5月2日 2
紺野は少年と間合いを取り、睨み合いつつも、頭の中では忙しく思考を巡らせていた。
――この子にはおそらく、先日の滝川とかいう男と同レベル、もしくはそれ以上の催眠がかけられている。この子の脳にかかる負荷を最小限にして、これを解くには……。
紺野は一歩だけ、少年との間合いを詰めた。少年は微動だにしない。紺野は注意深く様子を見ながら、もう一歩間合いを詰める。この少年は足に障害があり、身体能力は低い。能力発動に注意さえしていれば動きを止めることは可能だ。低い身体能力を補うためになんらかの能力発動をすれば、出所を探って本体の居場所を突き止められる。そう判断した結果の行動だっだ。
さらにもう一歩、紺野が間合いを詰めた、次の瞬間。少年の姿がかき消えた。転移だ。紺野は即座に出所を探るべく意識を集中する。だが、転移は移動距離に応じてエネルギー量の大きさが決まる。短距離であればあるほどエネルギー量は小さく、発動時間も短いため、探索は困難になる。その上、探り始めるや否や、紺野の背中に焼けるような痛みが走った。
紺野の背後に超短距離転移した少年が、手にしたハサミで紺野の背中を縦一直線に切りつけたのだ。あわてて振り返った紺野の顔を目がけて、少年は再度はさみを振り上げる。勢いよく振り下ろされたその切っ先を、紺野はすかさず両手で受け止めた。手のひらに切っ先が突き刺ささり、鮮血が顔に飛び散る。
――とらえた!
紺野は突き刺さったハサミごと少年の手をつかむと、意識を集中して白い輝きをまとう。体に一カ所でも触れられれば、少年の脳に負荷をかけずに催眠を解くことができるのだ。身体的接触がない状態で無理やり解除することも可能だが、脳に強い負荷がかかり、かなりの苦痛を与えることになる。こんな小さな子どもに、そんな手荒なマネをするのはしのびなかった。
少年は必死でハサミをひこうとしたが、切っ先が紺野の手のひらに突き刺さっているため、子どもの力では動かしがたい。紺野はハサミの刃もろとも少年の手をさらに強く握りしめると、目を閉じて意識を集中する。紺野の手から、手首に向かって血が流れ落ちた。
障壁を強引に潜り抜け、たどり着いた少年の意識世界の入り口。だが、そこには何もなかった。少年の意識は、色すらわからない絶対的な虚無で満たされているだけだ。紺野はハッとした。
――二重の障壁⁉
その一瞬の隙を突き、少年がハサミを奪い返した。白い床に、血しぶきが赤い火花のように飛び散る。少年は血だらけのハサミを握り直すと、紺野の眼前に高々と振り上げた。
☆☆☆
「苦戦しておりますな」
義文が、顎髭をなでながら呟く。
「あの男、強力な異能力者というわりに、まだほとんど異能を発動してないが、どういうことだ?」
廣政も訝しげに眉をひそめる。
義虎は廣政らの懐疑的な言葉に満足げな笑みを浮かべながら、バカにしたように肩をすくめてみせた。
「あんな貧弱な相手なら、私でもあっという間に決着が着けられそうなものですがな。そんな相手にあんなに手間取っているようでは、護衛になっても使い物になるかどうか」
魁然家の面々の人ごと感あふれる批評を聞きながら、寺崎は末席で一人いらいらしていた。
――そうだ。いつもあいつはギリギリまで能力を出さない。出しても、相手に影響が出ない程度の、最小限の力だけだ。
一方、玲璃は耳をふさぎたい衝動を必死で抑えながら、脳内に流れ込んでくるその悲惨な映像をただ黙って感受することしかできなかった。
☆☆☆
紺野は振り下ろされるハサミをギリギリでよけながら、病室の入り口を凝視した。
――いる。あの扉のすぐ向こうに、あの子どもがいる。
先刻の、短距離転移による一瞬の能力発動。そして、意識への潜入を防ぐ二重の障壁。どちらもエネルギー量自体は非常に低く、発動源の感知は極めて難しい。だが、紺野は感知した。超至近距離から発せられた、鬼子本体の気を。
ハサミが紺野の眼前数センチの位置を薙ぎ、前髪が数本宙に舞う。振り切ったハサミの勢いで体勢を崩した少年の隙を突き、紺野は出入り口に向かって駆け出した。
だが、鬼子は紺野の接近を許さなかった。
