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輪廻  作者: 代田さん
第二章 友達
78/203

5月11日 6

 雑居ビルの屋上は、がらんとして何もない。古くさいタイル貼りの床が広がっている他は、片隅に階段の登り口と、さびた給水タンクがあるだけだ。転落防止の柵も申し訳程度の低いものがついているだけで、あまり端の方へ行ったら簡単に転落してしまいそうだ。 

 紺野はその屋上の真ん中に立ち、じっと給水タンクの後ろ側を見据えていた。

 吹き付ける風が彼の髪を滅茶苦茶に吹き散らしているが、紺野は目元を覆う前髪をかき上げようともせず、一点を凝視して動かない。いつもの穏やかで控えめな雰囲気はウソのように影を潜め、そのまなざしには、張り詰めた緊張感が漂っている。

 さびた給水タンクの後ろ側には、誰かがいるようだった。姿自体はタンクに隠れて見えないが、左方から照りつける強い日差しに照らし出された丸い影……タイヤだろうか?……が、タンクの脇から半分くらい顔をのぞかせている。

 紺野は、淡く発光し続けていた。どうやら、屋上一帯を封鎖シールドしようとしているらしい。だが、能力は拮抗きっこうしていた。屋上一帯を覆い尽くさんと白い気が動くと、対抗するように赤い気がそれを押しやる。両方向から二つの力に押され、結果的に動きを止めた空気は、ピリピリするほどの緊張感をはらみつつ、タイル張りの床に沈殿していく。

 これ以上の封鎖は不可能だと割り切ったのか、紺野は給水タンクに向かって一歩を踏み出し、間合いをつめた。

 その時だった。


【来ルナ】


 凄まじいエネルギー量を持つ送信が紺野の脳を貫く。能力耐性のない者が受ければ、鐘楼の中心で鐘の音を聞かされるような感覚に襲われ、失神、昏倒こんとうは免れないだろう。だが、紺野はかすかに眉をひそめただけで、さらにもう一歩足を進めた。


【来ルナト言ッテイル】


【十六年ぶりか】


 紺野の口調から、いつもの敬語が消えていた。


【どのくらい大きくなったんだ? 姿を見せろよ】


 紺野がもう一歩足を進めた時。屋上の床に敷き詰められていたタイルが、紺野を中心とした半径一メートルほどの範囲だけを残し、まるで機銃掃射にでもあったかのごとく粉々に砕け散った。鼓膜をひっかくようなとがった音が立て続けに響き、もうもうとほこりが舞い上がる。ほこりに視界を遮られ、紺野は目を細めて給水塔の後ろを透かし見た。


【オマエノシールドナド、私ニハ効カナイ。ソレ以上近ヅクト、殺ス】


 紺野は無表情に肩をすくめた。


【近づこうが近づくまいが、殺すときは殺すだろう。それこそ関係ない】


 紺野がさらに一歩前に進み出たと同時に、給水タンク裏が赤黒い輝きに包まれた。そこから幾筋もの赤い光が、上空をめがけて一斉に放射される。いったん垂直に上昇したその「気」は、給水タンクの上あたり、五メートルほどの位置まで上昇したところで鋭角に向きを変え、紺野に向かって真っすぐに襲いかかってきた。

 赤い気の刃が、紺野の体を貫く寸前。

 紺野の体が、まばゆく輝く白い防壁シールドに包まれた。

 防壁シールドは、赤い気の能力発動と物理的攻撃から紺野を完璧に防護した。防壁と衝突した赤い気は、断末魔のような輝きを放っては霧のように消えていく。跳ね返った気は、やけくそのように周囲に突き刺さり、タイルや壁を粉々に砕いて消え失せる。

 舞い上がるほこりが一時視界をさえぎり、やがて、そのほこりが吹き散らされ、ゆるやかに晴れていく視界の真ん中に、紺野は先刻と同様の姿勢で立っていた。周辺は砕けたコンクリート片がまき散らされ無残な姿を晒していたが、紺野の足元はきれいな状態で、まるで何事もなかったかのようだ。紺野自身も、もちろん無傷である。


【……オマエ】


 紺野がシールドを張ったことに、そこにいる何者かは驚いたようだった。戸惑いを含んだ送信が脳を揺さぶる。

 紺野は無表情に、給水タンクに向かってさらにその歩を進めた。



☆☆☆



 カフェの周辺は騒然としていた。駆けつけた警察や消防の車が道路を塞ぎ、救急車のサイレンがビルの林にこだましている。

 やじ馬が遠巻きに見守る中、アルファロメオの運転手らしき男は数人の警官に周囲を取り囲まれ、事情聴取を受けている真っ最中だった。

 サングラスをかけたその男は、暑い日差しに照らされたせいなのか、それとも冷や汗が噴きだしているのか、とにかく汗だくだった。派手なシャツをべったりと背中に貼り付け、これまた派手な柄のハンカチでしきりに額の汗を拭いつつ、突然の事態に訳が分からないといった様子で、周囲を取り囲む警官にぺこぺこ頭を下げながら弁解に必死だった。


