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輪廻  作者: 代田さん
第二章 友達
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5月14日 1

 5月14日(火)


「結局昨日も、特に襲撃はなかったな」


 寺崎の言葉に、靴を脱ぎながら紺野はうなずいた。


「二日間、何もありませんでしたから。今日あたり、注意した方がいいかもしれません」


「そうだな」


 寺崎は腕時計に目をやった。時刻は八時二十五分。いくぶん余裕はあるが、そうのんびりもしていられない。上履きに履き替えて外靴をゲタ箱にしまうと、寺崎は教室に向かって歩き始めた。


「ま、これからはリレー選の練習で、朝も放課後も一緒だからいいけど」


 紺野の返事はない。

 寺崎は足を止めて振り返った。見ると、紺野はまだゲタ箱の前に立ち、手にしている上履きを戸惑ったようにじっと見つめている。


「どうした?」


 戻ってきた寺崎が、紺野の肩越しに手元の上履きの中を見て仰天した。黒い絵の具が、チューブからひねり出した状態で上履きの中にたっぷりとぐろをまいているのだ。


「何だ、これ。……」


 イジメじゃねえかと心の中でつぶやく寺崎の脳裏に、ふっと宮野と山根の顔が過ぎる。


「困りましたね」


 一方紺野は、言葉の割にはたいして困った様子もなく、そのへんから木片を拾ってきて淡々と絵の具をそぎ落としている。誰がやったとか、なぜやったとか、そういったことにもまるっきり無頓着な様子だ。寺崎は苦笑すると、紺野の手から絵の具のついた上履きを取り上げた。


「行こう。取りあえず、今日一日は体育館履き履いとけ」


「そうですね。それ、あとでちょっと洗います。早くやればある程度落ちるでしょうし、シミが残っても目立たない所ですから」


 紺野はリュックの中からレジ袋……こういう物を常備しておくあたり、主婦っぽいのだが……を取り出し、絵の具のついた上履きをそこに入れてにリュックに入れると、体育館履きを履いて、何事もなかったかのように教室へ向かった。


  

☆☆☆



 三須がカバンの中身を机にしまっていると、誰かがやってきて机の前に立った。緊張しているのか、ひきつった笑顔を浮かべながら、上ずった声で話しかける。


「お、おはよう、三須さん」


「……おはよ、宮野くん。どしたの? 何か用?」


 ちらっと顔を見たきり手元に目線を戻し、三須は素っ気ない態度であしらう。彼女は宮野が好きではない。清水をいじめていたことも知っていたし、寺崎に対してことあるごとに茶々を入れ、級長の仕事をやりにくくしているのを書記として間近に見ているからである。陰湿な男は好かれない。だが、宮野は自分がそんな風に思われているとは夢にも思っていない様子で、必死の愛想笑いを浮かべた。


「あ、あのさ、三須さん。これからリレー選の練習が入って忙しくなっちゃうじゃん。も、……もし良かったら、今日とか、時間、とれない?」


 勇気を振り絞ったであろうその発言を、三須はすげなくあしらう。


「悪いけど、今日は陸上部の練習があるから」


「まじめだなあ、一日くらい、いいじゃん」


「その一日が命取りなんだよね。一日休むと、三日くらい後ろに下がるって感じ?」


 いい加減うるさそうにそう言った三須は、ふと前扉から紺野と寺崎が入ってくるのに気がついて、勢いよく立ち上がった。


「おっはよー、紺野くん!」


 語尾にハートマークをたんまりぶら下げながら、振り返りもせず紺野の席の方に行ってしまった三須の後ろ姿を、宮野は苦虫を嚙みつぶしたような表情で見送る。

 そんな宮野を、カバンを置きながら寺崎がにらんだ。


「……おまえ、手、見せてみろ」


 宮野はどきっとしたように両手を後ろに隠す。


「は? 何だよいきなり……」


 寺崎は無言で背中に隠した宮野の手首をつかむと、有無を言わせず自分の目の前に引き寄せる。手首をつかむ握力と引き寄せる力の圧倒的な強さに、宮野は息をのんだ。

 寺崎は宮野の手をまじまじと見つめた。手自体はきれいだったが、掌紋にわずかに黒い筋が残っているのと、手首の辺りにほんの少しだけ黒い色が残っているのが分かる。画材特有のにおいも付着している。寺崎はその手を刺すようにじっと見つめていたが、やがて低い声で言った。


