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輪廻  作者: 代田さん
第一章 邂逅
30/203

4月23日 1

4月23日(火) 


 紺野は、がれきと化したマンション跡を歩いていた。

 粉々になったコンクリート片を踏み越え、鉄の芯材が露出し、林立しているがれきの山を、何のために歩いているのかすらわからずに、よろけながら、ぼうぜんと。

 がれきの間には、さまざまな物が見え隠れしている。

 コンクリート片の隙間に挟まるようにして落ちている、小さな赤い片方だけの靴。紺野はその靴に手を伸ばし、そっと拾い上げて眺めやった。

 次の瞬間。靴の持ち主の記憶が、まるで短編映画でも見ているかのように、紺野の脳内に鮮やかなカラー映像で再生される。初めて歩いた日のこと、歓声を上げて喜ぶ母親の笑顔、抱き上げてくれた父親の、温かく優しい、大きな手――。

 崩落現場に落ちている物一つ一つに込められた、犠牲者一人一人の思い。紺野が物を手にするたび、その思いが花火のように弾け、脳内にあふれ出てくるのだ。

 レンズの割れためがね。

 マジメだけが取りえの不器用なサラリーマン。彼はその日、入社して以来初めてと言っていい大きな成果を上げ、同僚と一杯飲んで帰ってきたところだった。

 傷だらけの携帯。

 近隣の公立中学校に通う女子生徒。彼女はこの日、憧れの先輩に決死の思いで告白し、その返事をやきもきしながら部屋で待っているところだった。

 割れた湯飲み。

 一人暮らしにようやく慣れてきた独居老人。彼は数年前に旅立った妻に、その日も静かに茶を手向けていた。

 

 そんな彼らを襲った、あの瞬間。

 紺野は目を固くつむると、頭を抱えてその場にうずくまる。


 幾百もの人々の人生が、一瞬のうちに崩壊する。何が起きたかも理解できず、自分の死を受け入れる暇もなく、おびただしい数の人の命があの瞬間に、あっけないほど簡単に、次々と失われていく。

 がれきに押しつぶされた赤ん坊と、その子をかばう格好で押しつぶされている母親。

 倒れてきた柱に頭を打ち砕かれたサラリーマン。

 十四階から崩落とともに虚空に投げ出され、地面にたたきつけられた女子中学生。彼女のものと思われる画面がひび割れた携帯には、未読メールが一通着信したままになっている。

 がれきの下敷きになり、湯飲みを手にしたままの状態で押しつぶされている老人……。

 次から次へと眼前に突きつけられる凄惨せいさんな死の光景に耐えきれず、目をつぶり頭を抱えて震える紺野の足首を、誰かの手がむんずと掴んだ。はっと目を開くと、がれきの下から伸びる泥だらけの手が、自分の足首をしっかりとつかんでいるのが見える。紺野は息をのんだ。


『返せ……』


 泥だらけの手が紺野の足首を力任せに引き寄せる。体勢を崩し、地面に引き倒された紺野に向かって、がれきの下から一斉に這い出た何百という手が襲いかかる。髪、手、首、足……幾百の手が体のありとあらゆる場所をつかみ、ありとあらゆる方向に引き寄せる。四方八方から凄まじい力で体を引かれ、声にならない叫びを上げた紺野の体は、内臓を飛び散らせて四散した。

 再び気がついたときには、紺野は真っ暗な部屋の中央に倒れていた。

 顔を上げると、目の前に誰かがうつぶせで倒れているのが見える。恐ろしい予感に突き動かされながら、紺野は震える手でずしりと重いその体を仰向けにする。

 恨めしそうに白目をむいているその男は、忘れもしない、あのとき彼が殺した警官だった。吐き出しかけた叫びを必死で飲み込みながら、紺野は弾かれたように立ち上がる。


『返せ……』


 白目をむいていた警官の目玉が、ぐるりと動いて紺野をとらえる。立ちすくんで動けずにいる紺野の眼前に、警官はゆらりと立ち上がった。その背後にうごめく、何百人もの人影。


『返してくれ、命を……』


 男性もいる。女性もいる。若者もいれば老人も、子どももいる。どの人も涙を流している。涙を流しながら、じりじりと紺野の方に近づいてくる。

 紺野は動けなかった。目を逸らすことすらできずに立ち尽くしていた。悔恨。懺悔ざんげ慙愧ざんき。何をどうしても取り返しのつかない過ちを犯した、疎ましく、おぞましく、呪わしい自分という存在を、この世から永遠に消し去りたい。もう二度と、彼らの前に立たなくてすむように。膨れ上がったその思いにとらわれた紺野は、気がつくと、自分で自分の首に両手をかけていた。

 だが、首を絞めつけ始めた紺野の手を、警官は氷のように冷たい手でわしづかみにした。


『死んでどうする。死んで終わりなのか?』


 耳を刺し貫いたその言葉の衝撃に、紺野は呼吸すら忘れて凍り付く。


『死んで償える程度の罪なのか? おまえの罪はその程度のものなのか!?』


 警官の声が、薄暗い空間をゆるがすように響き渡った、次の瞬間。

 紺野ははっと息をのんで目を覚ました。

 のっぺりとした白い天井が、焦点の合わない視界に映り込む。

 汗ばんだ体が、消毒薬のにおいのする冷たい空気にあてられて、ゆっくりと冷えていく。


――生きて、いる?


