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愛しています、死んでください。  作者: 賀田 希道
悠久ナルキッソス
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真実のその切れ端

 ラスカーの言っている意味がわからず、ヘルガは視線を隣側の彼が立っている位置へ向けるが、そこにラスカーの影はなく、円柱状の空間の内面を囲うように突き出している鉄柵の足場を進んでいく姿が闇の向こうにぼんやりと見えた。慌ててヘルガはその姿を追うが、彼が力強く足を踏み出すとガシンと嫌な音と共に足場が揺れ、思わずヘルガは壁に張り付いた。


 「バカ野郎!放棄されてから100年以上経ってんだぞ。ネジが錆びてるかもしれない足場で走るやつがいるか!なんかの衝撃でこの足場を固定しているネジが弾けたらどうすんだ!!」


 遠くから飛んでくるラスカーの叱責にヘルガは確かにと思いつつ自分の軽挙を恥じた。ここに来るまで、つまり地下に落とされてから龍の死骸がある円柱状の空間に来るまで、しっかりとした足場ばかりだっただけに忘れていたが、フレイア家がこの城を放棄してからすでに100年は経過している計算だ。鉄製のこの出っぱった足場がどうして錆びずにいるだろうか?


 「いいか。ゆっくりだ。ゆっくりとこっちへ来い。いざとなれば『陰』を使って下へ降す」


 ラスカーの指示に従い揺れる足場にゆっくりと重力をかけていく。右足に力を込めるとわずかに鉄の足場が深く沈み、ヘルガの体は寄り添っていた壁からわずかに樹木の方へ傾いた。そのはずみで弓の弦を絞るかのようにギリギリで耐えていたネジが弾け、ヘルガの視線は下降した。


 刹那、ラスカーが飛び出した。勢いよく鉄の足場を蹴り、ヘルガに手を伸ばそうとするが、その手は空を切った。だがラスカーの目に諦めの色はない。わずかに表情筋を震わせ、すぐにラスカーは自身の足元の影へと意識を向けた。


 「モルガン!ヘルガを助けろ!」


 ラスカーの呼びかけに呼応して彼の足元の影から黒い物体が飛び出し、ヘルガの左手にまきつくと、続いて樹皮に対し刺突性の高い何かを伸ばし、突き立てた。分厚い樹皮の鱗が剥げていくほどの勢いでヘルガと黒い何かは徐々に減速し、そして両者と地面の距離わずか数十センチの距離でその動きは停止した。


 恐る恐るヘルガは自分の左手へそして頭上へと視線を向けていく。目に入ったのは眼が痛みが増していくほど真っ黒の手を持つ真っ黒な影法師だ。ゆっくりとそれは顔らしきものをヘルガに向け、しわがれた声で彼に話しかけた。


 「無事か?待ってろ。すぐ降ろす」


 言うが早いか影法師は左手から手を離し、ヘルガを地面へと降ろした。そのまま何も言わず影法師はさながらスーパーボールのような弾力的な軌道で体を跳ねさせ、瞬く間にまだ足場の上にいるラスカーの元へと戻っていった。


 なんだったのだろう、とヘルガが眉を寄せて頭上を見上げていると、間も無くしてラスカーが樹木の太い幹を伝う形で地面に降りてきた。直後にそれまでラスカーが立っていた足場がヘルガの背後に落ち、けたたましい落下音を立て、その音が円柱状の空間を幾重にも反響した。


 ドォーン、ドーンとだんだんと小さくなっていく音に耳を傾けているとラスカーが目の前に降りてきた。ひどく不機嫌そうに、あるいは呆れているように見える彼はヘルガの前まで歩いてくると、無言のままその下顎めがけて打突を放った。


 反射的に避けることなどヘルガには不可能な距離だ。ちょうど前歯と歯肉の接合部の直線上にある部位を撃ち抜かれ、口内の歯がそのまま喉奥までズレていくような感覚に襲われ、ヘルガは悲鳴を上げることもできずにうずくまり、口を抑えながら悶絶した。


