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火焔と白銀

 結局二人はその日、特に何か会話を交わすでもなく、校門を出た。


 「なぁヘルガ。どう思うよ、さっきの話」


 ちょうど10分くらい経ってからだろうか。トーマスがバスの中で不意に唐突に脈絡なく口火を切った。バスの中にはヘルガとトーマス以外に(おうな)が一人、後ろの席に座っているだけだった。きっと耳も遠い。トーマスの声が少し大きめだったのも彼女が聞こえていないからだろう。


 ぼんやりとした瞳でヘルガは一瞬だけ彼女を見やり、そして流れる木の葉のように車内やら窓の外やらに視線を浮気させた後トーマスに視線を向けた。トーマスの表情はいつもより暗かった。いや、違う。これは真顔だ。初めて見るかもしれないトーマスの真顔だった。それはやはり暗い表情だった。


 「僕としては面白い部分もあったと思うよ。そういえば先生が極東旅行に行くとか言ってたっけ」

 「つっても大したことはわからなかったよな。効果って点では納得が言ったけど。てかどうしてヘルガは『ヤマグラ』について知りたがったんだ」


 「あれ?言ってなかったっけ。なんかそんな話を聞いたんだよ、昨日」


 息を吐くようにヘルガは真実を口にした。嘘ではない。アルバから聞いた。それは昨日のことだった。11月13日の木曜日のことだった。そして今は金曜日、金曜日は嘘をつくには都合がいい。某合衆国ではブラックフライデーなんて言って大安売りをしているらしいから嘘っぽい真実だって大安売りをしているに違いない。


 そしてここは自由と平等と友愛のトリコロールを我が子より愛している国だ。ならばどんな嘘だって肯定される。どんなひどい真実だって否定される。赤ん坊を川に投げ捨て滅多刺しにしたところで神様が許してくれる、気になさらない、見もしない国なんだ。真実にしろ虚偽にしろ誰も気にしない。


 「ふぅん。ま、興味を持つってのはいいことだよな」


 だからトーマスは気にしない。興味なさげに喉を鳴らすだけだ。


 バスを降り、トーマスと別れた時はもう夕方だった。思ったよりも長くオカルト研究会の部室にいたらしい。バスには10分も乗っていなかったというのに、社外に出て見ればもう空は真っ赤だ。陽の光に当てられ、赤くなった顔の右半分を抑えながらヘルガは街中を歩いていく。


 何もすることがなく、無言のまま歩いているとそれまで意識してなかった激痛がぶり返してきた。普段から痛みは続いている。赤、緑、青の三色(まだら)が螺旋を描くせいで視点が変に回転しているように感じてしまう。眼球周りの筋肉は常に熱を帯び、そのせいで脳内の血液が沸騰してしまいそうになる。どうして自分が正常を演じられているのか、不思議に感じてしまうほどだ。


 せめて今つけているカラーコンタクトに激痛防止の魔術でも付与してくれりゃいいのに、とぼやきたくなるが、冷静になって考えて見ればあらゆる異能と人外を黒く染める眼球の前にそんなものを貼っては盲目になってしまう。付けたら痛みからはきっと開放されるだろうが、常時起動している右手でコンタクトを外してしまったら確実に壊れてしまう。その前にもその後にも後悔するのはヘルガただ一人だ。異常を嫌うのが人間ならば、人間は異常に目敏すぎる。


 だけど世の中にはそんな人間の異常を察知する能力なんて使わずとも見つけられる異常があるもので、具体的には人混みの中で憚らずに直立している老神父の姿をヘルガは見つけた。しかも路上喫煙が咎められるご時世にこいつはスパスパ煙草をふかしていやがった。


 「よぉ、クソガキ。ちったぁ昨日よりもマシな顔になったなぁ」


 そんな奴と同じ区分にヘルガは入れられたくなかった。無視して通り過ぎようとしたがすぐに首根っこを掴まれ、ヘルガの体は最も容易く組み伏せられた。うぎゃんという犬のような悲鳴を上げた。


 右手を広背筋に、左手を捻るように掴まれる。尾骨のあたりに片膝が乗り、ヘルガ・ブッフォは抵抗することができないほど拘束された。かろうじて動く両足をバタバタと上下に動かすが、圧倒的な老爺との体格差によりその抵抗は水泡に帰した。


