手違いで逆行転生させちゃったんで頑張って逝ってくださいっ。
最初に言っておく。私には入信している宗教はなく、信仰に関する知識など皆無だ。信教の自由が認められているこのご時世、なんともったいないことに、堅実なる信仰といったものを持ち合わせていない。
今こそ、不安の募る日々のつづくこういうときだからこそ、心の支えとなる唯一伸だかなんだかがいてくれるといいんだが……どうやら私のスマホは、ユイイツシンすらまともに変換できないようだ。我が辞書にその文字はないとでもいうのか。かみさまはしんだのかおい。
というわけで、私の前に現れた天使とかいうやつは、おそらく本来の姿をしていない。ナポレオンハットに赤縁眼鏡、はやりの猫耳をつけたセーラー服の美少女である。その訳のわからなさは、たとえこの少女がコンテクストを無視して機関銃を取り出してぶっぱなしてきたところで、この私を別段驚かせはしないだろうと思わせるには十分だった。
この奇妙な、しかし魅惑的な美少女の印象をもっと語りたいところだが、あいにく私の語彙力ではここまでだ。もっと分厚い辞書を買って勉強すべきだった。……この程度の描写、特に少女の美なるについてなんら語ることの敵わなかったこの程度の文章から、たとえばこの少女のイメージを具象化して絵に描くことのできるやつがいたとしたら、それは私にとってとんでもない驚きだ。それを「ファンアートです」とでも言って堂々とネット上にアップできるものならなお驚きだ。
さて、観念して本題に進もう。ここまでくるのに、もうだいぶかかってしまったのだから。
その天使とやらが、私の前に現れて、こうのたまった。
「言いにくいんだけどさ……、間違えて逆行転生させちゃって……」
私は耳を疑った。いや、こいつの猫耳のことじゃない。私自身の耳の機能だ。
「悪いんだけど、あんた、昇天できてないのね」
「昇天?」
別にこの天使の声が変に聴こえたとかでもない。美少女の声帯からとは思えないほどの低音ボイスだとか、間違ってもそんな話じゃない。
「あ、死んだってところから説明すべき?」
こやつ……、なぜそこでウインクをする。危うく、訳のわからないまま逝ってしまうところだったわ。こういうのを悩殺というのか、勉強になる。—— と心中につぶやいた刹那、
「ばきゅーんっ」
……さすがにこれは幻聴か。いや、そもそもが幻か。とにかくこいつの言うようには、私はもう死んだってんだからな。
え、ウソ。死んでるの、私……!
—— という具合に、私が紆余曲折の思考を経て私自身の死というどうやら現実らしいこの事象を理解したところで、天使とやらは話を進めた。
「あんたが死んだのは、今から三日後。今はやりの何文字で死んだってのでいうと、えっと……」
「え、それ勝手にネタにしていいやつ? 余命何文字っていう、人様の作品だろ?」
「怒られるかな? じゃ、やめとくね。まあいいわ、文字数リーダにぶちこむ手間が省けたわ」
これだけで十分、不謹慎なパロディになってると思うが……、まあいいか。それより大事なのは、目下の私自身のことだ。
もはやなにが大切で、なにが不要不急なのかわからないのに、わかった気になっているような人間が多すぎるこのご時世において、天使はまるで世間話でもするかのように、井戸の縁に手をおいて、おもちゃの銃を弄りながら私の今の状況についてのたまうのだが、「あ、ルビーが落ちちゃった」とか言って井戸の底を指差すので私も覗いてみると、たしかにそこには《まさぐ》と記された真っ赤な宝石が落っこちていて、「『弄』という字から落ちちゃったのよ」と、悪魔も憐れみを見せるような可憐な声でつぶやいてみせた。
いや、そんなことよりも私自身のことだ。
「で、私はどうなる?」
「うん」
天使は即座にその表情を変化させて、小悪魔的な気の取り直しかたを披露すると、こうつづけた。
「ほんとは昇天させなきゃいけなかったのに、間違えて転生させちゃったもんだから、あんたには苦労をかける」
「苦労とは?」
「お手元の辞書のカ行の欄」
「何ページ……って、今持っとらんわ」
「このご時世に渾身のノリツッコミじわる」
「『渾身』ルビつけたげて」
「高価なのよ、ルビ」
「金かかんのかよ、幾らだよ!」
「だから、無駄に使うなってば」
おっと、天使のペースにのせられるところだった。
そう、目下大事なのは……これから私がどうなるか、あるいは、なにをどうなすべきか……ということだ。
しかし、結局のところ、天使はあまり肝心なことをつぶさにのたまってはくれなかった。
あたかも、やりたかったネタはやり尽くしたとでもいうように、また、ある種の作家先生が、「書きたいシーンを終わって物語を完成させなくちゃならんという段になると、これまで取りつかれるように筆を急いでいた物語への熱がさめて、とたんにどうでもよくなってしまうのだね」と憂え顔でのたまうかのような、まさにそんな顔つきで、天使はさらりと事務的なトーンで言って消えていった。
「恐縮なんですが、次の仕事がありますので。自力で頑張って逝ってください」
―― 取り残された私は思った。せめて、もういちどだけウインクしてってくれよ、と。