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オカルト研究会部長 渭水 雫百合

 「ラスト・カースト・ブラスト」——渭水 雫百合《オカルト研究会の頼れる先輩(自称)》

 「四階ってあんまり登る機会ないよね」


 階段を登るヘルガは階段横のフロアマップを見ながらぽつりとつぶやいた。ヘルガやトーマスは今年で中学四年生(第3級)になる。四年生が使う教室は四階にはない。基本的に四年生がメインで使う教室は三階と二階に集中している。あるいは五階だ。ヘルガにとって四階はあまりに馴染みがなかった。


 だがトーマスは違うようで少しだけ感慨深そうに廊下を歩く彼は教室を覗き込んだりしていた。足取りは軽くよく今歩いている灰鼠色のタイルの上を馴染み深いものであったかのように案内していく。案内と言っても学校の中庭に面した四角形の廊下を歩くだけなのだが、なぜか目の前の友人ははしゃいでいるように見えた。


 「ヘルガは転校したばっかだからわからないだろうけど、俺やシルヴィーがまだ小学生だったころは教室が四階だったんだ。ていうか小学生はみんな四階だったなぁ」


 「見かけ以上に広いよね、この学校。小学生って言っても五学年しかないし」


 ヘルガやトーマスの横をすり抜けていく小学生達は小さい子もいるし、大きい子もいる。ようやく教師の長ったらしいホームルームが終わった、これからサークルだ、部活だと行き急いでいる感じが伝わってくる朗らかな笑みを浮かべている子がほとんどだ。なんとなくだがあの輪の中にいつも快活でおしゃべりなトーマスがいた、というのは容易に想像できる。しかしシルヴィアの名前を出されると首を傾げてしまう。いつからあんな鉄仮面を被ったような性格なのかは知らないが、ちょっと想像しづらい。


 ヘルガの学生生活の経験などあってないようなものだ。最初の一年とここ二週間しかヘルガは実質的な学校生活を送ってはいない。彼が接してきた学生というのは全てが全て異常な存在でしかなかった。両眼を細め、僅かに響いた痛みから片目を指で隠した。異能や人外を感じ取ったわけではない。昔のことを思い出すと両眼がうずく。意図して忘れさせようとしているのか、それとも何か。——考えたところで意味はない。


 そりゃそうか、とヘルガはため息をついた。トーマスにしたってシルヴィアにしたってヘルガは彼らが学生っぽいなくらいしか思わない。だってそうじゃないか。学生っぽい、教師っぽい異形の巣の中でここまで大きくなったヘルガは彼らの面影を当てはめるしかない。自分なりの定規はすでにきっちりと策定され、もはやそれなしに世間様を渡ることなどできやしないのだから、いちいち考えることがバカらしく思えてきた。


 気分転換にトーマスを見れば彼は気楽そうだ。いやむしろ楽しみにしていると言うべきかもしれない。


 「ここ、ここ。ちょっと怖そうだろ?」

 「怖いっていうか不気味って感じでしょ、これ」


 トーマスに案内されヘルガは一つの教室の前で立ち止まった。オカルト研究室と銘打った看板がドアノブにかけられ、ドアにはスケープゴートを彷彿とさせる山羊の頭蓋が吊るされていた。廊下に面した側の窓はすべて中からカーテンが敷かれ、窓には極彩色のステッカーがところ構わず貼られていた。明らかな無法地帯、明らかな学業からの逸脱、明瞭な不良行為の表れのように見えるかもしれないが、文化系の部活にしろ運動系の部活にしろこの学校ではこれが普通、というかこの国の学校の部室は大体こんな感じに部活動のスタイルにあったデコレーションがされている。


 とはいえそれでも不気味であることには変わりない。カエルの死骸を男性と女性それぞれ50人計100人に見せ、九分九厘が死ね、キモっと口にすることと大差はなく、差別点がない。


 ドアに吊るされた山羊の頭蓋の鼻先をトーマスはつついてニヒヒと笑った。ニヒニヒニヒ。そうやって彼が笑いながらドアをノックすると程なくして内開きのそれが開いた。そして中からヌッと黒いワカメが顔を出した。