 「さて、その調子だとヤマグラについてはちょっとは知ったみてぇじゃねぇか。ちょっと付き合えや」


 ズルズルと引きずられる形でヘルガは近場の喫茶店に放り込まれた。なぜか周りの人間は見るからに学生の少年が怪しげな神父に脱いだ背広の袖を掴んでいるかのように吊るされているにも関わらず、まるでおかしなものを見る気配がなかった。なんでやねん、とヘルガは突っ込みたくなったが、相手は魔術師だ。彼女がヘルガにそうしたように暗示でもかけているのかもしれない。


 無理矢理奥の席まで運ばれ、ヘルガが逃げ出さないようにきっちりとソファ席にアルバは彼を座らせた。店側に面しているソファ席からはどうあがいてもヘルガは逃げられなかった。悔しそうに歯軋りをする中学四年生を尻目にウェイトレスがメニューを置いていく。両者の睨み合いなどまるで意に返していない、給仕の鏡のような淡々としたお手並みだった。そのウェイトレスにアルバは即座にコーヒーを二つと注文した。ついでに灰皿とも注文した。だが灰皿はコーヒーが来ても来ることはなかった。


 「ちっクソが」

 「そりゃ世界中でエコロジーだとかを叫ぶソフィスト(詐欺師/詭弁家)がいればこうなるでしょう。煙草は害悪、喫煙者は死ねってね」


 「あーあ。バカだねー。アレだ。きっと環境活動家とか自然保護団体とかエコバッグ賛成とかプラスチック製品反対とか喋ってる奴らは歴史を知るべきだね。なんだったか、賢者は歴史に学び愚者は経験に学ぶだったか?その符号にあてはめるなら今オレが挙げた連中はみーんな愚者だな。賢者ってのは起こる前になんでもわかるからな。あいつらは愚者だってわかるんだ。そして愚者が己の愚行に気づいたとき、世界は暗黒世界(ディストピア)に変わってるだろうぜ。


 そもそもあいつらって火に対する感謝ってのがまるで足りてねーよなぁ。拝火教の奴らみたいに四六時中崇めてろなんざ言わねぇが、自分達が日々乗ってる車やらてめぇの嫌いな奴をぶっ殺せる銃火器やら日々のクソや小便を処理してくれる下水処理場の電力やらを何でまかなってるかくらい知っておけって話だよなぁ。火力だぜ、火力。欧州じゃ減ったが未だに火力発電は最高だぜ。オレとしちゃあエコロジストの小便たれどもがその事実に気づくことを切に願うよ。そーいや、あいつらって地球ごと自滅するつもりなんかねぇ」


 長い。

 運ばれてきたコーヒーカップを(ソーサー)に置きつつ、ヘルガは咎めるような半眼を饒舌なアルバに向けた。だがアルバの話は終わらない。その後も煙草規制、ガム規制、プラスチック差別、ガソリン規制、LGBT、人権問題、環境保全と延々と国連だとかエコロジストに対する誹謗中傷を中学生相手に語り続けた。


 たかが灰皿ひとつでここまで饒舌になれる人間も珍しい。ことに博識だなぁ、と実年齢14歳、脳年齢10歳の少年は空になったカップの底を睨めつけながら彼が本題を切り出すのを待ち続けた。


 「でさー、オレがてめぇを待ってた時にどこぞの額が広くと髪の毛が薄い精神疾患にでもなったかのような女が言ったわけよ。『あなたは私の人生を奪ったー』ってよ。いや知るかって。なーんで煙草をスパスパやってただけでわけわかんねー二十歳をとおに過ぎてアラサーまっしぐらのサイコ女にとやかく言われにゃならんねん。環境?地球温暖化?お前らさーどんだけ地球におんぶにだっこでいるつもりだよ。だーから未だに魔術なんてものがこの世にあるんだ。人類が自らの力で文明力を上げていかねーから魔術なんていう科学が認めねー異物がこの世にあんだよ。そのせいで魔術一辺倒で携帯電話の使い方もろくすっぽ知らねーメスガキが生まれるんだよ」


