5月13日 4
「いやー、びっくりした。おまえってマジでおもしろいよな」
寺崎は弁当のふたを開けながら、しみじみとつぶやく。
「そうですか?」
紺野はおにぎりのてっぺんをかじると、ちょっと首をかしげた。何がおもしろいのか、よく分からないといった風だった。
今は昼食時間。大多数の人間が学食に移動したため、人口密度が極端に低くなった教室に、五月の爽やかな風が心地よく吹き抜ける。そんな教室の片隅で弁当を広げている寺崎と紺野のそばに、三須がやけににこにこしながら近寄ってきた。
「へえ、お二人とも弁当派なんだ。ご一緒してもいい?」
三須は購買で買ってきたらしいパンの包みを机に置くと、返事を待たずに椅子を引き寄せる。
「どうぞどうぞ。ちょっと食べる? このおにぎり、紺野のお手製」
三須は目を丸くして紺野を見た。
「ええ? 紺野くんて、そういうこともすんの?」
「何でもできるよ、洗濯も掃除も。一家に一人紺野くん、って感じ」
感心したように口を開けて紺野を見ている三須に、寺崎はほお張っていたおにぎりを飲みくだして笑いかけた。
「ま、同じリレー選として、よろしくな」
「よろしく、級長。ごめんね、あたしああいう沈黙、苦手で。つい朝の話を思い出して、推薦しちゃった。でも、大丈夫だよね?」
「まあな。いっとくけど、マジでたらたらやるから。そこは文句言わないでくれよ」
そう言って箸を動かす寺崎を、三須はじっと見つめた。
「……寺崎って、何か隠してない?」
寺崎は卵焼きをのどに詰まらせて、目を白黒させた。
「何だよ、どういうこと?」
買ってきたパンの袋を開けながら、三須は意味ありげに笑った。
「だってさ、級長に立候補したのだって、すんごい意外だったんだよ。あんたみたいなタイプって、絶対そういうことは面倒くさがってやらないのが普通なのに。三年の生徒会長と、何かいつもこそこそ話してるし」
おにぎりを手に平静を装っていた寺崎だったが、玲璃の名前が出た時はさすがにどきっとしたような顔をした。三須はそんな寺崎の様子を見やりつつ、口元に薄い笑みを浮かべる。
「実は寺崎、生徒会長と付き合ってたりして」
寺崎はほおばっていたおにぎりの米粒を、二,三粒吹き出してしまった。
「……ああ、もったいねえ。何言うんだよ、いきなり。そりゃ、もしマジでそうなったら、俺は超嬉しいけど」
「え、そうなの?」
寺崎は肩をすくめて笑った。
「俺みたいなのはお呼びじゃないの。俺が勝手に憧れてるだけ。変なうわさたてんなよ。先輩に迷惑だから」
三須は「ふーん……」とうなずきながら寺崎を見ていたが、淡々と弁当を口に運んでいる紺野の方にくるりと向き直った。
「ね、紺野くんはどういう子が好み?」
いきなりふられて、紺野はびっくりしたようにせき込み始めた。食べていたヒジキがへんなところに入ったらしい。
「……え、好み、ですか?」
「そう。女の子の」
三須はあふれんばかりの期待を込め、きらきらしながら紺野を見つめている。紺野は困ったように考え込んだ。
「ちょっと待ってください。今、考えているので……」
寺崎はそんな紺野を苦笑しながら見やった。
「ほんと、おまえってマジメだな。何だっていいじゃん、そんなの」
「何だってってなにそれ、寺崎」
三須がふくれて言うと、寺崎はそのふくれたほっぺたをつっついた。
「ほらほら、ふぐみたいになってないで。たぶん、紺野は今日中には考えつかないとみたぜ。そんなことより俺は、紺野に言いたいことがある」
軽くにらみながら寺崎が言ったので、紺野は何事かと身構える。
「何ですか?」