 「少しは懲りたか?軽々な行動は自分を殺すぞ?私がいたから良かったものを」


 「ぐhうへ」


 「死にたいなら勝手に一人で、そう一人で大自然様にも人間様にも神様にも迷惑かけずに死ね。言っている意味わかるか?」


 無茶苦茶言ってるよ、と失笑を禁じ得なかった。とどのつまりは絶対に死ぬな、ということではないか。まわりくどいにもほどがある。口を抑えていたおかげで口元を見られなかったことが幸いし、ラスカーはヘルガの苦笑面をおがむことはなかった。ラスカーに向き直ったヘルガがありがちな謝辞を口にすると、彼は以後気をつけろ、とだけ吐き捨て、ヘルガに背を向け、樹木の根本を周り始めた。その後をヘルガもついていく。そしてある地点でラスカーは止まり、樹木の根元を指差した。


 視線をラスカーの背中から指の示す場所へと向けるとそこにはビート板を思わせる形状の石碑が置かれていた。ただし高さはビート板の比ではなく、ラスカーの頭高を超え、3メートルはあった。ずらりと書かれた文字列は最上部は暗くて見えず、ヘルガの目線の高さの部分でさえ一部が風化していてよく読めなかった。


 「なにこれ?」

 「見ての通り、石碑だ。樹木の根元にこいつがあるのを見つけてな。何か怪物やこの街に関して書いてあるんじゃないか、と思ってな。あながちその予想は外れていなかったわけだ」


 「読めるの?」


 「言葉としては旧ゲルマン諸語、いやこれはラテン語か。書かれた、もとい彫られたのは随分と昔だな、こりゃ。水気が多い地下にあったおかげで風化している部分は少ないが、やはり読める部分はそう多くはない。というより文章になってないな。箇条書き?」


 うーとかあーとかうめきながらラスカーは石碑にへばりつき、メモ帳と併用しながら解読を試みようとする。その間、ヘルガはやることもなかったのでずっとアーミーナイフの開閉をしていた。親指で弾くだけで勢いよくナイフが出てきたら良かったのだが、あいにくとヘルガの腕力ではナイフの溝をいくら弾いても爪がパッチン、パッチンと割れるような音を出すだけだった。


 そんな遊びに躍起になっていると、解読を終えたラスカーがメモ帳片手にヘルガの前に戻ってきた。収穫ありといった喜色満面なその表情にヘルガは笑みをこぼす。そしてラスカーは終わったぞ、の一言と共にヘルガにメモ帳のページを破って投げてよこした。


 「んーと?龍の記憶を、見た?おぞましい記憶、炎、よってたかって鉄の斧と鉄の楔を用いて壊そうとする。少女の笛の音が聞こえた。大きな子供を産んだ。斧と楔を持っている奴ら死んだ。乞われて数多の子供を産んだ。死んだ。産んだ。死んだ。産んだ。私はいつ行動し始めた?」


 なにこれ、と怪訝そうな目つきでラスカーを見ると彼は肩をすくめてヘルガの手から、メモ帳のページをひったくった。


 「あの石碑の読める箇所を要約するとこうなるんだよ。しかも内容としてはほとんど君が盲目の老爺から聞いたということばかりだ。とはいえまるっきり収穫がない、と言うわけでもない何かわかるか?」


 考えることを促され、ヘルガは口元に手を添えた。考える人のように拳を顎に当て、腕を組み、眼を左右へ何度となく泳がせた。そして至った結論を口にした。


 「『鉄の斧と鉄の楔を用いて壊そうとする?』」


 「正確にはその前の『おぞましい記憶、炎』も含めてだ。老爺の話では村の連中は崇めていたんだろう、この龍を。かなり矛盾するじゃないか、石碑の内容と」


 だよね、とヘルガは頷いた。盲目の老爺の言葉が120%真実などとは口が裂けても言わないが、少なくとも村人が樹木を崇めていたならば、それを切り倒そうと斧や楔を持ってくるのは考えにくい。そもそも時系列が不明だ。一体いつの出来事なのか。古い順で羅列されているならば少女が笛を吹く前のこと、ということになるが、それにしてもそれまでだ。いつの出来事なのかはわからない。


