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輪廻  作者: 代田さん
第一章 邂逅
28/203

4月22日 2

 閑静な高級住宅街の一角にある滝川の自宅は、人の気配がなかった。静まりかえったその白い大きな邸宅の中には、滝川の叫び声だけが不気味に反響していた。

 滝川は西日の差し込む自室のベッドの上で、俯せのまま体を丸め、頭を抱えて叫んでいた。頭痛にめまい、吐き気に耳鳴り……ありとあらゆる苦痛でとびそうになる意識を必死でつなぎ留めながら、彼はわずかに残った自我に自問自答していた。


――自分は誰だ? 何でこんなことをしている? 何のためにあの女と、あの男を殺さなきゃならない?


 何者かの意識がアメーバのように滝川の意識を侵食し、自我と同化していくに従って、渾身の問いも雪のように溶けて消えていく。自我が食い尽くされると同時に割れるような頭痛も収まり、やがて消え入るように叫ぶのをやめた滝川は、生気の抜け落ちた能面のような表情でむっくりと起き上がると、無表情なまなざしを自室の入口に向けた。

 滝川の部屋の入り口には、いつからだろう? 二人の人間が立っていた。簡素な病院服を着て松葉づえをついた、茶色いボサボサ頭の小柄な男……紺野と、彼を支えるような位置に立ち、射るように滝川を睨んでいる黒髪の背の高い男……寺崎。

 紺野は戸惑ったように隣に立つ寺崎をちらりと見あげた。寺崎はそんな紺野に横目で笑いかけると、紺野の左腕をつかんでいる自分の右手に意識を集中した。


【大丈夫。俺も一応普通の人間よりは使える】


 送信能力は弱いらしく相当に微弱な送信だったが、寺崎の意志は確かに紺野に伝わったらしい。紺野は驚いたようにその目を見開き、それから困惑したような表情を浮かべたが、立っているのもやっとな自分の状況からして、協力を仰がなければどうしようもないと覚悟を決めたらしい。ややあって、小さく頭を下げた。

 その間に滝川は、震える足でベッドを降り、二人の正面に立った。紺野を真っすぐに指さすと、まるで自分の意思を確認でもしているかのように、低い声で呪詛のような言葉を吐く。


「おまえは、死ななければならない」


 紺野はそんな滝川の動向に注意を向けつつ、傍受されないレベルの微弱な送信で寺崎に短い指示を送る。


【彼の背後にまわって、動けないように羽交い絞めにできますか?】


 寺崎も目線を滝川に固定したまま、小さく頷いてそれにこたえる。

 寺崎の了承を確認した紺野は、滝川との距離を詰めるように松葉づえを前方に動かす。紺野の接近を見て取った滝川は、「抵抗しない」紺野に優位な状況で攻撃を仕掛けようと前に出る。松葉杖の先端がフローリングの床に触れた瞬間、その小さな音が合図であったかのように、紺野の隣にいた寺崎の姿がかき消える。

 ほぼ同時に動き出した三者の中で、寺崎の移動速度が群を抜いて速かった。転移と見まごうその俊敏な動きは普通の人間の反応速度ではかわしきれない。滝川はハッとする間もなく背後に回った寺崎に羽交い絞めにされ、気づいた時にはその動きを完全に封じられていた。

 魁然系能力者が無酸素状態という弱点があるのと同様に、異能を操る神代系能力者にも弱点がある。「常人レベルの肉体」である。異能はあれど、動体視力も反射神経も肉体修復力も並の人間となんら変わらない。ゆえに、能力発動をする間もなく肉体への直接攻撃を受ければ、普通の人間と同様にダメージを受けて戦闘不能となるのだ。

 滝川(を操っている何者か)は、寺崎という人物に対しては何の予備情報も持ってはおらず、全く警戒していなかった。存在を認知していたかすら怪しい。そんな相手にいきなり超人的な動きをされれば、対応が遅れるのも道理だった。滝川は拘束を外そうと暴れてみるも、寺崎はその動きを軽々と封じて微動だにしない。腕力の差はあまりにも歴然としていた。

 だが当然、そのアドバンテージは「意表をつかれた瞬間」だけのものにすぎない。その瞬間に勝負をつけない限り、異能でたやすく状況を覆えされるのもまた事実だ。滝川の体に見る間に赤い輝きが満ち、能力発動が可能なレベルまで一気に上昇するのに気づき、寺崎の背筋にゾッと寒気が走る。


――ヤバい!


