元の場所へ戻して来なさい。
「ドラゴンですな」
「ドラゴンかぁ」
「かぁ~」
「キュル!」
これは夢の続きだ。
王城に戻り、ノーム先生に城砦で拾ってきた「新種のトカゲ」を見せた日の記憶だ。
明晰夢や白昼夢……なんてものじゃない。ただの回想。意識して夢の続きを思い出している……何故か?
「しっかり掴まっていてください!」
「ギャオ!」
「くぇrちゅいおp@あsdfghjkl;:zxcvbんm、。・_!!!!!!!」
空を飛ぶドラゴンの乗ってるからだよっ!!!!!
失敬……
取り敢えず、まずは私という人間を想像して欲しい。
趣味は読書。
インドア派。
幽閉されていた所為で足腰は弱っている。
一応王子なので馬術は習ったが、馬術とは馬に乗り操る技術だ。
もう一度言う。馬だ。
空を飛ぶドラゴンじゃない。
そんな私を、
リュートに強引にドラゴンの背に乗せられた私を、
空を羽ばたくドラゴンに手綱も命綱もなくしがみ付く私を、
大地を遥か眼下にして高所恐怖症だと自覚した私を、
それでも気を失う精神面を持ち合わせない私を、
ならばせめてと現実逃避をした私を、
一体誰が責められよう……?
王城で、お爺ちゃん先生こと、ノーム先生は「新種のトカゲ」はドラゴンだと判じた。
深く刻まれた皺だらけの顔が好奇に輝き、そして困惑の色に染まる。困惑の原因はドラゴンの生態の中で、唯一解っている性質を憂慮した為だ。
家族に対する深い愛情。
仔を攫えば死に物狂いで取り戻そうとする。そうなれば千を超す勇敢な兵士が常駐するこの王城とて一瞬で灰塵と化す。
「城砦に戻り成体……親に仔を戻すのがよろしいかと」
「ですよねぇ」
「やだ!かう!」
「キュル!」
異母弟は駄々をこねた。追随するかのように仔ドラゴンも鳴く。
トカゲだったら受け入れられただろう我侭も頷けない。潤み始めた瞳と、絶対に手放さないとばかりに異母弟は仔ドラゴンを両腕に抱え直した。説得するのは骨が折れそうだと、溜め息は零れる前に喉で押し殺した。こればかりは納得してもらうしかない。何せ国家存亡の危機だ。
膝をつき、異母弟に目線を合わせた。
「リュートは知らない人たちの中で一人ぼっちで暮らしたいと思うかい?」
「おもわない!」
「キュル!」
「そうだね。その仔だって知らない人たちより親の傍で暮らしたいと思うんだ。だから戻しに行こう?」
「わかった!」
「キュル!」
簡単だった。
だが私たちは大きな勘違いをしていた。
異母弟が仔ドラゴンを拾った場所に、親ドラゴンがいるものと思い込んでいた。
ドラゴンとは知らなかったといえ王城へ連れ帰ったのだ。この時点で“攫った”とみなされてもおかしくなかった。
家族に対して深い愛情を持つドラゴン。
余程の事がない限り、仔を手放す事などありえないドラゴン。
攫われた仔を取り戻すためなら、天を穿ち地を焼き尽くす。
そのドラゴンが王城に現れなかった。
そして異母弟が仔ドラゴンを拾った場所は城砦の東側、城壁に囲まれた広場。
新兵の訓練場なって久しい城砦でも、守衛は常駐しているし王族が視察に来るという事で人数も倍増していた筈。しかも直属の護衛もついていた。
その警固の眼を掻い潜ってドラゴンが城砦内に浸入した? 異母弟が城砦外に出て仔ドラゴンを拾った? 誰にも気付かれずに? あり得ない。つまり……
「……余程の事があったのでしょうな」
「ですよねぇ」
「……明日でひと月です」
「ひと月ですねぇ」
城砦にはドラゴンはいなかった。周囲を探らせたが、影も形もなく、痕跡すらまったくなかった。
だが再び仔ドラゴンを連れて王城に戻ることは憚られ、かといって城砦内へ、という訳にもいかず、お爺ちゃん先生と城将と王宮からの護衛官長が協議し、連名で指示を仰ぐ伝令を飛ばした。
“幼生の返還を第一目標と定め待機”
その命の下、兵士は極力配置せず、防衛のみを徹底周知させ、練兵場に野営の天幕を張った。
その際、お爺ちゃん先生が古代語で『御子様を保護しております』と立札を立てた。ドラゴン相手に通用するかはわからなかったが、重要なのは“攫った”訳ではないと訴えることだと。万が一に備え異母弟と私は王城に戻ることになったのだが……
「いやぁああああああ!!りゅーともいるぅうううう!!」
見事な駄々を捏ねた。
宥めても賺しても、異母弟は肯んじなかった。仔ドラゴンも異母弟の傍を離れたがらなかったこともあり、先の三人で再び協議した。主に異母弟の警護体制の見直しだ。結果、佩刀をせず、体術に覚えのある城砦の教官を中心に再編成された。野営の天幕の一つに絨毯が八重に敷かれ、菓子や果物の確保へ兵が走った。
それがひと月前。
未だ幼生の返還が果たせないままいれば、当然一つの疑惑が湧く。
「アレは本当にドラゴンの仔なのでしょうか?」
