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輪廻  作者: 代田さん
第一章 邂逅
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5月7日 2

 亨也はようやく午前の診療を終え、着替えを済ませた。

 午前中に入っていた予定はこれでようやく片付いたので、本当はこれから遅めの昼食をとる時間なのだが、亨也は病院を出た。そのまま、川の方へ歩き始める。

 診察中に感じた転移反応。紺野のものだとすぐに分かった。あの子どもが出現したのかと身構えたが、どうらやそうではなかったらしい。


――あのままでは、また熱を出してしまうからな。


 近い所なので亨也は歩いて向かう。不要不急の場合は、亨也もなるべく異能を使いたくないのだ。

 川べりに出て周囲を見渡すと、程なく川に降りる土手の途中に、膝を抱えてうずくまっている紺野の姿を見つけた。

 亨也は側まで行くと、声をかけようと口を開きかけたが、紺野の様子を見てためらうように動きを止めた。

 紺野は泣いていた。声を立てず、微かに肩を震わせながら。


「……紺野さん」


 気配に全く気づいていなかったのだろう。紺野は弾かれたように顔を上げると、潤んだその目を大きく見開いて振り返った。


「だめですよ、びしょ濡れでこんな所にいつまでも座ってたら。また熱が出る」


「どうして……」


「どうしてもなにも、転移反応を感じたんですが、診察中でね。やっと出られるようになったので、迎えに来たんです」


 そう言ってほほ笑む亨也の顔を、紺野は困惑と戸惑いを含んだ表情で見上げた。


「そんな、わざわざ、……お忙しいのに」


「そうは言っても、様子が分かっているのに放っておく訳にはいきませんから」


「……申し訳ありません」


 そう言って俯いた紺野の隣に、亨也は腰を下ろした。


「どうしたんですか?」


 紺野は黙っていた。黙って、じっと光を映してきらめく川面を見つめている。亨也ももうそれ以上は何も言わず、紺野に倣ってゆったりした流れに目を向けている。

 随分たってから、目線を川に向けたまま、紺野はようやく重い口を開いた。


「どうしたらいいのか、分からなくて……」


「何がですか?」


 紺野はまた口を噤むと、しばらくの間何も言わなかった。適した言葉が見つからないのか、唇をわずかに動かしながらじっと手元を見つめている。ややあって、絞り出すような言葉を発した。 


「僕は、……怖いんです」


「怖い?」


 紺野は頷くと、唇を震わせた。


「大切な人たちを失うのが……本当に、怖い」


 堅く目を瞑り、膝を抱えた両腕にその顔を埋める。


「寺崎さんが、一緒に暮らそうと言ってくれました。でも、僕が彼らに関わったせいで、もし彼らになにかあったら……僕は、きっと、耐えられない。どうしたらいいのか……」


 膝を抱えるその腕が、細かく震えている。

 亨也は哀れむような、でも、どこか優しいまなざしを、そんな紺野に向けていた。

 紺野は膝に顔をうずめたままで、呟くように言葉を続けた。


「今、僕は自分がしたことの罪深さを、改めて思い知らされています。今までは、他人と関わりがなかったから、分からなかった。大切な人を失うのが、こんなに……」


 紺野は言葉を探すように口を閉じた。しばらく黙っていたが、やがて震える声でひとこと、ポツリと呟く。


「こんなに、つらいこととは……」


 紺野はそれきり口を噤んだ。それ以上話せないようだった。

 亨也は、両腕に顔を埋めて震えている紺野から、日の光を反射してきらめく川面に目線を移した。しばらくは黙ってそのきらめきに目を向けていたが、やがて静かに口を開いた。


「それを感じることも、償いなんでしょう」


 紺野ははっと息をのみ、伏せていた顔を上げた。


「まっすぐに受け止めるしかありません。そのつらさを、被害者の方たちは乗り越えてこられたんです」


 ゆるゆると自分に目を向けた紺野に、亨也は優しくほほ笑みかける。


「そして、寺崎さんたちが一緒に暮らそうと言ってくれているのなら、受けるのもまた、償いでしょう」


 紺野はまじろぎもせず、静かに語る亨也を見つめた。


「あなたは、大切な人を失いたくないという思いと正面から向き合いながら、命がけで大切な人たちを守ってください。そうすることで、被害を受けた方々の心情を真に理解することができる。それが多分、今あなたにできる、最大の償いだと思います」


 そこまで言うと亨也は、恥ずかしそうに笑った。


「……何てね。偉そうなことを言ってすみません。医者をやっていると、命と向き合う場面が多くて。皆さん、本当に真剣で、本当に素晴らしい。いつも頭の下がる思いをしています。簡単に命を捨てようとする人の気が知れません。生きたくても、生きられない人がたくさんいるというのに」


 紺野は何も言えず、肩を震わせて俯いた。

 茶色い前髪の隙間からこぼれ落ちた涙が、びしょ濡れの膝に次々に滴り落ち、水分が飽和状態のジャージの生地に、それでもじんわりと染みていく。


「前にも言いました。あなたは、もっと自分を大切にしてください。あなたが寺崎さん達のことを大切だと思うように、彼らもあなたのことを大切だと思っているんです。彼らに、もうこれ以上、心配をかけないであげてください」


 その言葉に紺野は、涙に濡れた目を大きく見開いた。


『とりあえずおまえは、生きててくれりゃそれでいいんだ』


『おまえを一人にすると、何をするかわからねえ。俺はその方が、怖い』


『良かった、本当に……無事で、流されないで』


 これまでに、寺崎やみどりにかけてもらった数々のあたたかい言葉が、彼の脳裏にひらめいては消える。


「さて、行きましょうか。そろそろ私も、休憩時間が終わる」


 亨也は、ゆっくりとした動作で立ちあがった。

 膝を抱えてうずくまっている紺野にちらりと目を向けたが、それ以上何も言わず、病院に向かって歩き始める。

 紺野は、日差しを受けて眩しいほどにきらめく川面をじっと見つめていた。

 そうして随分長いこと、岸辺の芦の葉がたゆたう川の流れに目を向けながら、動かなかった。

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