5月15日 5
草むらに、白い猫が一匹横たわっていた。目を半開きにしたまま、口から泡を吹いて死んでいる。
Tシャツにジーンズ、腕に包帯姿の男……紺野は、その傍らにしゃがみ込んで死んだ猫をじっと見つめていたが、やがてそっと腕を伸ばし、半開きの目をなでて閉じてやった。
「紺野」
振り返った紺野の目に、体育館から出てきた寺崎と玲璃の姿が映る。
「その猫は?」
玲璃の問いに、紺野はいくぶん沈痛な面持ちで答えた。
「多分、この猫に意識を移していたんだと思います。力の放出に、この小さな体では耐えられなかったんでしょう」
紺野は立ちあがると、何を探しているのかキョロキョロと辺りを見回している。すると、ふいに寺崎がくるりと踵を返し、どこかへ足早に立ち去った。程なくして戻ってきた寺崎の手には、スコップが握られている。
「……寺崎さん」
驚いたように自分を見つめる紺野を尻目に、寺崎はザクザクと木の根元を掘り始めた。ある程度の穴が掘り終わるとスコップをわきに置き、白い猫を抱き上げてその穴に横たえ、上からそっと土をかぶせて平らにならす。
「これで、いいか?」
土をならしながら寺崎が問うと、紺野は戸惑いながらもうなずいた。
「ありがとうございます」
寺崎は首を振ると立ち上がり、パンパンと手についた土を払っていたが、ふとその動きを止めると、紺野を横目でにらんでため息をついた。
「……で、おまえ、どうすんだよ」
「え?」
寺崎は無言で紺野の足を指さした。例によって裸足だった。
「……あ」
しまったというように小さく声を上げた紺野を、寺崎は眉根を寄せて不機嫌そうに見下ろしている。
「すみません……」
小さくなって下を向く紺野の様子を見て、玲璃は慌てて助け船を出した。
「仕方ない、紺野は急いで来てくれたんだから。寺崎、そんなことで怒らなくても……」
「俺は、そんなことで怒っちゃいません」
そう言うと寺崎は、紺野を鋭く見据える。
「おまえ、さっき、わざと遅れただろ」
紺野はハッとしたように動きを止めた。
「わざと? どういうことだ?」
いぶかしげな表情の玲璃を横目に、寺崎は厳しい目で紺野をにらんでいる。
「本当は、最初の電灯の落下も止められた……違うか? 紺野」
寺崎の言葉に、玲璃は大きな目をさらにまん丸くして紺野を見た。
紺野は足元に目を落として視線を合わせようとしなかったが、やがて小さな声で答えた。
「気づくのがぎりぎりだったのは本当です。寺崎さんの行動で、間に合いそうだったので……」
語尾を飲み込んでうつむいている紺野と、腕を組み、不機嫌そうな表情でそれを見つめる寺崎。玲璃は二人の間に、普段とは違う張り詰めた空気を感じて戸惑っていた。
ややあって、寺崎は深いため息をつくと、おもむろに口を開いた。
「もう、気にしてねえよ」
顔を上げ、おずおずと自分に目を向けた紺野に、寺崎は肩をすくめてみせる。
「おまえはおまえの、俺は俺の役割を果たせばいい。今回みたいに、異能で起こされた案件に関しては、俺はどうあがいても手の出しようがねえ。異能の対処はおまえが得意なんだから、俺がどうとか気にせずに、おまえがガンガン前に出ればいいだけの話だ。違うか?」
紺野は黙って寺崎を見つめている。
「役に立つとか立たねえとか、ガキみたいなこと言ってる場合じゃねえ。それよりは、総代にケガのないことの方が大事だ。……だからさ、」
寺崎は言葉を切ると、怖いくらいの目で紺野をにらんだ。
「もう二度と、今日みたいなマネすんな。分かったな」
紺野は寺崎の視線から逃れるように目を伏せると、深々と頭を下げた。
「……はい。すみませんでした」
「じゃ、もう終わり!」
寺崎は、さっきまでの表情がウソのような明るい表情でこう言うと、きょろきょろと辺りを見回し始めた。
「ところで紺野、照明、どこにやったんだ?」
「あ、それは……」
紺野は言いよどんでから、おずおずと校庭の片隅を指さした。
「……!」
怜璃と寺崎はあっけにとられた。校庭の片隅、体育倉庫脇のスペースに、体育館の照明が無造作に山積みになっていたからだ。
「すみません。急いでいたので、場所を考える余裕がありませんでした」
申し訳なさそうに下を向く紺野をあっけにとられたように見つめてから、寺崎と玲璃は顔を見合わせて、二人同時にぷっと吹き出した。
「やっぱ面白いな、おまえ」
「ほんとほんと。聞いたぞ。おまえ、リレー選に選ばれたそうだな」
遠慮がちにうなずく紺野に、玲璃はいたずらっぽく笑って見せる。
