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輪廻  作者: 代田さん
第二章 友達
77/203

5月11日 5

 人通りの多い大きな通りに面したオープンテラスに、三人は座った。

 寺崎も、玲璃も、そしてこの日は紺野も、相当に人目をひく部類に入っている。通行人たちが彼らにちらりと目線を送っていくのだが、無論三人は知る由もない。


「わ、おいしいぞ、これ」


 玲璃はグラスからこぼれ落ちんばかりにフルーツが盛られたソーダ水を飲んで、目を見はった。


「マジすか?」


 同じ物を頼んでいた寺崎もさっそく口にすると、両手で頬を挟んで感嘆のため息をつく。


「んん〜、トロピカルって感じ。紺野、おまえも飲んでみる?」


 アイスコーヒーを飲んでいた紺野は、笑って首を振った。

 寺崎と玲璃はたわいもない話で盛り上がっている。彼らの笑い声を聴きながら、紺野はぼんやりと道行く人を眺めていた。彼らと同様、友だちどうしで楽しそうに笑いあっている若者たち。小さい子どもの手を引いて歩く父親と、ベビーカーを押す若い母親。ゆっくりした歩調で互いをいたわりながら歩く老夫婦……。

 幸せな光景だった。もちろん、中には内心の葛藤を抱えつつ歩いている人もいるだろう。だが、それでも幸せだと紺野は思う。少なくとも、生きている。

 あの日。他ならぬ自分のために命を落とした人たち。彼らも、その瞬間までは確かに幸せだった。今、目の前を行き交う人々と同様に、日常のごくありふれたひとときを、ことさら幸せとも思わずに過ごしていた。

 ことさら幸せとも思わず……これこそ、幸せの最たるものだと紺野は思う。幸せを幸せとも特に思わず、ごく当たり前に毎日を過ごしていけることこそ、本当の幸せなのだと。

 目の前で笑いあう寺崎と玲璃。彼らもさまざまなものを抱えてはいる。だが、今この瞬間は確かに幸せなのだ。そして自分が今、こんなに穏やかな気持ちでいられるのも、そんな彼らのおかげなのだ。彼らは、幸せになる資格のない自分のような人間をも幸せにしてくれている。彼らの、いや、目の前にいる全ての人たちの日常を守りたい。紺野は強くそう思った。


「……紺野、紺野ってば」


 はっとして紺野が声の方に目を向けると、自分を心配そうに見つめる玲璃と目があった。


「どうした? ぼうっとして……大丈夫か?」


「あ、いえ。すみません。なんでも……」


 紺野はあわてて、取り繕うような笑顔を浮かべた。


「かわいい子に見とれてたんじゃないの? 紺野くん」


 にやにやしながら茶化す寺崎を、玲璃は横目でにらんだ。


「それはおまえだろ……本当に、疲れたなら言ってくれ。寺崎、今日はこれで自転車を買ったら終わりだろ」


「あー……まあ、教科書は新宿に行かなきゃだし、文房具もそっちで買った方が安いから、そうっすね。残りは明日かな」


「じゃあ、そろそろ行こうか。紺野はこの後、自転車に乗って帰らなきゃならないんだから」


「俺なんか走るんすよ〜」


「おまえは大丈夫だろ、魁然系なんだから。ごめんな、紺野。今日はおまえの買い物だったのに、私まで買い物しちゃって」


 紺野は優しい表情でほほ笑むと、首を横に振った。


「とんでもない、楽しかったです」


 その途端、背筋を駆け抜けるあの感覚。玲璃は息をのんで背を反らすと、慌てて紺野から目をそらしたが、ややあって、遠慮がちに口を開いた。


「……また、誘ってくれ」


 その言葉に寺崎は目を丸くすると、あふれんばかりの笑顔で何度もうなずく。


「もちろんっす! 何だったら、明日もご一緒にどうすか?」


 玲璃は寂しそうに笑った。


「明日はやることがあって……花嫁修業をしなきゃならないんだ。でもまあ、まじめにやるよ。私は世間知らずだし、自立もできてない。せいぜい習えるものは習っておかないと」


 寺崎は複雑な表情を浮かべるも、元気づけようと意識的に明るい声を出す。


「がんばってくださいよ。俺たちも、何か手伝えることがあったらやりますから」


 すると玲璃は、紺野の方にくるりと向き直った。


「紺野、今度、ほんとうに料理を教えてくれ」


「え?」


 いきなりふられて、紺野は、目を丸くして動きを止めた。


「今日は寺崎に、買い物の仕方を教えてもらった。ありがとな、寺崎。本当に楽しかった」


 玲璃に笑顔で頭を下げられ、寺崎は真っ赤になってうろたえた。


「い、いえ、そんな、たいしたことじゃ……」


「いつか……いつでもいいんだ。寺崎の家に行ってもいいか?」


「え⁉ は、はい。もちろん、いつでも大歓迎すけど……」


「よかった」


 玲璃はにっこり笑うと、くるりと首を巡らせて紺野を見た。


「そうしたら紺野、その時に、料理を教えてくれないか? 私は本当に何にもやったことがなくて、調理実習レベルしか知らないから、いろいろと教えてほしいんだ。な、紺野、いいか?」


 まつ毛の長い大きな瞳が、まっすぐに自分を見つめている。その真摯しんしなまなざしと、背筋を駆け上がるあの感覚に飲まれ、一瞬、紺野の返答が遅れた。

 その時だった。


――来る!