 だが、次の瞬間。紺野の体からほとばしった白いエネルギーが、極薄の鎧のように寺崎の体全体を包み込んだ。異能を無力化する効果があるのだろう、白い輝きに触れた赤い気は、エネルギーを失って一瞬で蒸発する。その効果に目を丸くする寺崎をよそに、紺野は羽交い絞めにされている滝川の前に立つと、猛獣のようによだれを垂らして自分を睨みつける滝川の頭を両手で挟み込んだ。主を失った松葉杖がフローリングの床に転がり、乾いた音が人気のない室内に反響する。


「……大丈夫、あなたには絶対に手を出させません」


 独り言のように呟くと、紺野は滝川の額に自分の額を押しつけて目を閉じた。次の瞬間、紺野の体から湧き出す白いエネルギーが、一気に輝きを増す。

 滝川は寺崎への攻撃を諦めると、動かすことのできる両足で目の前に立つ紺野の腹や胸を滅茶苦茶に蹴りつけ始めた。アナログ極まりないその攻撃は、防壁で一切守られていない紺野の体にかなりのダメージを与えた。寺崎は慌てて足で滝川の蹴りを封じようとするが、さすがの寺崎も足一本で雨あられのような蹴りを抑えきれるものではない。足裏が腹や右足にめり込む度に紺野は顔を歪めて息を詰めたが、白い輝きは加速度的に勢いを増して滝川の体を包み込んでいく。同時に、滝川を抱えこんでいる寺崎も、その能力圏内に取り込まれ始めた。

 次の瞬間。

 寺崎の足元にあったはずのフローリングの床が、突然、鍋の底が抜けるように溶解した。


―― !?


 叫び声をあげる間もなく、寺崎は羽交い絞めにしている滝川とともに、暗黒の虚空に投げ出されていた。

 紺野は滝川の観念世界に、送受信テレパシー能力を駆使して入り込んだ。強硬な遮断シールドを突破して強引に入り込んだ影響で、滝川の体を羽交い締めにしていた寺崎も、滝川の観念世界に引きずり込まれてしまったのだ。

 星のような瞬きが閃く暗黒空間を、滝川を抱えた寺崎はあてどなく浮遊する。神代系異能力者と深くかかわったことなどなかった寺崎は、こんな経験は初めてだった。半ばパニックに陥りながら、それでも寺崎は、滝川を羽交い絞めにする腕の力だけは絶対に緩めなかった。

 星のような輝きが、まるで呼吸しているかのように強い光を放つたび、辺り一面が昼間のような明るさに包まれる。その度に異なる場面の映像が、眼前に閃いては消える。

 誕生の瞬間。喜ぶ両親の姿。幼稚園で孤立していた彼に話しかけてくれたかわいい女の子。両親の離婚。父親との暮らし。新しい母になじめず、家を飛び出し、繁華街をうろついた夜……。


「これは……滝川の記憶?」


 寺崎は滝川を抱えて浮遊しながら、ぼうぜんとその光景を感受していた。


――これが紺野の、力なのか?


 ふいに、空間全体がやけに明るい光に包まれた。映し出されているのは、白い壁が目にまぶしい、病室のような部屋だった。

 目の前に立っている……いや、寝ているのだろうか? 姿勢すら定かではない誰かの姿が見える。輪郭もあいまいで、男か女かも、人間かどうかすら定かではない。すると突然、彼、もしくは彼女の意識が、脳を撹拌されるような強烈な不快感とともに滝川の意識に強制的に流れ込んできた。意識世界に響き渡る、不気味な何者かの声音。


