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愛しています、死んでください。  作者: 賀田 希道
停滞トランジット
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今日と明日の境界に立つ天使Ⅱ

 改めて見ると天使というよりかはガーゴイルや悪魔と言った方がいいかもしれない。六対の翼は白鳥を思わせるが、体はどうだろうか。まず顔がない。(うろ)を思わせる空洞が天使の頭部を作り上げ、立体的でありながら底が見えない。体躯は人のそれによく似ているが、人と違って体は縄模様をそのまま切り取ったように絡まり合い、一見して細すぎた。


 手足は長く、左右の指の本数は右が6、左が7と人間離れしていた。お椀状の下腹部からは性器を思わせる棒状のものが垂れているが、先端は鋭利でとても用途通りに使われるとは思えない。総じてミケランジェロやラファエロが描いた赤子のような天使とは程遠く、むしろ異星人のようにさえ思える不気味なシルエットの持ち主だった。


 すぐに黒く染まったと言うのに全体像は脳裏を離れず、かくしてヘルガを汚染する。否、それは天使としては正しかった。自らをさも鮮烈な何かであると思わせ、畏敬と畏怖を覚えさせるその有り様はまさしく神の代行者を自称する天界の存在達にとっては正しすぎるほどに正しかった。


 善はなく、悪もなく。ただあるがままに生み出された理由に従って人々の脳裏に自らの存在を刻み込み、あるがままを成す。それが天使、この世界における天使の役回りだ。——それは人に対する冒涜だ。憶えたくもない記憶を憶えさせられ、覚えたくもなく畏敬と畏怖を覚えさせる。すなわち絶対的なまでに両者は相容れない。自由に対して鮮烈さは邪悪以外の何者でもなかった。


 ゆえに脳裏にその存在が刻まれたとき、ヘルガは天使の打倒を誓った。この場限りのふっと沸いた感情だ。大したバックボーンもなければ恨みつらみすら存在しない。純粋な殺戮対象として両眼を激らせるヘルガにアルバはナイフを手渡した。装飾なんて施されていないシンプルなナイフだ。使い込まれてはいるが握った感触は悪くない。むしろ質感といい肌触りといい満点をつけても良かった。


 「——なるほど天使か。確かに天使だ。バックボーンは、なんだ?見るからに聖柊十字系じゃねぇが」

 「なんだっていいよ。とにかく僕らで時間を稼ぐからアルバは相手の能力について考えてくれ」


 思案するアルバを置き去りにしてヘルガとハガシネオンが左右から天使に迫った。ぐらりと天使は左右へ両手を伸ばす。ヘルガのナイフが、ハガシネオンの凶刃が突き出された両手を捉えた瞬間、二人の視界から手が消えた。


 空を切る己の武器を両者は不思議そうに見る。すかさず天使は錫杖を手に取り、二人めがけて突きを放った。ヘルガは瞳の痛みで、ハガシネオンは持ち前の頑丈さでそれぞれ攻撃に対処する。わずか数秒の攻防、しかし天使は二人の強襲者をこともなげに対処してみせた。


 ヘルガはおろかハガシネオンでさえ自分が何をされたのか理解していないようで目を丸くしていた。それを考えれば確かに二人がかりで戦うことに意味はあった。少なくとも一人では何をされたかわからない、で終わりだが二人ならば力量を推し量るには十分過ぎた。


 右手を見つめ、ヘルガはナイフで空をなぞった。何かをされたのだとしたら()()だ。明らかに何かを天使はしている。攻撃と呼ぶにはいささか地味過ぎ、防御と呼ぶには大袈裟にすぎる。ナイフを振り下ろす前には確かにいたはずの天使が姿を消し、気がついたらナイフは空を切っていた。


 だけど「異能殺し(カルネアデス)」は発動しない。これまである一例を除いてあらゆる異能をこの眼に収めてきたはずなのに異能殺しは発動しなかった。だがこの両眼にひしひしと伝わる痛みは間違いなく異能殺しが機能している証拠だ。機能しているのに発動しない。さながらこれは異能ではない、と言われているようで薄気味悪さすら覚えた。


