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夢の中だと思いました


――――これはどういう状況なのだろう。


黄金で縁どられたアンティーク調の大きな椅子に浅く腰掛け、桜はハハ、と音も無く笑った。


しかし2メートはあるだろう巨大な姿見に映る自分は眉を僅かに下げるだけで、どことなく悲しそうな表情を作るのだから己の表情筋は通常運転、反抗期の真っ最中である。


「×××……?」


丁寧に桜の黒髪を透いてくれていた妙齢の女性が、その手をとめて何事か問いかけた。

首元までキッチリと覆われたシックな黒のドレスに真っ白なフリルエプロン。白髪交じりの髪をエプロンと同じ白いキャップの中へ仕舞ったこの人は、おそらく『メイド』や『侍女』といった職種の女性なのだろう。


主が誰かは分からないが桜を害するつもりはないようで、彼女は髪を梳き終わると少しだけ乱れてしまったアイスブルーのドレス……のウエスト部分に鎮座する大きめのリボンを綺麗に整えてくれる。


(いくらなんでも子どもっぽすぎやしませんかね……)


御年23歳。成人も過ぎ、成熟した大人の女性である桜としては、裾や袖口に細やかなレースがあしらわれ、とどめとばかりにウエストを大きなリボンでマークしたこのパステルブルーのプリンセスラインのドレスは……七五三の子どもに着せるそれに似ていて、申し訳ないけれど直視出来なかった。


しかし恥ずかしさから目を伏せている間にも作業は着実に進んでいたようで、満足げな声を上げた女性がすっと手を差し出した。椅子から降りろということなのだろう。此処から更にどこへ連れていかれるのか……牢屋や処刑台でなければ、もうお好きなようになさいませ。


自棄になっている自覚はあるが、昨日から続く怒涛の展開に着いていけない桜のそれが率直な感想だった。


導かれるまま椅子から降り、背筋を伸ばして歩を進める。

臙脂色の毛足の長い絨毯に足を取られないよう慎重に歩き、部屋から出るとそのまま突き当りの見えない長い廊下を女性と一緒に静々と進んでいく。


磨き抜かれたガラス窓の向こうには、白い噴水を中心として左右対称に整えられたどこまでも広がる庭園。

桜は横目で所々に咲いている赤や黄色の花を確認し、まるで海外にある宮殿のような豪華なその光景に困惑しきりだった。


(ここは一体どこなのか……少なくとも、日本にこんな広大な庭は余程の富豪じゃないとない、はず)


社で落ちてきた石にぶつかり、次の瞬間にはローブを纏った怪しげな男達に囲まれて。

更に爆発音とともに現れた鬼のような熊のような……ともかく人相の大層恐ろしい筋骨隆々な外国人と対峙――――したかと思えば、何時の間にやら気絶したようで、目覚めたのはふかふかのベットの上だった。


そこでも言葉の通じない人々に囲まれ、ただただ恐ろしくて仕方がなかった。

そんな固まることしかできなかった桜に対し、歩み出てきたのは明らかに周囲の人間とは一線を画す覇気を纏った壮年の男性だった。

見るからに上等な赤いマントを羽織る男は、神経質そうな顔を歪めて重々しく話しかけてきたものの……桜には少しも理解できず、誤魔化すために意識を顔面に集中して微笑むことに徹した。


それが良かったのか、悪かったのか。今もって分からないが、男は傍に居た騎士服姿の男達に何かを指示すると御付きの人達と一緒に退出してしまい……代わりに、桜は馬車に乗せられ、このお屋敷へと連れてこられたのだ。

そこから裸に剥かれ、シャワーを浴びせられ……ヌルヌルしたオイルのようなものを刷り込まれ、とにかく息を吐く暇もない程怒涛の展開に、桜は心底疲れていた。今なら立ったままでも眠れそうだった。


(今度は何が待っているのかな……太陽の位置からすると、多分朝だとは思うけれど)


柔らかな日差しに照らされたフランス風の庭はとても美しいけれど、桜にそれを楽しむ余裕はない。


役に向き合うように若林監督から言われ、桜が貰った猶予は朝までだった。

普通に考えれば朝を迎えてしまった今、何の答えも出せていない桜はお役御免……クビを受け入れるしかないだろう。


――――だが、これは現実ではない。


一連の出来事から考察するに、現実の桜は社から落ちてきた石に当たりおそらく気絶している。

そして今起きている事態はすべて夢なのだ。


(フリルのドレスに宮殿みたいな建物……うん、西洋の物語にそのまま出てきそうなモノばかりね)


明治時代、ドイツへ留学した華族令嬢・桜子に成りきるためその時代の資料は色々と読み込んではいたが……細部まで表現できている己の想像力に少しだけ感心してしまう。


ならばこの次に出てくるのは、きっと――――彼だ。


開け放たれた部屋の前で立ち止まった女性が一言声をかけ、また歩き出す。


「×××、××」


あの時、耳元で囁いていたどこか甘さを含んだ低い声が音を……こちらの言葉を紡いだ。


部屋の中央に置かれた楕円形のテーブルの端、天井まで届くガラス窓を背に堂々と座った男が桜を見遣る。

凍てついた湖面を思わせる、温度のない薄水色の眼差しに自然と背筋が伸びた。


(こ、怖い……!)


