5月14日 3
生徒会室では玲璃が議長を務めながら、和やかに話し合いが進んでいた。
寺崎は議長席に座る玲璃にぼうっと目を向けながら、先ほどの紺野の様子を思い返していた。
差し出されたゴミ袋を前に、何か言いたげに自分の方を見ていた、紺野。
――知るか。あいつは俺なんか頼りにしてねえ。自分で全部できるんだろ。なにせ、あんなすげえ能力を持ってんだから。
何だかむしゃくしゃして、机に突っ伏すと目を閉じる。いつもは玲璃を見ているだけで幸せな生徒会も、何をやっているのかすらよく分からなかった。
その時だった。
寺崎は自分の頭に届いたかすかな意識に、はっと閉じていた目を見開いた。
ほんのかすかな、何かに気をとられていたら気がつかなかったくらいの、微弱な意識。
寺崎は椅子をはね飛ばして立ち上がった。
唐突な寺崎の行動に、生徒会室の面々は怪訝そうな目を向ける。
「どうした? 寺崎。何か言いたいことでもあるのか?」
議長である玲璃が声をかけたが、寺崎には聞こえていなかった。中空の一点をにらみながら、なにかに意識を集中するかのように動かない。
その様子に、玲璃ははっとした。
――まさか、鬼子?
確認しようと玲璃が口を開きかけたのと、寺崎が弾かれたように教室を飛び出したのは同時だった。
「寺崎!」
玲璃が叫びながら出入り口から顔を出した時には、その姿はすでに廊下の向こうに消えていた。
☆☆☆
「このへんでいっか?」
「いいんじゃね? ま、そこまでしなくても死にそうだけど」
「まあまあ、念には念を入れてって言うじゃない」
山根は嫌らしい笑みを浮かべてそう返すと、ポールを高々と振り上げて狙いをつける。
完全に意識を喪失している紺野は、蒼白な顔を右に傾けて動く気配もない。ボタンがはじけ飛んだボロボロのワイシャツは、すでに深紅に染まっている。山根はその胸に片目をつむって慎重に狙いをつけると、心臓目がけて血塗られたポールを一気に振り下ろした。
その鋭利な切っ先が、まさに紺野の胸に突き刺さる、寸前。
「てっ……!」
硬質で鋭い音が響くと同時に、短い叫びを上げた山根の手から、ポールが弾き飛ばされた。
飛ばされたポールは、カラカラと乾いた音をたてて地べたを転がる。
情けない声を上げながら、山根は左手で右手を押さえてその場にうずくまった。
「どうした? 山……」
慌てて駆けよった宮野は、言葉を飲み込んで顔をひきつらせた。ポールを握っていた山根の人さし指が、半分千切れたようになってぶら下がっているのだ。
「うっわ、なんだよこれ、……」
山根は半分泣きながら首を振った。
「わかんねえよ、なんか、石みたいなもんがいきなりものすごい勢いで飛んできて、気がついたら……」
青い顔で千切れかけた指を見ていた宮野が、何に気づいたのか弾かれたように顔を上げた。
右手を押さえてうずくまっていた山根も、その視線の先を追って息をのむ。
ゴミ置き場の向こうから、誰かがこちらに向かって走ってくるのが見えるのだが、その人物は、早送りの映像でも見ているかのように、あり得ない速さで近づいてくるのだ。逃げるという行為の無意味さを、一瞬で悟らせるほどのスピードだった。
自分たちの凶行が発覚する恐怖に、宮野はたじろいだ。混乱したのか、まるで人質でもとるかのように、倒れている紺野の襟首をつかみ上げる。
その男は、あっという間に宮野達の目の前に立つと、息を切らしながら血走った目で宮野と山根を見据えたが、宮野が襟首をつかみ上げている紺野を見て、息をのんだ。堅く握りしめられた両手が、端から見てもはっきり分かるほど震え始める。
「……おまえら」
男――寺崎は、爆発しそうな感情を必死で抑えつけながら、震える声を絞り出した。その迫力に、宮野と山根は射すくめられたように動けなくなる。
意識を失っているのだろう、まるで荷物のように襟首を掴み上げられている紺野を、寺崎はまじろぎもせず見つめていた。
血と泥と嘔吐物で無残に汚れた顔。片方靴が脱げて靴下だけになっている足。ボタンがはじけ飛び、裂き傷だらけでボロボロになり、その上、血で真っ赤に染まっているワイシャツ。体の下には、けっこうな大きさの血だまりまでできている。
寺崎はそのあまりにも変わり果てた姿に、言葉を失っていた。
