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輪廻  作者: 代田さん
第二章 友達
82/203

5月12日 2

「たっだいまー」


 寺崎が帰宅したのは、午後三時過ぎだった。

 山のような荷物を放り出してスニーカーを脱いでいると、みどりが意味ありげな笑みを浮かべながら奥から出てくる。


「お帰り、紘。早めのご帰宅ありがとうね」


 そう言って、靴を脱いでいる寺崎の鼻先に追加の買い物メモをつきつけてきたので、寺崎はげんなりした表情を浮かべた。


「えー、ひと休みさしてくれよ」


「だって、早く下ごしらえをはじめないと。母さん、時間がかかるんだもの」


 抗議の言葉もあえなくスルーされた寺崎は、ブツブツ言いながら買ってきた大量の物を玄関脇にまとめ、ブツブツ言いながらメモと財布をポケットに突っ込んで、ブツブツ言いながら出て行った。

 それから三十分もたたないうちに、山盛りの買い物袋を両手に提げて再び帰宅。


「こんどこそ、たっだいまー」


 寺崎は台所のみどりに買ってきた物を渡すと、玄関においたままの大量の物品を一気にかかえて紺野の部屋の前まで行き、足でドアを器用に開ける。


「紺……」


 言いかけて、止めた。

 紺野が数学の教科書を手にしたまま、穏やかな表情で眠っていたのだ。

 気配を消し、そっと荷物を机の脇に置くと、まじまじとその寝顔を眺めてみる。


――長えまつ毛。爪楊枝が二,三本載りそうだな。


 そういえば、立ち食いそば屋でもらった爪楊枝が数本、ポケットに入ったままだ。寺崎は何を思ったのかそれを取り出すと、本当に紺野のまつ毛に載せはじめた。

 横になっているのでうまく載るわけがない。爪楊枝がコロコロと転がり落ちるたびに顔の上をなでていくので、くすぐったいのか、紺野がわずかに顔をゆがめた。


――やっべ。


 慌てて寺崎は爪楊枝をポケットにしまい込むと、笑いをこらえてあさっての方を向き、素知らぬふりをする。紺野はしばらくぼんやりと寝ぼけまなこをこすっていたが、寺崎に気づくと慌てて半身を起こした。


「……あれ、寺崎さん。お帰りになったんですか」


「あ、ああ。今、帰ってきた。悪いな。起こしちまって」


 思わず吹き出しそうになりながら何とかこらえて返答すると、買ってきた大量の品物を袋から出し始めた。


「ほら。いろいろ買い込んできた。これで、当面は学校に通えるぞ」


 教科書、ノート、下敷き、文房具、弁当箱に至るまで、ありとあらゆるものが次から次へと出てくる。そのあまりの量の多さに、紺野は半分口を開けて積み上げられていく品物に目を奪われていたが、やがて感心したようにため息をつくと、深々と頭を下げた。