 「あの、そろそろ本題」


 「しかもさっきオレを罵倒しやがったクソサイコゲロ女に注目して他のかんけーねー野次馬が押し寄せてきやがった。やれ少女の声を聞いてやれとか環境を考えろとかさ。いやいや少女?少女ってなんやねん。三十路にさしかかった女郎が少女?ぷー笑っちゃうぜ。女を少女って呼んでいいのは10代までだろ。それ以降は女性、50も過ぎればおばさん、60過ぎればババァだ。女性蔑視?おいおい真実を話されるのが女性蔑視ですかーそうですかー。随分とお花畑なんですねー」


 「——お花畑なのはアルバの方じゃないんですか。コツン」


 ポカリ、という可愛らしい擬音がピッタリの猫でも撫でるかのような手つきだった。しかしいざ殴られたアルバは大変なことになっていた。主に顔面が。


 まるで野生の熊か虎にでも殴られたかのように老神父の頭蓋は歪んでいた。頬は瞬く間に腫れ上がり、無精髭の隙間がくっきりと見えるくらいにはパンパンに膨れ上がっていた。たった一発、されど一発だ。超重量級のボクサーの一撃を受けたアルバはカエルのような悲鳴を上げる間も無く、地面で潰れた。


 しかしヘルガの視線は一瞬しかアルバに向かなかった。それこそ冷めた一瞥程度の話だ。彼の視線はすぐさまアルバを殴った張本人に固定された。


 「まったく。このおしゃべり神父は一度礼節を弁えればいいと切に願います、アーメン」


 殴ったのはまだ年端もいかない少女だった。少女は口を尖らせる。まるで蝶のように。


 銀嶺、白氷、あるいは白洲だろうか。彼女の肌は白い、とにかく白い。まるで高純度の亜鉛を混ぜ込んだように、滲み出る怪しさがあった。瞳は対照的に黒い。さながら黒い宝玉をそのまま眼球に押し込んだかのような透明感と重厚感が両立した分水嶺の代物だ。動くたびに光を反射したかのように光り、動かずとも虚空を感じさせる深さを滲ませていた。


 プラチナの長髪をたなびかせる彼女はさほど長身というわけではない。むしろ小さい。なんならヘルガよりも小さかった。大体150センチと少しだろうか。パールホワイトのミニドレスに身を包み、透き通るような白い足を露出している。まるで舐めまわしたくなるようない淫靡な色香を感じさせる程よい膨らみからの扇情的なラインは艶かしく妖艶だ。


 ——おもわずゴクリと嚥下の音を鳴らすほどに。容姿も申し分ない。おそらくは骨董品、工芸品、あるいはアンティークドールの類を連想させる人間らしい美観が損なわれた作り物の美を備えていた。そしてそれはある種、()()と通じるところがあるようにヘルガには感じられた。きっとあと5年もすればいい感じに成長するだろう。


 「で?そこのカエル親父。この目の前で冷めた目を向けている自称一般人はなんですか?」


 カエル親父もといおしゃべり神父もといアルバ・カスターは答えない。完全に気絶していた。ため息をつき少女はさっきまでアルバが座っていた席についた。結構な音を立てたにも関わらず店の店員が飛んでくる気配はない。まるで今ヘルガ達がいる空間が切り取られたかのようだ。


 「そこのニコチン中毒ジャンキーはさておいて、君の名前は?」


 少女の声は尊大だ。優しさのカケラもない。そもそもヘルガに対する興味すらないように感じらた。できる限りのポーカーフェイスを浮かべ、名前を名乗った。


 「ヘルガ・ブッフォ?ヘルガ・ブッフォね。また随分と妙竹林な名前ね。ヘルガ・ブッフェ(祈る道化)だなんて縁起が悪い」


 「それ前も言われた気がするよ」


 記憶が定かならばヘルガが初めて彼女の名前を聞いたとき、言われたセリフだ。どうして魔術師はつくづく自分を道化扱いするのだろうか、とヘルガは首をひねった。いや、彼女は別に魔術師ではなかったが。


 「一応名前は知っているよ?でもまさか改めて聞くと変な名前ね。なにせ、くふ」


 名も知らぬ少女は笑う。怪しげに妖しげに。少女はまるで猫とネズミのどたばた喜劇(コメディ)を見ているアダルトのように笑う。嘲笑う。愉悦に笑う。


 「まぁそんな話はどうだっていいよ。本当にどうだって構わない。——本題はねなんで君みたいなクソ雑魚素人が私達の領域に入ってくるわけ?」

次話投稿は9月4日19時を予定しています。

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