後ろに撫でつけた金色の髪から秀でた額にぎゅっと寄せられた皺、太い眉の合間にも渓谷の如き溝。人間、こんなに険しい顔ができるのか……と感動しそうになるほど、不機嫌も露わに桜を見据えるのは、やはりというか、あの時剣を片手に怪しげな部屋へ乱入してきた熊のような、獅子のような男だった。


濃紺の詰襟、黄金のボタンが胸の中心に規則正しく並んでいるその衣装は資料で見た西洋の軍服そのもの。

つまり彼は――――ヒロイン・桜子が恋焦がれる相手、台本から桜が想像したヴォイチェフ、なのだろう。


(違う、コレジャナイ……コレジャナイよ私)


台本に細かな指定はないが、相手役の俳優は上背はあるもののもっと細身でスマートな色男風のドイツ人だった。

こんな傭兵みたいな、筋肉ムキムキの一捻りで桜など潰してしまえそうな男では断じてない。

にも関わらず、顎を引いて桜へ着席を促すのは、筋骨隆々なヴォイチェフ(仮)なのである。


(私の好みが入ってる……? マッチョが好きだなんて思ったこと、一度もないのだけれど)


目の前に次々と並べられていく、朝ご飯にしては随分ボリューミー料理達を眺めて小さく溜息を零す。

ちなみに朝ご飯もいつもはフルーツやスープで済ませている桜である。


これも秘められた願望の現れなのだろうか……内心ゲンナリしながら、手元に置かれたカトラリーを音を立てないよう慎重に持ち上げる。純金製なのか、予想以上に重くて少しだけ驚きつつも、分厚い肉の塊を切り分けようとしてふと、視線を男へと向けた。


「え……?」


男、ヴォイチェフ(仮)は一つ頷くと、何故か素早く立ち上がり桜のもとへと真っすぐやって来るではないか。


「×××××」


言葉は相変わらず分からない。ドイツ語とも違う、不思議な響きに気を取られている間に、男は桜の手からカトラリーを引き抜くと、それで肉の塊を細かく切り始めた。

そうして、一口大に切った肉の刺さったフォークを自身の大きな口へ入れると、数度噛みあっさりと飲み込んでしまう。


(……い、嫌がらせ?)


訳が分からないのは桜である。食事を並べておいて、相手に食べさせず自分だけ食べるなど……小学生のような嫌がらせを桜の想像するヴォイチェフはするというのか。

冷ややかで無表情、そこまでは合っているのに、するのは子どものような嫌がらせ。冷たく、慇懃無礼な態度をすると台本にもあったがこれは……。


「……ふ、ふふ」


どんな認識の祖語が己の頭で発生しているのか。思わず笑ってしまい、しまった、と男を恐々と伺う。


「×××××、××」


幸いにもヴォイチェフ(仮)は機嫌を損ねた様子はなかったが、どうしてかフォークに刺した肉を今度は桜の唇へと押し付けてくる。

グイグイと迫りくる肉を慌てて口の中に迎え入れれば、その柔らかな舌触りに驚いて桜は目を瞬かせた。


(これは……社長が一度だけ連れて行ってくれたステーキ屋さんのお肉より美味しい……けど、ちょっと牛肉とは違うよう、な)


牛肉よりもさっぱりとした味わいのこれは何の肉なのだろうか。

おそらく、桜の深層心理で食べたいと思っていた何らかの肉とは思うが……咀嚼し飲み込めば、またすぐ口元へやって来る肉を口の中へ入れること、5回。


(違う……コレジャナイんだって私!)


冷徹軍人、ヴォイチェフは初対面の桜に親鳥よろしく、給餌行動をしたりしない!


