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輪廻  作者: 代田さん
第一章 邂逅
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4月28日 1

4月28日(日)


 玲璃はベッドに寝ころんだまま、窓の向こうの抜けるような青空を見上げて深いため息をついた。

 吹き抜ける風は爽やかで、文句のつけどころもなく素晴らしい天気だ。だが、玲璃の気分は沈んでいる。学校を辞めなければならない……義虎に突きつけられたこの現実が、彼女の心に重くのしかかっているからだ。

 今までも、自分が普通の子たちとは違うことを玲璃はさまざまな場面で思い知らされた。自分の持っている能力に戸惑うことも多かった。だが、長ずるに従い能力の扱いにも慣れ、また父親をはじめ目上の者には大人しく従う従順な性格だったこともあり、おまえは重い使命を背負っているんだと言われれば、そのことを素直に受け止め、誇りにさえ思って生きてきた。

 そんな彼女をして、今回の父の命令は容易に納得できるものではなかった。

 玲璃は頭脳明晰(めいせき)で、高校での成績も上から数えた方が早い。大学に進学する資格も能力も十分に備えている。だが、彼女は子を成さなければならない。二十歳、その最良の年齢に達するときまでに。ゆえに彼女の人生には、当初から大学進学という道は存在しない。だからこそ彼女は、せめて高校卒業だけは何としても果たしたいと思っていた。

 彼女は数学が好きだった。いくつかの可能性を探ったり、自分の仮説を検証したり、そのための新しい方法を学んだりすることが楽しかった。数学を学んでいるときは時を忘れた。誰も解くことのできなかった問題に挑戦したり、新たな法則を見つけたりしながら、いつか、自分で新たな公式を作り上げることができたら。数学を生かした職業に就けたら。そんな夢を、心密かに抱いていた。

 だが、彼女に課せられた使命は「結婚」、そして「出産」、「子育て」。数学とは無縁の世界である。しかも相手は、生まれたときから決められている。


――自分は、何のために生きているんだろう。一族の目的のため? だとしたら、自分の幸せっていったい何なんだろう? 一族の幸せが、本当に自分の幸せなんだろうか?


 例えば、父である義虎は警視総監という職を、神代総帥は神代総合病院の院長をつづけながら、一族の長という重い責務を果たしている。彼らのように、仕事をしながらその責任を果たす道もあるのではと考えた時期もあった。だが、玲璃が産み落とすことになる「神子」という存在は、それまで一族が産み落としてきた「つなぎ」とは格が違う。総代である神代享也や玲璃ですら、言ってみれば「繋の集大成」にすぎず、最終目的である神子は、それらとは全く異質な存在とされている。そして図らずも、ある意味「神子」の失敗作ともいえる「鬼子」という存在が今大きな問題になっているが、その危険性の一端を見ただけでも、二つの一族が一つになるということが、一歩間違えば世界の破滅につながりかねない危険な賭けだということがよくわかる。さらに言えば、玲璃も享也も、三百年以上の長きにわたって、何百人もの人々が自分個人の幸せをある意味犠牲にしながら血族婚という使命を全うしてきた集大成だ。そこに関わってきた無数の人々の思いを、自分個人のささやかな幸せのために無に帰すことなど絶対に許されない。そんなことは玲璃もわかっていた。分かっていたからこそ、これまでは従順に従ってきたのだ。


――でも、たとえそうだとしても……いや、だからこそ、高校卒業だけは果たしたい。


 玲璃は体を起こすと、ベッドを降りた。どうすればそれが可能になるのか、自分は何をすればいいのか、もっとじっくり考えたかった。だが、自室でグダグダしていても、暗い堂々巡りにはまり込んで身動きが取れなくなるばかりだ。どうにかして、誰かの助けを借りてでも、玲璃は活路を見いだしたかった。


――誰の?


