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α to β

 夕刻、ヘルガは初めてスカパンと出会った公園を訪れていた。もちろん警察には伝えていない。なのに後ろから視線を感じるのはヘルガのことを尾行している誰かがいるからだろう。


 ベンチに腰掛けていると、一人の男がことわりもなしに彼の隣の席に座った。見るまでもなく、その纏っている雰囲気だけで誰かがわかった。灰色のコートを紫色のスーツの上に羽織った金髪蒼眼の軽薄な笑顔が張り付いた慇懃な男は、どっこらせ、と苦労でもしたかのような調子でヘルガの隣に我が物顔で座る。


 一瞬、殺意が漏れ出た。なんで自分の隣にこうも堂々とこの男は座るのだろう、という不審が軽んじているとヘルガを勘違いさせ、ポケットに突っ込んでいる右手に力がこもった。それを見透かすしているのか、はたまた手を出した後でも十分に対応できるからなのか、スカパンはポケットから手を出し丸腰(ハンズフリー)であることをくどいほどにアピールしていた。


 それにしても味気ない光景だ。夕方の公園のベンチにカップルではなく、冴えない男衆二人でこの街の象徴的建物を見ているなど、いっそ気まずさすら感じる。周りの人間は誰もがこちらに気を配るそぶりを見せない。それどころか視線をヘルガとスカパンが座っているベンチの側へ向けることもない。


 不意にそのことに違和感を感じ、ヘルガは立ち上がった。周りを警戒する様に首を左右へと振り、そして次の瞬間に羞恥をかなぐり捨てたかのようなコサックダンスを踊り始めた。そこはノイエタンツではないのか、と怪訝そうに眉を寄せるスカパンを他所にヘルガは約数分間、無感情のままにコサックダンスを披露した。


 でも誰も彼を見ない。頭のおかしい人間から子供を遠ざけようとする親がいるわけでもなく、まるでそこにいないものとしても扱うかの様にヘルガの滑稽なコサックダンスを披露しても、誰一人として見向きもしない。


 それは異常なことだ。人間なんていう他人のことにしか興味のない自己放棄の結晶のような生き物がおかしな行動をしている他人に興味を持たずに凡庸な赤子や家族に興味を持つなんてことがあるわけがない。その事実にヘルガは目を見張り、直後はっとなってスカパンに向かって振り返った。


 彼ははんなりとした様子で驚きを隠せないヘルガを見つめ返した。まるで子供の無知を優しく諭す大人のような暖かな瞳、しかしそれは嘲笑と同じである。他者の無知を指摘することは自分の優越性を誇示することと変わらない。


 「まさか、魔術を」

 「使っているとも。ただし、僕が使っているわけじゃない。僕の協力者が人避けの結界を張っているのさ」


 はっとしてヘルガは眼を凝らす。しかし自分の周りに「黒いもの」は何も見えない。一瞬、ついに壊れたかと眼をこすったが、風景は変わらない。変わらぬ日常をガラス越しに見ているかの様に、相変わらずヘルガのことを周囲の人間は見ようともしなかった。


 結界と言っても壁のようなものではなく、人の意識に直接作用する類のものだからか、ヘルガの両眼が反応しない。これが彼の意識に作用していれば、体を触るなりすればいいのだが、ここにいる見知らぬ人々、一人一人の体に触るわけにはいかない。下手をすれば変質者(HENTAI)か何かと間違われてしまう。


 「話をしたかったんだ。電話越しではなく直接ね」


 「ああ、僕もそうですよ。もっとも、僕にとっては話は次いでで本題はその後にあるんですけどね」


 「そうだろうとも。だからこれは言うなれば足掻きだ。なるべく延命するための蛇足とも言うべき足掻きなんだよ」


 言葉のうえでは死を覚悟しているように聞こえるが、その実スカパンの表情は軽やかそのものだ。浅薄で阿漕なことばかりやっている人間のそれだ。


 ああこの男は反省も陳謝もないんだ、と一眼で察せられるだけの不穏さと不気味さ、何よりも信用のない言動がヘルガ自身にさっさとこいつを殺せと殺意の衝動を駆り立てさせた。しかしここで飛び込んでも解決はしない。なぜなら相手は確実に一人以上の魔術師を味方につけているからだ。


