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輪廻  作者: 代田さん
第二章 友達
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5月11日 8

 ハンズに向かう緩い上り坂を、寺崎は紺野の左腕をつかみ、ほぼ走るに等しいスピードで歩いていた。紺野は何度も転びそうになりながら、そのあとを引きずられるようにしてついていく。

 玲璃は寺崎のあとを小走りで追いかけ、その顔をのぞき込んだ。


「どうしたっていうんだ? 寺崎」


 寺崎は不機嫌そうな表情で前方を見つめながら、ようやく少しスピードを落とした。


「週刊誌か何かでしょ、あれ。あんなのに捕まったら、あることないこと暴かれまくりますよ。もみ消すのも大変だ」


 玲璃はちらりと後ろに目を向ける。あとをつけてきてはいないようだ。


「……そんなものなのかな」


「そうっすよ。しかも紺野は、堂々と大勢の前で力使ってっから。おまえ、隠すってこと、もう少し考えた方がいいかもな」


 左腕をつかまれて引きずられていた紺野は、いくぶん息を弾ませながら、申し訳なさそうに目線を落とした。


「すみません」


「いや、今日のは仕方ねえ。ただ、隠せそうなときは、できるだけ隠せ。普通の人間は、おまえの能力を見ればビビるにきまってんだから。ビビるか、珍しがって必要以上に持ち上げるか、とにかくろくなことはねえんだから」


 そのことは、紺野も十分承知しているらしい。素直にうなずいた。


「そうですね。気をつけているつもりだったんですが……すみません」


 寺崎は安心したように笑いかけると、足を止めて辺りを注意深く見回した。


「もう、大丈夫かな」


 玲璃も感覚を研ぎ澄ませて気配を探る。


「大丈夫だ。怪しい気配はない」


「総代がそう言うんなら、もう大丈夫っすね」


 寺崎がホッとしたようにそういうと、玲璃は困ったように笑って肩をすくめた。


「怪しい気配はないんだが……見知った気配はあるから、私はそろそろ行かないと」


「見知った気配って……」


 寺崎は言いかけてハッとした。数百メートル先の路肩に、見覚えのある黒塗りベンツが停車していているのが目に入ったのだ。


「ただ、さっきのことがあるんで、寺崎はあいつらに見つからない方がいいよな。おまえらはもう行った方がいい、けど……ここ、どこだ? 場所はわかるか?」


「えっと、ハンズの裏手です。そこの細い道に入れば、すぐさっきの店っすから」


「そうか」


 玲璃はうなずくと、ふと心配そうな表情を浮かべて紺野を振り返った。


「紺野、何かいろいろあって大変だったけど、自転車なんかで帰って本当に大丈夫か? 寺崎はともかく、おまえ一人なら、車で家まで送ってやることもできるぞ」


 紺野は、普段通りの穏やかな笑顔で首を振った。


「ありがとうございます。大丈夫です」


 あの感覚に鳥肌をたてつつも、玲璃は紺野から目を逸らさなかった。くいいるように自分を見つめる玲璃の真摯しんしなまなざしに、紺野の方がドギマギして目線をさまよわせる。


「……何ですか?」


「いや……良かった。いつもの紺野だ」


 きょとんとして首をかしげた紺野に、玲璃は真剣な表情で訴えかける。


「おまえ、死んだらダメだからな」


 紺野は、ハッと目を見開いた。

 玲璃の隣に立っていた寺崎も、ちらりと紺野に目線を流す。


「あんまり思い詰めるな。おまえ一人が抱え込むような問題じゃない。おまえには、あまり役には立たないかもしれないけど、いちおう私も、寺崎もついてる。困ったことがあったら、どんなことでも言ってほしい。おまえは、一人じゃない。だから、もう……死ぬ、なんてことは、言わないでほしい」


