5月15日 2
ホームルームも終わりガヤガヤと騒がしくなった教室。その片隅で黙々と荷物をまとめる寺崎に、三須が声をかけてきた。
「寺崎、体育館、一緒に行こう」
「え? ああ」
言われて初めて、このあとリレー選の顔合わせがあることを思い出したのか、寺崎は目を丸くすると、慌てたように荷物を手にして立ち上がった。
その目がふと、三須の背中に隠れるようにして立つ、長い黒髪を一つに束ねた眼鏡女子の姿をとらえる。
「あれ、えっと……」
その反応に、三須は上目遣いで寺崎をにらんだ。
「いずるちゃん。リレー選の仲間だぞ、忘れんな」
「あ、そっか。ごめんごめん」
寺崎が慌てた様子で謝ると、出流は目線を落として首を横に振った。
三人は体育館に向かって歩き始めた。並んで歩く寺崎と三須の後ろを、出流が黙ってついていく。
「でも寺崎、今日一日、ほんっとに元気なかったね」
「……そうか?」
三須の言葉は、客観的に見ても自分が明らかに落ち込んでいたことを意味する。寺崎は少々情けないここちがして、鼻でため息をついた。
寺崎は、まだ昨日のことを引きずっていた。
紺野がどうとかいうことではない。ことが起きても思うように役に立てない自分自身が腹立たしく、みじめだったのだ。
魁然の血を引いているとはいえ、しょせん普通の人間との混血に過ぎない自分にできることはたかが知れている。そんな劣等感に苛まれ、もやもやした気分を抱えていたことに加え、紺野のいない状況下、気を張ってあの子どもの出現に備えていたこともあり、そういえば休憩時間も昼食も、ほとんど誰とも関わらず一人で過ごしていた。
寺崎は苦笑いを浮かべると、再びため息をついた。
「俺の紺野が休んでるからかな」
「紺野くんどうしたの? 風邪?」
「たいしたことねえよ。明日には登校できっから」
そう言ったきり、寺崎は黙り込んで遠くを見つめている。三須もそれ以上何も言えず、三人は黙々と体育館へ向かって歩いた。
体育館に入ると、すでにおおかたのリレー選手が集まっていた。この学校は一学年六クラス。体育祭ではAからEまでのクラスごとに男女混合で縦割りになってリレーを競う。寺崎達はB組白の列に並んだ。
と、寺崎は隣のA組の列に、見慣れた顔があることに気がついた。
「……魁然先輩⁉」
寺崎の声に、玲璃が目を丸くして振り返った。
「何だ寺崎、おまえもリレー選か?」
「はい。先輩も?」
玲璃は恥ずかしそうに笑いながら肩をすくめた。
「私はごまかすのが下手で……毎年やってる。魁然系だから仕方ないな。ほら、D組を見てみろ」
玲璃の指さす方を見た寺崎の目に、ぶぜんとした表情で立っている柴田の横顔が飛び込んできた。
「……やっぱ、魁然系ですからね」
感心したようにうなずいた寺崎だったが、玲璃と顔を見当合わせた途端、こらえきれなくなったようにぷっと吹き出した。
柴田に気付かれないよう声を殺して肩を震わせていた玲璃は、B組のメンバーを見やると、何に気づいたのか笑いを収めて首をかしげた。
「おまえのクラス、三人しかいないのか? あと一人は?」
寺崎は意味ありげな笑みを浮かべてみせる。
「明日のお楽しみにしますか?」
「? 明日って……」
不思議そうにそう言ってから、玲璃ははっとしたように目を見開いた。
「……まさか、紺野か?」
寺崎がくすくす笑いながらうなずくと、玲璃は口をあんぐり開けて固まっていたが、やがて感心したようにため息をついた。
「ほんと、なんていうか、あいつって意外性の固まりだな。見た感じ、運動とは無縁のような雰囲気なんだけど」
「ぽやーっとした感じですからね。でも取りあえず、みんな一緒にいられるみたいで安心っすね」
その言葉に、玲璃はなんともうれしそうにほほ笑んだ。
「そうだな。これで、なにがあっても一蓮托生だ」
唐突な四文字熟語に、寺崎は思わず吹き出した。
「そういうとき使いますっけ……それって」
と、壇上に教師が上がった。説明が始まるらしい。寺崎と玲璃も、話を止めて壇上に目を向けた。
☆☆☆
「はっくしゅん!」
居間でアイロンをかけていた紺野が派手なくしゃみをしたので、人参の皮を剥いていたみどりは驚いて振り返った。
「大丈夫? 紺野さん。熱でもあるのかしら?」
急いで車椅子を近寄せると、腕を伸ばしてその額に手を当てる。
「……熱はないみたいだけど」
紺野は赤くなって頭を下げた。
「大丈夫です。たぶん、ほこりか何かでしょう。すみません」
「誰か、ウワサでもしてるのかも」
みどりはそう言って笑うと、アイロンをかけ終えた洗濯物を受け取った。
「これが終わったら、ひと休みしてくださいね。明日からまた、学校でしょ」
「大丈夫です。神代さんが本当にしっかり治してくださったみたいで」
そう言うと、神妙な顔つきになる。
「いつか、お礼にうかがわなければ。また、ご迷惑をおかけしてしまって……」
「それに関しては、神代先生は結構ですからと何度もおっしゃっていましたよ。お忙しい方ですから、行くとかえってご迷惑なんじゃありません?」
「そうかもしれませんね。でも、本当に申し訳なかった」
「紺野さんの気持ちは、何かの機会に表していかれればいいと思いますよ。とにかく今は、ご自分の体を第一に考えてくださいね」
そう言うと膝に洗濯物を載せ、出入り口の方に車椅子を向ける。紺野は小さな声で「はい」と答えると、再びアイロンを手に取った。
が、ふと何か考えるように動きを止めると、ぽつりと口を開いた。
「寺崎さん、大丈夫でしょうか」
みどりは車椅子を止め、顔だけを紺野の方に向ける。
「あれから、元気がないようでしたが……」
「そうね」
みどりはうなずくと目線を落とし、複雑な笑みを浮かべた。
「あの子はあの子なりに、皆さんの役に立ちたい気持ちがあるんでしょう。でも、なかなか思うとおりにいかないから……仕方ないですね。人生なんて、そんなものでしょ」
そう言うと、紺野ににっこりと笑いかけてみせる。
「大丈夫。そのうちに、あの子なりの答えを見つけ出すでしょう。何たって、私の自慢の息子ですもの」
そう言って明るく笑うみどりを、紺野はまぶしそうに見つめた。