異能殺しⅣ
「僕は永劫、見れないのかな?」
そんな言葉がポロリと漏れたのは自室に下がってからだ。絶対規約にして絶対法則。それを思い知った少年はそれでも自らの瞳を抉り出そうとは考えなかった。瞳を抉り出せば少なくとも彼女を見る時に嫌悪感を抱くことはないと言うのに。
例え嫌悪感を抱くとしてもやはり彼女の姿を一瞬でも目に収めておきたかった。それを人は非合理的な執着、妄執と呼ぶ。さながら吸血鬼が中華料理を食べに行くがごとく、とかく無理難題に挑もうとするその姿勢は見様によっては英雄的行動とも取れたが、しかして彼女を一度殺した彼がひどい恋愛感情を抱く姿は状況を知ればただの妄執以外の何者でもない。
「どうあって、今をあるべきか。だよね」
元より選択肢などはない。ヘルガはレアリティを、あの赤い死神を愛している。この気持ちに嘘偽りはなく、今更改めることなど月と太陽を持ち上げながらスクワットをするくらいには不可能なことだった。同時に状況多難の中、ヘルガは彼女と行動を共にするしか道はない。アルバがリビングで言っていたことを思い出し、彼はもうすぐ日が西に沈みそうな夕焼け空を見て時間が迫っていることを確認した。
「——今日、少しイレギュラーだが行動するぞ。理由はもちろん、オレらの隠れ家がこの街の支配者にバレたからだ」
「唐突すぎない?」
アルバの突然の一言にレアリティがひどく残念なものを見る目で彼を憐んでていたことを憶えている。奏でる言葉は辛辣そのもの、そこに一切の慈愛の感情なんてものはない。心の底から彼の計画性の無さをバカにしていた。
いい気味だと思う反面、彼女と真っ向から会いたいすることができる彼を羨ましくも思っていた。なんと言えばいいだろうか。一切合切のアンヴィヴァレンスと形容すればいいのだろうか。さりとてアンヴィヴァレンスはヴァイオレンスな行動を誘発することが自明であるようにこの状態が長く続けば自分が強行に走りそうでいることもヘルガはわかっていた。自明の理として。
そのせいだろう。歩く足が変に重かった。夜のデイルアート市、直線距離で大体6キロの道のりをひたすらに歩くには酷すぎるくらいに酷すぎた。前を歩くレアリティへかすかに眼を向けるだけでズキンと痛む。そいつが何より最悪で、より一層足取りを重くさせていた。
「それはそうとアルバ、前々から疑問に思っていたんだけどなんで内側から破壊するんだ?僕には理由がわからない」
気分を換えよう。話題を変えよう。見ている世界を替えよう。
「あぁ?んなもん単純だ。地水火風って知ってるか?」
知らない、とヘルガは答えた。脳裏に浮かぶのはゲームとかに出てくる「ファイヤーボール」やら「ソウルウィンド」といった自然の力をモチーフにした攻撃の類、それを仮に地水火風と呼ぶのならなんとも陳腐だ。
「魔術の世界じゃぁなぁ万象は地から始まり水と化し風と化しそして火と化す。これで万象が成り立つんだよ。つまり万象を崩したければその逆をすればいい。つまり火、風、水、地の順で壊せばいい。それが内側からの破壊、そしてオレらが今行こうとしているホディア美術館がその一つだ」
思っていたよりも陳腐ではない話だった。魔術の世界の法則なんてものはヘルガには理解できないが、ようするにだるま落としだ。昔近所に住んでいた東洋人がそんな遊びを教えてくれたことをヘルガは思い出した。
とどのつまりやっていることは解体学習、リバースエンジニアリングの真似事だ。学習しない、ただの解体ではあるけれど、理解はできるのだからおかしな話だ。
目の前のホディア美術館を憂鬱な眼で見つめながら、ヘルガは一人底知れない悪感情を覚えた。どういうわけか魔術って奴がとてもつなく嫌に思えた。じっくりと舐めるように見つめていると闇夜の中でもはっきりと見えるくらいに黒い斑点が浮かんできた。それがちょうど視界の半分くらいを占めると、ヘルガは目線を逸らした。
「なんか、この美術館すげー異能臭がするんだけど」
「あらすごい。さっすが異能殺し。そうね。とても魔術の気配がすごい。もっとも一般人には気づけないでしょうけどね」
レアリティがヘルガの言葉に反応し、肯定する。赤い髪をたなびかせ、上質のハーブをキメているかのような軽やかすぎる足取りでホディア美術館の正面玄関において体を動かす。まるで異能の香りを楽しんでいるかのようだ。
「それでどうするんだ?鍵、しまってるけど」