発動源が感知されたとを知り、もう隠す必要もないと開き直ったのだろう。少年を介して発せられた高エネルギーの衝撃波が、出入り口に向かう紺野の体を横ざまに薙ぎ払う。
紺野はそれを避けるでもなくまともにくらった。脇腹にヒットした衝撃波が鈍い音とともに紺野の体を左方向にはじき飛ばす。置かれていた医療器具をなぎ倒して壁に叩きつけられた紺野は、力なく床に崩れ落ちた。
☆☆☆
「そうか、わかった!」
突然、寺崎が耐え切れなくなったように叫んだ。玲璃をはじめ、享也の送信する映像に集中していた一同は、驚いて寺崎を見やる。
寺崎はそんな視線に気づいてもいない様子でまくしたてた。
「鬼子のやつ、紺野に能力を使わせないために、あんな子どもを送り込みやがったんだ!」
「……どういう意味だ? 寺崎」
玲璃が問うと、寺崎は矢継ぎ早に言葉を継いだ。
「紺野は、普通の人間が操られてるときは、いつもろくに能力を出さないんです。なんでだろうとずっと不思議に思ってたんすけど……子どもが操られてるこの状況を見てたらストンと落ちました。あの子に対して反撃なんかしたら、あの子も確実に能力影響をうけちまう。だから紺野は、いつもろくろく反撃しないんすよ!」
玲璃は大きく目を見開いた。
「……じゃあ、あんな状況で防壁を一切張らないのも」
寺崎はうなずくと、居ても立っても居られない様子で言葉を継いだ。
「防壁も影響すると思って控えてんじゃないすか? 俺は神代側の能力の詳細はよくわかんないすけど、工作用のショボいハサミであんな状態になってんのってつまりそういう事っすよね。滝川のときもそうだった。あいつ、ただ単に足で蹴られてるだけなのに、一切避けねえでボロボロになって……あ、でも、俺に対しては防壁張ってくれたんすよね。その辺がちょっとよくわかんないすけど……」
「静かにしていろ!」
堪忍袋の緒が切れたのだろう。義虎は握りこぶしを会議テーブルに叩きつけると、寺崎を白い目で睨んだ。
「勝手な憶測を並べ立てられたところで、われわれにとってはなんの足しにもならん。これ以上騒ぐとたたき出すぞ!」
義虎の一喝とともに、魁然側のいかついガードマンが寺崎に駆け寄る。寺崎は青くなって座席に座り直すと「すんませんでした」と何度も頭を下げた。
その騒動を横目で見やりながら淡々と送信を続けていた享也だったが、寺崎の発言に、わずかな引っかかりを覚えていた。
寺崎の推察は確かに一理ある。間近でなんども紺野の能力発動を目の当たりにしてきただけのことはある。だが、享也はそれだけでは不十分な気がしていた。紺野が能力を使わないことにはもっと何か別の、根本的な理由があるような気がしてならなかった。
☆☆☆
壁に叩きつけられた紺野は、上体を壁にもたれるようにして倒れていた。衝撃で、呼吸すら覚束ない様子だ。寺崎の言う通り、何の防御もしなかったらしい。
少年はゆっくりとそんな紺野に歩み寄ると、その頭上に工作用ハサミを高々と振り上げる。
「……危ない!」
思わず、寺崎と玲璃が同時に叫ぶ。だが、勢いよく振り下ろされたハサミの先に、既に紺野の姿はなかった。
空を切るはさみに驚き、はっとした少年が出入り口の方を振り返ると同時に、出入り口の扉の前に、何かにぶち当たったように中空から紺野が出現した。扉の向こうへ転移しようとしたものの、強力な防壁に弾き返されたようだ。防壁の強さは滝川の時の比ではないらしく、享也の送信を通して状況を見ている者たちにすら、部屋を包み込むようにそびえる赤く禍々しい気の壁をはっきりと目視することができた。
だが、義虎は無様に転がる紺野の様子を鼻で嗤った。
「なにをしているんだあの男は? なるほど、鬼子にかなわないのがわかって、部屋の外に逃げ出そうとしたのか。愚かな。やはりこんなヤツに玲璃の護衛は不可能だ。神代総代、外部影響が出るのを待つまでもく、結果は見えています。こいつは敵から逃げようとしている。玲璃の護衛には不適格です」
だが、その時、享也は気づいていた。防壁の異様な強さの、その理由に。
「……違います、魁然総帥」
「なにが違うんですかな? この男は、敵を放置して逃げようとしているのですぞ」
あざけるようなその言葉にも答えを返さず、蒼白な顔で意識を集中している享也のただならぬ様子に、義虎は眉根を寄せた。