『オマエヲ貸シテモラウ』


「やめろぉ!」


 突然、滝川が裏返った金切り声を上げた。あり得ないほどの力が四肢に漲り、振りほどかれそうになった寺崎は慌てて滝川を抑えつけなおした。だが、足の動きだけは抑えようがない。滝川は、まるで自転車をフルスピードでこいでいるかのような動きで、目の前に立つ紺野の胸や腹を激しく蹴りつけた。 

 苦痛に顔を歪めながらも、紺野は滝川から離れなかった。目を閉じて額を触れ合わせながら、相当に強い……寺崎でも問題なく傍受できるほどの送信で、滝川の意識に呼びかけた。


【思い出してください! あなたがやろうとしていることは、あなたの意志じゃない。あのとき現れた、あいつの意志なんです!】


 滝川が叫んだ。もはや、意味を成さない叫びだった。同時に、光跡が横一直線に走ったかと思うと、真っ暗な空間は涼しい音をたて、ガラス細工のように粉々に砕け散った。



☆☆☆



 気が付くと、そこは先ほどの滝川の自室だった。

 黄色い夕方の斜光が、温かな室内を黄金色に照らし出している。

 ぼうぜんと周囲を見回した寺崎の視界に、部屋の真ん中、フローリングの床の上で、意識を失った滝川が仰向けに倒れている姿が映りこんだ。四肢を投げ出し、白目をむいて、目からは涙、口の端からは唾液が一筋、床に向かって流れ落ちている。

 その傍らには、紺野がいた。床に両手を突いてうずくまり、肩を揺らして浅く速い呼吸を繰り返している。


「……大丈夫か? 紺野」


 寺崎は紺野自身のことを聞いたつもりだった。だが紺野は荒い呼吸の合間から、かすれた声で切れ切れにこう答えた。


「今、診てみます……。すみませんが、この人を……、ベッドに、寝かせていただけますか」


 寺崎は倒れている滝川を抱え上げると、ベッドに寝かせた。紺野は壁を伝ってよろよろと立ち上がり、血だらけの右足を引きずってやっとのことでベッドの脇までたどり着くと、滝川のこめかみにをそっと両手を添え、自分の額を滝川の額に重ね合わせる。意識を集中しているのだろう、その体がかすかに白い光を放ちはじめる。

 しばらくの間そのままの姿勢で動かなかったが、ややあって紺野は顔を上げると、滝川のこめかみから手を離した。


「……大丈夫、二,三週間このまま眠れば、記憶障害のほかは大きな後遺症はなく、回復するでしょう……」


 言い終えるや、力尽きたように床に座り込んだ紺野に、寺崎が本当に大丈夫か確認しようと口を開きかけた、刹那。外から門扉が開く時の、金属が軋む尖った音が響いた。

 紺野ははっとしたように顔を上げると、ベッドに縋りながらおぼつかない足を踏みしめてなんとか立ちあがった。寺崎が慌てて床に転がっていた松葉杖を手渡すと、小さく頭を下げて手を差し伸べる。


「……行きましょう」


 差し出しされた寺崎の手を取り、紺野が目を閉じた瞬間。

 西日の差し込む滝川の部屋から、二人の姿は忽然と消えた。



☆☆☆



 二人が現れたのは、赤い光に包まれた夕刻の河川敷、鉄橋下のサイクリングロードだった。ちょうど頭上を列車が通過しているのだろう、騒々しくもリズミカルな音が辺り一帯に響きわたっている。

 紺野は橋脚に体重を預け、目を閉じて俯き、肩を揺らして浅い呼吸を繰り返していた。そこに立っているのが精いっぱいといった風情だった。黒いチョーカーをつけた首もとは見るも無残に焼け爛れ、右足からしみ出した血で、白い病院服が鮮やかな赤に染まっていた。