差し出されたゴミ袋を前に、もの言いたげに自分の方を見ていた紺野。今はもう、何を言う事もできないだろう。あの時、こいつの話を聞いていれば、こんなことは起きなかったかも知れない。怒涛のような後悔の念に襲われ、寺崎は震える両手を握りしめ、奥歯をきつく噛みしめた。同時に、宮野と山根に対する激しい怒りが、全身に瞬く間に満ちていく。
「……紺野に、何をしやがった」
奥歯の隙間から漏れる、くぐもった低い声。紺野の襟首をつかみ上げながら、宮野は早口でまくしたてた。
「何って、征伐だよ。人殺しの征伐だ」
寺崎の眉が、ぴくりと震える。
宮野は寺崎の反応を見て何を勘違いしたのか、媚びるような、引きつった笑みを浮かべた。
「しかもこいつ、化け物なんだぜ。おまえ、知らなかっただろ」
「……ああ。知らなかった」
絞り出されたその声は、微かに震えていた。
「おまえらがここまで最低なやつらだとは、知らなかった」
寺崎は、足元に転がっていた血のついたポールを拾い上げる。抑制されたその動きに、本能的な恐怖を感じた二人は身構えた。
そのとき、ふと宮野は、あの猫の言葉を思い出した。
『不思議ナ能力ヲ貸シマショウ。思ッタコトガ、本当ニナル能力デス』
半信半疑だった宮野だが、ポールという凶器を携えて歩み寄ってくる寺崎の迫力におされ、ヤケクソで意識を集中した。
刹那、驚くべきことが起こった。
先ほどまで、どんなに頑張っても半身を持ち上げるのがせいぜいだった紺野の体が、左手一本で楽々と持ち上がったのだ。
こめかみにえぐられるような痛みが突き刺さったが、そんなことを気にしている場合ではない。宮野は百三十階段の上に突き出すようにして紺野を差し上げると、こめかみの痛みをこらえながら大声で叫んだ。
「それ以上近寄るな! 近寄ると、こいつを落とすぞ!」
寺崎は、眉根を寄せて歩みを止めた。
「こっから落とせば、いくら化け物でも死ぬだろ? つかさ、おまえ、なんでこんなヤツ助けんの? 助けてどうすんの? こいつ、人殺しなんだぜ。しかも、妙な力持ってる化け物とくりゃ、生かしとく価値ねえだろ? 汚物は消毒っていうじゃねえか。人殺しの化け物みたいな汚物は、とっとと殺して消毒した方が、世の中のためになるんだよ!」
ひきつった笑いを浮かべながら、勝ち誇ったように叫ぶ宮野。宮野に差し上げられている紺野の体からは間断なく血がしたたり落ち、階段のコンクリートに赤黒いシミを次々に作っていく。
寺崎は、震える声を絞り出した。
「……誰が、人殺しの化け物だって?」
「だから、この……」
「そりゃ、おまえらだろ?」
握りしめているポールが微かな音をたててひしゃげるのを見て、宮野と山根は言葉を飲み込んだ。
「紺野は、そんなんじゃない」
寺崎の脳裏に、紺野の姿が浮かぶ。
穏やかで、控えめで、礼儀正しくて、人とのつきあい方をよく知らなくて、ちょっと変わっていて、でも、どこまでも優しい……。そんな紺野のことを化け物呼ばわりされるのは、寺崎にはこれ以上耐えられなかった。
ひしゃげてしまったポールを寺崎は両手で持ち直すと、それを力任せにひん曲げた。ポールはいとも容易く鋭角に曲がり、高い音をたてて真っ二つに折れた。
寺崎は折れたポールを投げ捨てると、目を丸くして凍り付いている宮野たちの方にゆっくりと足を踏み出す。
「……おまえら、絶対許さねえ」
押し殺したその声は、爆発する寸前の火山のような怒りで満ちている。宮野はその迫力にのまれ、蛇ににらまれた蛙のように一歩たりとも動けずにいた。
その時だった。
それまで、右手を押さえてうずくまっているだけだった山根が、何を思ったのか弾かれたように立ち上がると、紺野の体を宮野の手からむしり取るように奪い、階段の下方に向かって蹴り捨てたのだ。
力なく回転しながら、紺野の体が落下を始める。
山根が動いたときにはすでに、寺崎は走り出していた。階段を転がり落ちる紺野の前に転移さながらに移動すると、その体を両腕でしっかりと抱き留める。
その隙に、山根と宮野は手を携え、頭痛に顔を歪めながら意識を集中していた。二人を包む赤い気は見る間に輝きを増し、紺野を受け止めた寺崎が振り仰いだときには、既に二人の姿が消失する寸前だった。
――しまった!