「……神代総代?」
問い返されてようやく、享也は重い口を開いた。
「みなさん、落ち着いて聞いてください。すぐそこに、鬼子本体が来ています。紺野の病室の、すぐ外に……」
「なんですと⁉」
発言の衝撃に、義虎はもちろん、会議室全体が騒然となった。
「本体とは……だからあれほど強力な防壁なのか!」
「このまま放置していて本当に大丈夫なのですか? やはり、応援に行った方が……」
口々に不安を述べ、中には動揺しておろおろと席を立つ者もいる。その騒ぎを横目に見やりつつ、義虎は押し殺した声で問いかけた。
「では、もしかして、先ほどからのあの男の行動は……」
厳しい表情で享也は頷く。
「ええ。紺野はおそらく、催眠操作されているあの少年ではなく、少年を操作している鬼子本体と、防壁を突破して直接渡り合おうとしているのでしょう」
言葉を失った義虎をしり目に、眉根を寄せ、じっと病室内部の様子に集中する。
「さきほど、転移による脱出はかないませんでしたが、どうやら彼は鬼子の防壁に、能力影響を外部に及ぼせる「穴」を開けたようです。私が今も変わらず内部状況をトレースできているのも、恐らくその「穴」のおかげでしょう。紺野はその穴から自身の能力影響を外部に及ぼし、鬼子本体の周囲を遮断して、その場から動けないように拘束しているようです。その証拠に、部屋を覆っている防壁が徐々に弱まってきている。遮断によりエネルギー供給が断たれているためでしょう。無論、どこまでその状態を維持できるかはわかりませんが……」
享也は顔を上げ、驚愕の表情で固まっている義虎を鋭く見据えた。
「魁然総代、もうよろしいでしょう。紺野は現時点で、いくつもの能力を同時併用している。鬼子の防壁に明けた穴にしろ、防壁を突破して鬼子にかけている遮断にしろ、どれをとっても相当に高レベルです。戦い方に疑問の残る点はありますが、彼の能力は十分に護衛を果たせるレベルに達している。こんな茶番は終わりにして、そろそろ、われわれも現場に行かせていただけませんか? 病院に大きな被害が出てからでは遅い」
その言葉に、義虎は負けじと反駁する。
「なにを仰ってるんですか? まだ何も終わっていない。鬼子との決着がつくまでは……」
「おかしいですね。最初のお約束では「病室外に影響を出さずに事態を収拾できたら」ということでしたよ。しかも、催眠操作されたあの少年一人が敵だった場合を念頭に置いての話でした。鬼子の出現は想定外の事態です。室外に敵が出現してしまった以上、あの約束自体が効力を失っていますし、あまつさえ鬼子との決着まで条件に持ち出すのはやりすぎでしょう」
冷静でまっとうな指摘だったが、義虎は必死の形相で食い下がった。
「確かに鬼子の出現は想定外ですが、あの男が危機に対処しきれていないのは事実です。想定外の事態などいくらでもありうる。あんな程度の能力では、玲璃の護衛としては不適格でしょう。それ以前に、鬼子の実態を見るにつけ、玲璃の通学は不可能と言わざるを得ません。ここまで強力な能力者につけ狙われている状態で、通学を継続すること自体が間違いだ。他の生徒に与える危険が大きすぎる。玲璃の通学の可否については、再考せざるを得ない」
突然前言を翻した義虎の言葉に玲璃は息をのんだが、確かに鬼子の能力はすさまじく、他の生徒への影響を持ち出されてしまっては反論の余地もない。やはり自分の希望は子どもっぽく独りよがりなワガママにすぎなかったのかと、玲璃が重い気持ちで唇をかんだ、その時。
防壁に弾き返されて床を二転した紺野が、片膝をついて起き上がった。その右手にはすでに、バスケットボールほどの大きさの白い気の塊が火花を飛び散らせている。様子に感づいた少年が奇声を上げて襲い掛かり、手にしていたハサミを紺野の左肩に突き刺したが、痛みに息をのみつつも、紺野は野球ボール大ほどにまで凝縮した濃密な白い気の塊を、赤い防壁で覆われた出入り口に向けて遠投さながらに投げつけた。
亨也の送信を感受していた全員の視界が、痛いほどの白一色に染まる。
爆発の衝撃波が紺野と少年に襲い掛かる。肩にハサミを突き刺された紺野は、少年を抱きかかえて鈍い音とともに窓の方へ弾き飛ばされた。防壁を張りながらも、二人は床を勢いよく三転する。