「おまえ、十秒九ならもっと早く立候補しろ」
言われて、紺野ははっとしたように動きを止めると、慌てて頭を下げた。
「その通りですね。すみませんでした。僕は、みなさんはもっと速いのかと思っていて……」
それを聞いて寺崎は、目を丸くして紺野を見た。
「おまえさ、その記録持ってて、中学時代何もしてこなかったの?」
紺野はおずおずとうなずいた。
「他の人がどのくらいの速さなのかも、正直よく知らなくて……皆さん、このくらいなのかと思ってました」
寺崎はあきれたように肩をすくめる。
「コミュニケーション不足の最たるもんだな。他のやつらもよく放っておいたもんだよ」
「ほんとほんと。うちの陸上部にご招待したいくらい」
「三須ちゃんって、陸上部だったっけ」
「あたしは長距離だけどね。短距離自信なかったから、立候補しなかったの」
寺崎はそうかそうかとうなずきながら、おにぎりの残りをほおばった。
「じゃあ、あの村上さんとかいう子も、陸上?」
「ううん、いずるちゃんは文化部。確か吹奏楽部で、ファゴットとかいう大きな楽器を吹いてたと思う。だから立候補したときは驚いたんだ。百のタイムも、そんなに速いほうじゃなかった気がする」
寺崎はふーんとうなずきながらイオン飲料を飲み干した。
「ま、とにかく、今日の名簿は明日までに提出すっから、そうしたら水曜日に顔合わせして、木曜から朝練……」
寺崎は言いながら、何に思い当たったのか突然言葉を切った。その顔は幾分青ざめている。
「……やべえぞ、紺野」
「? 何がですか?」
「朝練、七時に学校集合だ」
紺野は特に驚いた様子はなかった。
「そうすると、何時に出ればいいでしょうか」
「遅くとも、六時半……」
寺崎はそう言うと、頭を抱えた。
「うわ、きっつ……。今ですら、かなりヤバいのに」
三須はきょとんとしてそんな寺崎を見た。
「なんで? 上南沢からなら、電車で十分じゃん」
「だから、言ったじゃん。俺たち、訳あって電車使わないの。こいつがチャリで、俺は走って通ってんだって」
「なにも朝練の時までそんなことしなくても。普通に電車で来ればいいだけだし」
三須は訳が分からないとでも言いたげに肩をすくめる。
「すみません。寺崎さんはぎりぎりまで寝ていてください。家のことは僕がやりますから」
申し訳なさそうにそう言う紺野を、寺崎は横目でにらみつけた。
「それを、あのおふくろが許すと思う? いいよいいよ。この一カ月間は、五時起きでがんばるから」
ため息混じりに寺崎は言ったが、ふいに笑顔になると、くるりと紺野の方に向き直った。
「ま、何にしろ俺は嬉しい。おまえが一緒で」
目を丸くして赤くなった紺野を見て愉快そうに笑う寺崎を、三須はワクワクしたような顔で見やる。
「え、なに? お二人、ちょっとあやしい関係ぽくない?」
「別にあやしくねえよ、俺、紺野大好きなだけだもん。とらないでくれよ、三須ちゃん。俺の紺野なんだから」
「マジで? どうしよっかなぁ。あたしも紺野くん気に入ってるし」
二人の発言を聞いてますます赤くなり、身を縮めてうつむいている紺野を見て、三須はたまらないとでも言いたげに叫んだ。
「やー、紺野くんて、超かわいい! 朝練が楽しみかも」
「頼むからあんまりいじめないでくれよ、俺の紺野を」
「いじめるわけないじゃん。よろしくね、紺野くん!」
「あ、はい。よろしくお願いします」
楽しそうに笑っている三須の様子を、男が一人、後ろ扉の外からじっと見つめていた。
宮野だった。
宮野は忌々しそうに三須と向かい合っている紺野をにらむと、小さく舌打ちした。