「前回侵入した時はこの屋敷に元々あった隠し通路から入ったんだが、今日の朝レアリティに確認させたら石で埋まってたんだよなぁ」
「隠し通路?まだそんなものがあったんだ」
ヘルガがそう言った理由は彼がまだ8歳の頃、つまりデイルアート市が霧に囚われるよりも以前に、ホディア美術館で新しい通路が発見されたからだ。当時はえらく騒ぎになったと記憶している。そんな中、まだこの街に半年しか滞在していないアルバが新しい通路を見つけたことは喜ぶべきことなのか驚くべきことなのか。
だが詳細を聞いてヘルガは安堵と落胆を覚えた。アルバが利用したのは例の一番新しく見つかった隠し通路だった。他の隠し通路も閉鎖されていたらしい。
三つある隠し通路の内、その三つが封鎖された。入る術は完全に失われた。だったらなんでこの美術館の前に自分達はいるのかという話になっていた。
「これはオレの予想だがまだ隠し通路はある。というか、そうでないとおかしい話だ」
なんでだ、とヘルガは即座に疑問を口にした。待ってましたとばかりにアルバは嬉々とした様子でデイルアート市の地図を広げた。大きさは某絶対未完成の大聖堂がある街とあまり変わらぬ111平方キロメートルの円形都市。南北を森林部に囲われ、赤い屋根が目立つ旧市街とまばらとりとめのない屋根の色の現市街に街の内部は別れ、いくつもの歴史的建造物、美術的建造物が点在している。ゆえの観光都市、芸術の街デイルアート。しかし名前の由来は不明である。
その中においてホディア美術館は縦90度の北へ伸びる道、横0度の東へ伸びる道、右斜め30度の東南東へ伸びる道、そして最後、右斜め60度の南南東へ伸びる道の交差点に存在し、周囲は開けている。庭園という奴だ。
「まぁ一目この街の構図を見てわかったんだが、この街はどういうわけかセフィラの形を取っているんだ。ネーミングもそれだし、通りの名前なんてあからさまだ」
「セフィラっていうのは簡単に言えば神様の座に至る道を示した地図みたいなものね。魔術師の中にはそっち方面で研究している人も大勢いるの」
アルバの言葉にヘルガが質問をするよりも早くレアリティが彼の疑問に答えた。それは世界が違うヘルガにすれば大言壮語、世迷言、オカルト、迷信の類だ。失笑を禁じ得ない。思わず笑い声がこぼれた。レアリティはそれが自然な反応だと言わんばかりの笑みを返し、次いで視線をアルバへと向けた。
「これまでに露見した隠し通路は三つ。そのどれもが委細の例外なくすべて道の上にある。オレが使った道もな」
青点を付けていくアルバの手つきはとても軽快だった。青点はすべて隠し通路の場所を示している。一つは革命の動乱期、逃げ出す領主を市民が待ち構えた通路、残り二つは学術研究の果てに発見された。特に三つ目は金属探知に引っかからないとても古いものだという。
一つ目の隠し通路は首のない聖人の彫像の真下、二つ目は天才画家ディルゴ・ジョヴァンニが描いた「太陽と使徒」の飾ってある記念博物館の中、三つ目は現市役所の中。それも昔は国王の別荘が置かれていた。
「つまりセフィラに対応しているとなれば、必然的にここか、ここだな。いや、ここか」
アルバの指が地図の上を伝う。彼が示した点、それは横0度に東へ伸びる道の終着点、ホディア美術館から直線上に革命記念碑が置かれた公園に伸びる一直線の道だ。ペー通りと命名されたその通りについて詳しく書かれた観光パンフレット内のページをめくりつつアルバはヘルガに問いかける。
「塔?」
「そうだ。塔に関わり合いがある建造物ってこの通りにないか?」
塔とはタワーのことだろうか。言われてヘルガは記憶をあさる。長らく街に住んでいるおかげか、あるいは観光都市であるからか街中で尋ねられた名所は大抵案内できることは密かなヘルガの自慢だった。そのヘルガからしてペー通りの塔にかかわる名所というのは一つくらいしか思い浮かばなかった。
「たしか、アレも塔だよな」
「なんだよ?」
「えっと、塔崩しの聖人ってのがいてさ。そいつが掘られている彫刻が飾ってある小さな教会がこの通りのどっかにあったと思うよ?」
古くはルネサンス期に作られたものだという。ヘルガは見たことは一度もないが、大層有名な美術大学の教授がひっきりなしに訪れるとかなんとか。こんな機会にお目にかかるなんて思いもよらなかった。
「よし、行くぞ」
シティマップを畳むアルバは過去にないくらい元気に見えた。