 これまでヘルガは一人で魔術師に勝ったことがない。あの街でも、それ以後の戦いでも一人としてヘルガ一人に倒される様な魔術師はいなかった。魔術師とはそれほどに油断ができないし、相手がそもそもヘルガをみくびってはくれない。真剣な眼差しでスカパンを、そして彼の背後にいる魔術師を望むヘルガだったが、そんな彼をスカパンは一笑する。


 「なんですか」

 「いや、魔術師と聞くだけでそこまで顔つきが変わるのだな、と思ってね。君はズレているな、本当に。魔術師と聞いて表情がこわばるのに、殺し屋と聞いて君の表情が変わることはなかった。殺し屋であることは自覚しているから、別に殺し屋を特別視していないんだろうが、じゃぁ魔術師は君にとってなんだ?まるで敵のような言い方じゃないか」


 「痛い目に遭わされてきたんだから、警戒するのは当たり前でしょう?」

 「それなら殺し屋にだって君は危険に晒されてきたじゃないか。わざわざ魔術師を別枠に入れる必要はないだろ」


 意地悪く聞いてくるスカパンはいつの間にか笑みを消し、苦い表情を浮かべていた。なぜだろうか?


 「それははっきり言って不快だ。言うまでもなく、僕の視点から見てだ。だってそれじゃあ僕がこうやって気をひくしかないじゃないか。君は魔術師を親の仇のように敵視しているが、それ以外に視線を向けた試しがないから、僕は君に見てもらえないんだからね」


 「知ったことじゃありませんよ。僕にとって貴方は確かに敵ですよ。でもそれよりも身近なところに魔術師がいた」


 「そうだろうとも。敵と言いつつ、君はやはり僕を見ていなかった。君の義父が死んだ時、あるいは君の想い人が狙われた時、僕を想像したかな?僕の存在を一抹でも考えたかな?」


 「何が言いたいんですか?僕には貴方の考えがわからない。目的も含めて何もかもが」


 そうだろうとも、とスカパンはしたり顔でうなずく。彼の我が意を得たりと言わんばかりのドヤ顔を苛立たしく思い、とっさにヘルガはポケットのナイフへ手を伸ばした。


 「わかりやすい人間であるとは思っていないよ?というか、わかりやすい人間なんているわけがない。そうだろう?」


 「僕の義父のことは結構うまく弄んだみたいですが?」


 「ああ。それは違う。僕はあの老人のことを理解したわけじゃない。理解できるレベルまで落としたんだよ、老人の知性と理性を」


 「どういう意味ですか?」


 理解できるレベルまで、知性と理性を落とす。その意味をヘルガはよく知っている。それの体験者としてヘルガはよく知っている。


 かつて、ヘルガがあの街で体験したこと、体験させられたことはそれの究極形だ。思考するという人間が他の動物とは異なる唯一の快楽を得るための行為を放棄させるそのやり方をヘルガは唾棄する。なんら殺人と変わらない、殺人よりもなおたちが悪い生殺しとも形容すべき行為ゆえに吐き気を覚えた。


 理解できてしまったから、理解していないように振る舞った。ひたすらに無垢に振る舞おうと努力した。とめどなく阿呆な振る舞いに腐心し固執した。顔に出ない怒りの表情を舐めるようにスカパンは下から覗き込んでくる。その吐息が耳元を紅葉させるほどに近づけて、毒を吐く。


 「なんだってそんなことを?」

 「ただ殺させるなんてつまらないだろう?だから選択肢(オプション)を与えた。殺すかもしれないし、殺さないかもしれない。やるやらないのを決めるのは僕ではなく、当人であるべきだろ?」


 「強制二択の間違いでしょ」

 「天国か地獄かだよ」


 同じことだ。与えられた希望と与えられた絶望、この二つは表裏一体の代物などでは決してなく、どちらも等しく同じものだ。自分で勝ち取ったものではない、あやふやな形にすらなっていない救いに手を伸ばせば必然的に痛いしっぺ返しを食らう。


 スカパンはそれがわかっている。わかっているから、与えられる。なんて意地が悪いのだろうか。自分で手を汚さず、ただ与えるだけの存在なんて聖書の中だけの話にしてほしかった。