 その時、どういう訳かふと、玲璃の頭に紺野の姿が過ぎった。

 同じ高校に通う同年代でありながら、複雑な事情を抱え、家族もおらず、ボロボロのアパートで一人暮らしをしていたと寺崎に聞いた。火事で焼け出され、大けがをして、いろいろとたいへんな目にも遭い続けている。無表情で、何を考えているのかよくわからない人物だが、彼も強力な異能を有している。もしかしたら彼も、自分と同じような悩みを抱えてきたのではないか。厳しい生活をしてきた彼なら、甘っちょろく生きてきた自分のような人間には見いだせない、的確な答えを知っているのではないか……。

 寺崎の報告はあさっての予定であるため、玲璃は紺野が鬼子に襲われ、高熱を出していたことを全く知らない。矢も盾もたまらず机の上のバッグを掴むと、玲璃は足早に部屋を出た。



☆☆☆



「藤代産婦人科? ……ええ、行ってました」


 珠洲から幾分目線をそらしてこう答えた城崎梓しろさきあずさの表情に、珠洲は職業的な直感から、彼女が何か知っていると感じていた。

 湘北にある城崎梓の自宅に、珠洲は来ていた。相手が姪ということもあり、アポなしの訪問だったが梓はいやな顔ひとつせず、とっておきのお菓子とハーブティを振る舞い、かえって嬉しそうに応じてくれていた。この話題を振るまでは……。


「実は今、父の命で極秘に調べていることがありまして……叔母さんと同時期に藤代さんに通っていた方のことで、お聞きしたいことがあるんです」


 梓は、明らかに動揺していた。目線が定まらず、落ち着きもない。


「同時期って……誰のことかしら、そんな人……」


 珠洲は梓の顔をまっすぐに見つめながら、静かに言い放った。


「神代総帥です」


 梓はどきりとしたように体を震わせると、口をへの字に結んで下を向いた。


「……何か、ご存じなんですね」


 ウソをつくのに慣れていない人だな……珠洲は期待を込めて、梓を見やった。


「私は、何も……」


 梓の声は、微かに震えているようだった。体の前で手を組んだり外したり、しきりに落ち着きなく動かしながら、目線を左右に泳がせている。


――何か重大なことを、この人は知っている。


 珠洲はわざとらしく鼻でため息をつくと、かまをかけてみることにした。


「……これは極秘事項なので誰にも言わないでいただきたいんですが、今、実は両一族の上層部の方で、十六年前のあの事件を、もう一度洗い出そうという動きがあるんです。魁然の方は私をはじめ、警察を使って動いているので超法規的な対応は取りようがないんですが、神代方はどうも、送受信能力者テレパスを使って情報を無理やり掘り起こし、魁然側の手が伸びる前に、自分たちにとって不都合な事実をしらみつぶしに探し出して消している動きがあるようで……」


 梓は大きく目を見開いて息を飲む。珠洲はここぞとばかりに畳みかけた。


「もし叔母さんが何かご存じなのだとしたら、情報提供者として父に頼んで護衛をつけて、神代側の隠蔽いんぺい工作から守ることができます。私は叔母さんが心配なんです。神代側は、能力耐性が低い相手は記憶を改ざんするだけですが、叔母さんのように高い能力耐性のある人間に対しては、命そのものを消しにかかってくる可能性もあるのではと……」


 血の気がうせた唇を震わせながら、梓は恐怖に怯え切った目で珠洲を見つめる。


「ほ……本当に?」


 珠洲は深々と頷く。


「それを行っている可能性は十分あります。実は、警察の方でもすでにいくつかその可能性がある事例に行き当っていて、鋭意捜査中ですが、なにぶん異能を使われてしまうと検挙が難しくて。たぶん、真実は闇にまぎれてしまうでしょう。手が伸びる前に警護する以外、彼らから逃れる方法はないと思います」


 梓は再び、手を組んだり解いたり、首をあちらこちらに巡らせては落ち着きなく目線を動かしていたが、やがて怖ず怖ずと口を開いた。


「か……魁然の護衛を、つけてもらいたい、です。か、神代の能力者が来てしまったら、私は多分、生かしておいてはもらえない……」


 そう言って震えている梓に、珠洲はいかにも頼もしく頷いてみせる。


「情報を提供していただければ、約束は守ります。魁然はあなたの味方です」


 梓はそれでもしばらくは逡巡しているようだったが、やがて覚悟を決めたのか、色味のない唇から言葉を絞り出すように語り始めた。


「私が藤代さんに通っていたのは、神代総帥と同じ、不妊治療でした。それが縁で、神代総帥とも、近しくお話させていただいて……」


 梓はそこまで言うと顔を上げ、必死の形相でもう一度懇願する。


「本当に、守っていただけるんですよね? 私、こんなことをしゃべったと知れたら、神代の能力者どころか、京子さんに殺されてしまうかもしれない……」


「大丈夫です。魁然の総力を尽くします」


 珠洲はごくりと唾を飲み込んだ。この人は一体何を知っているのだろう?