 「「ぎゃ」」

 「ひどいひどい。下級生っていうのはぁ上級生に対する礼節って奴を弁えとらんのかえ?」


 偶然、意図せず上げてしまった悲鳴に対し鋭い指摘が飛んだ。どこかもやしを炒めるか、水に浮かしたような声の持ち主だ。声がした方を見やると、メガネをかけたボサボサ頭の女子生徒が立っていた。所属クラスを表すバッジは高校二年生(第1級)であり、自分達よりも二つ年上であるとヘルガは気付いた。


 確かに二つも年上の先輩ならば下級生にいきなり悲鳴をあげられてむくれたりもするかもしれない。先輩でなかったとしても苦言を呈するのは当然だ。さっさと謝ってしまおうとヘルガとトーマスは頭を下げるが、肝心の先輩の名前を口にするところで言葉に詰まってしまった。少しだけ視線を上げて彼女を見やると、少しだけ呆れたようにため息をついていた。


 「私の名前はシユリ、シユリ イスイだよ?まぁ君ら西洋人には発音しにくいだろうし好きに呼んでくりゃれ」


 どことなく変な発声を多用する先輩だ。しかしてなぜか艶かしく、色っぽい。彼女の使う言語は本質的な部分では大差ない。英語にアイ、ミー、マイの三つしか自己を表す適切表現がないように、この国の言語もそこまで一人称に大差はなく、事象Aを表す言葉に口語かビジネス語の違いさえあれ本質は同じだというのに、どこか違う言語のように聞こえる。


 東洋人だからだろうか。何かの調査で東洋、それも極東の言語系はゲルマン系に発声レベルが近いとかなんとか。ラテン系やヒスパニック系が主体のこの国ではちょっと珍しく聞こえるのかもしれない。そんなどうでもいいことを頭の中で羅列しつつ、案内されるがままヘルガはトーマスと共にオカルト研究会の部室に案内された。


 そのオカルト研究会の部室を一言で表すのならば奇怪な部屋だ。決して広くはない部屋にルージュの絨毯が敷かれ、その上に丸い机があり机の上には変な形のチェス駒のチェス盤が置かれていた。その他にも窓という窓に黒カーテンが敷かれ、東向きの部屋なのにオレンジ色の光が差し込んでいる。ちょっと首をズラすとオレンジ色のライトがカーテンの裏側に取り付けられていた。


 部屋が真っ暗なことも特徴的だ。光源と言えば先に述べたオレンジ色のライトとどう見ても本物としか思えないシユリの手のろうそくだけだ。うっすらとそれら光源が浮かび上がらせたのは奇抜なデザインの悪魔像や「Tower Of Magic」と銘打った怪しげな本、変なデザインの戸棚、「Le the du Diable」という名前の怪しげな茶箱などだ。だがそのどれもヘルガの瞳に痛みは与えなかった。なんか拍子抜けだな、とヘルガは心の中でため息をついた。


 「それで?君らはなんぞ聞きたいことあるとかないとか言ってくれてたけど。まぁ君らというかそこで私の物品に目を輝かせているトーマス君がだけど」


 言われてトーマスはシユリへ目線を固定した。なんというか子供が親が戻ってくると同時にちゃんばらを辞める現象にそっくりだった。


 「えっとですね。イスイ先輩。実は『ヤマグラ』って奴を俺らは調べてまして」

 「ああ。それ。ん、ま。気になる気になるとおっしゃられるのは自然の摂理って奴かな」


 戸棚から青ファイルを取り出してシユリは絨毯の上に正座させられていた二人の前に立った。パラパラとシユリがファイルをめくる間、ヘルガの視線は彼女を観察した。


 始めて彼女が部室のドアから顔を出したとき、ワカメが飛び出したようにヘルガには見えた。だが今見るとワカメではなかった。ワカメではなくスギだ。スギの葉を連想させる柔らかそうなふくらみこそあれ、髪先の繊維は鋭く硬い。その証拠に彼女の髪がめくられるファイルのページに当たるとなぜかフェンシングの切先のように曲がりはねた。


 体の起伏はあまりない。凹凸という意味では確かにあるものはあるがどこか貧相だ。そう体はひどく貧相だ。東洋人ぽいといえばぽい。スレンダーと言えば聞こえはいいがやはり一般の学生は女性に体の艶かしさを求めてしまう。これはもうサガだ。