今度は艶々のオレンジに似たフルーツを切り分け、一口自分で食べてみせた後、またしても桜の口元へ押し付けてくるヴォイチェフ(仮)。


己の中の彼のイメージは一体どうなっているんだ……夢の中だからこそわかる、自分の深層心理に戸惑いを超え恐怖すら覚えて桜は小さく身震いする。

それに気付いたのか、男は桜の両脇に丸太のような腕を通すと――――ひょいと持ち上げ、メイドの持ってきた椅子に座り、そのまま彼女を左膝へと乗せて抱え込み当たり前のように食事を再開するではないか。


「え、……あの、ヴォイチェフ、さん?」


背中やむき出しの腕に当たる筋肉の温もり……自然暖房なそれにしばし呆然としていた桜だったが、流石に小さな子どもではないのだからと、その膝からおりるため男の名前を呼んだ。


「××、ヴォイチェフ……××××?」


しかし男は不思議そうに首を傾げただけで、相変わらず桜へ瑞々しい青菜を押し付ける。


「ヴォイチェフさんじゃない……のですか、なら貴方は一体……誰、ですか」


失礼と理解しつつも、男を指さしヴォイチェフ、と繰り返した。

すると何度目かでそれが名前だと理解したのか、男は険しい顔のまま首を左右に振ると、自身を指さしこう言ったのだ。


「レオンハルト、レオンハルト・フォン・ブリッツレーヴェ」


――――誰だ、それは。


口から出てきそうになったその言葉を桜は咄嗟に飲み込んだ。

レオンハルトと名乗った男がこちらを指さし、貴女はと目で問うてきたから。


「……桜、です。桜・本宮」

「サクラ・フォングー?」

「ホングウ、です。ホ・ン・グ・ウ」


一文字ずつ区切って言ってみたものの、ホは発音し辛いようで、何度繰り返しても男は……ブリなんとかさんはフォングーとなってしまう。


「サクラ、で大丈夫です」


「サクラ、サクラ」と自分を指さし言葉を重ねれば、男も「レオン、レオンハルト」と続けた。


「レオンハルトさん、ですね」

「シャン、××、レオンハルト。×××、レオン」


シャン、の次に首を振るレオンハルトに……さんは要らないということだろうかと、桜は今一度「レオンハルト」と呼んでみた。

すると彼は漸く納得できたようで、また食事を再開する。


(いや、ちょっと待って、誰だ……レオンハルトって)


長く複雑な名字もだが、レオンハルトとい名前も台本の何処にもなかった。

これが夢であるならば桜はヒロイン・桜子の立場で……この男は相手役のヴォイチェフのはず。


(これも私の願望? ヴォイチェフって名前嫌だったの……?)


舌が縺れそうな名前だとは思ったが、わざわざ改名して欲しいと望むほどではなかった。

撮影が進むほど、ヴォイチェフと自然に言えるようにもなったのだが……。


(夢って些細な記憶をつなぎ合わせた、意味不明な内容になるというけれど……これは流石に)


自分のことが信じられない。あんなに役作りに没頭してきたというのに、いざ夢を見るとこんなにちぐはぐな内容になってしまうなんて――――それとも、これは夢ではないのだろうか。


「×××? ××××、サクラ」


ポフリ、頭に乗った大きな掌。知らぬ間に俯いていた頭を上げれば、相変わらず凍てつくような眼差しのヴォイチェフ……ではなくレオンハルトが桜を凝視していた。


「×××××」


瞬き一つせず、穴が開きそうなほど見つめられると恐ろしくて仕方がないのだが。


蛇に睨まれた蛙、猫を前にしたネズミ。例えは色々とあるだろうが、桜は思わず胸の前でぎゅっと両掌を合わせた。

すると、ゴツゴツした左手が彼女の掌を包み込み、どうしてかそのまま膝の下までおろさせる。


「サクラ×××、×××××」

「わかりません、分かりませんよレオンハルト……」


今にも噛みついてきそうなほど怖い顔をしているくせに、レオンハルトの声は甘く静かに聞こえるのだ。きっと言っていることは、辛辣で棘にまみれたことに違いないのに、言葉の通じないもどかしさ……寂しさに桜はちょっとだけ泣きそうになって、小さく首を振った。


(今、全く言葉の通じない人たちに囲まれることがどれだけ心細いか分かったよ桜子……)


ヴォイチェフに対する恋情が何たるかはさっぱりだが、少し役作りに役立てられそうな気がして。

こんな場面なのに、緩く上がる口元にちょん、と触れたのは――――レオンハルトが差し出すフォークに刺さった、薄桃色の花の形をしたゼリーのようなぷるんとした何か。


「××××……サクラ、×××」


体を包む太い腕に力がこもり、その立派な筋肉に覆われた胸元へと誘われる。

トクトク、一定のリズムを刻む鼓動。夢というのは、こんな部分もリアルに再現できるものなのか。


「これ、桜の花びらに似ていますね。私の名前と一緒、です」

「……××××? ×××」

「大丈夫です。ありがとうございます、レオンハルト。おいしいですよこの……なんでしょう、ゼリー?」


パクリ、口に含めば広がる酸味を帯びた爽やかな味。

喉越しの良いそれを堪能しながら、桜は思い出していた。

あの時、社で願った言葉。


『愛し愛されながら立場や身分の違いから結ばれない、そんな桜子みたいな切ない体験を是非とも! させて頂きたいのです!』


――――まさか、ね。



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