4月19日2
義虎は、言葉もなく眼下にあるひしゃげたエレベーターの残骸を見下ろしていた。
神代総合病院で起きた「エレベーター崩落事故」の報は、即座に魁然側にも伝えられた。鬼子の可能性がある能力者が絡んだ大事件、その上、別人によるとみられる強い能力発動も観測され、何より、その事故現場に居合わせ、あわや大惨事に巻き込まれる寸前だったのが、学校で生徒会の仕事をしていたはずの愛娘とくれば、義虎が他の全ての仕事をキャンセルしてでも現場に駆け付けるのは至極当然のことだった。
「魁然総帥、お忙しい中、御足労ありがとうございます」
ふいに背後で声がした。振り向くと、白衣姿の神代享也が沈痛な面持ちで立っている。義虎が口を開こうとするより早く、享也は深々と腰を折り曲げて頭を下げた。
「このたびは、私どもの対応が遅れ、玲璃さんを危険な目に遭わせてしまいましたこと、深くお詫び申し上げます」
「とんでもない、顔を上げてください、神代総代」
義虎は目を丸くすると、あわてて享也の肩に手を添え、頭を上げるよう促した。
「今回の件は、百パーセント私の落ち度です。まさか娘が私に告げもせず、危険人物が入院しているこの病院に来ていたなどと……本当にふがいない。私の監督不行き届きです。病院の皆さんに多大なご迷惑をおかけしてしまったことを、心よりお詫び申し上げます」
享也は首を横に振った。
「とんでもない。玲璃さんももう成人なのですから、本来は親御さんにいちいち許可をとらずともどこにでも出かけられる年齢です。それで問題が生じるのだとしたら、われわれ一族の目的のために余計な危険を背負わされているためでしょう。どうか、彼女を責めないであげてください。今回の件で、一番ショックを受けているのは玲璃さんだと思います」
「しかし……」
「全ての原因は、われわれが至らなかったことにあります。病院内への能力者の侵入を許し、あまつさえ能力発動まで許してしまったわけですから。病院は常に不特定多数の人間が出入りする場所で、外部の人間が侵入しやすいのは確かとはいえ、玲璃さんの来院すら把握できていなかったのは問題です。警備を再点検する必要があるでしょう」
享也の言葉に、義虎も矛を収めて頷いた。
「……わかりました。神代総代に免じて、今回の件はできるだけ穏便に処理します。しかし、気軽に一人で外出できる立場でないことだけはしっかり言い聞かせる必要があるでしょう。その辺りは親子で再確認しないといけません」
「それは仰る通りですね。ぜひよろしくお願いします」
「それにしても、神代総代。これはいったい……」
義虎は開きっぱなしになったエレベーターの扉に歩み寄ると、手に持っていたライトのスイッチを入れて中を覗き込む。義虎のあとからついてきた享也も、下方に見えるその光景に厳しい表情を浮かべた。
義虎が立っているのは地下一階のエレベーターの扉である。この病院は地下二階まであるが、地下二階は墜落したエレベーターが大破していて扉を開けることはできない。二人は墜落したエレベーターの様子を、上階から見下ろしている格好になっているのだが、そこから見える光景は、まさに常軌を逸していた。
大破したエレベーターの箱の天井に、内部から巨大なドリルで開けたような巨大な穴があいているのだ。ねじ切られ、ひしゃげた天井の部材が、義虎のライトの光を反射して冷たく光っている。
義虎はその穴を蒼白な顔で見下ろしながら、確認するように既知の事実を言葉にした。
「沙羅医師は能力発動を二回感知したと話していました。一回はエレベーターのワイヤ―を切ったせん断系の念動力、もう一回はエレベーター内からの玲璃の転送と……。しかし、彼女はこんな破壊を起こすような能力発動は感知していなかったはずです。この凄まじい破壊はいったい、……」
「これは転送による影響でしょう」
言いかけた言葉を飲み込むと、義虎は目を丸くして隣に立つ享也を見上げた。