「いや、ほんとなんです。酒も飲んでません。本当に突然、ふっと意識がなくなって、気がついたらここに……」


 もう三度、同じことを言っているであろうか。警官たちは肩をすくめてお互いに顔を見合わせた。

 一方、その事件現場から離れたところでは、玲璃は護衛と言い争いの真っ最中だった。

 黒いスーツをビシッと着こなした壮健な三十代半ばの背の高い護衛は、困惑した様子で先ほどから同じセリフを繰り返している。


「ですから、これ以上の外出は危険なんです。ご自宅にお戻りください。今、こちらに車をまわしていますから、もう少しここでお待ちいただいて……」


 玲璃も、いきり立った様子で先ほどから同じセリフを繰り返している。


「だから、何度も言ってるように、今、紺野が鬼子と戦っているんだ! 早く紺野のところに行かなきゃならないのに、どうして行かせてくれないんだ!」


 背は低いながら筋骨隆々とした四十代と思しき護衛は、メガネの鼻根を押し上げながら渋面を作った。


「なぜわざわざ危険な場所にお嬢様がいかねばならないのですか? お嬢様を守れという総帥の命に反しますし、そもそも意味不明です。紺野という護衛が鬼子を引きつけているなら、われわれがなすべきは、その隙にお嬢様を安全な場所まで避難させることだけです」


「だめだ! 私は約束したんだ! 紺野が危ないときは、私は、紺野を……」


 言えば余計に事態をややこしくするだけだと気づいたのだろう、玲璃はハッとしたように言いかけた言葉を飲み込むと、悔しげに唇をかんだ。

 一歩下がった位置に立っている寺崎は、そんな玲璃を複雑な表情で見つめていた。

 玲璃の身の安全を考えれば、紺野が鬼子を引きつけている間に安全な場所に避難するという護衛の考えはしごく真っ当だ。本当のことを言えば、寺崎もそうした方がいいと思っている。だが、彼は知ってしまっている。あの河原で、玲璃が紺野とした約束のことを。そして、あの時自分も、彼女と同じ約束をしてしまっているのだ。

 現実に鬼子の攻撃にさらされている今、あんな口約束にこだわって玲璃を危険にさらすのは愚かの極みという事くらい、寺崎にだってわかる。わかるのだが、同時に寺崎は、そういう危険を言い訳にして、あの時の約束を反故ほごにしてしまうのもまた、人間として絶対に許されないことだとも感じていた。そして、玲璃が今、何を一番大切にしているかということも。


――仕方ねえな。責任は全部俺が引き受けるか。


 寺崎が鼻でため息をついた時、ちょうど黒塗りベンツが到着し、路肩に停車してドアを開いたところだった。


「さ、お嬢様、まいりましょう」


 護衛の一人が玲璃の腕をつかみ、もう一人がその背を押して黒塗りベンツに押し込もうとする。玲璃は最後のあがきのようにその手を振り払おうともがいた。


「いやだ、離せ!」


 待ってましたと言わんばかりに寺崎は大きく息を吸い込むと、事件現場を検分している警官たちに聞こえるように、わざとらしく大声を張り上げた。


「たいへんだぁ! 嫌がる女の子を、怪しい男が車に引きずり込もうとしてる! お巡りさーん、助けてくださーい!」


 その声に、護衛は目を丸くして固まった。

 寺崎の大声に、現場の検分や事情聴取をしていた警官たちも、様子を遠巻きに見守っていたやじ馬たちも、一斉に黒塗りベンツの方に顔を向ける。見れば確かにその言葉通り、黒いスーツの「怪しい男たち」が、「嫌がる女の子」を「無理やり車に乗せようとしている」ではないか。警官たちは顔色をかえ、群衆はどよめいた。数人の警官たちが、検分を放り出して駆け寄ってくる。

 あまりの事態に、玲璃の腕をつかんでいた護衛の力が緩む。その隙を、玲璃は見逃さなかった。すかさず護衛の手を振り払い、脱兎のごとく走り出す。即座にトップスピードに乗った玲璃の姿は、次の瞬間、一般人たちの視界からかき消えた。寺崎もにやりと笑うときびすを返し、全力で玲璃のあと追って走り始める。彼の姿も、数秒後には群衆の視界から消えていた。

