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愛しています、死んでください。  作者: 賀田 希道
停滞トランジット
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隠し通路→ホディア美術館

 恐る恐るもう一度触ってみるとやはりぬめりとしていた。それもただ水をかけたとかではなく、粘着質の泥やら重油なんかが付着しているかのようだった。暗いせいでよくは見えなかったが、なぜか手がすごく黒ずんでいた。


 案の定と言うべきだろうか。下まで降りた頃には手が見えなくてもわかるくらいに汚れていた。軽く手を丸めただけで砂利と言うべきか、泥と言うべきかよくわからないものの音が響いた。


 「ねぇアルバ?これってなんなの?」

 「あーちょっと待て。よし、これでいいと」


 そう言ってアルバは黒い炎が灯るカンテラで差し出されたヘルガの手のひらを照らした。直後、うげっというカエルを踏み潰したかのような声がヘルガの口からこぼれた。


 それは自明だ。ありきたりすぎるくらいに自然な反応だ。ただ汚れているだけでは収まらず、黄色い液体やら緑色の苔やら茶色のよくわからない物質が目の当てばもないほどに両手を覆い尽くしていれば誰だってそんな声を出す。久しぶりにタンスを動かしたらネズミの死体を見つけたようなものだ。


 「そもそもここって結構湿気が強くない?なんでこんな」


 ヘルガの視線の先には空洞が広がっている。しかしそれはトンネルのような大きなものではなく、ギリギリ成人男性が歩けるか歩けないかほどの高さでしかない。灯りなんてものは当然なく、アルバが手に持っているカンテラだけを頼りに三人の影が前進していった。


 手についた汚れを落とそうと壁を触ってみるが、それは悪手だったとすぐに気づいた。まず手のひらが壁に触れるよりも前に梯子の手すりに触ったときと同じ感触が襲い、そしてそれがかなりの厚みを以って積み重なっていることがわかった。より一層汚れた両手をぶらぶらと空で揺らし、不快な気分を紛らわそうとした。もちろんおしゃべりで。


 「この壁もやっぱり汚れてる。ここってなんなんだろ」

 「オレの勝手な推論だが、下水管だろうな。正確にはもう使われていない、な」


 デイルアート市がいくら芸術の街と呼ばれていても別に真下が機械化されていないわけじゃない。特に革命期くらい近代となれば下水管を通していてもおかしくはない。なるほどそれは気付かれないわけだ。普段は下水管として市民の真下を通っているのだから、誰も目を向けない。入り組み、複雑化し、猥雑と化したあるべきのものは誰の目にも止まらない。


 それが実はこの世界の根幹を変えるかもしれない可能性があるのだから皮肉もいいところだ。ある意味においてあまり都市開発を行わなかったデイルアート市らしいと言えばらしいのかもしれないが。


 「確か今から200年か250年前だったかに水道を通す計画があった、とか一年の頃デイルアート市の歴史で習ったっけ」


 「それに紛れ込ませる形でこの隠し通路を作ったのでしょうね。ああ、でもなんで一番遠くに出られるこの道を革命期に使わなかったのかわかるわ。見てよ、ドレスが汚れちゃう。もう使い物にならないわ」


 壁が汚れているということは必然足場も汚れている。気がつけば履いていたローファーが泥まみれになっていて、ましてヒールなんて履いているレアリティは余計に泥中に沈んでいることだろう。さっさと抜けたいな、と思いつつもよく考えれば自分達が押しかけた教会からホディア美術館までは3キロ近くある。最低でも40分くらいはこの鉄と汚物の匂いとべちゃべちゃと跳ねる泥の空洞を歩かなければならない。


 最悪だ。まったくもって最悪だ。


 「ていうかなんでレアリティはいっつもドレスを着てるの?もっと動きやすい服装なんていくらでもあると思ったんだけど」


 「華やかさって大事よ?でもまぁそうね。この中を歩いている限りはちょっと不便ね」


 「なんかエリスを見てるとどうして革命期にこの道を領主様が使わなかったのかすごくわかるよ。服とか靴が汚れるからだね」


 「それで首吊り広場で首吊られたんだろ?あーあ、野蛮だねぇこの国の人間も。どうせならギロチンでも使って殺しゃいいのに」


 「実際首都の方じゃそれで王様とか女王様とか殺したらしいけどね」


 言わずもがな「パンとケーキ」で有名なあの女王様だ。ただし実は言ってない——と歴史の授業で教師が言っていた。あれはいつのことだったか、とヘルガが頭を悩ませる。記憶の整合性がまるで取れていない。誰が言ったかは覚えているのに、その教師がいつの教師だったかが思い出せない。


 この言い知れない曖昧模糊とした感覚の正体がアルバの言う五年のループという奴なのかもしれない、と思う一方、それをすんなりと受け入れる自分自身に驚愕していた。すべからくあるがままに、超然たる当然とばかりに起こっている。まるで台本の中いるような気分だ。今こうして泥中を歩いていることも含めて。


 閑話休題(それはさておき)。目線を前に固定し、ヘルガは前進することに意識を集中した。前を見るとレアリティが視界に入り目が痛むせいで見れなかったが、目をこらすとわずかに暗闇の中に差異が見られた。五分後その差異がカンテラの灯りに反射する鉄製の手すりであることがわかった。


 「やっとだな。あーあ、もう泥だらけだ。上では裸足かもなぁ」

 「それは困るよ。僕ローファこれしか持ってないんだよ?」


 さらに言えば制服を着たままレアリティもといアルバの隠れ家に連れて行かれたから、着替えだってしていないし、制服は今着ている1セットしかない。そして今着ている制服は汗と水を含んだせいでぐちゃぐちゃになった繊維が非常に気持ち悪い。つまり何が言いたいかと言えば、もう学校へは行けないということだ。


 「——いやちょっと待てよ」


 ピシャリと右の頬をヘルガは叩く。なぜか自然な流れで学校へ行けなくなることを心配していた。それよりも心配しなくてはいけないことがまだあるというのに。ますますもってアルバの話に信憑性が出始めたことに嫌な汗がヘルガのうなじを伝った。


 ああ、これはまずい。そう感じた。無意識下で関係のない「学校」というフレーズがでてきたこともだが、自然とすんなりと飲水思源のごとくアルバの話を受け入れ、会話の大前提に置いている。


 「おい、ヘルガ!さっさと上がれ!そのうちネズミが出てくるぞ」


 オーケー。イエッサー。ヘルガの疑心は薄氷よりも脆かった。


✳︎

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