赤い防壁の破れ目から噴出した白い気のエネルギーが、出入り口の扉を音もなく溶かし、沸騰させ、気化させる。白い煙の向こう側に見え隠れする、溶けた扉の穴と、病院の廊下と、何者かの人影――。
固唾をのんでその光景を感受していた亨也の頭に、切羽詰まったような紺野の「声」が響いたのはその時だった。
【お願いです、あなたがたも見てください! あいつの姿を……】
亨也は息を飲んだ。紺野はこの状況で享也のトレースを感知し、おそらくは鬼子の遮断をすり抜けて送信がスムーズに行われるよう補助もしていたのだろう。その能力の高さに改めて畏怖に近い思いを抱きつつ、意識を研ぎ澄ませて解像度を最大限まで上げる。もうもうと立ち上る煙の向こう側に見える、背の異様に低い何者かの姿。紺野が足止めしているせいだろう、白い輝きにつつまれて見えにくいが、なにか金属のようにつるりとした、大きな丸い器具のようなものが見える。それがなんなのか見極めようと、享也が意識を凝らした、その時。
鬼子を封じ込めていた白い防壁が一部分、大きく歪んだかと思うと、はじけ飛んだ。鬼子のエネルギー弾が紺野の防壁を突き破ったのだ。赤い気は刃のように空気を切り裂き、一直線に紺野に襲いかかる。
紺野は、床に倒れている少年をかばうように覆いかぶさった。
エネルギー弾は紺野の背中をかすめた。衝撃波で肉が裂けて鮮血が音を立てて飛び散り、壁や床を鮮やかな赤に染め上げる。エネルギー波本体は病室の壁を突き破り、はるかかなたに飛び去って消えた。
鬼子を封じ込めることに集中していた紺野の意識が、攻撃の瞬間、少年を守ることに集中した。そのわずかな間隙を、鬼子は見逃さなかった。紺野が慌てて意識を防壁に集中した時にはすでに、もうもうと上がる煙の向こうに、鬼子の姿はなかった。
紺野は落胆のため息をつくと、のろのろと覆いかぶさっていた少年から体を離した。
肩や背中から流れた血で、白い病院服は鮮やかな赤に染め上げられていた。手のひらもハサミに切られて深い切り傷ができている。紺野は肩に刺さったままになっていたハサミを傷ついた手で抜き取って脇に置くと、仰向けの姿勢で気を失っている少年を注意深く見た。シールドを張ったおかげで目だった外傷は見あたらない。呼吸も安定しているし顔色もいい。体調に問題がなさそうなのを見て取ると、紺野はほっとしたように表情を緩め、再び少年に覆いかぶさった。少年の額に自分の額を押し当てて目を閉じ、意識への侵入を開始する。その体が、白い輝きをまといはじめる――。
「もう、十分でしょう」
そう言うと、享也はそこで送信を切った。顔を上げ、言葉を失っている一族の面々を見渡す。
「いかがでしたか。彼は、鬼子本体の出現という想定外の事態を、病院に一切の人的被害を出さずにたった一人で乗り切りました。病室の扉や窓は損壊しましたが、あの程度の被害で済んだのは私は奇跡的だと思います。彼は今回、十分に果たすべき役割を果たしたと言えるでしょう。なにより、あの能力の高さは本物です」
魁然側の重鎮も、さすがに文句のつけようがないのだろう。享也の言葉に渋々ながら了承の意を示すように頷いていたが、義虎は一人、諦めきれない様子で食い下がった。
「だが、あの男は鬼子を逃がした。あそこまで追い詰めていながら、あんな攻撃を許し、逃走させてしまったのはあの男の失態としか言いようがない。やはりあの男は……」
「それはわれわれの失態です」
断ち切るように差しはさまれたその言葉に、義虎は続けようとした言葉を飲み込んだ。
「くだらないことにこだわらずに、われわれがもっと早くあの場に駆けつけていれば、もしかしたら鬼子をとらえることもできたかもしれません。そうしたら、この問題は今日で解決していたかもしれないのです。この絶好の機会を逃したのはひとえに、紺野という男への不信をぬぐいきれなかったわれわれ一同の責任でしょう。バカバカしい話です。今後はこんな愚かな失態を繰り返さないよう、われわれも肝に銘じていきたいものです」