 ただし体の貧相さと反比例して顔は綺麗だ。()()()()()とはまた違った類の線の細さだ。瞳は大きすぎるほどではなく、スカイブルーの煌めきがある。鼻はほどよく高く、肌はモンゴロイドにしては白い。ただしやぼったい特徴的な丸メガネのせいでどことなく陰気な雰囲気を感じてしまう。もし今の心境を新大陸に渡ったアングロサクソン人が表現するのならば、性交渉の途中で屁をこく女性のようなものかもしれない。下品な表現だろうことは重々承知しているが。


 「あーあったあった。これよ、『ヤマグラ』」


 探していたページに行き当たったシユリは少しだけ嬉しそうに口元に微笑を浮かべた。


 「まずヤマグラっていうのはね、むっかしの魔術ね。私が集めた情報によると()()()()()()()()()()から入ってきたみたい。まぁ、極東なんていうド田舎の都会なんてたかが知れてるけど」


 「え?自分の出身国なのにド田舎って言うんですか、先輩?」


 思わず声を上げたトーマスに、シユリは有り体に言えば「へっ」という小馬鹿にした表情を浮かべた。


 「私は3つの頃に冬の国の親戚に預けられ、5つの頃に別の親戚に預けられスカンジナビア半島に行き、10の頃にオセアニアに渡り、14の頃にこの国にいる両親の遠い親戚に養子として出されたからね。言葉飾らず、音飾らず、過去飾らずのたまうのならば家なき子という奴なんだよ。まー私がグルグル親戚の家をタライ回しにされた理由は姉が、シズリ・イスイがめちゃくちゃ美人で才気に溢れてたってのもあるんだけど」


 「なんか複雑なんですね」


 「シンプルよ。それこそシェイクスピアとか恋愛小説とかA(アメリカン・)C(シティ・)LR(ラブ・ロマンス)かってくらいシンプルよ。ただただ単純に明快に盛大に私は期待されとらんかった、というだけの話。句碑に人生を綴るアホみたいな極東半島のバカ王と変わらないって」


 極東半島のバカ王とは誰ぞ、と聞きたくなったが、ヘルガはじっと堪えシユリにヤマグラについて話すようにうながした。シユリはおっととだけ口にし、ファイルに再び視線を落とした。まさか忘れていたのではなかろうか。


 「ヤマグラの主な効果は意識の統一。分散していた意識を一つに統一させて大業をなそうって話。主に農夫とかが鍬で土を掘り返してるときに唱えてたんだと。ま、ナガサキって土地柄から農夫は苦労してたからね。島原・天草の乱とか。とにかく領主にくしってのはあったのかな。私には理解できず、理解したくもない泥囚の考えだけど」


 最後の一言を口にしたとき、どこか怪しげにシユリの瞳が輝いて見えた。スカイブルーの瞳の奥底から絵の具の染みが広がるように紫の何かが広がっていった。広がっていったと思った。だけど現実にそんなことは起きなかった。そんなことは起きていなかった。


 視線をシユリから逸らした。意識をシユリから逸らした。ただあるがままにヘルガ・ブッフォは耳だけを向け、傾聴する姿勢だけを取り続けた。


 「——兎にも角にもヤマグラっていうのは極東に昔からあった魔術だよ。と言っても地域限定でマイナー。なんだったらこのファイルの紙切れの半分くらいしか情報が集まらなかったしね」


 シユリはそう言ってファイルからA4紙を取り出して見せた。わずかな光源でもわかるくらいほとんど何も書かれていない。真っ白とは言わないが上半分よりも少ない。なんだか夏休みの初めに序文だけ書いた読書感想文のようだ。感想を最初に書いてしまって深掘りができないタイプのあれだ。無論ヘルガにそんな経験はなく、そもそも読書感想文自体が物珍しいオーパーツのようなものだが。


 「まぁだから私が話せるのはこれくらい。そう、これくらいでこの程度。すべからくのことしか話せない。ひょっとしたら君達はなにか他とは違うことを知りたかったんだろうけどそんな三流オカルト小説みたいなこと、あるわけないって。というか人間は知り得ることしか喋らないし、喋れない。さらばアルハンブラ、さらばトルネンブラ。記憶の片隅で記憶らしくくぐもることこそ真理たれってね」


 「はぁ」


 最後の彼女の意味不明な言葉の羅列にヘルガとトーマスはそう声をこぼすしかなかった。そうこぼさざるをえなかった。

次話投稿は9月2日19時を予定しています。

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