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輪廻  作者: 代田さん
第二章 友達
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5月11日 4

 午後に入り、渋谷の人出は増える一方だ。信号が青になると、まるで決壊した堤防さながらに、人々がそれぞれの目的の方向に一斉に向かい始める。

 人混みに慣れている寺崎はもとより、並外れて運動神経のいい玲璃も、まるでそこに人など存在しないかのようにスイスイと歩いていく。人混みに慣れていない上に昨日退院したばかりというハンデつきの紺野は、ただもう目を白黒させながら、二人の後をついていくのがやっとだった。

 そんな三人が訪れたのは、西口の西急ハンズだった。


「カバン、買っちゃった方がいいすよね。なにせ月曜には登校できる状態にしなきゃならないすから」


 ネット通販だと間に合わないんすよね、とかなんとか言いながら、寺崎はエスカレーターに乗り、どんどん店の奥へ進んでいく。山のような商品に挟まれた細い通路に、たくさんの客がひしめき合っている。来慣れているらしい寺崎とは対照的に、紺野は辺りを怖々と見回しながらついて歩いている。


「紺野、おまえ、こういう店に来たことはあるか?」


 隣を歩く玲璃が聞くと、紺野は首を振った。


「いえ、全然。初めてです」


「私もだ。すごい人だな。物もいっぱいで、訳が分からない。……あっと、寺崎はどこだ?」


 慌てて見回すと、店の奥でリュックサックを物色している寺崎の姿が目に入る。二人は他の客にぶつかりそうになりながら、慌ててその側に向かった。寺崎とはぐれたら、本当に迷子になってしまいそうで不安だった。


「これなんかどうだ? モノは確かだから長持ちするし、容量でかいから教科書も楽に入る。値段も比較的手ごろ」


 不安そうな二人とは対照的に、寺崎は楽しそうに某スポーツメーカーのロゴの入った黒いリュックを差し出した。防水加工もしてあり、シンプルで機能的な一品だ。


「寺崎さんにお任せします。僕はこういう買い物は、苦手で……」


 紺野の了承を得たので、寺崎は店員に声をかけ、購入をはじめた。


「買い物は苦手か?」


 玲璃が問うと、紺野は恥ずかしそうに笑ってうなずいた。


「お金に余裕がなかったので、物を買うときは必要最小限になるようにあれこれ考えていたものですから。こんなふうにぽんぽん買うのは、正直言って怖いです」


「……そうか。苦手なことは寺崎に任せよう。あいつ、買い物好きそうだから」


 言いながら、玲璃はふと、壁に貼られている店内案内に目をとめた。

 『六階Aフロアにて、ドールハウスフェア開催中!』と書かれたファンシーなチラシに、玲璃は大きく目を見開くと、目をキラキラさせて文言に見入った。

 と、そこへ寺崎が購入した商品の袋を提げて戻ってきた。


「あれ、総代? どうかしました?」


「あ、いや……この店のドールハウス、私、いくつか持ってるから」


「マジすか? 見に行きましょうよ。総代がそういうの好きだとか、俺、全然知らなかった。俺もどんなものか見てみたいっす!」


 寺崎の言葉に表情を輝かせると、玲璃は嬉しそうにうなずいた。

 三人は連れ立ってエスカレーターに乗り、六階に向かった。一角にしつらえられた特設スペースには、たくさんの可愛らしいドールハウスが並べられていた。洋風のものもあれば、和風のものもある。精巧に作られた駄菓子屋や団子屋もある。寺崎も紺野も、興味深そうにそれらを眺めやった。

 玲璃も目を輝かせながら陳列に見入っていたが、そのうちの一つの箱を手に取り、真剣な表情でながめやった。寺崎は隣に立って、玲璃の手にしている箱をのぞき込む。オルゴールと照明のついた、上級者用の品だ。こんな難しそうなものも作れるんだと寺崎が感心していると、不意に玲璃がくるりと寺崎を振り仰いだ。


「……寺崎」


「何すか? 総代」


 玲璃はためらうように目線を逸らしてから、再度おずおずと寺崎を見上げて、恥ずかしそうに口を開いた。


「これ、……どうやって、買うんだ?」


「え?」


 寺崎は最初、玲璃が何を言いたいのか分からなかった。しばらくぽかんと口を開けて玲璃を見下ろしてから、驚いたようにその目を見開く。


「総代、もしかして、買い物したことないんすか?」


 玲璃は耳まで赤くなりながら、斜め下を見て怒ったように言葉を返す。


「……ないわけじゃない。ただ、こういうところは初めてなんだ」


 寺崎は納得したようにうなずいた。休日ですら護衛付きの外出が当たり前の生活だったのだ。きっと、高級専門店のサロンで店員お勧めの物を買うような、セレブな買い物しか経験がないに違いない。