穏やかで、普段はめったに感情的になることのない享也が、明らかな怒りの感情をあらわにしている。しかも、「われわれ」と言ってはいるが、明らかにこれは義虎への非難の言葉だ。義虎は鼻白んだが、一歩間違えれば病院に大きな被害を与え、死者を出したかもしれない事態だったのは事実だ。忌々し気に奥歯をこすり合わせたものの、義虎はそれ以上言葉を継げずに黙り込んだ。
享也はその様子を見て取ると、席を立った。
「たいへん申し訳ありませんが、事態が問題なく収束したとはいえ、紺野の負傷に加え、病院では物的被害も出ています。われわれ……特に、私と沙羅くんは急ぎ病院に戻って後始末をしたいと思うのですが、ご了承いただけますか」
一族の面々は無言でうなずいている。その様子を見て取ると、享也は沙羅に顔を向けた。
「沙羅くん、一緒に来てもらえるかな」
「わかりました」
沙羅が頷いて席を立つ。と、寺崎と玲璃が相次いで席を立った。
「お願いです! 私たちも連れて行ってください!」
寺崎はともかく、玲璃の発言に義虎は目を丸くした。
「玲璃、なにを言っている⁉ なぜおまえが行く必要が……」
「謝りたいんです」
「謝る? いった誰に、何を……」
玲璃は居住まいを正すと、悲しげな眼で父親の顔を見つめた。
「紺野があんなひどいケガをしたのは、私のせいです。私が学校に行きたいと言ったせいで、護衛の適性があるかどうか見極めるなんていう話になったんでしょう。私があんなことを言わなければ、紺野はあんなケガをせずに済んだ。一言、謝らなければ気が済みません」
その言葉に、義虎はホッとしたような表情を浮かべた。
「……なるほど、それは確かにその通りだ。おまえが学校に行き続けるなどというワガママを言わなければ、こんな結果にはならなかったのだから。あの男は遺伝子検査の結果が出るまで幽閉して終わりで何の問題もなかった。わかった。おまえにそういう覚悟があるのなら……」
「幽閉はいたしません」
静かに発されたその言葉に、義虎は息をのんで京子を見た。
京子は波のない水面のような面持ちで、淡々と言葉をつづけた。
「今ご覧いただいてお分かりの通り、あの男に危険性はありません。鬼子とは別人であることも明確です。出自こそ明らかではありませんが、彼を幽閉する理由は何ひとつありません。彼の身柄は今後、神代側が責任をもってお預かりします。無論、人権を侵害するような拘束はいたしませんし、学齢期の子どもに必要とされる学習の機会も相応に与える所存でおります」
義虎は返す言葉を見失って京子を睨みつけた。京子はそんな義虎の視線を冷然と受け止めつつ、涼しい顔で言葉を継いだ。
「玲璃さんの通学の是非は、魁然家が判断する内容です。総帥はお嬢様とじっくり話し合われて、納得のいく答えを見つけてください。われわれはその内容については一切介入いたしません。ご自由にしていただいて結構です。ただ、もし玲璃さんの登校をお認めになり、登校に際して護衛が必要になった場合、神代家には護衛に最適な高位能力者がおりますので、その節はぜひお声をかけてください。いくらでも協力を惜しまない所存でおりますので」
義虎は歯噛みをしながら京子の顔を睨みつけた。珠洲が調査した「あのこと」を暴露してしまおうかと喉元まで出かかったが、今それをしてしまったら全てが水の泡になるのは自明だ。玲璃の登校を差し止めれば当座の被害は防げる。あの男の抹殺は、少し時間を空けても問題ない……義虎はそう思い直すと、言おうとした言葉を飲み込み、目線を落として頷いた。
「……わかりました。二転三転して一族の皆様には申し訳ないが、玲璃の登校については再度、われわれ家族の方で話し合うことにします」
その発言を受けて、京子は席を立つと、一族の面々を見渡した。
「では、紺野秀明の処遇については先ほど私が提案した通り、遺伝子検査の結果が出るまでは仮にではありますが、神代一族の一員として神代側が責任をもってお預かりするということでご了承いただきたいと思います。この決定をもって、本日の会合は散会とさせていただきます。本日はお忙しい中お集まりいただき、ありがとうございました」
深々と頷く者、不承不承頷く者、不愉快そうに顔をゆがめる者……反応は人それぞれだが、了承を示す拍手の音がそこかしこからぱらぱらと起こる。
こうして、紺野秀明の処遇が正式に決定することとなった。