寺崎がなす術もなく立ちつくした、その時だった。
消失した二人の体が、次の瞬間、三メートルほど離れた虚空に再び現れたのだ。まるで、見えない壁にでもぶちあたったかのように。
「うわあっ!」
宮野と山根は地上に墜落すると、強かに地面に体を打ちつけて転がった。痛む体をさすりながら、それでもまだ何が起こったのか分からない様子でキョロキョロ辺りを見回している。
寺崎は、はっと校舎側に目を向けた。
渡り廊下の向こうから、誰かがこちらに向かって歩いてくる。白衣だろうか? 裾の長い白い服が、吹き付ける風にはためいている。
寺崎は驚きのあまり呼吸すら忘れて、ぼうぜんとその男の名を呟いた。
「……神代、総代」
白衣にサンダルをつっかけた格好の享也は、座り込んでいる山根と宮野を鋭く見据えた。二人は亨也を見ると、何かしら圧を感じたのだろう。慌てて立ち上がると、虚勢を張ってわめき立てる。
「お、おまえ、この学校の生徒じゃねえだろ。誰だ!」
「私ですか?」
亨也は静かにそう言うと、口の端を上げた。視線にこもる威圧感が、二人を静かに圧倒する。
「私は……あなた方の言う、化け物かもしれませんね」
そう言うと亨也は、階段の上がり口にたたずむ寺崎に目を向け、小さく頭を下げた。
「すみませんでした。なかなか能力発動を感知することができなかった」
寺崎は目を丸くすると、あわてて大きく首を横に振った。
亨也は、寺崎に抱えられている紺野に目を向けた。真っ赤に染まったワイシャツからしたたり落ちる血が、寺崎の足元にまで血だまりを作っている。肝臓を貫き、背中にまで貫通したその傷の状態を一瞬で察知した亨也は、眼を細めて銀色に輝いた。次の瞬間、滴り落ちていた血の速度が一気に遅くなった。大きな血管の傷を修復したらしい。
「大丈夫、彼は私が責任を持って治療します。……ただ、その前に」
首を巡らせ、立ちすくむ山根と宮野にその鋭いまなざしを向ける。
「あの二人を、何とかしないといけませんね」
山根と宮野は、二人同時に息をのんで体を震わせた。亨也はそんな二人を、感情のこもらない目で冷然と見据える。
「私は、その男ほど優しくありませんよ」
次の瞬間、亨也の体は目映く輝く銀色のエネルギー波に包まれた。
そのあまりの神々しさに、寺崎は目を開けていることすらできなかった。たまらず目を瞑り、顔を背ける。だがそれでも、まぶたの向こうにその輝きをはっきりと感じとることができた。
再び寺崎が目を開けたときには、すでに全ては終わっていた。
見ると山根も宮野も、地べたに大の字に寝ころんで、泡を吹いて気を失っている。亨也は証拠となりそうな損傷を修復し、血痕やポールなどを消去しているところだった。
「神代総代……」
寺崎がおずおずと声をかけると、亨也は消去の手を止め、振り返って少し笑った。
「ちょっとやり過ぎましたかね」
寺崎は大きく首を横に振る。
「いえ。これでもまだ足りないくらいっす。俺なら、まだあと二,三発はお見舞いしたいっす」
その言葉に亨也は苦笑すると、寺崎が抱えている紺野に目をやった。
「それは取りあえず、彼を何とかしてからにしましょう」
修復と消去を終えて周囲の状況をもう一度確認すると、亨也は落ちていた紺野のリュックを拾い上げ、寺崎の側に歩み寄った。
「あなたの家をお借りしてもいいですか?」
「は、はい。お願いします」
寺崎がうなずくと、亨也はその肩に右手を置いた。銀色の輝きが、瞬く間に三人を包みこむ。
泡を吹いてぶっ倒れている宮野と山根を残し、銀色の気に包まれた三人の姿は、空気に溶けるように消失した。