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輪廻  作者: 代田さん
第一章 邂逅
35/203

4月25日 2 

 寺崎は、病院の二階にある喫茶コーナーの隅にぼんやりと座っていた。

 のどが渇いた気がして自販機で買った牛乳の封も開けず、放心しきって前方を見つめながら口を半開きにしている。

 確かに食欲がうせるほど壮絶だった。十六年前、紺野の身にあんなことが本当に起きたとは、即座には信じられなかった。とても現実とは思えなかった。

 同時に寺崎にとっては、紺野の語った後半部分も同じくらい衝撃的だった。


『僕は東京駅に捨てられた子どもでした』


『存在する価値のない人間なんです……だから、殺してください』


 親の顔も名前も分からず、孤独で過酷な運命を歩み、死を渇望する男……紺野という男の輪郭が、おぼろげながら見えた気がした。

 無論、個人的な事情を知ったからと言って、紺野のしたことを許したわけではない。マンションを倒壊させ何百人もの罪なき人たちとともに父親を殺し、母親の足を奪った事実は変わらない。だが、これまで「東順也」という名に対して抱いていた凶悪で残忍な印象が消えうせていることも、また事実だった。

 紺野の送信の中にマンション倒壊の詳細な場面があるかと思って内心身構えていたが、それはなかった。寺崎的には不服であり、同時にいくぶんほっとした部分だった。倒壊には自分の両親が巻き込まれているのだから、それは完全に「自分ごと」だ。見せられたとしたら、かなりの精神的ダメージを負っただろう。一方、マンション倒壊以外の部分は、どんなに凄惨せいさんでも寺崎にとっては「他人ごと」だ。一線を引いて自分の精神を守ることはできる。だが、紺野にとってあれらは全てが「自分ごと」だ。その精神的負荷の大きさを考えると、彼が死にたいと口走る気持ちも理解できる気がした。


 あれこれ考えつつ、ふと寺崎は階下に目を落とした。

 この病院は中央部分が吹き抜けになっていて、二階のこの喫茶室からは一階の自由通路の様子がよく見える。そこでは先ほどから、何かのイベントだろうか、クマの着ぐるみが愛想よく来院している子どもたちに風船を配っている。楽しげで明るいその光景をぼんやりと眺めながら、寺崎は小さくため息をついた。

 ふと、その集団の反対側、ちょうどエレベーターホールから続いている通路側から歩いてくる男に、寺崎は目を留めた。

 その男の足取りはいかにも不確かで、片足を引きずりながら壁を伝ってやっと歩いているといった風だった。男がそのぎこちない一歩を踏み出す度、俯き加減の顔にかかる茶色い髪がさらさらと揺れる。

 寺崎はハッとして目を凝らす。その男に見覚えがあったのだ。


「……紺野?」


 寺崎は弾かれたように立ち上がった。

 慌てて牛乳をカバンに放り込むと喫茶室を飛び出し、もっとよく見える位置に移動する。

 確かに紺野だった。松葉杖はつかず壁伝いに足を引きずりながら、覚束ない足取りでよろよろと歩いている。


――あいつ、何でこんなところに? 確か高熱が下がらなくて、意識もはっきりしていないはず。


 風船を配っていた着ぐるみのクマが紺野に気づいたのか、彼の方に体を向けると、おどけたしぐさで歩み寄る。周囲を取り囲んでいた子どもたちが、歓声を上げながら移動するクマの後を追いかける。するとクマは振り向きざま、持っていた風船を全部手から離した。色とりどりの風船が吹き抜け中に広がって舞い上がり、子どもたちは歓声を上げ口を開けて上方を見る。

 刹那、クマは紺野の右腕を掴んだ。

 体勢を崩した紺野に頓着せず、クマは紺野を引きずるようにして、エントランスに向かい意外なほどの早足で歩きはじめる。

 クマが紺野の腕を掴んだ瞬間から、寺崎は全速力で走り始めていた。

 その愛嬌あいきょうのある見てくれのせいか、異常に周囲の人間は誰も気づいておらず、引き留める者は誰もいない。クマはよろける紺野を引きずったまま、エントランスにさしかかる……間に合わない!

 次の瞬間、寺崎はハードルでも跳び越すかのように、吹き抜けの手すりをみじんの躊躇ためらいなく飛び越えた。十メートルほど空を飛ぶと、クマと紺野の背後に、猫のように音もなく着地する。

 気配に気づいたクマが、紺野を引きずりながら振り返った。ある意味無表情なその笑顔には、不気味な沈黙が張り付いている。

 激烈なエネルギーの高まりを感じ、寺崎はハッと息をのんだ。禍々しい輝きを放つ赤いエネルギーが、クマの周囲にみるみるうちに充満する。


――こいつ、能力者か⁉


 攻撃を予見した寺崎は身構えた。だが、どこからか霧のように湧き出た白い輝きにあてられた瞬間、赤い気はまるで蒸発するようにそのエネルギーを失った。

 クマは首を巡らせると、無表情な目で自分が引きずっている紺野を見おろした。

 肩で息をしながら俯いていた紺野も、その視線に呼応するかのように、乱れた前髪の隙間から刺すようにクマを見据える。

 なんだか知らないが攻撃の予兆が消えたのを察知した寺崎は、ホッとしながらも気迫のこもった目でクマを睨み付けた。


「おい、クマ野郎! 紺野をどうするつもりだ⁉」


 クマは寺崎の方に少しだけ顔を向けたが、出方を窺うように動きを止めている。

 次の行動を考え始めた寺崎の頭を、その時、紺野の鋭い送信が貫いた。


【あいつです、これは、あの子どもです!】


――あの子ども?


 寺崎の脳裏に、つい先ほど見せられた壮絶な光景が蘇る。十六年前、出生直後に人を殺した、あの赤ん坊? ……まさか!