「……なんですと? 転送は、物体を移送するだけの能力のはず。こんな破壊が起きるわけが」
「沙羅くんは二回しか発動を感知していなかったようですが、能力発動は、正しくは三回ありました。二回は沙羅くんが感知していたもので間違いはありませんが、もう一つ、静的な能力発動が行われていました」
「静的、と申しますと……」
「防壁です」
発言の意図がつかめないらしく戸惑ったような表情を浮かべている義虎に、享也は順を追って説明を始めた。
「玲璃さんの乗っていたエレベーターには、外部から能力影響を及ぼせないように強力な防壁が張り巡らされていたのです。防壁を突き破って内部に能力影響を及ぼすには、防壁のエネルギーを上回るエネルギーをぶつける必要があります。能力影響でも物質による実質的な破壊でもどちらでもいいのですが、なんにせよ防壁を施されていた物体はその力によってある程度の損壊を免れません。今回、エレベーターに施されていた防壁を突破して内部にいた玲璃さんを病室に転送するのには、これだけのエネルギーが必要だったということでしょう」
義虎はまじろぎもせず享也を見つめていたが、ややあって、かすれた声で問いかけた。
「……そのエネルギーを出したのは」
「転送側の能力者です。エネルギー波が明らかに異質でしたから、防壁とせん断は別の能力者によるものでしょう」
「信じられん……こんな破壊を及ぼせるレベルのエネルギーを操作できる能力者が存在するなどと」
「そうですね。今回の件の能力者たちは、少なくとも私と同レベルの能力を持っている可能性が高い」
義虎は息をのんで享也を見上げた。享也は大穴のあいたエレベーターに目線を落としながら、独り言のように言葉を続けた。
「それにしても興味深いのは、玲璃さんを転送した能力者が、あくまで転送能力しか発動していないことですね。これだけ強力な防壁を突破するとなれば、普通は同時にせん断や破壊系の念動力を発動してしかるべきです。でも、あの時私は転送の能力発動しか感知しなかった。今、このエレベーターの周囲を検分してみても、残留しているエネルギーは防壁と転送のみです。つまり、その能力者は、転送という能力発動単体でこれだけの破壊を及ぼすエネルギーを発したという事になります。本当に興味深い。私でも、はたして転送能力単体でここまでの破壊が可能かどうか……」
「……神代総代、今回の件には、別々の二人の能力者が関わっているとのお話でしたが」
「その可能性が濃厚です」
「どちらが、「あいつ」なのでしょうか?」
享也は首を巡らせると、黙って義虎を見つめる。義虎は噛みつかんばかりの勢いでさらに質問を重ねた。
「今、八階の病棟に寝ている紺野というあの男は、どちらの能力発動に関わっているとみられるのですか?」
「一応、玲璃さんの証言からも、また、状況検分からも、転送を行ったのが紺野という見方が濃厚です」
「あり得ない」
義虎は吐き捨てるように断じると、強い目線で享也を見据えた。
「もう一度調べ直してください。同一の能力者がエネルギー周波数を変えて能力を発し、別々の能力者が起こしたように見せかける狂言を行っている可能性は本当にないのですか?」
享也は心なしか困ったような表情を浮かべると、遠慮がちに頷く。
「……まあ、非常に可能性は低いですが、ゼロ、とまでは言えません」
「やはりそうですか」
義虎はホッとしたように表情を緩めると、勢い込んで言葉を重ねた。
「ぜひ詳細な調査をお願いしたい。あの鬼子が玲璃を助けたなどと、そんなバカな話があるわけがない。絶対に何か裏があるはずです」
「わかりました。その可能性も含めて調査いたしましょう」
享也はいたわるような表情で頷いてみせてから、切り替えるように明るく投げかけた。
「それでは、そろそろ玲璃さんのところに参りましょう。総帥の到着を応接室でずっと待っておいでです。ご案内します」