 視線を感じた気がしておそるおそる首を巡らせると、誰かが枕元に座っているのが見えた。医師だろうか、白衣を着た三十代くらいの男だ。


「気がつきましたか」


 それが先刻、あの地下室の隅にたたずんでいた男だと気づくと、紺野はかすれた声を絞り出した。


「僕、は……」


「殺さないことになりました」


 男……神代亨也は手にしていたカルテに目を落とすと、淡々と言葉を継いだ。


「あなたの体は、ほぼカルテ通りに昨日の昼の状態まで戻しておきました。何もなかった、ということです」


 その言葉に目を見開くと、紺野は自分の胸に手を当てた。痛みも呼吸の苦しさも残ってはいるが、確かに先ほどまでの比ではない。


「あなたが……?」


「なかなかたいへんでしたよ。よくあんな状態で意識を保ってましたね」


 紺野は複雑な表情を浮かべたが、それでも儀礼的に頭を下げるようなしぐさをしてみせた。


「……ありがとうございました」


「礼には及びませんよ。あなたを生かしておかざるをえない状況になっただけの話ですから。あなたには、いろいろとお聞きしたいことがあるので」


 享也はそう言うと、その目に鋭い光を宿して紺野を見た。


「特に、あの事件に関わることは全てを話していただきたい。われわれも、あの事件に関しては分からないことだらけなんです」


「あの、事件……?」


「裕子……あなたに対してなんと名乗っていたか分かりませんが、魁然裕子という人物が起こした、あの一件です。あなたが本当に東順也という人物なら、知っているはずです」


 紺野は息をのんで凍り付いた。その目は大きく見開かれ、開きかけた唇が微かに震えている。


「……裕子?」


 亨也は頷くと、鋭い目でそんな紺野を見据えた。


「裕子は魁然一族の人間で、あなたが助けた魁然総代――玲璃さんの生みの母親です」


 紺野は瞬ぎもせず亨也を見つめた。シーツを握りしめているその手が、端から見てもはっきり分かるほど震えている。


「じゃあ、裕子が言っていた一族というのは……」


「おそらく、われわれのことでしょう。とにかく、あの事件に関してあなたが知っていることを全て、われわれに教えてください。残念ながら、あなたの頭の中は勝手に覗けない仕様になっているようなので、近々その時間をとらせていただきます。その上で、あなたの処遇は決めさせていただきますので」


 紺野は混乱しきった様子だったが、享也の申し出に対しては小さくうなずいて了承を示した。


「あ、それともうひとつ」


 亨也は紺野の動揺に構わず、淡々と先をつづける。


「その首の包帯ですが、やけどの治療あとではありません。やけどに関してはほぼ完全に修復を終えていますが、頸動脈けいどうみゃくの近くに、超小型の……まあ、分かりやすく言うと、爆弾のようなものを埋め込んであります。能力影響を及ぼすことが不可能な処置が施してあるので、手術で埋め込むしかありませんでした。つまり、あなたが能力を使って取り外したり、勝手に作動させたりすることも不可能だということです。制御装置はわれわれが管理します。あなたがわれわれの不利益になるような行動に出た場合、作動させます。作動すると、極小チップなので自然死のように見えますが、頸動脈けいどうみゃくが損傷し死に至ります。あなたの命は今後、われわれの管理下に入るということです。これからは、われわれの指示に従って行動してください。指示に従っている限り、当面は作動させません」


 亨也はそこまで言うと、困ったような表情で肩をすくめた。


「……まあ、あなたは死にたがっていたわけですから、それがどこまで有効な縛りになるかはわかりませんが。それから、もうひとつ。裕子の件に関わる全てのことについて、玲璃さんには一切話してはなりません。あなたが東順也という人物だということもです。いいですね」


「……はい」


 紺野は小さく頷いた。


「尋問は明日の午後に予定しています。とりあえず、今日はゆっくり体をやすめてください。修復したと言っても、貧血などの数値はさほど改善していませんし、体力もかなり落ちているでしょうから」


 そう言って立ち上がった亨也に、紺野はおずおずと口を開いた。


「あの……」


 振り返った亨也の視線から逃れるように目線をそらすと、小声で先をつづける。


「僕は今、無一文です……こちらの入院費は、たて替えていただいているんでしょうか……」


 やけに現実的な質問だったので、亨也はいくぶん拍子抜けした。


「……まあ、そんなところですかね。そういった費用返済をどうするかについても、これから考えていきましょう。取りあえず、少しでも寝ておいた方がいいですよ。かなり体力が落ちていますから」


 亨也はそう言い置いて、病室を出た。

 速足でエレベーターホールに向かいながら、先ほど病室で対話した紺野という少年の姿を思い返す。

 神代の血族は、延々と繰り返してきた血族婚の影響から、茶色い髪や白い肌など、全体的に色素が薄く日本人離れした特徴的な容貌を有する。紺野も明らかに神代の血統に特有の容貌を有していた。その上、強力な異能力を複数行使する事実も明らかになった。

 十六年前に魁然裕子と交わり、異形の存在であるあの赤子を生み出した謎の人物、東順也。当時の遺伝子検査の結果では、突然変異の一般能力者に偶然神代の血が混ざり込んだ混血異能者という結果に落ち着いている。だが、本当にそんな程度の人間が、あそこまで高い能力を発揮できるものなのだろうか。今回、改めて遺伝子検査が行われたが、その結果が出るまでには二か月かかる。十六年前に明らかにできなかった東純也の正体が、そのとき初めて明らかになるのかもしれない。

 薄暗い病院の廊下を歩きながら、亨也はそこはかとない不安が澱のように自分の心を覆い尽くしていくのを感じていた。しかし、その不安が一体何に由来するのか、それは亨也自身にも全く分からなかった。

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