 「そこでだ。僕は君にも選択肢を与えようと思う」


 だから切り込んでくる。


 「天国はもちろん、僕が君に接触しないこと。地獄は君の想い人を僕が殺すこと」

 「選択の余地なんてあると思っているんですか?からかっているんですか?」


 「至極まじめだ。君はどちらを選択する」


 ああ、ちくしょうとヘルガは心の中で悔いた。スカパン・ブリゲッラは正確に自分のことを理解していた。他人を理解することは難しいと彼は言ったというのに。


 ヘルガ・ブッフォという人間はひどいキャラクターだ。薄汚く、底意地が悪く、腐った牛乳が染み込んだタオルのような人間だ。立ち位置としては断じて主人公ではなく脇役、それも序盤で主人公の引き立て役になるような卑屈な人間性の持ち主だ。


 ゆえに看破した。同じ様な視点の人間だから。


 性格上、ヘルガはレアリティを大事にしている。どんな小悪党、卑劣漢にも大事なものがあるのと同じことだ。それこそがヘルガが唯一、他人に誇れるものだと言っていい。それが脅かされることをヘルガは嫌う。この上なく嫌う。


 「君に接触しない」というスカパンの提示した選択肢の一つは、一見すると彼の望みに叶っているように見える。きっと耳障りもいいのだろう。だが、それは叶わない。


 「貴方の選択肢は結局のところ、一方通行じゃないですか。回り道か直通かの違いでしょう?」

 「そうかな?」


 「そうでしょうとも。義父に用意した選択肢だって本当は『殺すか、殺さないか』じゃないでしょう?」


 イエスともノーとも答えず、スカパンは薄ら笑いを浮かべた。そのありきたりな反応だけで彼の表層の感情が透けて見える。いや、透けて見させられている。


 「どっちを選んでも僕には利がない。わかるでしょう?」

 「——ああ、そうだね」


 「『君には接触しない』は僕以外に接触するの直接表現、『君の想い人を殺す』は彼女以外を殺さないという直接表現。どん詰まり、どん詰まりだ。それで僕に勝った、と?」


 「じゃぁどうしてほしい?君にずっと接触し続けろ、と?ああ、それはつまり君が僕を敵として認めてくれたということかな?」


 「初めから貴方は僕の敵ですよ。10月のあの時からずっと、僕の敵だ。ただ貴方と僕の間で違っているのは、僕は貴方の唯一の敵だが、貴方は僕の唯一の敵になりえないってことです」


 「ああ。そうだろうとも。君の最上の敵は魔術師だ。だから僕はそこに割って入ろう。君が、君の人生を賭けたラスト・ダイブに挑む時、僕は君の前に最強の敵として立ちはだかろう」


 選択肢を選ばなかったがゆえにスカパンはヘルガが最も望まない答えを提示する。いつか、必ず起こるだろう未来の話を語り、ヘルガの闘争心を駆り立てる。起こるだろう未来はいつか。1秒後か、1時間後か、1日後、1年後?それは誰にもわからない。唯一、スカパンだけがいつ起爆するかがわかる爆弾、それはどんな形で暴発するかわからないという点で彼の精神性を象徴していた。


 「だから、それまで、僕は君に接触しない。もちろんそれ以外の何者にも。君が関わっていると僕が判断したものには決して触れないと約束しよう。信じられるだろう?」


 「ええ。貴方はそういう人間だ。人を騙すのではなく、周りを騙す。贋作を売りつけ、さながらそれが真作であるかのように世界を騙す」


 「そうやってあの魔術師も手玉に取ったからね」


 「どの魔術師のことを言っているんでしょうね」


 答えず、スカパンは鼻を鳴らす。


 宣戦布告、あるいは死刑宣告。果てが見えない戦いの合図だ。その瞬間、ヘルガの中で何かが弾けた。


✳︎

 さぁ、さぁ、さぁ!


 ついに足枷が消えました!ついに本番、ここからが本番です!


 次回からは新章突入!役者総とっかえの新ステージに突入します!序幕では少ししか見せられなかった魔術師達をここからはどんどん登場させていきます。カッコいいとかオシャレとかは抜きにして、とにかく面倒臭く、泥臭い魔術師達がヘルガの前に立ち塞がります。


 次章投稿は二月を予定しています。どうかどうかお付き合いいただければ幸いです。


 最後に、ここまで読んでくださりありがとうございます。今後とも応援よろしくお願いします。

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