【今、僕はこいつの能力を封じ込めるので精一杯です。お願いです、捕まえてください。続けられる限り封じるので……】


 引きずられた格好の紺野が、乱れた髪の隙間から寺崎に視線を送る。


「分かった!」


 言うが早いか、寺崎はクマに飛びかかった。

 肩車のような格好でクマの首根っこに飛びつき、両膝でその首を絞めながら頭部に両手をかけ、渾身の力を込めて引っこ抜きにかかる。クマの着ぐるみに肩車のような格好で奮闘している男子高校生の姿に、何の騒ぎかと驚いた人々が足を止め始める。

 クマは寺崎を振りほどこうと上体をぶんぶん振った。だが、寺崎の運動神経は桁違いだ。どんなに振られようが、両足でがっつりクマの首を絞めて離れない。その間も寺崎は両手で着ぐるみの頭部を力いっぱい引っ張る。だが、ほの赤く光るその首は、容易に体から離れてはくれない。どうやら、封じきれないで放出されている異能が、寺崎の力を中和しているらしい。寺崎はこめかみに青筋を浮き立たせ、歯を食いしばって両手に渾身の力を込めた。

 異常に気づいた人たちが一人、また一人と足を止め、自由通路に人垣ができはじめる。

 紺野に封じられている分、さすがのクマも寺崎の力を中和しきれないらしい。ピシピシと、微かな音が首の縫い目から響き始める。


――もうすぐだ。


 勝利を予感した寺崎が口の端を引き上げた、その時。

 突然、クマは引きずっていた紺野の前髪を鷲掴みにすると、その頭を力いっぱい壁にたたきつけた。

 固い物同士がぶつかり合う鈍い音が自由通路に響き、人垣から悲鳴があがる。

 息を呑んだ寺崎は、紺野を助けようとクマの首から手を離しかけた。

 

【続けてください!】


 紺野の強い思念がこめかみを貫き、寺崎ははっとその動きを止めた。


【今しかない。せめて、こいつの顔を見るだけでも……】


 その間もクマは情け容赦もなく、何度も何度も無抵抗な紺野を壁にたたきつける。紺野の額から、血が噴き出した。歯が折れたのか、白いものが飛ぶ。


「くっそぉぉぉ!」


 寺崎は目を堅く閉じ、叫びながら渾身の力をその両手に込めた。

 着ぐるみの首がめりめりと音をたて、胴から離れた瞬間。寺崎は、その中から茶色い髪がさらりと零れ落ちるのを見たような気がした。が、同時に紺野も力尽きたらしい。シールドの解けたその瞬間をやつは見逃さなかった。

 クマの着ぐるみが主を失ってぐにゃりと崩れ落ち、慌てて飛び退った寺崎の足元に抜け殻のようになった着ぐるみがわだかまる。支えを失った紺野が、その傍らに力なく倒れ込む。

 転移して逃げたのだろう、クマの抜け殻の中はすでにもぬけの空だった。


「紺野!」


 寺崎は倒れている紺野のそばに駆けよった。横向きに倒れている紺野の肩をたたいて大声で呼びかける。


「紺野、しっかりしろ、紺野!」


 紺野の額はザクロのように割れて鮮血をまき散らし、白い床を鮮やかな赤に染め上げていた。鼻からも口からも……顔中血だらけで、紺野は意識を失っている。なぜだか、寺崎は泣きたくなった。


「何で……何でこんな目にばかりあわなきゃならねえんだよ。何でおまえばっかり!」


 ふと壁際に、折れて飛んだ紺野の歯が落ちているのに気づいた寺崎は、震える手でそれを拾うと、カバンから取り出した牛乳のふたを開けて中に入れようとした。だが、手が震えてなかなかうまくいかない。と、騒ぎが通報されたのだろう。寺崎たちのまわりの人垣が割れて、複数人の看護師や救急隊員が駆け寄ってきた。その中には、沙羅と神代亨也の姿もある。


「寺崎くん、これはいったい……」


 沙羅は惨状に言葉を失ったが、すぐに思考を切り替えると、赤子を追跡するために意識を集中し始める。亨也は救急隊員らとともに気道確保やバイタルサインのチェックなどの処置をしながら、寺崎に送信で問いかけた。


【あの子どもの本体がいたんですか?】


 寺崎は頷くと、震える声を絞り出した。


「紺野が、あいつの能力を抑えて……俺は、着ぐるみを脱がそうとしたんですが、間に合わなくて、紺野がやられて……」


【そうですか……】


 亨也は沈痛な面持ちで血だらけの紺野に目を落とした。


【……申し訳ない。強い遮断がかけられていて異変に気付くのが遅れた上に、手の離せない処置の最中だった】


 蒼い光を放って追跡をかけていた沙羅は小さく息をつくと集中を解き、申し訳なさそうに頭を下げる。


【申し訳ありません、追跡トレースできません。完全に気配を断ち切っています】


【仕方ない。私ももう感知できないのだから。紺野の方は、ざっとスキャンしたところ脳挫傷は起こしていないようだ。ただ、裂傷からの出血がひどい。頭蓋骨骨折と硬膜外出血もある】


【そうですね。すぐ処置をしないと……】


 職員らとともにてきぱきと処置をする亨也に、寺崎はおずおずと牛乳パックを差しだした。


「神代総代……これ、紺野の歯です」


 亨也はちょっと目を見開くと、それを受け取って頷いた。


「ありがとう。あとでまた話を聞かせてください」


 ストレッチャーに乗せられた紺野がかなりの速度で動き出すと、亨也と沙羅も早足でそれを追いかける。

 寸刻放心したようにストレッチャーを見送っていた寺崎も、はっとわれに返ると彼らを追って走り出した。

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