 紺野はハッと目を見開くと、弾かれたように席を立ち、上方を振り仰いだ。

 玲璃と寺崎も、紺野の目線を追って上階を見る。

 次の瞬間。赤い気の刃がガラス張りのビルの上階を一閃いっせんし、横一直線に切り裂いた。


「……!」


「伏せてください!」


 そう叫んだ紺野に、何が起きているのか全く分かっていないテラスの客らが、不審げに目を向ける。

 紺野の叫びと同時に、寺崎は玲璃をテーブルの下に引き込み、覆い被さるようにして伏せた。道の向こう側から様子を見ていた魁然家の護衛も、異常に気付いて駆け寄ってくる。テラスの客たちは、何が起きているのかすらわからないのだろう。けげんそうに彼らを眺めているだけだ。粉々に割れた上階のガラス片が、そんな客たちの頭をめがけて一直線に降りそそいでくる。

 紺野は、その場に立ち尽くして動かなかった。顔を上方に向け、降り注いでくるガラス片をじっとにらみ据えている。


「紺野!」


 玲璃が叫んだのと、紺野の体から白い輝きがほとばしったのは同時だった。

 その膨大なエネルギーは、落下する全てのガラス片を瞬時に包み込んだ。エネルギーに包まれたガラス片は、その瞬間に花火のような強い光を放って跡形もなく蒸発した。

 寺崎と玲璃は息をのんだ。紺野は、三千度以上にもなる熱量を全てのガラス片に与え、あの一瞬で気化させたのだ。しかも、あの数を全て一度に。普段の穏やかな彼からは想像もつかないその能力の高さにおののきつつも、二人が紺野のそばに行こうと体を起こしかけた、その時だった。

 金属とゴムが激しく擦り合う甲高い音が、二人の鼓膜に突き刺さった。

 切り裂くような鋭いブレーキ音とともに、三百メートルほど先の交差点に突っ込んできたのは、一台の真っ赤なアルファロメオだった。赤信号を無視し、交差点に差し掛かったベンツを急停車させ、対向車線にはみ出してなお速度を緩めない。アルファロメオを避けようとした対向車線の車がハンドル操作を誤り、路肩の柵に派手な音を立てて激突すると、その後ろに次々と後続車両が追突する。自分たちの目の前ギリギリで止まった車に、若い男たちは腰を抜かしてへたり込んだ。鳴り響くクラクションと、人々の叫び声。だが、幸運なことに、ケガ人はいなかったようだ。幸運……? 無能力の人々には、そうとしか思えなかっただろう。だが、寺崎と玲璃には見えていた。歩道に突っ込んだ車を包み、動きを止めた白いエネルギー波が。

 アルファロメオはスピードを一切緩めずに、紺野たちのいるカフェをめがけて一直線に突っ込んでくるようだ。玲璃は声を張り上げた。


「みなさん、逃げてください!」


 カフェの客達は、さすがに今度は何が起こっているのかわかったらしい。だが、唐突に突きつけられた深刻な事態に、客たちは逃げるどころかパニックに陥った。叫び声を上げる者、凍りついて動けなくなる者、相手を押しのけようとつかみ合う者、恐怖に気を失う者……。

 玲璃はぼうぜんとした。彼らを何とか逃がさなければ大惨事は確定だ。だが、どうすればいいのか分かりようもない。ぼうぜんと立ち尽くす玲璃の腕を、寺崎がつかんだ。


「総代は、逃げてください!」


「ほかの人たちはどうするんだ!」


「総代がここに残っても、結果は同じです! 早く!」


 と、ようやく玲璃のもとにたどり着いたスーツ姿の魁然家の護衛二人が、玲璃の腕をとらえて引きずるようにその場から連れ出し始める。玲璃は息をのんで暴れた。


「なにをやってるんだ⁉ 私のことはいいから、他の人たちを何とかしろ! ……寺崎! おまえはどうするんだ⁉」


 暴れながらも、玲璃は屈強な護衛に引きずられていく。寺崎はホッとすると、上着の袖をまくり上げて腰を落とす。自分の体を車に当てれば、止めることはできずとも、多少は勢いを落とせるかもしれない。魁然家の護衛として、力の弱い自分にできることはそのくらいしかないと、寺崎が覚悟を決めて爆走してくる車に相対した、次の瞬間。

 寺崎の視界が、目を開けていられないほどの白い輝きで染まった。

 思わず目を閉じてしまってから、ハッと目を開くと、そこはカフェの道向こうにある雑貨屋の前だった。


――え?


