デイルアート市の真実Ⅲ
まず結論から言おう。三人の反逆者はその日の内に小屋から逃亡した。理由なんて聞くほど大層なものでもなく、単純に隠れ家がバレたからだ。どういう経緯でバレたのかはさておいてバレたものをバレバレのままに長居をする理由などなく、レアリティが帰宅したのとほぼほぼ同時に時を同じくしてそれはそれは脱兎のごとく三人はデイルアート市頭部の住民街へと逃げ去った。
そんな中で、仮の住居としてヘルガの家に居座ることになったのは宿無し三人組の思考としては当然と言えば当然だった。なんでかは聞く必要はない。物語の根幹には関わらないのだから自分で考えろ。
「とにかく、僕らはみんなかわいそうということで」
「極東のラノベか何かか?最近じゃぁ、あーざっと10年くらい前から向こうじゃ長文タイトルが流行っているらしぜ」
「そうなんだ。僕はあの国の漫画とか小説なんて読んだことないよ。なんていうか、ワンパターンに過ぎる」
「オレは好きだぜ?英雄が英雄的行動を取る。数年前に連載が終了したあの漫画なんかもまさにそんな感じだな。ヒーロー至上主義、ヒーロー万歳」
どの漫画のことアルバが言っているのかはヘルガにはわからなかった。というかわかりたくもなかった。それくらいには彼の話がどうでもよかった。今ヘルガが聞きたかったのは色々とおざなりになった自分の両目と右手のことや、アルバの炎、巨兵、どういう風に世界はなっているのかなどだ。
レアリティが紅茶を淹れてくれる中、満を辞してアルバがその疑問に応えようと口を開いた。
「まずはそうだな。この世界についてだ。昨日オレはてめぇにこの世界は霧の中にある、一年がループしてるって言ったよなぁ?そして死者が世界に溢れてるって。これらを事実である、現実である、ノンフィクションであるとお前が理解した前提で話を進めるぜ?」
リビングのソファに腰かけ、だらしない格好のままアルバは再びどこからかA4紙を取り出し、図を描き始めた。それは横線を五つに区切った図であり、どことなく定規の目盛りに似ていた。
「まずはループについて教えてやる。正確にはループじゃねぇな。あー同じ一年を時間が進んだまま繰り返してるって表現が正しいな。脳みそは時が進んだことを自覚する一方、1日1日の中身は変わっていない。わかりやすく言えばカートゥーンだ。ほらカートゥーンって同じ話を定期的に繰り返してるだろ?なんか見たことあるなーと思いつつも案外内容って覚えてないもんだろ?そいつと同じだよ。一年前の今日、自分は何をしていたなんてよっぽど記憶力のあるやつ以外覚えちゃいねーさ。なんとなーく、あー勉強してたなーとか、あー仕事してたなー、あーオタ活してたなーくらいの記憶しか持っちゃいねー。
多分だけどお前にはそういう風に感じる暗示みたいなのがかかってる。認識を曖昧にする、記憶を曖昧にするっていうな。それ自体は別に難しい技術じゃない。オレは魔術畑の人間だからなんでも魔術で解決しようっていう癖があるが、そのオレから見ても人に暗示をかけるために魔術を使う必要はない。極端な話、拘束して憔悴させて意識を朦朧とさせれば簡単に刷り込みは完了する。
もちろん記憶をいくら曖昧にするって言ってもさすがに限度がある。仮に周囲全員がそんな感じだったら少なくはない人間が疑問を感じるし、遅かれ早かれ決壊する。だがここは死者都市、周りは規則行動を繰り返す死者ばかり。お前の疑問を理解する人間なんていやしない」
胸糞が悪くなる話だ。当事者でなくとも酷い話だと思うし、当事者であればなおさら義憤にかられる話だ。自分の自由を簒奪されるのは嫌いだ。夜空に思いを馳せればこそ、自由を求めていると言える。もっともヘルガの場合は単純に自分の世界が汚されることが嫌いなだけなのだが。
「とはいえそんな世界を維持するにもなんの下準備もなしにってのは無理だ。だがデイルアート市にはそいつを可能にするものが眠ってるんだ。それがこの世界がどういう風になっているかっていう話につながってくる」
無精髭の向こうに笑みを浮かべ、アルバは用紙の上にシティマップを置いた。一目でそれがデイルアート市のものだとヘルガは気付き、同時に謎の赤点が街の各所につけられていることに気がついた。赤点の数は四つ。その内一つは彼の通うアテルラナ学園を示していた。
