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輪廻  作者: 代田さん
第一章 邂逅
22/203

4月18日 1

4月18日(木)


 紺野の意識が回復したのは、事件から二日後の四月十七日だった。

 その翌日にあたるこの日、紺野が簡単な質問に答えられる程度に回復したのを見計らって、紺野に対する尋問が開始される運びとなった。

 尋問を担当するのは、神代病院に勤務する外科医であり能力者、神代沙羅(さら)医師である。


 輸血もできず、一時は危篤状態だったにもかかわらず、紺野が想定よりはるかに早い回復をみせたのは、ひとえに享也の的確な処置のたまものだろう。相手がたとえ危険人物だったとしても、目の前に一人の患者として横たわっていれば治療に全力を尽くしてしまうのが医者の性である。当然、血液検査も遺伝子検査も終了していない以上、抹殺の判断もくだせない。神代病院は予定通り、二十四時間交代で紺野の動向を監視する厳戒体制に移行した。

 監視体制のトップには、この病院の院長であり神代家総帥である神代京子が就き、京子の息子であり神代家総代の神代享也が、魁然側から派遣された警備員の配置や指揮を行う。また、高位能力者である神代沙羅が、享也の直属の部下として紺野秀明の監視と調査を担当する運びとなった。

 神代享也は当初、沙羅がその任に就くことに強く反対した。相手の詳細な能力が分からない以上、能力ランクが最上位にある自分が対応するべきだというのがその理由だった。だが、沙羅はだからこそ自分が担当すると譲らなかった。神代享也は一族の数百年来の目的の結晶であり、その成就が間近に迫っている今は危険な任につくべきではない、相手の能力や正体がある程度明らかになるまでは接触すら避けるべきだと主張した。この意見に神代一族の多くの者が賛同した結果、一族の意向に押し切られる格好で、沙羅が紺野秀明の調査を担当することになったのである。


 尋問といっても沙羅の場合、言葉であれこれ質問をぶつけるなどという面倒なことはしない。沙羅は、神代一族屈指の送受信能力者テレパスである。送受信能力だけであれば、神代総代をもしのぐ同調シンクロ力を有しており、無能力者が相手であれば、意識を開いてただ人混みに立っているだけで、そこにいる全ての人間の意識が読み取れてしまうほどの能力を持っている。無論、相手が能力者であっても脳の障壁バリアを潜り抜けて意識に同調シンクロすることができ、試してみたことはないが、神代家第二位の能力者である神代総帥ですら、彼女がその気になれば思考の一部を読み取ることができるだろうと言われている。彼女が心を読み取れない相手は、神代総代……亨也くらいなものなのだ。


 だからこそ、沙羅は自信があった。たとえ相手が鬼子だろうが、自分より低ランクの能力者と、高ランクの血が入っているとはいえ一般人との混血能力者との間に生まれた子どもが、自分より強力な送受信能力者テレパスであるわけがないと自負していた。自分の能力を使って、神代享也の安全を守り、彼の役に立つことができる。沙羅にとってはそれが何よりも誇らしく、その喜びを得られるなら、鬼子という存在の危険性など、考慮する価値もない無意味なものだった。


 沙羅は軽くノックをすると、紺野の病室の扉を開いた。

 朝日の差し込む薄明るい病室は、しんと静まりかえっている。

 紺野は監視を行う関係上、ICUではなく病棟の個室に移されている。酸素マスクは取れているが、まだ排液のためのドレーンや導尿管、点滴の管と薬剤の管につながれていて、重傷者然とした状態だ。紺野は眠っていたようだったが、枕元に置かれた丸椅子に沙羅が座ると、気配を感じたのか閉じていた目を薄く開いた。

 沙羅はその顔をのぞき込み、あでやかな笑顔でにっこりと笑う。


「初めまして、紺野さん。あなたを担当することになりました、医師の神代沙羅と申します。さて、さっそくで申し訳ないんですが、あなたにいくつかお聞きしたいことがあるんです。よろしいですか?」


 沙羅は反応を待つように言葉を切ったが、紺野は焦点の定まらない目でぼんやりと天井を眺めているだけだ。沙羅は言葉を続けた。


「でもまあ、いきなり強制的にのぞくのも人権侵害と思うので、まずは自主性を尊重して、口頭で質問してみることにしますね。あなた、普通の人にはない、特殊な異能力をお持ちですよね」


 その言葉に、紺野は天井に向けていた目を少しだけ見開くと、ゆるゆると沙羅に目線を向けた。沙羅はここぞとばかり、畳みかけるように言葉を継ぐ。


「あのとき、火事で焼け死ぬ寸前だったお隣のおばあちゃんを川岸に転送テレポートして助けたのは、あなたなんですよね」


 紺野がその問いかけに対し、ほんのわずかだが首を縦に動かして頷いたのを見て、沙羅は驚いたように目を見張った。


「……へえ、意外に素直なのね。じゃあ、もうひとつ質問させてもらおうかしら。あなた、たいへんなケガをしているわよね。誰にやられてそうなったのか、教えてもらえる?」


 この問いかけに対しては何の反応もない。沙羅は肩をすくめた。


「複雑な質問はまだ無理かな……じゃあ、相手が異能力者だったのかどうかだけでも教えてもらえる? 異能力者ならイエス、普通の人間ならノーで」


 紺野の反応はない。ただ、じっと白い天井を見つめているだけだ。沙羅は小さくため息をつくと、点滴につながれた紺野の右手をとった。


「やっぱり、強制的に教えてもらうしかないみたいね。悪いけど、あの日のあなたの記憶をのぞかせてもらいます。できるだけあの日以外の記憶は見ないように調整するから安心して。ただ、意識を開いてくれないとあまり細かい調整ができなくなるから、できれば意識を開いて障壁を取り除いてもらえると助かるわね」