「私もリレー選だ。明日からよろしくな」
紺野は目を丸くすると、ニコニコ笑顔の玲璃と、うんうんうなずく寺崎を、交互に見やった。
「なにせ魁然系だからな、俺らは。朝練は、俺たち勢ぞろいだぞ、多分」
「ま、それだけ危険も多くなるってことになるけどな」
何気ない玲璃の言葉に、二人は表情を改めて黙り込む。
「……平気っすよ」
気を取り直したように、寺崎は笑った。
「俺たちがついてますから。な、紺野!」
言うやいなや、紺野の背中を平手でぶったたく。紺野は目を丸くして思わずよろけた。
「頼むぞ」
玲璃はそんな二人の様子を見て、安心したようにほほ笑んだ。寺崎もにっと明るく笑い返す。
だが紺野は、明るく笑う寺崎の横顔を、そこはかとなく不安そうに見つめていた。
☆☆☆
「すみません、また付き合わせてしまって」
夕刻の斜光に照らされて黄金色に染まった河川敷を、二人は歩いていた。体育館履きを履いた紺野は、長く伸びた影を後ろに従えて、申し訳なさそうに寺崎の斜め後ろを歩いている。自転車もないので、二人は歩いて家に帰ることになったのだ。
「いいよ。いつものことだろ」
夕日に向かって歩きながら寺崎はこう言ったが、ふいに後ろを振り向いた。
「つか、おまえ、マジで大丈夫なんだよな」
「え? はい。大丈夫です」
寺崎は今ひとつ信用できないというような顔で紺野をにらむ。
「また、熱出したら承知しねえぞ」
紺野は居心地が悪そうにうなずくと、黙り込んだ。しばらくの間、二人は長く伸びた影を引きずりながら、川風の吹き抜けるサイクリングロードを無言で歩いていた。
「……寺崎さん」
「ん?」
紺野は足元を見つめたまま、言いにくそうに口を開いた。
「先ほど、寺崎さんは、僕は異能が得意だから、そういう件は任せると言ってくれましたが……どうやら、僕は、精神的にショックを受けたり、相手が普通の人間だったりすると、能力発動が抑えられてしまうようなんです」
寺崎は背後に目線を流して紺野を見やる。
「ですから、今後も昨日のようなことが起こって、また皆さんにご迷惑をおかけするかもしれません。すみません。僕自身、ここまでとは思っていなくて……もう少し、何とかなるんじゃないかと思っていたので……」
寺崎は鼻でため息をつくと、吹っ切ったような表情で夕日を眺めた。
「別にいいじゃねえか」
紺野は顔を上げると、逆光に照らされる寺崎の後ろ姿を見つめた。
「そこまで何でもできるやつなんて、かえって気持ち悪いだろ? いいんだよ。人間、そのくらいの方が」
寺崎は紺野の方に体を向けると、後ろ向きに歩きながらにっと笑ってみせる。夕刻の斜光が、その顔をオレンジ色に縁取っていた。
「俺は異能に弱くて、おまえは人間に弱い。でも、反対に考えてみれば、俺は人間に強くて、おまえは異能に強い。だったら、怖いもんねえじゃねえか」
紺野は大きく目を見開くと、言葉もなく寺崎を見つめた。寺崎はそんな紺野の頭を、ぐしゃぐしゃっとなで回す。
「気にすんな。おまえは、おまえでいいんだ」
そして、自分に言い聞かせるようにつぶやいた。
「俺も、俺でいいんだ。……違うか?」
紺野は何とも言えない表情で寺崎を見つめていたが、やがて、深々とうなずいた。
「そうですね。本当に、その通りです」
寺崎は前を向くと、夕日を受けて輝く川面に目を向けた。
「俺は俺のできることをする。おまえも、おまえのできることをしろ。逆に、できないことは俺に言え。俺が何とかする。俺も、できないときはおまえを呼ぶから。……それで、いいだろ?」
紺野は何だか泣きそうな顔でうなずいた。
「よろしくお願いします」
振り返って笑いかけた寺崎に、意を決したように紺野がまた頭を下げた。
「今日は、本当にすみませんでした。また、あなたに失礼なことをしてしまったみたいで……」
「いいよ」
寺崎は首を振り、肩をすくめて笑った。
「だからこそ、おまえなんだから。ああやって考えすぎて、とんちんかんなことをしちまうのが、おまえなんだから」
寺崎は歩みを止めた。くるりと後ろを振り返って、いたずらっぽくこう言う。
「そんなんも含めて、俺はおまえが好きなんだ」
紺野は目を丸くして立ちすくんだ。ただでさえ夕日に照らされて赤く染まっている顔が余計に真っ赤になり、それを見た寺崎は腹を抱えて大笑いし出す。
「おまえってホント、何て言うか……かわいいよな」
恥ずかしそうに下を向きながら、紺野も少しだけほっとしたように、笑った。