「お爺ちゃん先生が此方に居を移されました」
「はぁ……」
だからなんだ? と、心の声が聞こえた。
まぁ当然の反応だ。
“王国の叡智”と称されるお爺ちゃん先生がその生態の一端を記録するため、王太子の教育係の任を辞した。それだけでは見た目トカゲの生物がドラゴンであるとの証明にはならない。
私とて、お爺ちゃん先生の言葉でなければ信じなかった。だって見た目はトカゲだし。
もっとこう一発でドラゴンの幼生だとわかればいいのだが……見た目がトカゲなのが如何ともしがたい。
護衛官のぼやきも私のモヤモヤも知らず、キュルキュル、キャッキャと、幼子達は楽しげに練兵場を走り回る。城砦外の練兵場はそのまま森に繋がっていて、野生の動物が時折姿を現すらしいが、物々しい気配に怯えてか小鳥の囀りすら聞こえない。
そんな周囲の様子も気にする事なく、自然界の覇者(暫定)に犬と同じように小枝を投げて持ってこさせる遊びをしている異母弟は何と称するべきか。
小枝を投げる。パタタ……と飛んで持ってくる。
小枝を投げる。パタタ……と飛んで持ってくる。
小枝を投げる。パタタ……と飛んで持ってくる。
何度もよく飽きないものだ………………ってか、
「飛んでる!」
「もう飛んでません。着きました!」
「え?」
「え?」
目の前には青緑の鱗。滑々して気持ちいい。
ちらりと横目に見れば茶色い。この茂みはなんだ? ボサボサがさらにバサバサになった私の髪だ。
誰かが私を抱えている。誰だ? リュートだ。
大地に足が着くと同時に、私は現実に帰還した。
もう二度と地から足を離さないと、大の字になって大地を堪能してる私をカラカラとリュートは笑う。小突いてやりたかったが、ガチガチに固まった身体は思うように動かず、起き上がる時には不本意ながらリュートの手を借りた。
「幼い時分は俺の方が乗り物酔いしていたのに、今は逆ですね!」
「乗り物酔い」
ドラゴンは乗り物なのか?
「冷たい香草茶を持ってこさせましょうか? あ、膝枕します! もっかい寝てください!」
膝枕? 何をそんな子どものような……
「あぁ……馬車で酔ったリュートにしていたな……」
「どうぞ!」
「……少し風に当たればおさまる」
「えぇ~……」
正座したリュートをすげなく躱し、夜明け前の清涼な空気を思い切り吸い込むと北辺の山脈の麓にはない草木の匂いがした。
落ち着いて見渡せば、見覚えのある景色。
リュートが、ドラゴンを拾った城砦。
つい先ほどまで現実逃……夢で見ていた城砦。
幽閉される前まで、リュートと過ごしたアダル城砦だった。
「この城砦は変わらな……立札が増えたな」
「はい! ノーム先生が成長を逐一記しておりましたので。でももう増える事はありません」
「! そうか、ノーム先生は……」
「はい! 南棟を占拠して学会への論文を執筆中です!」
「……ご息災のようで何よりだ」
5年……6年かぶりに訪れた城砦外の練兵場には所狭しと立札が立っている。主にドラゴンの成長に関する事柄が、全て古代語で記されていた。“アル・ウード”と署名されたリュート自筆の立札もあった。心覚えのある事柄を記した立札の中で、一際古い立札に眼が止まった。
『御子様を保護しております』
アダル城砦が“立札の砦”と揶揄される元になった、ノーム先生が記した最初の立札だ。その隣の立札に書かれた拙い文字に、涙が出そうになり慌てて空を仰いだ。
「…………こんな事になるとは……やはりあの時なんとしても止めるべきであった」
「兄上! 兄上は悪くありません!」
「ギャオ!ギャオ!」
「……止められるのは私だけだった。私はその義務を怠った」
「兄上! 今からでも遅くありません!」
「今更。名を変えることを良しとしないだろう」
「簒奪してしまえば良いのです!」
「ギャオ!ギャオ!」
ひゅるりと、一陣の風が吹き抜ける。
視線をやれば何故か息巻いている一人と一匹。
「………………何の話だ?」
「え?王位の話では?」
「………そんな話していたか?」
「してました!」
「ギャオ!」
「そうか、していたか。ならば何度でも言おう。私は王位に興味はない」
「兄上!」
「ギャオ!」
「ほら!ポチもそう言ってます!!」
「それだそれ」
「どれ?」
「ギャオン?」
キョロキョロと周囲を見回した後、顔を見合わせ首を傾げる一人と一匹。
解っててやってるのか?
だとしても許す。あざと可愛いのは嫌いじゃない…………じゃなくて。
古い立札の拙い古代語の文字でこう記されていた。
『なまえつけましるた。ポチでする。アル・ウード』
ないわ~……ドラゴンの名にポチはないわ~……
「ぽちがいい」
「もっとかっこいい名前がいいじゃないかな?」
「ぽち」
「ドラゴンだし、ほら、もっとこう……」
「ぽち!」
「キュル!」
「お、おぅ」