 そう言うと、沙羅は静かに目を閉じた。

 見る間に沙羅の体から、しみだすように蒼い光が湧き出してくる。その光はまるで生き物のように沙羅の手から紺野の右手へ動き、そして腕、肩を伝って、紺野の耳の穴から脳内へと侵入を開始する。その光に意識を乗せている沙羅も、真っ暗な空間に溶けるように飲み込まれていった。

 気が付くと、沙羅は暗く、広く、なにもない空間の真ん中にポツンと一人で立っていた。どうやら、紺野の意識世界の入り口にきたらしい。言われた通り意識を開いていたらしく、障壁に阻まれることもなくすんなり内部に侵入できたようだ。特段の抵抗を感じなかったところを見ると、送受信に関しては低位の能力しか持っていないようだ。沙羅は勝ち誇ったような笑みを口の端に浮かべかけたが、ふと違和感を覚えて辺りを見回した。


――変ね。


 沙羅は訝しんだ。たいていの人間は、何かしら心の中に具象的なものを抱えている。だが、ここには何もない。真っ暗……それが、「黒」という色かどうかすら分からない虚無が、ただ広がっているばかりだ。


――これじゃ、どこが入り口だか分からないわ。


 戸惑う沙羅の感覚視界に、そのとき、ふいに人影のようなものが映りこんだ。

 もしかしたら、あれが入り口かもしれない。沙羅はフワフワする足元を踏みしめつつ、その人影に近づいた。

 距離が縮まるにつれ、人影の姿が明らかになってくる。少々長めの茶色い髪に、見覚えのある灰色のブレザー。あれは確かに、魁然総代が通う高校の制服だ。


――紺野?


 向こうを向いているので顔は分からないが、その後ろ姿はどう考えても彼のものに違いない。沙羅は身構えた。意識世界に、本人自身の姿が存在することなどめったにないからだ。通常、人間は自身の客観的な姿など認識していない。現れるとしても、手だけとか、足だけとか、なんらか具象的な形を伴うとしても、たとえば動物や好きなキャラクターなど、その人自身とは異なる姿に変容していることがほとんどなのだ。自身の姿を自身として客観視できるのは、モデルや芸能人など、特殊な仕事をしている一部の人間に限られる。


――つまり、ここは彼の心の中じゃない。私自身の目を通して見ている外側の世界を、彼の意識の中だと錯覚させられている可能性がある。


 沙羅は背筋に冷たいものを感じてゾッとした。あの時、確かに彼の意識の内側にもぐりこんだはずなのに、いつ認識をすり替えられたのだろう? こんな経験は初めてだった。彼女は顔から血の気が引くような感覚に襲われながら、あわてて自己認識を再点検する。今、自分の意識はどこにあるのか、自分自身の体から離れているとしたら、紺野という人物の意識に捕まえられている可能性はないのか……。

 腹の底がじりじりするような、背中が粟立つような、生まれて初めての感覚に身を凍らせながら状況を確認していると、後ろ向きで立っていた紺野が、ふいにゆっくりと振り返りはじめた。

 思わず呼吸を止めて身をすくめる沙羅を、振り返った紺野の目がまっすぐにとらえる。沙羅自身の認識の投影だからだろうか、そのまなざしが自分のよく知っている誰かに似ているような気がして、沙羅はかすかな違和感を覚えた。

 次の瞬間。

 まるでブラックホールに吸い込まれるかのように、周囲の薄暗い世界が、その目にグングンと吸い込まれ始めた。

 沙羅は慌てて何かにすがって自分の意識をその場に残そうと試みた。だが、感覚世界につかまれる場所などあるはずがない。努力もむなしくふわりと浮き上がった彼女の体は、まるで木の葉のように回転しながら彼の目の奥にある闇に吸い込まれていく。


――助けて!


 恐怖に覆いつくされた彼女が、助けを求めて虚空に右手を伸ばした、刹那。

 沙羅は悪夢から覚めた時のように、はっと息をのんで目を開いた。

 そこは先ほど同様、柔らかな日差しの差し込む静かな病室だった。

 ベッドに突っ伏すような形で倒れ込んでいた体をよろよろと起こすと、額にじっとりと滲んだ汗を拭う。全力疾走したあとのような激しい呼吸を落ち着けながら、沙羅はおずおずとベッドに横たわる紺野に目を向けた。

 紺野は、ただ静かに眠っていた。心電図も脈拍も特段の乱れはなく、落ち着いた呼吸を規則的に繰り返しているだけだった。


――こいつ!


 沙羅は背筋が粟立つような感覚に身震いした。神代随一と呼ばれた能力者である自分が、意識に同調シンクロすることはおろか、意識世界の入り口でもてあそばれた揚げ句、いともたやすく追い出されたのだ。こんな屈辱は初めての経験だった。


――これが、「鬼子」の力なの?


 静かに眠る穏やかな紺野の顔を、沙羅は蒼白な顔で瞬ぎもせず見つめ続けていた。

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