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輪廻  作者: 代田さん
第二章 友達
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5月14日 4

 静かな居間に、時計の秒針が進む音だけが、きちょうめんに一定の間隔を刻んで響く。

 紺野の部屋の前では、寺崎が扉前の壁により掛かり、腕を組んで黙って立っている。暗い表情で、じっと扉を見つめて動かない。

 奥の台所から、みどりがやって来た。


「どう?」


 寺崎は黙って首を振ると、腕時計にちらりと目を向ける。時計の針は九時をまわっている。あれから五時間。亨也と紺野はこの部屋に入ったきり、物音ひとつしない。


「紺野さん、大丈夫かしら……」


 不安そうにみどりがつぶやいたが、寺崎は言葉を返さなかった。

 寺崎は自分が許せなかった。紺野を守ると豪語しておきながら、肝心の時に何もできなかった、自分が。しかも、あんなつまらないことでケンカをしたばっかりに。

 寺崎は生徒会室で感じた、弱々しい紺野の意識を思い出す。彼は約束通り、自分を呼んでくれた。それなのに、助けてやることができなかったのだ。それを思うたび、胸を押しつぶされるような息苦しさに襲われた。役立たずで力のない自分が、いとわしくて仕方がなかった。

 同時に、紺野の能力の不安定さも再確認した。あの時、渋谷で彼が見せた強さは、相手が鬼子本体であればこそで、やはり間に普通の人間をはさまれれば、紺野は能力を使うことができなくなる。それはもう、本人の努力でどうにかなるものではなく、言ってみればPTSD(心的外傷後ストレス障害)のようなもので、かなり時間をかけなければ改善のしようもないことなのだ。それを今すぐ何とかしろというのは酷な話であり、改善するまでの間は、周りにいる人間がフォローしてやるべきなのだ。それを今更ながら再確認させられ、寺崎は紺野に対して申し訳ないような、顔向けができないような気がして、どうにもやりきれなかった。


「……畜生!」


 つぶやくと、拳で自分の足を力いっぱい殴りつける。さっきから何度も同じ所を殴りつけているのを、みどりは知っている。


「コーヒー淹れたから、飲まない? そんなところに立っていないで……」


 寺崎が、無言で首を横に振った時だった。


「どうぞ、お入りください」


 部屋の中から、享也の声が響いてきた。寺崎は弾かれたように顔を上げると、ノブを回すのすらもどかしく扉を開ける。

 ベッドには、着替えさせる時についてしまったのだろう、血のついたパジャマを着た紺野が横たわっていた。枕元に寄せた椅子には白衣姿の亨也が座っていて、寺崎が入ってくると小さく頭を下げた。


「総代、紺野は……」


 寺崎は亨也を一瞥いちべつもせず、ベッドの上の紺野に目を向けたまま、早口で問う。不躾ぶしつけな態度にもかかわらず、亨也は優しいほほ笑みを浮かべた。


「ここは病院じゃありませんから、遠慮なく治させていただきましたよ」


 寺崎は紺野の顔をのぞき込んだ。彼は静かに眠っているようだった。その顔にはまだ少し血がこびりついてはいたが、呼吸はすっかり落ち着いていて、額の傷も跡形もなく消えていた。


「……よかった」


 寺崎はため息とともにつぶやくと、張り詰めていた緊張の糸が切れたのだろう、力が抜けたようにベッド脇にへたり込んだ。


「貧血と痛みが残るので明日は休んだ方がいいと思いますが、あさってには登校も可能でしょう」


 そう言って立ち上がった亨也に、みどりが深々と頭を下げた。


「本当にありがとうございます、先生。何とお礼を申し上げたらよいか……」


 亨也はかぶりを振った。


「とんでもない、ここまでひどいことになったのは、あの子どもの気配を感じることができなかった私の責任でもあります。ご心配をおかけしてしまって、本当に、申し訳ありませんでした」


「とんでもないです。神代先生、よろしければ、ひと休みしていかれませんか? 今ちょうど、コーヒーを淹れたところなので」


「それは嬉しいです。喜んで」


 みどりが先に立って部屋を出る。亨也もその後に続いたが、部屋を出る際、ちらっと寺崎に目を向けた。

 寺崎はぼうぜんと床に座り込んだままで、微動だにしていない。

 亨也は悲し気にほほ笑むと、静かに部屋の扉を閉めた。

 寺崎はベッド脇に座ってぼんやりと部屋の壁を眺めていたが、扉が閉まる小さな音が聞こえると、その音に反応するかのように首を巡らせて、紺野の顔に目を向けた。

 規則的で静かな呼吸を繰り返しながら、穏やかな表情で眠っている紺野。横顔だと、そのまつ毛の長さがより一層際だって見える。


――長え、まつ毛。爪楊枝が載るとか載らないとかで、大笑いしたっけ。


 その時の、紺野の明るい笑顔を思い返した、刹那。寺崎の目から、せきを切ったように涙があふれた。


「ごめん、紺野。本当に、……ごめん」


 握りしめた拳に、大粒の涙が次々にこぼれ落ちる。寺崎はそうしてしばらくの間、声を殺して背中を震わせ続けた。



☆☆☆



 コーヒーを飲む亨也の端正な横顔を、みどりはじっと見つめていた。


「どうかしましたか?」


 視線を感じた亨也に問われて、みどりは赤くなると慌てて目線を逸らした。


「いえ、すみません。神代先生があんまりステキなので……」


「それは光栄ですね。ありがとうございます」


 ほほ笑む亨也の顔にみどりはもう一度視線を合わせると、ふいにこんなことを口にした。


「紺野さんって、神代先生に似てません?」


 亨也はコーヒーを飲む手を止めて、みどりを見つめ返した。


「あの子も本当にステキな子だから……。同じ神代の血統だからでしょうか」


 享也はほほ笑むと、みどりから目線を外してコーヒーカップを置いた。


「……それもあると思います」


 みどりもカップをとってコーヒーを口にすると、深い安堵あんどのため息をついた。


「でも本当に、今日はびっくりしました。先生にいらしていただけて、本当によかった……」


 亨也はそんなみどりを黙って見つめていたが、ややあって、遠慮がちに口を開いた。


「ひとつ、聞いてもよろしいですか」


「? はい」


 亨也は慎重に言葉を選んでいるのか、しばらく黙ってから、おもむろに口を開いた。


「私は、寺崎さんからあの男を受け入れると聞いたとき、実は、信じられなかったんです。あなた方は、あの事件で直接的な被害を受けて、そのためにたいへんな思いをなさってきた。軋轢あつれきもあったでしょうに、それを乗り越えてあの男を受け入れるに至ったのは、いったいなぜなのか……ずっと、お聞きしたいと思っていたんです。本当に不躾ぶしつけな質問で、失礼は重々承知の上なのですが」


 そう言うと、軽く頭を下げる。


「答えたくなければ、何もおっしゃらなくて結構ですので」


 するとみどりは、ほほ笑みながら小さくかぶりを振った。


「別に、たいしたことじゃありません。簡単なことです。あの子は悪い子じゃないと、そう思ったからです」


 みどりは遠い目をしながら、穏やかな表情で言葉を継いだ。


「あの子は、思いやりのある優しい子です。確かにあんな事件を起こしたのかもしれませんが、きっとそれにはそうならざるを得ない事情があった。あの子なら許せると、私は確信したんです。だから、あの子を受け入れました」


 そこまで言ってから、いくぶん恥ずかしそうに亨也を見やる。


「……こんなので、答えになってますかしら?」


 亨也は深々とうなずいて、頭を下げた。


「十分です。ありがとうございます」

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