 珠洲の言葉を聞いて落ち着いたのか、梓は小声で再び語り出した。


「神代総帥……京子さんは私よりも先に妊娠されて、羨ましいなあって思ってたので、病院で一緒になると、気になってわりと声をかけてたんです、何カ月ですか、どんな様子ですかって……妊娠ってどんな感じなのかなって、すごく興味があったんですよね。その時に話していたのは、だいたいが妊娠に関わるたわいもないことばかりだったんですが、ただ一つだけ、ちょっと妙だなって感じたことがあって」


「妙……と言いますと」


「京子さん、なぜか双子の話題ばかり出すんです」


 珠洲は思わず身を乗り出した。


「双子の?」


「はい。双子なんか妊娠してしまったら、自分の立場だと、二人のうちのどちらかが消されることになる、考えただけでも恐ろしいと……」


「でも、総帥は双子を妊娠した訳じゃなかったんですよね?」


 梓は震える指先を口元に添えながら、小さく頷いた。


「ええ。その話にしても、最後は「だから双子を妊娠しなくてよかった」でいつも締めてましたし、見せてもらった超音波写真に写っていたのも一人だけでしたし、藤代先生も京子さんが双子を妊娠してるなんて話は一度もされませんでした。ただ……」


「ただ?」


 梓はいったん口をとじると、怯えたように周囲を見回してから、覚悟を決めたように口を開いた。


「私は、実を言うと、二人が何か隠しているんじゃないか……そう思ったことが、あります。九ヶ月検診の時のことです」


 珠洲は固唾かたずをのむ。


「京子さんが……そう、超音波診断のあと、突然腹痛を訴えて気を失ったんです。藤代先生は大あわてで、ばたばたで……。その時、看護師の手が足りなかったんで、私もいろいろ手伝ったんです。毛布を持って行って、京子さんにかけてあげたり……その時、ベッド脇に総帥のエコー画像が表示されたままになっていたんですが、私、それを、ちらっと見てしまって」


「見てしまった、というと……」


 梓はさらに声を潜め、辺りをもう一度見回す。


「藤代先生が慌てて電源を消したので、ほんの一瞬のことでしたし、見間違いかもしれませんが……」


こう前おいてから、ささやくような小さな声で、梓は言った。


「赤ちゃんの影が、二つ……」


 自分の手が震え出すのを感じながら、珠洲は瞬きを忘れて梓を見つめていた。

 重い沈黙が、向かい合う二人の間に静かに降り積もっていく。

 ややあって珠洲は居住まいを正すと、深々と頭を下げた。


「重大な情報を、ありがとうございました。情報提供者であり、証人である梓さんの身は、魁然の総力を挙げてお守りすることを約束いたします。ご安心ください。ところで、このことを他に知っている可能性のある方はいらっしゃいませんか。もしいらっしゃるようでしたら、その方たちの身辺警護も行わなければなりませんので、教えていただきたいのですが」


 その言葉を聞いた梓は、暗い表情で首を振った。


「身辺警護の必要はありません。彼らは二人とも、すでにこの世にはおりませんから……」


「……彼ら、とは?」


 梓は珠洲をちらりと見たが、ここまで話した以上、いまさら隠し立てをしても詮無いと思ったのだろう。観念したように口を開いた。


「私の姉夫婦に、それらしいことを言った記憶があります」


 珠洲はハッと息をのんだ。


「姉夫婦、と言うと、……」


 梓はゆっくりと頷くと、重々しくその名を口にする。


「魁然悠希と、魁然……義巳、夫妻です」


 その名が鼓膜を貫いた瞬間。珠洲の中で、全てが一本の線でつながった。

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