 「——ここからは私の勝手な妄想だ。だからそこまで気にする必要はない。そのことを踏まえて聞いてほしい」


 ラスカーの前置きにヘルガがうなずくと、彼は自分の仮説を語り始めた。


 「恐らくだが『おぞましい記憶』というのは村の黎明期に関係する言葉だ。最初期の村人は山の上でまだ生きていたこの龍を殺そうとした。龍を殺し、何を得ようとしたのかは知らないが、とにかく殺そうとした。そして、敗北した。その際に生き残った少数が龍のご機嫌とりのため笛を吹き、太鼓をたたき、祭りを催して龍を祀ったんだろうな。その一派がおそらく司祭家だ。そして司祭家を中心としてヴィルム村というのが形成された。


 この時、というか元より龍は別段人の生き死にについてはどうでも良かったんだと思う。賑やかし、だな。自分の寝床の近くに人間がいる、程度の認識だったのだろうな。だから何もしない。豊穣がどうの、と老爺は言っていたらしいが、それは龍の力などではなくこの土地そのものの活力だ。石碑に語られているような龍が人に手を貸すことはあり得ない。ただの一度を除いて。ある意味それが龍にとっての悲劇だったんだろうけどな」


 それが少女を助けたこと。少女に怪物を操る笛を与えたこと。その笛を使って怪物を操り、村人を虐殺した。そこまではいい。問題はその後だ。


 「おそらく、龍が産んだという怪物は龍と同じ性質を有している生命体だ。そんなものが操れたんだ。大元を操れない道理はない。あれだ、リバースエンジニアリングみたいなものだ。ほら、どこぞの国が兵器の開示された部分だけを見てブラックボックス化している部分を再現してみせた、なんて話があるだろ?あれと同じだ。つまり怪物を操っていた笛の波長、それを龍を操る波長へと変えた。できるかどうかはわからないが、笛で操っていると仮定するとこれが一番しっくりくる」


 自業自得、その言葉が龍の末路を表す言葉としてもっとも適切な言葉だろう。自分で作った武器で操られては笑える話も笑えない。少女に操られた龍はその命が尽き、目の前の樹木に変形するまでずっと「子供」を産み続けた。そして何百年経ったかは知らないが、彼の前に現れたのがフレイア家、その時初めて龍は解放された。


 「石碑に書かれてあるのはあくまで龍のことだけだ。だからどうしてフレイア家が地下に龍を持ってきたのかはわからんが、まぁ大方秘匿するためだろうな、この馬鹿でかい樹木を。最低限の陽光を与えるためにあの三本の塔を建てたはいいが、扱いには困っていただろうな」


 「地下に持ってきた?あーそういえば樹木の上に城を建てたとか言ってたっけ、あの爺さん。てっきり盛り土でもしたのかなーって」


 「そりゃ徒労ってものだな」


 ヘルガのとんちんかんな発想にラスカーは笑みをこぼした。ある意味スッキリとした笑顔だった。


 「それじゃぁもう少しここを探索して私達は出るとしよう。そして次に向かうべき場所へ向かう」

 「それって廃工場?」

 「現状、そこが一番あやしい。これだけ街の主要施設を探索してユリウス・カリオストロを発見できてない。ならばまだ見ていない施設に潜伏している、と考える方が妥当だ」


 それもそうだな、とヘルガは頷き、ゆっくりと視線を暗闇の中にぽつりと浮かぶ暗い穴の方へと視線を向けた。


✳︎

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