「なにこれ?」
率直なヘルガの感想にアルバは何か嬉しかったようで気持ちいいくらい綺麗な顔で懇切丁寧に説明し始めた。
「まずこの四つの点、これはデイルアート市の中を四つの円で囲っている。正確には四つの円の上にこの赤点四つがあるんだな。で、この四つがこの街を異常事態に陥れている結界を作ってる」
「けっかーい?」
「あーアレだ。アニメとかにあんだろ?魔法使いとかが防御する時に使ってる壁。あれのでっかいバージョン」
ものすごく雑な説明にレアリティの方から苦笑がこぼれた。カラカラと笑う彼女の声をバックグラウンドミュージックにアルバは話を続けた。
「とにかく、だ。そいつを内側から順に破壊していけばオレらはこの街から出ることができる。結論だけを言えばな。でもそれを難しくしているのが二つの障壁、目線と守護者だ」
「目線?守護者はまぁなんとなーくわかるけど目線ってなに?まさかアレだけ人を乱暴に扱っておいて人前じゃ暴力沙汰は起こせないとか言わないだろ?」
「いや?まさしくその通りだ。この街では、というか結界の起点の近くでは目線が突き刺さるとどういうわけか暴力手段を取れなくなる。なんかそういう類の魔術なんだろうが、とにかくそれが面倒臭い。なんせ一番最初の結界が最も人目に着く場所にあるからなぁ」
そう言ってアルバはコンコンと地図上の赤点を叩いた。その場所はデイルアート市の人間であれば誰でも知っている美術館、国立ホディア美術館だった。芸術の街たるデイルアート市の観光名所でもあり、革命以前はとある伯爵の屋敷があった場所だった場所だ。
確かに日中は人目につく場所、人目につかない場所などない場所だ。だがヘルガにはアルバが言う「目線」とやらがいまいち理解できなかった。
「横断歩道を渡る時、赤信号だったら普通は止まるだろ?まー車が走ってなけりゃ渡るかもしれねぇが、それも人目が多いと憚られるときってあるじゃねぇか。つまり多数による少数への同調圧力、意思決定における感情的バイアスってのが過剰にかかって自分の行動の正当性を無くしてしちまう。人が人である以上やっぱどっかで人間の目線に怯えなきゃならねぇからなぁ。
で、それがすべての結界の起点に仕掛けられている。一応夜だったら大丈夫かな、とか思ったけど。ここ、夜入れねーんだよ」
そりゃそうだろう。美術館に夜入ることができるのは館長か警備員くらいなものだ。何を当たり前なことを言ってるんだとヘルガはアルバを訝しげな目で見つめた。
いや、そうではない。当たり前のことすぎて当たり前の事実を受け止めていたが、なるほど確かに面倒だ、とヘルガは手のひらを返してアルバの言葉に納得した。入れない場所の結界をどうやって壊すんだ、という話だ。
「アルバの炎で燃やせば?」
「それ、私も彼に提案したの。もう面倒臭いから建物ごと燃やしちゃわないって」
放火犯の思考をトレースしたかのようなヘルガの発言にレアリティが追従する。自分が愛している人と同じ考えだと知れてヘルガは嬉しくなり、彼女へ視線を向けたが、直後両目に痛みを感じた。それだけでなく視界がどんどん黒に犯されていっていた。
レアリティの玉のような肌が黒で塗りつぶされ、赤髪は黒髪に、顔は無貌に、赤いドレスは黒い雨ガッパへと変化し、突起やフリル、そんなものは初めからなかったかのように影法師がポツンとキッチンに立っていた。
「うぁ」
唐突な拒絶、自然現象的拒絶に対してか細い悲鳴が喉を鳴らした。まるで喉を潰されたかのように。花園にアブが飛んでいたかのように。とかくひどくきしょくおぞましく、形容する形容詞なんて存在しないくらいにはひどいうめき声をあげて、少年はレアリティから目を逸らした。
愛していると心の底から思っている抹殺対象から目をそむけた。そうさせるほどの敵愾心、嫌悪感を瞳の激痛がヘルガに抱かせる。
「そういえばこの目ってなんなんだ?僕はまだ全部を聞いていなんだけど」
「あぁ?だから言っただろ。そいつは異能と人外に反応するって。人外のレアリティなんざ見たら反応するに決まっているじゃぁねぇか」
その一言は冷徹にして冷涼、絶対零度のいななきのようにヘルガには聞こえた。