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輪廻  作者: 代田さん
序章
9/203

9.自殺

 鉄骨の上にたたずむ順也は、夜風に吹かれながら、ぼうぜんと遠くきらめく町の灯りに目を向けていた。

 ここは、建設中の高層ビルの上かなにかだろうか。気がつくと、高くそびえる骨組みの建造物の上に順也は立っていた。あの留置場からどうして自分がこんなところに転移したのか、彼は何となくわかってはいたが、そんなことはどうでもよかった。

 辺りはすっかり夜の闇に包まれている。所々にある裸電球だけが光源のためか、非常に暗い。足元がようやく見えるか見えないかという状況の中で、彼は鉄骨の柱に震える体をもたせかけた。

 震えが止まらないのは、背後に感じ続けている気配のせいではない。先ほどの警官の悲しげな死に顔が、頭にこびりついて離れないのだ。


――本当に、僕は殺してしまったのか?


 そのあまりにも受け入れがたい事実に、体の震えが止まらず、四肢には全く力が入らない。彼は両手で自分の肩を抱くと、目を固く瞑った。


【コロシタ】


 ふいに邪悪な意識が順也の脳を貫いた。

 彼はゆっくりと振り返り、背後の暗闇に目を向ける。

 そこは暗闇に閉ざされ何も見えないが、彼の鋭い感覚は先刻から、そこに「やつ」の気配を感じとっていた。


【コロシタ】


 含み笑いの、気配。


「……何がおかしい」


 やつは皮肉めいた薄笑いを浮かべて――顔は見えなかったが、そんな感じだった――こんな言葉を送信してきた。


【オナジ】


「どういう意味だよ!?」


 順也はたまらず声を荒げた。


「僕とおまえがか? 冗談じゃない! 何が同じなんだ? 僕はおまえみたいな化け物じゃない!」


 返ってきたのは、赤子の含み笑いの気配だけだった。


「何を笑ってるんだ? そうやって余裕かましてられるのも今のうちだ。おまえが何度生き返っても、僕は絶対におまえを見つけ出して殺してやる! 今ならおまえはまだ赤ん坊だ。体力では、僕に勝てない……」


 言いながら、姿勢を低くして意識を集中する。白く輝くエネルギーが見る間にその手元に集積し、目映い閃きを放ちながら球形に凝縮される。


――そうだ。今は、こいつを殺すことだけを考えていればいい。そうすることが僕の責任なのだから。


 彼は余計な妄念を振り切るように、赤子の気配のする方向に、高度に圧縮した白い気の塊を放出した。

 エネルギー塊に包まれた赤子の姿が、一瞬で光に溶けて見えなくなる。辺り一帯は昼間以上に明るくなり、同時に、鉄骨が崩れ落ちる轟音がそこかしこから響き始めた。どうやら赤子は、建物の構造上、非常に重要な場所にいたらしい。彼の周囲も次々と崩れ始め、足元を支えていた鉄骨もタガが外れ、足場を失った彼の体は重力に引かれるままに自由落下を開始した。


「……!」


 みぞおちに感じる浮遊感に心臓が縮み上がるような恐怖を覚え、呼吸すら忘れて凍り付く。 


――ダメだ! このままでは死ぬ……。


 思わず固く目をつぶった、瞬間。彼の体は重力から解放され、ふわりと宙に浮いていた。

 重力操作ができることなど、まともに能力を使ったこともなかった彼は知る由もなかった。初めての経験に混乱しつつも、なんとか体勢のバランスをとると、足場も何もない中空に、まるでそこに体を支える床面があるかのごとく直立の姿勢で立つ。順也は小さく息をつくと、額から噴き出した冷や汗を拭った。