「あんまり汚ねえことやるんじゃねえぞ。あいつはともかく、俺が黙っちゃいねえからな」


「は? なに言ってんの? 意味わかんねえし」


 宮野は引きつった顔でうそぶくと、寺崎の手を必死で振り払い、じんじんしびれる手首をさすりながらそそくさと自分の席の方に戻っていった。

 寺崎は鼻でため息をつくと、紺野の方に目を向ける。

 荷物を整理する紺野の顔をのぞき込みながら、三須があれこれ楽しそうに話しかけている。紺野は戸惑ったような笑みを浮かべつつも、それなりにコミュニケーションをとろうと努力しているようだ。おかげで、こちらでの出来事には全く気付いている様子はない。

 寺崎はホッとしたように小さな笑みを漏らすと、おもむろに紺野の席へ向かった。



☆☆☆



「……ったく、気にいらねえ」


 人気のない校庭の片隅で、宮野は葉桜のねじれた幹に体をもたれながら、低い声で吐き捨てた。隣にうんこ座りしていた山根も、その発言に同調するようにうなずく。


「あれ以来、教師のガードがかてえから、清水もおおっぴらには使えねえし、確かに面白くねえよなあ。何か面白えことはねえかなあ」


 宮野は、そんな山根を見下ろすと、声をひそめた。


「なあ、山根。おまえ、あいつのこと、どう思う?」


「あいつ? ……って、誰だ?」


「ほら、清水のことを教師にちくったやつ。最近戻ってきて、幅きかせてるじゃねえか。あの紺野とかいうやつ。四月に一度、絞めただろ?」


 山根はたいして感興をそそられる様子もなく、ああ、とうなずいた。


「あいつ、なんかずいぶん雰囲気変わったよな。四月は暗くて目立たねえ感じだったのに、髪形変えて、リレー選まで選ばれて。入院中に最終解脱でもしちゃったんじゃねえの?」


「俺はあいつが気にいらねえ」


 宮野は、校舎脇のアプローチを見るともなく眺めやりながら、忌々しそうに吐き捨てた。


「三須さんも、なんであんなやつのことを気にかけてんのか、全然意味分かんねえ。あいつ、ぜってー調子乗ってる。もっぺん絞めといた方が、俺は絶対いいと思う」


【同感デス】


 突然、宮野の頭にわれ鐘のような「声」――それが音声なのか、意識なのか、宮野には判別がつかなかった――が響き渡った。同時に、頭をハンマーで殴りつけられたような衝撃が走り、宮野は息をのんで目をむくと、頭を抱えてしゃがみ込んだ。

 驚いた山根がその顔をのぞき込む。


「どうした?」


 宮野はこみ上げてくる吐瀉としゃ物を必死で飲み下しながら、恐る恐る山根を見上げた。


「……おまえ、さっき、何か言ったか?」


「? いや。何も?」


 山根はきょろきょろと辺りを見回したが、特に不審な者の姿はない。宮野は、端目にもはっきりと分かるくらい震えている自分の両手を見つめながら、かすれた声でつぶやいた。


「何だ? 今の……」


【チカラヲ、貸シマショウカ?】


 今度は山根の頭にも、その「声」ははっきりと響き渡った。脳に手を突っ込んでかき回されたような衝撃に、二人は路傍に倒れ込むと、先ほど胃に入れたばかりの昼食を残らず吐き出した。激痛と強烈な不快感に涙を流しながら、宮野はかすれた声を絞り出す。


「……何だこれ。頭ん中で声がする。何がしゃべってんだ?」


 その時、うずくまる二人の目の前に、上方から何かが飛び降りてきた。

 それは、白い猫だった。ほんのりと青みがかった灰色の目に、長い尻尾。首輪はなく、どうやら野良猫のようだが、その割には滑らかな白い毛並みが美しい。

 猫はその灰青色の瞳で、もの言いたげに二人を見つめている。


「まさか……この猫が?」


 言いようのない恐怖に足がすくみ、身動きできずにいる二人に、猫は尻尾をたててゆっくりと歩み寄ってきた。

 次の瞬間。宮野と山根の視界が、鮮烈な赤一色に染まった。



☆☆☆  


 