 紺野は黙って玲璃の直向きな視線を受け止めていたが、なんとも言えない表情を浮かべると、深々とうなずいた。


「分かりました。気をつけます。ありがとうございます」


 紺野の背負っているものは、簡単に分け合えるほど軽くはない。自分たちにそれだけの力がないこともわかりきっている。それでも、分け合いたいという意思を伝えるだけでも、何か変わることがあるのかもしれない。ほっとしたようにほほ笑む玲璃を見ながら、寺崎もまた、思いを新たにするのだった。



☆☆☆



 寺崎と紺野が自宅にたどり着いたのは、午後六時をまわった頃だった。

 ずいぶんと日が長くなってきているので、買ったばかりの自転車のライトが自動点灯したのは、ほんの少しの間だけだった。


「大丈夫か? 紺野」


 アパートの敷地内なので自転車を押して歩いていた紺野は、寺崎の言葉に笑顔でうなずいた。


「はい。案外早かったですね」


 寺崎は腕時計にちらりと目をやる。


「十五分ちょい、か? ゆっくり走っても、四キロくらいならこれくらいで行けるってことだな」


「寺崎さんは、ゆっくりだったんですか?」


 自転車を停めながら紺野が目を丸くすると、寺崎は当然のようにうなずいた。


「あのペースなら、余裕ありすぎ。ま、汗かかなくて助かるけどな」


 言いながら、自宅の玄関扉を開ける。


「ただいまぁ」


「お帰り。大丈夫だったの?」


 奥から車椅子で出てきたみどりに、寺崎は靴を脱ぎながら笑顔でうなずいた。


「大丈夫。こいつがいたから……」


 寺崎は明るくそう言うと、靴を脱ごうとしていた紺野の肩に右手を回し、肩を抱くような格好で自分の方に引き寄せる。が、何を感じたのかきつく眉根を寄せると、されるがままに引き寄せられてしまった紺野の顔を、腰をかがめてのぞき込んだ。


「? どうしたの? 紘」


 息子の行動に違和感を覚えたみどりが問いかけるも、寺崎はそれには答えず、やおら紺野の額に左手の手のひらを押し付けた。紺野は目を丸くすると、息を詰めて身を固くする。


「おまえ、また熱出してねえか?」


「……え?」


 と、みどりが車椅子の車輪をまわして紺野の前に進み出た。


「どれ。紘、代わって」


 寺崎が場所を空けると、みどりは紺野の側に車椅子を寄せ、その手を伸ばした。


「紺野さん、届かないからちょっとかがんでくれる?」


「あ、はい」


 紺野が素直に身をかがめると、みどりはその額にそっと右手をあてがった。

 みどりの手の温もりに顔が火照ってくるのを感じつつも、紺野は言われたとおり、しばらくそのままの姿勢でかがみ込んでいた。


「……あらら。やっぱりちょっと無理させちゃったみたいね」


 みどりはため息をつくと、紺野の額から手を離して寺崎をにらんだ。

 寺崎は申し訳なさそうに身を縮める。


「悪かった。退院直後にいろいろ動きすぎたな」


「とにかく中に入ってちょうだい。食べられるものを食べて、早く横になった方がいいわ」


 みどりに促され、紺野は部屋の中へ入った。ダイニングテーブルには、すっかり食事の用意が整っていて、いい匂いが部屋中に満ちている。紺野は足を止めると、しばらくの間、ぼんやりとそのテーブルを見つめていた。