 しかし、ホッとしている暇などない。眉根を寄せ、順也は前方の暗闇をすかし見る。

 眼下に広がる街の明かりに照らし出され、目の前の空中に浮かんでいる誰かの小さな姿が見える。誰かとは……「やつ」に決まっている。

 町の明かりは、嫌味たらしい薄笑いを浮かべた「やつ」の表情までもはっきりと照らし出している。一体何がおかしいというんだ。彼は無性に腹が立った。


「笑うな!」


 叫ぶと同時に小ぶりのエネルギー弾を機関砲さながらに連続射出する。初めての空中戦、しかも相手との距離は百メートル以上。一発で命中させられるほどの腕は当然順也にはなく、命中確率を上げるには小型化、分散化し、雨あられのように降り注がせるしかない。とはいえ、小型化すれば威力が減ずるのは道理。雨あられと打ち込んだ白い気は高密度の赤い防壁シールドに飲まれ、赤子の体に到達する前に全弾があえなく蒸発した。


「くそっ!」


 順也は歯噛みした。いくら弾数を増やして命中率を上げたところで、防壁に阻まれたのでは意味がない。弾数が多い分、威力が低いわりに消耗も激しく、こんなことを続けていたら不利になるのは目に見えている。ミサイルさながら一弾一弾を高密度に練り上げて精密に命中させた方がまだ勝機はあるだろう。順也は深呼吸すると、右手の人差し指を拳銃さながらにまっすぐ赤子に差し向け、指先に高密度の気を練り上げ始めた。

 その間、赤子は逃げる様子も反撃する様子もなく、ニヤニヤしながら順也を眺めているだけだった。当てることなど到底不可能だと言わんばかりのその態度に、ただでさえささくれ立っていた順也の神経は思いっ切り逆なでされた。きつく奥歯を噛みしめると、ありったけの念を込めた渾身の一撃を放つ。

 赤子はニヤニヤ笑いを浮かべながら、弾が当たる寸前にほんの数メートルだけ右側の空間に転移する。順也の渾身の一撃は、夜の闇を切り裂いてあっけなく虚空のかなたに消えた。

 ありったけの念を込めた一発があっさり無駄うちに終わった現実に打ちのめされ、ぼうぜんとしている順也を見て、赤子は楽しそうに声をたてて笑った。順也の血圧は一気に跳ね上がり、こめかみの血管が青く浮き出る。こんなヤツ、あの一撃が当たりさえすれば跡形もなくこの世から消し飛んでいたはずだ。次こそ当てて目にもの見せてやる……「当てる」ことができるかどうかが最大の問題なのだが、この時の順也は完全に冷静な思考力を失っていた。順也は右手をまっすぐに赤子に差し向けると、先ほど失敗したのと全く同じやり方で、しかしエネルギーのレベルだけは先ほどよりさらに数倍高めた強力な弾を練り上げた。


「当たれ……!」


 的確に照準を合わせる冷静さすら失っていたのか、最高の念を込めて発されたその弾は、薄笑いを浮かべる赤子の脇を紙一重ですり抜けていった。

 順也ははっとした。薄笑いを浮かべる赤子の背後に、高層マンションの窓の明かりが輝いていることに気が付いたのだ。

 順也が息を呑み、何か言いかけるように口を開きかけた、刹那。

 辺り一帯が、目も眩むほどの白い輝きに包まれた。

 輝きの中央に、ちょうど真ん中辺りからぼきりと折れるように崩れ落ちる高層マンションのシルエットが浮かび上がる。

 数秒の間ののち響き渡った轟音が辺り一帯を揺るがせ、衝撃波と爆風がマンションを中心とした同心円状に一気に広がる。爆風で窓ガラスが割れ、電線がちぎれて停電が起こり、町のあちこちで悲鳴があがった。

 まるで砂でできていたかのように崩れ去る高層マンション。全棟が崩壊するまでには数十秒にも満たない時間しかかからなかっただろう。だが順也には、その光景はまるで無声映画をコマ送りで見ているような、ひどく長いものに感じられた。

