えない速度で少女がサーベルを振るたびに何かが切断される。校舎のどこかに亀裂が走り、崩落音が響いた。
それは少女の細腕でできる芸当じゃなかった。大型の重機で何日もかけて行う作業をたった一人で数分と経たずにやってのけるだなんて馬鹿げている。明らかに人間の規格を逸脱していた。その圧倒的すぎる理不尽さは昨日出会ったネアーシュを彷彿とさせるが、話が通じる分まだあちらの方が理性的だ。今の少女は眼球が大きく見開かれ、凶気を感じさせた。鬱憤晴らしか元々こうするつもりだったのか、彼女がサーベルを振るう手を止めることはなかった。
止めるべきだ、とヘルガは少女へ近寄ろうとする。その刹那、視線がヘルガの方へ向いたかと思えば目にも止まらぬ速さで長大なサーベルを剃り上げる形で振るった。それを半ば反射的に突き出したアーミーナイフでヘルガは受け止めた。黒い刀身はナイフに触れられると同時に破壊され、無数の黒い破片が宙を舞った。
「——ああ。なるほどね。確かにカイドゥーンが注目する理由もわかるかな。そんな便利な右手があるなら意地でも使うべきだろうしね」
「ちょっと落ち着いてくださいよ!暴れたって」
「——暴れたって?暴れたってなんだかな。教えてくれよ、ヘルガ君」
詰め寄った末、暗闇から声が聞こえてきた。その声はヘルガのものでもアルバのものでも少女のものでもましてイスカのものでもなかった。
「まったくひどい。ひどいなぁ。私の四年が無駄無駄無駄になってしまったじゃぁないかぁ」
暗闇から声がする。月光差し込む廊下の影からゆっくりと足首が見え、徐々にその姿を暗闇から表したその男の容姿にヘルガは心当たりがあった。だが受ける印象はまるっきり違った。
アジア圏ならどこにでもいそうな黒髪のモンゴロイド。平たくのっぺりとした顔面、瞳孔は小さく細く、鼻は鼻腔にダイナマイトでも詰めて破裂させたかのようにつぶれている。ブロック状の体、大して高くもない背丈、くたびれたスーツを着た冴えない男性、のはずだ。
だが彼が放つ雰囲気が昼に出会った時とは違った。昼に受けた印象は教師っぽすぎる何か、今受ける印象はどこか他人事のように話す誰かだ。今起きていることすべてがどうでもいいと思っているにも関わらず、野次馬気分で出てきたようだった。
大仰な身振り手振りでイスカ、いやイシュカ・ランジョーはヘルガと少女の近くにまで近づき、くくくと肩を震わせた。隙しかない誘っているとしか思えない姿を前にしてヘルガもアルバも少女も警戒して動くことはできなかった。
「だけど。ちょーっと遅かったようだね。私はすでに目的を果たしたからね」
「はぁ?」
「見たまえ、神の祭壇を!」
高らかに宣言すると同時に中庭から眩い光が発せられた。光が夜闇にほとばしり、黒塗りの光沢の夜空を青に染めた。蒼天を突く橙色の光をヘルガが視認すると、それは瞬く間に黒く染まり、彼の眼球に激痛が濁流となって押し寄せた。
沸騰した眼球は水分を蒸発させ、蒸気を発生させた。フシューフシューと蒸気機関を彷彿とさせる白い煙が現実的に眼球から発せられるほどにぐずぐずに煮込まれる中、絶叫と共にヘルガは頭部を崩れた壁面にぶつけ、意識が壊れそうだったところを回避した。
「なんだぁ、ありゃあ?」
「神だよ、神。もっともまだあくまで力の本流に過ぎないがね」
アルバの問いに素早くイシュカは答えた。すでに勝利を確信した余裕の笑みを浮かべ、どこまでも自信満々に彼は答える。
答えている内に光柱は肥大化し、深夜にも関わらず煌々と市街を照らし朝か昼かと見まごうばかりの明るさをもたらした。神々しさすら感じるそれの核を見ようとしてアルバは窓から乗り出そうとするが、イシュカはそれを許さない。
「おいおい野暮じゃないか。野暮だよね。野暮だとも。そんなに玉体が見たいっていうなら私を超えろ。私を倒せ。私を殺せ。やって見せろよ、腐れ魔術師」
表情筋を歪め、イシュカは体は大きく捻った。あまり運動をしていなかったのか、骨内にたまった空気が弾ける音がパキパキと鳴る。もしそれが美しい筋肉を持った人間であれば映えただろう。あるいは筋肉ダルマでも映えたはずだ。しかし痩せていて見るからに冴えないアジア人が同じことをしてもまるで絵にならない。むしろ骨が折れたんじゃないかとすら思わせた。
明らかに煽っていて、あからさまにこちらを舐めていた。ふざけるなよ、と言いたげなアルバは周囲の瘴素へ手を伸ばす。彼の手のひらに紫色の炎が出現し、ごぉと空気を焼いた。
「いいじゃないか、魔術師。知恵に寄った炎なんて珍しい。案外君も教えたがり屋なのかな?」
「うるせぇ腐れ黄色人種。このオレ様にかかりゃぁてめぇなんざイチコロだよ」
「そいつぁ恐ろしい。だったらその実力とやらを、をぉ!」
刹那、イシュカの頬目掛けて電光石火の一閃が走る。その一閃はわずかにイシュカのスーツをかすり、荒い傷跡を残した。ぎょろりとイシュカの視線が攻撃した張本人へと向く。その視線の先では額から血を流したヘルガがナイフを彼めがけて構えていた。
三色の螺旋を描く瞳を輝かせ、全身からヘルガは殺気をほとばしらせる。真一文字に構えたナイフをイシュカの首を切断するように調整し、瞳を血走らせる。ノーモーション、なんの前触れもなくヘルガは動き、鋭い一閃を放つ。