「大丈夫っすよ、総代。あそこにレジのマークがありますよね。あそこに商品を持って行けば、あとは店員さんがやってくれます。困ったことがあったら呼んでください。すぐ行きますから」


 玲璃に笑いかけると、戸惑う背中をそっと押してやる。玲璃は不安そうだったが、覚悟を決めたようにうなずくと、レジの方へ歩いて行った。どこに並ぶのかわからない様子で右往左往しているのを寺崎はハラハラしながら見ていたが、助けに行った方がいいかと足を踏み出しかけた時、ようやく最後尾を見つけたのだろう、玲璃が列に並んだ。順番がきて、緊張した表情でドールハウスキットを差し出すところまで見届けると、寺崎は肩に入っていた力を抜いてホッと息をついた。ドールハウスを感心しきって眺めていた紺野が、様子に気づいて顔を上げる。


「どうしたんですか?」


「いや、ちょっと心配になって……。総代、ほんとにあんなんで結婚しちゃって、大丈夫かな」


 紺野は、レジで会計をしている玲璃に目をやった。緊張した表情で、店員に清算のやり方を教えてもらっている。


「大事に育てられてるのはいいけど、あれじゃ、まだまだ自立には早すぎって感じ。ほんとにやってけるのかな……」


 不安げに語る寺崎を、紺野は心なしか温かいまなざしで見つめた。


「ま、俺が心配してもしょうがないけど」


 寺崎がそう言ってのびをしたとき、玲璃がドールハウスの包みを大事そうに抱えて小走りで彼らの所へ戻ってきた。


「買ったぞ、買えた!」


 誇らしげに玲璃が包みを二人に見せると、寺崎は笑顔でうんうんとうなずいた。


「よかったっすね、総代」


「ありがとう、寺崎」


 そう言って寺崎を見上げる花のような玲璃の笑顔に、寺崎は息をのんで赤くなった。あ、いや、とかなんとか言いつつひとしきり照れてから、感極まったようにつぶやく。


「……いいなあ、女の子との買い物」


 寺崎があまりにもしみじみと呟いたので、玲璃はぷっと吹き出してしまった。


「何だ寺崎。おまえ、彼女は?」


「んっと、中学んときにつきあってた子が、一人。でも、高校にはいる前に別れちゃった。今は寂しい一人もんです」


 しんみりとそう言ってから、顔を上げて笑顔を見せる。


「総代が来てくれてマジでよかった。紺野と二人きりじゃ、なんか怪しいっすもん。女の子が一人いてくれるだけで華があるっつーか、空気が全然違う」


「すみません」


 紺野が嫌みではなく本心から謝るので、玲璃も寺崎も吹き出してしまった。


「謝んなくていいの! おまえはもう、冗談つうじねえんだから……」


 三人は笑いながらエスカレーターに乗り、一階へ向かった。そこで自転車を購入しようというわけだ。

 玲璃は上機嫌だった。初めて自分で買ったドールハウスが嬉しくて仕方ないらしく、ちらりと袋に目を向けてはにこにこしている。

 彼女から離れた位置に立っている寺崎は、そんな玲璃の後ろ姿を眺めながら、玲璃に聞こえないくらいの小さな声でささやいた。


「総代って、かわいいよな」


 寺崎のすぐ前に立っていた紺野は寺崎を見上げた。寺崎は玲璃の後ろ姿をじっと見つめている。


「俺、ずっと憧れてはいたけど……実際に話してみるまで、こんなにかわいい人だとは思わなかった」


 紺野は前に立つ玲璃に目を移した。ふんわりとした柔らかな髪と、均整の取れたスタイル。ときおり手に下げた紙袋に目線を落とす、無邪気な横顔。裏表のない、純真で真っすぐな性格。相手を思いやって涙する優しさもある。寺崎の言うとおり、かわいらしい人だと、紺野も素直に思った。


「やっべえなあ。なんか、本気になりそ」


 紺野はほほ笑むと、遠い目をした。自分もずいぶん昔、彼女によく似た人に恋をした。寝ても覚めても、その人のことばかり考えていた。玲璃を見ていると、そんな昔の日のことがふとした拍子によみがえってきて、胸苦しいような、懐かしいような、不思議な気持ちになるのだった。

 と、一階に下りた玲璃が、ふと店外に目を向けて足を止めた。それから、くるりと振り返って二人を見る。


「なあ、のどが渇かないか?」


 寺崎もうなずいた。


「あー、確かにそうっすね。ちょっと、休みますか?」


 玲璃は満面の笑顔で、そこから見える屋外のオープンカフェを指さした。

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