 視線をアルバへ移すと、彼は何やら必至に思案しているように見えた。鼻のあたりをしきりに撫で、熟考していた。まだ考えがまとまるまでは時間がかかるようで、その時間を稼ぐためにヘルガは飛び出した。


 彼のナイフが天使の首へと伝う。天使はやはりまた消え、空を切った。そしてヘルガがナイフを振り終わったところを見計らって錫杖の突きを繰り出した。避けきれないとヘルガは慌ててナイフを引き戻し受けようとする。しかしその焦りは杞憂に終わった。突き出された錫杖をハガシネオンが瞬時に掴み取り、粉砕してのけたのだ。自分を庇ったことにも驚いたが、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()


 今まさに折られたはずの錫杖は一瞬で元の通りになり、ハガシネオンが対処する余裕すらなく彼の胸部を突き吹き飛ばした。いや、一瞬なんてものではない。次の瞬間に、と言うべきだろう。ビデオテープのフィルムを無理やり繋ぎ合わせたかのようなレベルの「次の瞬間に」だった。


 ハガシネオンの頑丈さと鋭利さを併せ持った体がぶつかり、彼の背後の壁にヒビが入った。それに見惚れていると横殴りの錫杖がヘルガの右腹部を殴打する。たまらずヘルガは地面に転げ落ちた。脇腹を押さえ立ち上がり、ヘルガが再びナイフを振ろうとすると今度は錫杖でその一撃を相殺しにかかった。人の体を吹き飛ばすような膂力に押され、ナイフにびっしりとヒビが入り、ヘルガが焦りを覚えるのも束の間、ナイフは砕け散った。破片が飛び、木机に刺さる。


 幸い破片はヘルガの頬をかするにとどまったが、最悪なことに武器がなくなってしまった。かろうじて残ったわずかな刃先では錫杖を相手にリーチがない。はっきりしたこととしては錫杖が実物、異能の産物であることだけでなんの慰めにもなりはしない。


 ハガシネオンをちらりと見るが超高熱の一刀を耐えた男らしく、体に傷は見られない。しかし彼の瞬足の一撃はすべて空を切った。だがその様はなんと言えばいいのだろうか。少しおかしかった。


 ハガシネオンの右手が五つに枝分かれし、蛇腹剣を彷彿とさせる外見へと変化する。例え紙一重で避けられても躱しきれないようにタイミングをずらし、さらには剣の先端から中程までは別の回転する刃物が出現していた。それが空を切った。それも()()()()()()


 違和感を覚える光景だ。錫杖が元通りになった時と同じく別々のフィルムを繋ぎ合わせたかのようだ。嫌な予感を覚え、ヘルガはハガシネオンに視線を向けた。正確には彼の周りの景色に視線を向けた。


 黒く染まったハガシネオンが立つのはまっさらな教会の石タイルだ。それは傷つきもしなければ壊れもしていない。彼の背景となっている壁もまた傷ついていない。数十秒前までは確かに亀裂が入っていたはずの壁はいつの間にか修復されていた。ナイフの破片が刺さったはずの長椅子からは破片が消え失せていた。


 「——おい、ヘルガ!奴の能力のからくりが断片的にだがわかったぞ」


 何かに気づいたと思った矢先、ヘルガの耳にアルバの声が届いた。急いで彼に視線を向けるとアルバは比較的な大きな声で彼に指示を飛ばした。


 「教会だ。教会をぶち壊せ。恐らくだがあいつの能力は教会ごと無機物の時間を操作しているんだ!オレらの攻撃が当たらないように数秒前の教会を貼り付けて、強制的に体の位置とかをズラしているんだ!」


 言っている意味は半分も理解できなかったが、とりあえず教会を壊せばいいと理解してナイフの刃先を教会の壁に突き立てた。——いや冗談だが。


 「あの教会をどうやって壊すの。この教会見た目よか頑丈だよ?」

 「ちょうど壊すのにうってつけな刃物があそこにあるだろ?」


 アルバに指さされてヘルガがその方向を見ると耐えず天使と打ち合っているハガシネオンの姿があった。ああなるほど、と下卑た笑みを浮かべ、ヘルガは天使とハガシネオンの戦いに割って入った。唐突なヘルガの乱入にハガシネオンは困惑の表情を浮かべる。だがヘルガにとってはどうでもいい話だ。