 突然、紺野が立ちあがった。

 脈絡のない行動に目を丸くして、三須は紺野を見上げた。教室で弁当を食べたあと、たわいもないおしゃべりに興じていただけだった。寺崎はトイレに行って席を外している。


「……どうかした? 紺野くん」


 恐る恐る問いかけるも、紺野は答えない。じっと意識を集中するように中空を見つめて動かない。その表情には張り詰めた緊張感が漂い、普段のあの柔和な雰囲気は影をひそめている。

 ややあって、紺野は真剣な表情で前方を見据えながら、ぽつりと口を開いた。


「三須さん、すみません」


「……はい?」


「僕もトイレ、行ってきます」


 三須はお笑い芸人さながらにずっこけてから、思いきり吹き出した。腹を抱えて大笑いしている間に、紺野は小走りで廊下に出て行ってしまう。


「なんだ、超真剣なんだもん。何かと思った……いってらっしゃい」


 紺野くんてホント意外におもしろい、などと思いつつ一人でクスクス笑っていると、やがて手をふきながら寺崎が教室に戻ってきた。


「あれ? 紺野は?」


「会わなかった? トイレだって」


 寺崎は眉をひそめて廊下に目を向ける。


「……こなかったと思うけど」


「もー、マジでおもしろかった。いきなり超真剣な顔で立ちあがるから何かと思ったら、トイレとか言うし」


 三須のその言葉に、寺崎は息をのんだ。


「やられた、あのバカ……! 悪い、三須ちゃん。ちょっと行ってくる」


「は? 行くって、どこへ……」


 寺崎はそれには答えなかった。三須の言葉が終わらないうちに、猛ダッシュで教室を飛び出して行った。


  

☆☆☆



 ゲタ箱を見ると、靴がなかった。紺野はどうやら校庭らしい。靴を履き替えるのももどかしく校庭に飛び出し、縦横無尽に走り回って捜していると、程なく校庭の片隅に立ちつくしている紺野の姿が目に入る。


「紺野!」


 寺崎の大声に、立ち尽くしていた紺野は振り向いた。


「何か、感じたのか?」


 駆けよってきた寺崎に、紺野は小さくうなずいた。


「送信のような反応を感じた気がして……確か、このあたりだったんですが」


 紺野は意識をとぎすませるように黙り込む。が、すでに反応は消えてしまっているらしく、息をついて首を振った。


「よくわかりません。あいつだったのかどうかも……」


 寺崎はそんな紺野を無言で見下ろしていたが、突然その肩をつかむと、強引に体ごと自分の方に向けた。いきなり体の向きを変えられて、紺野は驚いたように何か言いかけたが、寺崎の真剣なまなざしに気付くと、気後れするように言いかけた言葉を飲み込んだ。


「だから信用できねえんだよ!」


 紺野は黙って目線を逸らした。


「どうしておまえは勝手に行っちまうんだ! ひとこと、送信してくれてもいいだろ?」


「……すみません」


「そんなに俺のことが信用できねえのか?」


 その言葉に、紺野は驚いたように顔を上げると、慌てて首を振った。


「そんなことはありません。ただ……」


「ただ?」


 言いにくそうにうつむくと、目線をそらす。


「自分で何とかできるなら、その方が……」


寺崎は、五月の風に揺れる紺野の茶色い髪を黙って見つめていたが、突然、突き放すように肩をつかんでいた手を離した。


「確かに、俺は役立たずだからな」


「そんな……」


 寺崎はきびすを返し、昇降口に向かって歩いていく。

 鋭い拒絶をその背中に感じて、紺野は言いかけた言葉を飲み込み、のばしかけた手も体の脇に下ろした。

 校庭に授業開始のチャイムが鳴り響いたが、紺野は歩き出そうともせず、人気のない校庭に立ち尽くしていた。

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