 玲璃をとりにがした護衛たちは青くなると、すぐさま彼女の後を追おうとする。だが、彼らを「不審者」認定している群衆は逃がそうとしない。群衆が護衛たちの周囲を取り囲むようにして退路を断つと、警官たちも護衛の前に立ちはだかり、「ちょっと、お話を聞かせていただいてよろしいでしょうかね?」などとやり始める。護衛たちは、自分たちが魁然義虎の依頼で玲璃の護衛をしていた旨を弁明するも、証拠がなければ解放されるはずもない。あれこれ証拠を提出しているうちに、玲璃の気配も寺崎の気配も、護衛たちの観測範囲から消えていた。

 そんな騒ぎの中心からさらに数メートル先、やじ馬の人垣から外れた路地の片隅では、事故を目撃したカフェの女性客が、雑誌か何かの記者と思しき眼鏡をかけた三十代くらいのパンツスーツを着た女性と話をしていた。


「あの車が、いきなりつっこんできたんです。赤信号を無視して……そうしたら、店の前に立っていた男の子が、どうやったかは分からないですけど、突っ込んできた車を止めたんです。本当です! 両手で、車を押さえて……そのあと、割れたガラスがたくさん上から降ってきて、ものすごいほこりが立って様子が見えなくなって……。見えるようになったときにはもう、その子はいなかったんです」


 手早くメモを取る女性記者の脇で、小太りのカメラマンらしき中年男性は、事故現場や、アルファロメオ、聴取を受ける運転手の写真を撮っている。彼がシャッターをきるたび、シャッター音が小気味のいい音をたてた。


「じゃあ、その子が今どうしているかは分からないんですね。……その男の子って、どんな感じの子だったか、覚えてらっしゃいます?」


「高校生くらいの、モデルさんみたいにかわいい子でした。友だちと三人でいたようだったんですけど、……すごくかわいかったから、あたし、実は事故の起きる前、こっそり携帯でその子の写真、撮ってたんです」


 女性は声を潜めてそう言うと、携帯を取りだしてその画面を女性記者に見せる。


「この子です。この、茶色い髪の……」


 女性記者は身を乗り出すと、まじまじとその画面を見つめた。


「……それ、私の携帯にいただいても構いません?」


 女性客が画像を送信すると、眼鏡の女性記者はさっそく画像を確認し、なぜだかにんまりと満足げな笑みを浮かべると、取材に応じてくれた女性客の連絡先を聞いて、丁重に礼を言った。

 女性客が立ち去ると、眼鏡記者は隣に立つカメラマンに、興奮が抑えられないといった雰囲気でささやきかけた。


「……使えるかも!」


「使えるって、何がすか?」


「この子よ、この子!」


 そう言って、転送された画像を開いてカメラマンの鼻先に突きつける。カメラマンはおよび腰になりつつも、その画像を見やった。


「この顔で、突進してきた車を素手で止めたときたら、話題沸騰間違いなしでしょ。スクープよ、スクープ!」


 カメラマンはやれやれとでも言いたげに肩をすくめて苦笑いした。


「いや……素手でって、どうせ見間違いかなんかっしょ。須永さんはすぐにそういう怪しいネタに飛びつくから……」


「いーのよ! 見間違いでも何でも、もし他の人も似たような場面を見ていたら、絶対にネットに上がってくる。しばらくはSNSを厳重にチェックして、他にこれ系の話題が上がらないかに注意しましょ。いくつかあがってくればその時点である程度の記事にはなるし、私は絶対、それ以上に面白いものになると思う!」


 須永と呼ばれた眼鏡記者が口角泡を飛ばしながらまくし立てた、その時だった。

 工事現場などでよく聞かれる、何かが激しく砕け散るような大きな音が、ビルの合間に響き渡った。


「何⁉」


 記者らが慌てて周囲を見回すと、程なく、すじ向かいのビルの屋上から、土ぼこりのようなものが大量に巻き上っているのに気がついた。


「……あそこに誰かがいる!」


 情報を扱うものの直感とでも言うべきか、須永は、そこで何かが起きていると確信したらしい。隣にいたカメラマンの腕をつかむと、有無を言わせず走り出した。


「行きましょう!」


「え? 須永さん……」


「あのビルの屋上よ! 急いで!」


 須永はカメラマンの男性を引きずりながら、古びた雑居ビルに向かって全力疾走する。年に似合わぬその素晴らしい走りを、すれ違う通行人が目を丸くして見送っていた。

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