 「僕と交代しろ。そして教会をできる限り壊せ!」


 「ど……う……いう……ことだ?」


 「説明できないから察して!」


 言いたいことだけを言ってヘルガは天使に切りかかった。錫杖の間合いの内側に入り込み、容易には防御姿勢になれない位置へと滑り込む。繰り出された突きを避けようと天使は見事な足捌きでヘルガのナイフを回避する。能力を使うまでもない、ということだろうか。それは好都合に過ぎた。


 間合いなんて高が知れていてどうでもよくて、右手のみを天使は注視しているように感じられた。それはヘルガ単品ではなく右手単品の方が脅威としてはるか高みにいることに他ならない。つまりヘルガは脅威ではない。脅威ではない相手には全力は出さない。華麗な錫杖による防御と突き、そして流麗な足捌きで安々とヘルガに対処した。


 その最中、背後で轟音がとどろいた。振り返るとハガシネオンが教会の中心から周囲の壁目掛けてびっしりと亀裂を走らせていた。天井から細かな破片がこぼれ落ち、ヘルガの左肩の肩口に突き刺さった。ぐぅ、とうめき声を上げるヘルガ。それを容赦無く天使は錫杖で殴打した。


 体が右へと移動し、ナイフが手からこぼれおちた。何かを握ろうとヘルガは右手を伸ばした。そして偶然にも錫杖を掴み取った。だが掴み取っただけでヘルガを振り落とそうと万力にも例えられる怪力で天使は錫杖を右へ左へ振った。


 あーれーと吹っ飛ばされ長椅子の上にダイブした衝撃で左手が折れた。右手と頭をかばったせいだ。それ以外の箇所が軽い打撲で済んだのは奇跡だろう。とにかく痛む左手を抑え、天使を睨むとうっすらと黒い濁点が教会のいたるところで見え始めた。


 それまでは見えていなかった黒い濁点はみるみる内に増え始め、やがて白亜の教会を黒い箱へと変貌させた。アルバとハガシネオンには当然だが見えていない。彼らはヘルガと違って同様している素振りは見せなかった。


 ハガシネオンが教会を壊したことを皮切りに黒い濁点が増え始めた。その事実だけでヘルガは活力を得た。左手の痛みが消え失せるくらいには脳内でアドレナリンが分泌され、その辺に落ちていた木片を掴み、凶器とした。そして近場の濁点めがけて勢いよく木片を突き刺した。直後周囲の濁点が一気に払拭され、教会そのものが弾け飛んだ。


 「——なんじゃこりゃ」


 それは教会ではなかった。白亜の壁だと思っていたものは黄ばんだ壁、床は穴だらけ、天井はなく、窓ガラスには蜘蛛の巣が張り付いている。そこらじゅうから(むし)やムカデが這い回り、本来ならば聖柊十字が置かれるべき場所に逆聖柊十字が突き刺さっていた。


 明らかな神への冒涜、背徳、背神だ。その只中に天使は座す。創造主たる神すら自らにとって都合のいい後ろ盾でしかない。自らの欲望を都合よく市井に伝えるための道具でしかない。げに悪辣、げに横暴、げに醜悪なり。それこそが天使だ。ゆえに嗚咽覚える悪意の塊として人の眼には映る。今の萎びた様子の天使でさえ人類にとっては害悪だ。


 「ああ。やは……り……人外は……私達の世にいらない」


 ハガシネオンが動くまでに1秒とかからなかった。その鋼の一閃が首を吹き飛ばし、くるくると空中で回転する。ハガシネオンはその首を掴むと圧殺した。頭部をなくし、天使は崩れ落ちる。天使の死を皮切りに世界が終わる。


 それは如実に顕著に現れた。

*聖柊十字教……この世界におけるキ◯スト教のこと。ただし中身は異なる。


次話投稿は8月12日を予定しています。

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