「こんなにたくさん、たいへんだったでしょう。ありがとうございました」


「いいっていいって。昨日、連れ回して熱出させちまったのは俺なんだし」


 言いながら、寺崎が包装を開いたりタグを切ったりし始めたので、紺野もそれに倣い、ベッドに腰掛けてタグを切り始めた。


「あ、寝てろよ。俺がやるから。熱、下がったのか?」


「ええ、多分。気分が良いので」


「……信用できねえな」


 寺崎は胡乱うろんな目つきで紺野をにらむと立ち上がり、隣の部屋から体温計を持ってきた。


「ほら。ほんとに下がってるか確かめてみな」


 そう言って体温計を放り投げるので、紺野は取り落としそうになりながらそれを受け取ると、言われたとおり脇の下に差し込んだ。

 程なくピピッという音がした。紺野は脇の下から体温計を取り出し、しげしげと表示を眺めやる。


「どうだ?」


 寺崎が横合いからのぞき込むと、表示は「三十六.八」となっていた。


「おお、下がってる」


「下がってますね」


 紺野は寺崎を見上げてにっこり笑った。


「多分、疲れが出ていただけだったんだと思います」


「そうみたいだな。じゃ、明日は大丈夫そうだな」


 紺野はうなずくと、頭を下げた。


「ありがとうございます。皆さんのおかげです」


「何を大げさな……当たり前のことだろ」


 寺崎は照れくさそうに笑うと、ふいに何を思い出したのか、声を潜めた。


「ところでさ、紺野。ちょっと頼みがあんだけど」


「はい? 何でしょう」


 寺崎はいたずらっぽい笑みを浮かべると、なにやらひそひそと紺野に耳打ちしはじめた。



☆☆☆



「紘、ちょっと、洗濯物を取り込んでほしいんだけど……紘?」


 みどりは家の中を見回したが、居間も、台所も静まりかえっていて、寺崎の姿は見あたらない。


――あの子、どこへ行ったのかしら?


 と、突然紺野の部屋から「おおーっ!」という歓声が上がった。どうやら寺崎は紺野の部屋にいるらしい。みどりは小さく息をつくと、車椅子を紺野の部屋へ進めた。


「紘、ちょっと……」


「あ、おふくろ! 見てくれよこれ。こいつ、三本いけるぜ!」


 何のことかも分からず指さされた方を見てみると、まつ毛に爪楊枝を三本載せている紺野が、緊張した面持ちでベッドに腰掛けているのが目に入る。みどりは思わず動きを止めてあっけにとられた。なんとも、らしくない姿である。


「何やってるの、あなたたち……」


 みどりはあきれたように言いかけたが、何だか急におかしさがこみ上げてきて、言葉の途中でぷっと吹き出してしまった。


「すげえよ紺野。なかなかいないぜ、そんなやつ」


 興奮した寺崎がそう言って肩に手を置いたので、紺野の上体がわずかに揺れる。と、紺野はやけに真剣な表情で体の揺れを抑え、爪楊枝が落ちないようにバランスをとった。


「そうですか? 特技としていけますかね」


「いけるいける。明日の自己紹介はこれできまりだな。僕はまつ毛に三本爪楊枝が載ります。これで女の子のハートはわしづかみ、間違いなしだ!」


 寺崎はそう言うと、思い切り噴き出した。紺野も耐えきれなくなったらしく肩を震わせ始め、とうとうまつ毛から爪楊枝が落ちる。みどりも大っぴらに笑い始め、それからしばらくの間、部屋は三人の明るい笑い声に包まれた。

 ややあって、ようやく笑いをおさめた寺崎が、呼吸を整え、にじみ出た涙を拭いながらつぶやいた。


「ああ、おかしかった……笑いすぎて涙出た」


 なぜ、こんなにくだらないことがこんなにおかしかったのか。それは多分、紺野のあまりにもらしくない姿と、らしくない答えのせいだろう。みどりも、おなかをさすりながら息をついた。


「ああ、おなかが痛い。紺野さんって意外性のある人ね」


 紺野もようやく笑いをおさめたが、目元にうっすらにじんだ涙に気づき、驚いたようにその目を見張った。


「……知らなかった。笑っても涙が出るんですね」

 

 その言葉に寺崎もみどりも黙り込み、真顔になって紺野を見つめた。


「生まれて初めてかもしれない。こんなに笑ったのは……」


「……紺野!」


 寺崎は突然、紺野の背後から左脇を左腕でホールドすると、脇腹をくすぐりはじめた。


「わ、な、何ですか? ちょっと……」


 面食らいながらも、紺野はくすぐったさに耐えきれずまた笑いはじめる。

 

「もっと笑え! 三十年分笑え!」


「やめてくだ……、くすぐっ……」


 必死で抑えつけられた左腕を外そうと頑張るのだが、寺崎の力にはかなうわけもなく、紺野は情け容赦もなくくすぐられまくり、笑いすぎでまた涙目になっている。

 部屋の入口で、みどりはじゃれ合って笑いあう二人を、なんとも嬉しそうに、そして少しだけ切なそうに見つめていた。

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