ドラゴン・スレイヤーズⅢ
近づくにつれ、巨樹の大きさは増していった。川沿いの通りから遠目に監視していた時よりも一層邪悪に写っていくそれを睨め付けながらヘルガはポケットからナイフを取り出し迫っていく。
「ヘルガちゃーん。ちょっと力みすぎよぉ?まだ遠いし、凶器を抜くには早すぎるわぁ」
後ろの方でノルガドの指摘が飛ぶが、ヘルガは聞く耳を持たない。意を決したヘルガはもうユリウスをどうやって血祭りに上げることで頭がいっぱいだった。それ以外のことが考えられないというわけではなかったが、とにかく今はユリウスを殺すことが彼の第一優先目標になっていた。
体力を考え軽いジョギング程度の速度で走るヘルガ、それをノルガドが退屈そうに追う。ものの二十分程度でヘルガとノルガドは屋根の上から降りてきたラスカー、キィハと合流した。
「ようやくか。いや、人間の足の速度で考えれば十分早いのだがな」
「あら、お褒め預かり光栄よ。で、どうするわけ?あたしのヘルガちゃんはもうすぐにでもユリウスを殺したいって息巻いているんだけど?」
ヘルガが一人で特攻しないように彼の服の襟首を掴むノルガド。そして吊り下げられるヘルガ。珍妙な光景にキィハから苦笑がこぼれた。
「やることはシンプル。まず私達は龍の制御権をユリウスから奪うのです!」
「あらマセガキが何を言うかと思えば、随分と難しいこと言うじゃない。それってアレでしょ?ドロシーっていうクソビッチから笛を奪えってことでしょ?」
キィハの案にノルガドの口の悪い指摘が飛ぶ。まだ「ピィーー」だの「ピィーー」だのと口にしないだけ良心があった。それでもティーンエイジャーにもなっていない子供の前で「マセガキ」だの「クソビッチ」だのと発言するのはどうかと思うが。
「実際のところ、笛は重要じゃない。重要なのはあくまで『少女の系譜』。笛とは一種の伝達手段であり、少女の意志をキント=リンヴェリウスに伝えるツールに過ぎない。ならば、似たようなものを私が使えば意志の錯綜を起こせるかもしれない」
「それはどういう……あ」
そこまで聞いてヘルガは地下に並べられていた巨大な試験管のことを思い出した。ユリウスは試験官の中に入っていたキィハと同じ色の髪の毛の少女達を総じて「試作個体と呼んでいた。失敗作ではなく、試作個体と。彼女達が真に使えないなら失敗作と呼んでも良かったし、そもそもあんな施設まで作って保存しておく道理はない。まだ何か利用価値があるから彼女達を生かしておく、と考えた方が妥当ではないか。
その理由は、と問われればシンプルだ。ユリウスは最初、キント=リンヴェリウスを操るための少女を作ろうとしていた。キント=リンヴェリウスの手によってこの街を消滅させるという今もって意味のわからない計画のために「例の少女」をこの現代欧州に復活させようとした。その副産物、否偶産物こそがドロシーならば、ドロシーを産み出す以前にすでにキント=リンヴェリウスを操ることができる個体が産まれていてもおかしくはない。
でも確か彼はこうも言っていた。「彼女の吹いた笛以外で怪物を操ることはできなかった」と。それはどういうことなのだろうか。
「あのさ、あの魔術師がなんでもかんでも正直に答えると思う?というか、その疑問に立ち返るなら、そもそもどうして本来は試験管に入れられていたはずの『試作個体』である私がチョーカー付きで闊歩してたと思うの?それは私が、というか私以後に作られた個体が笛を吹いてキント=リンヴェリウスを操ることができたっていう証左じゃなくて?」
そういえば、とヘルガはちらりとラスカーへ視線を向けた。ラスカーも思い当たる節があったのか、手を打った。
「そこの銀髪の話を裏付けるわけじゃないが、私がドロシーをゆうか、いや捕獲した時も彼女は自由に街を歩いていた。単にそこの銀髪が特別というわけではなく、キント=リンヴェリウスを操れる少女達もある程度の自由を担保されていた、と考えても不思議じゃない」
「じゃぁ笛はいらないっていうのもほんと?あたしが聞いた限りじゃユリウスは笛が大事って言ってたわ。雇われた側のあたしも笛の在処だけは教えられなかったもの」
「それはドロシーの重要性を笛よりも低く錯覚させるためだよ。自由きままに歩いている彼女と厳重に保管されている笛、どっちが重要そうに見えるかなんて一目瞭然だもの」
そう言うキィハの冷ややかな視線はまっすぐラスカーに突き刺さった。なぜそんなことを言われているのか自覚しているのか、非常に気まずそうにラスカーは視線をぷいっとワザとらしく逸らした。
「——というわけで、近くの楽器店から見つけてきわけよ、これを」
そう言ってキィハは手首の先を三人の前にみせた。彼女の左手にはリコーダーが握られていた。何の変哲もない極めて平凡な埃を被ったリコーダーだ。しかし彼女は真剣な眼差しでそのリコーダーを大事そうに見つめ、おもむろにその吹き口を握った。
「いい?私はこれからこの笛の音でキント=リンヴェリウスを止める。とても命懸けになる。長くは止められない。君達はその間にユリウスをどうにかして」
リコーダーの先端部を三人向けながらキィハは指示を下す。口調はオカンのそれだが、語気は今までにないほど真剣で、彼女の言っていることが冗談のようには聞こえなかった。その彼女へノルガドが疑問を口にする。
「命懸けっていうのは具体的にどういうこと?ただ笛を吹くだけで命懸けになんてなるものかしら?」
「あー、言ってなかったけどキント=リンヴェリウスの操作にはすごい体力と精神力がいるの。それこそ死ぬか死なないかのギリギリレベルの。さっきも話した私と同じように笛を吹いてキント=リンヴェリウスを操れた子達は二、三度操っただけで死んでしまった。結果的に私だけが残った。ドロシーが生まれるまでは私がキント=リンヴェリウスを操っていたの」
「マジか。それが本当だとしたら確かにキント=なんとかを操れるかも」
「まぁドロシーの方がより完成した『少女』の代わり身だから完璧には無理ね。動きを止めるくらいはやってみせる。主導権の争いをいつまで続けてられるかが勝負のキーポイントだもの」
キィハは簡単に言うが、突撃するヘルガ達は難しそうに口をへの字に曲げた。別に突撃することが嫌というわけではない。単純にキィハの作戦がメチャクチャ不安なのだ。
ヘルガが視線を巨樹へ向けると、川沿いで視た時よりも数段大きくなっていた。家屋に突き刺さっている樹枝を見ればその間合いの長さは明々白々。こちらが攻撃を仕掛ければ間違いなく樹枝の矛先はこちらへ向く。いくらドロシーに敵意があってもユリウスがその気になれば彼女の意思など関係なく、強制的に支配されるのだから。
「信じてよ。少なくとも五分は止めてみせる」
「五分、ねぇ。うーん。大丈夫かしら?ちなみにあたしはだ・い・じょ・う・ぶ♡」
「私も問題ない。急襲を仕掛けるならむしろ長いくらいだ」
「——僕も大丈夫。まぁラスカーとノルガドがいるなら僕は戦力外でもあるしね」
情けないセリフと共にヘルガは自嘲する。追従するかのようにキィハが笑みをこぼした。それで空気が和むということはない。ただ少しだけ、肩の荷が軽くなったようにヘルガは感じた。