「どうした?」


「あ、いえ……」


 寺崎に問われて、紺野は恥ずかしそうに目線を泳がせてから、笑った。


「家に帰ってきて食事の支度ができているのは、本当に、久しぶりなので……」


 その言葉に寺崎は、困ったような笑みを浮かべた。


「ほんとおまえって……なんていうか、かわいいよな」


 温めた煮物を盛りつけながら、みどりもほほ笑んだ。


「だから紺野さんなのよ。でも、なんだか別人みたいで、びっくりしたわ。ずいぶんかっこよくなっちゃって。紘の趣味も、悪くないわね」


 大皿に盛られた煮物をテーブルに運びながら、寺崎は嬉々としてうなずいた。


「だろ? 総代にも好評だったんだから」


 よそった飯を受け取る紺野に、みどりは優しく声をかける。


「紺野さんは無理なさらないでね。食べられそうなものだけで」


「はい。すみません」


「いいのいいの。残ったら、明日の朝俺が食べっから。無駄は出ねえよ」


 三人は支度の調ったテーブルに着くと、あいさつをして食べ始めた。

 みどりは煮物に箸をつけながら、思い出したように寺崎に聞いた。


「そうだ。さっき、こいつがいたから大丈夫、みたいなことを言ってたけど、何かあったの?」


 みどりの言葉に寺崎は表情を改めると、うなずいた。


「あの子ども本体が現れた」


「ええ!?」


 みどりは目を限界まで見開いて、目の前に座る寺崎と紺野の顔を交互に見やった。


「……でも、大丈夫だったのね。ケガもなく」


「ああ。すごかったんだぜ、紺野。あの子ども本体を相手に、全然引けを取らなかったんだから。ちゃんとシールドも張れたんだよな」


 寺崎は明るくそう言って隣に座る紺野に目を向けたが、その顔を見て心配そうに眉をひそめた。

 紺野は箸を手にしてはいるものの食事に全く手をつける様子がなく、椅子の背もたれに体重を預け、テーブルの真ん中あたりを見つめて荒い呼吸を繰り返している。


「おまえ、すぐに寝た方がいいんじゃねえか」


 寺崎に言われて、紺野は慌てて体を起こすと箸を動かし始めた。


「あ、いえ、大丈夫で……」


「紘、ちょっと体温計持ってきて」


 みどりに言われて、寺崎はすぐに席を立つと隣室から体温計を持ってきた。ケースから取り出すと、紺野の脇の下に強引に差し込む。


「あ、あの……」


 心配だったのか、寺崎は紺野の肩に右手を当て、左手で体温計を押さえたまま、いつまでもその手を離そうとしない。超至近距離にいる寺崎の呼吸を額のあたりに感じながら、紺野はどうしていいのか分からないといった様子で、落ち着けどころなく目線をさまよわせていた。

 やがてピピッという音がしたので、寺崎は体温計を急いで取り出すと表示された数値に目をやり……あきれ果てたようにつぶやいた。


「……三十九度二分」


 その言葉に、みどりも驚いて目を丸くした。


「まあ。そんなに高いなんて思わなかったわ。平気そうにしてるから」


 寺崎は怖いくらいの表情で、小さくなっている紺野をにらみつけた。


「おまえ、今すぐ寝ろ」


「でも……」


 寺崎は紺野の左腕をつかむと、強引に立ちあがらせる。


「これ以上悪くなったら、おまえ、月曜から仕事できねえぞ」


「そうね。すぐに寝た方がいいわ。ごめんなさいね。すぐに測れば良かったのに」


 みどりも申し訳なさそうにそう言ってから、寺崎に腕をつかまれて困惑したような表情を浮かべている紺野を、優しい目で見つめた。


「心配なさらないで。明日の朝も、ゆっくり寝ていてくださいね。家の仕事は私たちで全部やれますから」


「いえ、でも、それでは……」


「病気の時はお互いさまです。私も具合が悪いときは紘に全部やってもらいますし、逆の時は私が全部やっていますから。一緒に暮らすって、そういうことでしょ」


 笑顔でこう返されて、紺野はそれ以上返す言葉もなくみどりを見つめた。紺野にとって、それはあり得ないことだった。どんなに調子が悪くても、全てを自分一人でやらなければならなかった彼にとっては。


「ほらほら、部屋に行って寝てろ。着替えは出しといてやるから」


 寺崎に背中を押されながらも、紺野はみどりの方を振り返ると、再度、深々と頭を下げた。

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