イシュカの首を描き切るための一撃、それを当の本人は避ける。避ける。避ける。明らかにヘルガの動きを理解して、紙一重で躱している優れた体運びだった。
紅蓮の殺意を帯びたナイフで攻撃されているのに、なぜかイシュカは反撃しなかった。反撃するまでもないということ?いやそんなわけがない、とヘルガは彼の体を見つめてその考えを否定した。昼間見た時と同じく、イシュカの体は黒ずんでいる。夜の闇で暗く見えるわけではなく、眼球がひりつくほどの異能もとい魔術を体に纏っているのだ。
そんな人間にとって常人のナイフなんて小石に等しいはずだ。本来ならば避ける必要だってない。それでも避けている、ということはこちらの能力をある程度知っているということだ。
不意打ちでイシュカをナイフで切りつけた時、一瞬だけ彼の体に回っていた黒いもやが消えた。しかしすぐにカビの繁殖を思わせる動きで再び黒につつまれた。その時にナイフで切られると魔術が消失する、と考えたのかもしれない。
——だとしたら余計におかしい。大振りの一撃を回避され、敢えて隙を見せてカウンターを叩き込もうとしたのに追撃をしなかったイシュカを見て眉間にしわを寄せた。今蹴りなり拳打なりを打ち込めばヘルガを倒せたかもしれない。相手は魔術師、いくらでも人の殺し方を熟知しているはずだ。こちらのカウンターを見切ったのかとも思ったが、攻撃の素振りすら見せなかったのは明らかにおかしい。
いや、そもそもこちらへの敵意すら見せていなかった。万が一にも自分の目的が頓挫するとか考えていないのか?
「なぁ、あんた。どうして僕に反撃しないんだ?」
「ははは。愚問じゃぁないか。生徒に暴力を振るう教師がこの世にいるわけがないだろう?私は教師だ。私はまだ教師だ。魔術師である以前に教師だ。だったら生徒がナイフと殺意のハッピーセットを向けてきても笑って許すべきじゃないか。教師ってのは生徒の行動を肯定し、学業に差し障ることだけを否定する存在であるべきだ。——だからヘルガ君、こんな夜遅くに出歩いてはいけないよ?不良じゃぁないんだから」
「あんたがそれを言うのか?さんざん生徒から瘴素を奪ったであろうあんたが!」
「え?うん?なんの話?」
しらばくっれるのかよ、と心の奥でヘルガは舌打ちをする。都合のいいことばかり言いやがって。苛立ちは募り、より一層鋭利な殺意を孕ませた一撃をヘルガは繰り出そうとした。しかし踏み込むと同時に彼の目の前に見知った背中が現れた。
驚いてヘルガが顔を上げるとアルバと少女が互いに魔術を纏って立っていた。背中しか見えず、両者の表情をうかがうことはできなかった。
「ヘルガ、とりあえずてめぇはオレと一緒に下降りるぞ。あとは頼むぞ、ハキ」
ハキと呼ばれた白髪の少女はこくりと頷き、どこから取り出したのか、黒いサーベルを取り出した。どちらもヘルガが砕いたものより長く、切先が鋭い。
「おいおい。私を無視してくれるなよ」
「ヴァーカ。てめぇだよそりゃぁ。一体どういうおつむをしてたらそこのクソ女を無視できんだぁ?」
階下へと走ろうとするヘルガとアルバめがけてイシュカが駆け出した。一流のアスリートを思わせる脅威的な反射神経だ。数メートルの距離を一瞬にして詰め、イシュカの手がアルバの首にかかろうとした瞬間、銀閃が宙に走った。
それがハキから放たれたものだと即座に理解したイシュカの眼が一瞬だけ彼女に向けられた。その隙をつき、ヘルガとアルバは彼の視界から姿を消した。急いで追おうとするが彼の前には二振りのサーベル、いや二振りの刀剣を握ったハキが立ち塞がった。
「そこをどいてくれるかな?私の目的を妨害されかねない」
「どけと言われてどくのは買収された警官か親にコントロールされたまま社会人になった哀れな民間人か軍人くらいなものでしょ。私はそのどれにも当てはまらないし、どれにも通じていない。私に命令したければ金塊一万トンくらいもってくれば?」
「土台無理な話をする。地球の金塊の20パーセント近くを個人で収集できるわけないじゃないか。それに持ってきたとてどいてくれる保証はない」
「だから初めっからどく気はないって言ってるでしょ?これだから黄色人種って嫌い。大嫌い。自分本位なのはアングロサクソン人の特権でいさせてよ。気持ち悪いからさぁ」
その言葉を聞いてイシュカは怒るでも喚くでもなく、笑みを浮かべた。それはまるで得意げに磁石のN極とS極は引かれ合うとはしゃぐ子供を見る親が笑顔をたたえているようだった。嘲りも侮蔑も怒りもない純粋で無垢なる笑顔、この殺し合いの場に似つかわしくない表情のひとつだった。
「君だって黄色人種、モンゴロイド、極東人、私と同じルーツの東洋の山猿じゃぁないか」
「半分は違うよ。私は母親似。あんな猿みたいな父親に似なくて良かったってホッとしているくらいだからね」
直後、両者の魔術が交錯し、四階の廊下を直通する風穴が校舎に空いた。
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次話投稿は9月26日19時を予定しています。