 そこで生活していた何百人もの人々。崩落の瞬間に彼らが見、感じ、考えたことが、まるで津波のように彼の頭に一気に流れ込んできた。崩落の直前まで、いつものように一日を終え、いつもと変わらない日常を送っていた彼らを襲う、突然の理不尽で強制的な、死。穏やかな生活も、ささやかな幸せも、平凡な日常も、全てが一瞬のうちに、他ならぬ彼の撃った一発によって、無残にも崩れ去っていこうとしている。


「……!」


 彼は頭を抱えて、叫んだ。もはや声にはならなかった。

 赤子は満足げな笑みを浮かべながら、ゆっくりと先刻のセリフを繰り返した。それはまさに、死刑の宣告に等しかった。


【オナジ】


 背筋を駆け抜ける戦慄せんりつに、順也は呼吸すら忘れて凍りついた。


――そうだ。同じだ。僕はこいつと同じだ。訳の分からない力を使い、多くの人を死に至らしめ、その生活を奪い……。


 両手をわななかせながら、瞬きすら忘れたように目の前で不敵に笑う赤子を見やる。


――そうだ。僕もこいつと同じ化け物なんだ。こんなにも恐ろしい化け物がすぐ側にいたことに、今の今まで気がつかなかった。赤ん坊(こいつ)を殺すより先に、もっと早く、簡単にできることがあったのに……!


 ショック状態から来る一種の錯乱とでも言うべきか。だがこの思いは、彼が心ひそかにずっと抱き続けていたことでもあった。裕子との出会いでここしばらくは忘れていたが、このことは幼い頃からずっと、頭の片隅で、通奏低音のように願い続けてきたことだったのだ。

 彼は自分の体を支えていた能力を解いた。

 持続的に放出されていた白い気が、空気中に拡散しながら消失するとともに、彼の体は重力の法則に従って落下を開始する。彼の表情はしかし、安らぎとは程遠いものがあった。自分の死などで全てが償えるわけがないことは重々承知の上だった。だが、彼にできることはそれしかなかった。そうせずにはいられなかった。これ以上、生きていたくなかった。

  赤子は夜空に浮遊しながら、その一部始終を黙って見ていた。



☆☆☆



 この事件は、バブル崩壊直後の日本全土を震撼しんかんさせるものとなった。

 TV、新聞は毎日のようにこの事件を取り上げ、順也を「恋人を妊娠させた上、それが分かると逆上し、惨殺に及んだ異常犯罪者」と位置づけて、彼の生い立ち、いかに彼が人と違った環境で育ったかを垂れ流すように報道し続けた。同時に起きた原因不明のマンション倒壊事故と合わせて、数日間はその話題で新聞もテレビも持ちきりだった。

 しかしそんな中、一人の赤ん坊がこの小さな病院に届けられたことなど、ほとんどの市民は知る由もない。

 赤ん坊を届けたのは、日課の早朝ジョギングをしていた若い女性だった。


「幸い、低体温にはなっていないようですけど、こんな寒空の下で、かわいそうに……。それにしても警察、遅いですね。時間、大丈夫ですか?」


 看護師は赤ん坊の状態を確認しながら、警察の到着を待つ女性に話しかけた。


「大丈夫です。きっと忙しいんでしょう。警察も大変ですからね、このところ大事件の連続で」


 そのうら若い女性は、苦笑いをしながら看護師を見やる。


「本当に、ひどい世の中になったもんですよ。あの事件の犯人も、孤児だったっていうじゃないですか。こんな風に子どもを軽々しく捨てたりする親がいるから、あんな事件は起こるんですよ。まったく」


「自殺したんですよね、その犯人」


 点滴の処置をしながら看護師はため息をつきつつ首を振った。


「頭がおかしかったんでしょ。マンションは倒壊するし、ホントに、今の世の中何が起こるか分かりませんね。お嬢さんも気をつけてくださいよ」


 看護師の言葉に、女性は笑って頷いた。

 いつもと全く変わらない平和な一日が、始まろうとしている。

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