☆☆☆
「どうぞ。玲璃さんはこちらでお待ちです」
享也がノックをして扉を開けると、部屋の奥にあるソファに座っていた玲璃が弾かれたように顔を上げるのが見えた。義虎の入室を促し、そのまま扉を閉めて立ち去ろうとする享也を、玲璃は必死の表情で呼び止める。
「あの、享也さん。彼……紺野は今、どういう状態なんですか?」
入室しかけた義虎はその質問に息を飲み、表情を凍らせて立ちすくむ。享也は困ったようにほほ笑むと、扉を閉める手を止めてその問いに答えた。
「出血がいくぶん多かったですからね。少し意識がはっきりしない感じになってはいますが、大丈夫ですよ。傷の処置もしましたし、明日には持ち直すと思います」
その言葉に、玲璃はホッと表情を緩めた。
「そうですか……よかった」
享也は笑顔で頷くと、義虎に一礼して扉を閉め、面会室をあとにした。
義虎は扉が閉まると同時に、深いため息をついて首を振った。
「あの男の容体を気にするなどと、おまえはなにをのんきなことを……。自分がどういう状況だったかわかっているのか? おまえはあの男に殺されかけたかもしれないんだぞ?」
玲璃はその言葉に目を丸くすると、激しく首を横に振った。
「違います、父様。紺野は私を助けてくれたんです。墜落するエレベーターから自分の病室に転移させて……私を談話室に連れ出したのも、人目にさらして第二の攻撃を避けるためだったかもしれないと聞きました。あんな大けがをしていて、熱だってまだ引いていなかったのに……」
「誰がそんなことを言ったんだ?」
威圧的なそのもの言いにびくっと体を震わせながらも、玲璃は必死で言葉を返す。
「神代、沙羅さ……医師、です」
「それは勝手な憶測だ」
一言のもとに断じられ、玲璃は息をのんで顔を上げた。
「憶測ではありません! 当事者の私から見ても、その見方は妥当だと思います。あの状況はどう考えても、紺野が私を……」
「全てがあの男の狂言という可能性もあるのにか?」
あまりに突拍子もない設定を持ち出され、玲璃は寸刻機能停止して固まった。
「それは、……ありえません。いったい何の目的で、そんなバカバカしいことを……」
「おまえに取り入るために決まってるだろう」
言葉を失った玲璃を、義虎は震えあがるような目で睨みつけた。
「そもそも、今回の件は、おまえが私に何の断りもなく一人で勝手に神代の病院に来たことに全ての原因がある。護衛も連れず、断りもなく、おまえはいったい、何をしに病院に来たのだ?」
玲璃は口ごもった。まさか、紺野に会いに来たなどと、この状況では口が裂けても言えない。
「きょ、……亨也さんが、どんなふうにお仕事をされているのか、興味があって……」
その返答は予想外だったのだろう。義虎は目を見張ると、いくぶん語調を和らげた。
「こんなふうに突然会いに来られても、亨也さんは忙しい。迷惑にもなるだろう。これからは事前に私に言いなさい。病院側にきちんと話を通して、問題なく会えるように調整するし、送迎も護衛もつける。……まあ、許嫁に興味を持ってくれたことに関しては喜ばしいが」
「は、はい。申し訳ありませんでした」
「とにかく、あの紺野とかいう男は要注意人物だ。今後一切、あの男と関わりを持つことは許さん。神代の病院も、私にことわりもなく一人で勝手に行くことは絶対にならん。分かったな」
「……はい」
玲璃は内心の不服を抑えながら、小さく頷いた。
――紺野は、私を助けようとした。
沙羅に言われるまでもなく、玲璃はそう確信していた。あの状況は、どう考えてもそうとしか思えない。父親の認識は間違っていると強く主張したい気持ちが胸の奥底でくすぶる。だが、義虎相手に自信をもってその主張を貫き通せるほどの確信もない。やはりまだ父親の庇護下から出ることはできないのかと、玲璃は自分が情けなくて仕方がなかった。