 慌てて周囲を見回すと、すぐそばには、護衛に腕をつかまれた玲璃がキツネにつままれたような表情で立ち尽くしている。足元には、さきほどカフェの店先で気を失っていた中年女性が倒れている。叫び声をあげてパニックに陥っていた高齢男性客も、頭を抱えた格好のままで路上に座り込んでいる。われ先に逃げ出そうとつかみ合いをしていた若い男性客も、お互いの襟元をつかみ合った状態でぼうぜんと立ち尽くしている。若い女性客も、すぐそばの道を歩いていた中年男性も、老夫婦も、寺崎や玲璃たち同様、あっけにとられた顔で立ち尽くしていたり、座り込んだり、アスファルトに寝そべって気を失っていたり、皆が一様に、何が起きたのか分からないと言った表情でぼうぜんとしている。


――紺野だ。


 慌てて紺野の姿を捜すと、彼は先刻と同様、道の反対側に見えるカフェの店先に立ち、自分に向かって突進してくる車をじっと見つめている。


「紺野、逃げろ!」


 玲璃は声の限りに叫んだ。寺崎は、弾かれたように柵を乗り越えて走り出す。だが、すでに車は紺野の眼前に迫っている。到底間に合う距離ではない。店先に並んでいたおしゃれな造作の椅子やテーブルが、空き缶のごとく派手な音を立てて次々にはねとばされる。紺野が立っているのは、そのすぐ後ろだ。


「紺野!」


 寺崎が叫び、玲璃は思わず顔をそむけて目をつむる。

 辺り一帯を包む、重い静寂。

 玲璃はおそるおそる目を開き、紺野の方に顔を向け……その目を大きく見開いた。

 アルファロメオは、止まっていた。

 ひしゃげた椅子やテーブルがまき散らされた店先に、さっきまでの暴走がまるで夢だったかのように沈黙している。エンジンすら止まっているのか、あの狂騒がウソのような静けさだ。

 アルファロメオの前には、両手をバンパーにかけ、両足を前後に開いて踏ん張った姿勢で若い男が立っていた。俯いた顔にかかるサラサラの茶色い髪が、緩い風になびいて揺れている。


――紺野。


 玲璃には、バンパーにかけられた紺野の両手の先が、ほのかに白く輝いているのがはっきり見える。能力発動テレキネシスで車の動きをとめたのだろうということはすぐにわかった。だが、エネルギー波が見えない普通の人間には、まるで紺野が両手の力で車の突進を止めたように見えたかもしれない。

 なんにせよ、最悪の事態は免れたようだ。玲璃はホッと全身の力を抜いた。

 だが、事態はそれで終わりではなかった。


「危ない!」


 寺崎の叫び声と同時に、意識を貫く赤い気の気配。玲璃は弾かれたように上階を見上げた。

 高層階の窓を、再び赤い気の刃が切り裂いたのだ。高層階からキラキラと光りながら急降下してくる破片が、瞬く間に紺野に肉薄する。

 ガラスの落下速度からすると、さっきの方法では恐らく間に合わない。ガラス片の落下位置には、紺野の他にはアルファロメオの運転手以外いない。運転手は、車の中だから取りあえず安全だ。玲璃の背筋に、ゾッと寒気が走った。


「紺野! シールドしろ!」


 玲璃が叫んだのと、紺野の周囲にガラス片の銃弾が一斉に着弾したのは、ほぼ同時だった。

 機銃掃射のような連続音が地面を揺るがせて響き渡り、立ちこめる土煙であっという間に視界が遮られる。


「紺野!」


 寺崎も青ざめた。いつものパターンなら、紺野は自分を守れない。ゆえに、シールドも張れない。知らず二の腕に鳥肌を立てつつ、息を詰めて土煙の向こうを凝視する。

 土煙が風によって少しずつ流されるに従い、辺りは次第に輪郭を取り戻していく。ぼんやりと、アルファロメオのタイヤらしき黒いものが見え始める。その周囲に散らばっている、日の光を反射する無数の欠片。

 ガラス片は、アルファロメオを避けるようにして地面に直角に突き立っていた。高そうな車はもちろん、ハンドルに突っ伏している運転手も無傷で、ようやく意識を取り戻したのだろうか、頭を振るような動きをしきりと繰り返している。

 そして、車の前にはすでに、紺野の姿はなかった。


「……転移したか」


 寺崎は大きく息をついた。体中の力が抜ける気がした。あの一瞬、寺崎の頭を過ぎったのは、ガラス片に切り刻まれて血だらけの紺野の姿だっだ。玲璃も同じだったらしく、まだ幾分青ざめたまま、それでもほっとしたように寺崎に歩み寄ってきた。


「あいつ、どこへとんだか分かります?」


 玲璃は魁然家の総代だ。能力発動を感知する能力は、少なくとも寺崎よりは鋭い。玲璃は目を閉じて集中し、周囲に意識をとがらせた。


「分かった。あそこだ!」


 目を開いた玲璃が指さしたのは、ガラスが割れたビルから少しだけ離れたところにある、古びた雑居ビルの屋上だった。

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