「病院に戻るのか」


 寺崎の問いかけに、紺野は小さく頷いて答えた。

 寺崎は不安げに表情を曇らせた。ここは病院から歩いて数分のところにある河川敷だ。普通の状態ならなんでもない距離だが、紺野は見るからに普通の状態ではない。


「おまえ……戻れるのか?」


 紺野は頷くと、薄く目を開いて寺崎を見た。おぼつかない足をふみしめて姿勢を立て直すと、深々と頭を下げてみせる。


「ありがとうございました。あなたのおかげで……」


 言葉は突然の激しい咳と、迸る鮮血によって遮られた。血はアスファルトに音をたてて飛び散り、灰色のサイクリングロードをやけに華やかに彩る。

 寺崎は息をのんで紺野を見た。

 紺野は肩で息をしながら、ぼうぜんと路面の赤い模様を見つめていたが、やがて口もとを袖で拭うと、改めて寺崎に一礼した。松葉杖を握り直すと、病院に向かって震える一歩を踏み出そうとする。

 だが、彼の足はもはや自分の体重を支えることもできなかったらしい。がくりと崩れ落ちる紺野の体を、息をのんだ寺崎が即座に駆け寄って支えた。


「そんなんじゃ無理だ、紺野。送ってやる」


 紺野は小さく首を振り、寺崎を突き離すようにして体を起こした。


「大丈夫です……歩けます」


「何言ってんだよ。どう見たって無理だろ……ほら」


 寺崎は肩を貸そうと姿勢を低くしたが、紺野は首を振って松葉杖を握り直した。


「いいです。大丈夫……」


 そう言って一歩踏み出そうとするも、すぐに弱々しく咳き込み始める。松葉杖にもたれるようにして俯くその足元に、血飛沫が点々と飛び散った。


「……だから無理だっつってんだろ!」


 寺崎は息を飲むと、紺野の腕をつかんで強引に引き寄せ、自分の肩にその腕を回した。紺野は目を丸くすると、怯えたような表情で寺崎の肩から腕を外そうとする。


「離してください……」


「いい加減にしろ、紺野! 無理なもんは無理なんだ!」


 寺崎に一喝されて、紺野はようやく動きを止めた。


「とにかく病院に行こう。早くしないと、おまえ、マジでヤバいぞ」


 寺崎はじゃまになった松葉杖を河川敷に投げ捨てると、有無を言わせず紺野の腕を肩に回し、引きずるようにして歩き始めた。

 だが、そうして十歩ほど歩いたのもつかの間、紺野は再び寺崎を突き放すようにして体を離した。支えなしでは立っていることもできず、頽れるように座り込んだ紺野に、寺崎は怒りをあらわにして叫んだ。


「いい加減にしろっつってんだろ紺野! どういうつもり……」


 寺崎は言葉を呑みこんだ。

 両手を路面についた紺野は、弱々しい咳とともに大量の血を吐いていた。背筋が凍るような感覚に襲われた寺崎は、あわてて紺野の傍らにしゃがみ込むと、波打つその背をさすってやった。

 と、紺野が荒い息の下から、途切れ途切れに言葉を発した。


「やっぱり……だめです。きっと、……また吐く。あなたの、制服が……」


「? ……何言ってんだ、紺野?」


 紺野は、まるで百メートルを全力疾走した時のような息づかいをしながら、やっとのことで短い言葉を発した。


「服が……、汚れる……」


 予想の斜め上の発言に、寺崎は数刻機能停止して固まった。

 紺野は震える足を踏みしめて立ち上がろうとする。だが、支えが何もない状態で立ち上がれる訳がない。バランスを崩した紺野の体が、再び路面に崩れ落ちる。

 倒れかけるその体を、寺崎は力強い両腕でしっかりと支えた。


「……バカか? おまえ」


 紺野は息を切らしながら、おずおずと寺崎を見上げた。


「こんな極限状態で、何の心配してんだよ……ほんっと、信じらんねえ」


 吐き捨てるやいなや、何か言いかけた紺野に構わず、その体を強引に背負い上げる。


「くだらないこと気にしてねえで、自分の体の心配でもしてろ。ほんとに、早く医者に診せねえとヤバいぞ、おまえ」


 寺崎は返事を待たずに、サイクリングロードを大股で歩き始めた。

 紺野はもう何も言わなかった。寺崎の肩に頭を預けると、力尽きたように目を閉じる。

 太陽は沈みかけていた。紺野を背負って歩く寺崎の黒い影は、薄赤く染まった仄暗い夕空に溶けるように、徐々になじんで見えなくなっていった。

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