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輪廻  作者: 代田さん
最終章
201/203

7月20日 2

 箱根の天気は上々だった。おととい梅雨明けしたこともあり、まぶしい夏の日差しがさんさんと照りつけている。

 四人は箱根登山鉄道に乗り換えた。かなりの人出で車椅子での乗車に苦労はしたが、駅員の誘導が適切だったこともあり、大過なく乗り込むことができた。

 終点からケーブルカーに乗り換える。玲璃が義足で歩くみどりを支え、寺崎が車椅子を担ぎ上げ、紺野が皆の荷物を抱えた。


「ごめんなさいね、私がいると足手まといで。やっぱり、私だけ先にお宿に行っていた方がよかったんじゃない?」


 申し訳なさそうにそう言うみどりに、玲璃は笑顔を返した。


「何を言ってるんですか、気にしないでください。みんなで行かないと楽しくないし。でも、みどりさん、もし疲れたら言ってくださいね。私たちの方こそ、みどりさんに無理をさせているかもしれないから」


「私、体力だけはありますから。皆さんがお嫌じゃなければ全然大したことありませんよ」


「でもおふくろ、疲れたらマジで言えよ。俺がおぶってやるし、紺野に転送してもらうっつー最終手段もあるんだから」


 寺崎の言葉に、離れたところに立っている紺野は苦笑したようだった。玲璃も笑うと、窓の外に目を移す。

 木々の緑に青空のコントラストが何ともまぶしい。ケーブルカーは最高点に到達するところだった。



☆☆☆  



 二十分ほど並んで、四人はロープウエーに乗り込んだ。

 四人の他にも数組の客を乗せて、ロープウエーは切り立った岩の間をゆらりゆらりと揺れながら、のんびりと上昇していく。


「ほんと、久しぶりだわ。箱根なんて」


 はるかに見える町並みを見下ろしながらみどりがしみじみとこう言ったので、玲璃は問いかけた。


「何年ぶりですか?」


「そうねえ、二十年ぶりくらいじゃない? 結婚前に、父さんと一度来たきりだったから」


「え、父さんと来たの? マジで?」


 初耳だったらしく、寺崎が目を丸くして聞き返すと、みどりは笑顔でうなずいた。


「父さん、結構な乗り物オタクだったから。ここにこのルートで来るといろんな乗り物に乗れるから、好きだったみたい。案内されたのよ」


「へええ」


 寺崎は感心したようにうなずくと、黙って窓の外に目を向けている紺野の方に振り返った。


「おまえはさ、何年ぶりなんだ? 紺野」


「え?」


 またぼんやりしていたらしく、驚いたように顔を上げる紺野を見て、寺崎は苦笑しながら質問をもう一度繰り返した。


「だからさ、ここに来たの、何年ぶりかって聞いてんの」


 計算しているのか、紺野は首をかしげて中空をながめた。


「ええと……、二十年くらいでしょうか」


「え、おまえも?」


「多分。小学校六年生の修学旅行だったので、二十年か、二十一年前ですね」


 紺野の言葉を小耳に挟んだのか、隣に立っていた大学生らしいカップルがけげんそうに眉をひそめ、しげしげと紺野を眺めまわしている。


「へえ。じゃあ、ひょっとしたらおふくろと同じ時だったかもしれねえんだな」


「そういえばいたわよ、小学生の集団。もしかしたらあの時、紺野さんとすれ違ってたかもしれないわね」


 その言葉に玲璃も寺崎も声を立てて笑った。だが、紺野はあいまいな笑みを浮かべただけで、すぐに黙って窓の外に目を移した。

 寺崎は笑いを収めると、そんな紺野の横顔をじっと見つめた。



☆☆☆  



 まぶしいほどの日差しをキラキラ反射しながら、芦ノ湖はさざ波をたてて揺れている。

 四人は湖畔で記念写真を取ったり、美術館を巡ったりして楽しんだあと、低床バスに乗り込んで宿泊先のホテルへ向かった。

 そこは少々古びたホテルだったが、露天の家族風呂が設置されていて、予約すれば誰でも利用できる。みどりの入浴は、いかに玲璃がいるとはいえ大浴場ではきついので、わざわざ家族風呂のあるこのホテルを選んだのだ。寺崎はチェックイン時に、さっそくそれを予約した。

 寺崎が手続きを済ませるまでの間、三人はロビーの端の方に立って待っていた。

 玲璃はロビー脇の大きな池を見るともなく眺めながら、黙っていた。あれ以来、何となく紺野に話しかけにくいような状態が続いていたのだ。紺野もことさら玲璃に話しかけようとはせず、やはり無言で車椅子のハンドルを握っている。

 気まずい沈黙が続く中、ふと玲璃は隣に立つ紺野を見て、何に気づいたのか驚いたように目を丸くした。


「紺野、おまえ、背が伸びたな」


「え?」


 チェックインをしている寺崎をぼんやり眺めていた紺野は、玲璃の言葉にまたも驚いたように振り返った。玲璃はそんな紺野に構わず、その袖をとらえて歩き出す。


「ちょっとこっちにこい。みどりさん、見てもらえませんか? どのくらい違いがあるか」


「いいわよ。じゃあ、そこに立ってみて」


 玲璃は無理やり紺野を車椅子の前に立たせると、その背中に自分の背中をぴったり密着させる。温かなその感触にドキッとした紺野は、思わず身を引きそうになった。


「そうねえ、五センチくらい紺野さんの方が高いかしら」


「五センチ!?」


 玲璃は声を裏返すと、紺野の顔をまじまじと見つめた。


「四月から比べるとずいぶん伸びたんだな……だってあの時は確か、私と同じくらいの背だったもん」


 紺野は恥ずかしそうに笑った。


「きっと、栄養がよかったんですね。寺崎さんのところでお世話になっている時は、本当にいい食事をさせていただきましたから」


「あとは、伸びる時期でもあったのよ」


 そう言うとみどりは、嬉しそうな笑顔を浮かべた。


「靴もワンサイズ大きくなったでしょ。まだまだ伸びるわよ、きっと」


「お待たせー、……あれ? どしたの?」


 手続きを終えて戻ってきた寺崎に、玲璃はもう一度紺野を引っ張って立たせると、先ほどのように背中を合わせて背比べをして見せる。


「ほら、伸びただろ」


 寺崎も目をまん丸くした。


「え、マジ? 紺野、ちょっと俺と並んでみ?」


 言われたとおり隣に並んだ紺野を見て、寺崎は感心したようにうなずいた。


「へえ、すげえな。確か四月は、おまえ、俺の肩くらいしかなかったよな。今、口くらいまできてるもん。伸びたんだな」


「いつもおまえといるから気がつかなかったんだな。おまえといると、みんな小さく見えるから」


「すみませんね、バカでかくて……。じゃ、手続き終わったから行こっか」


 四人は荷物を抱えると、連れだってホテルの廊下を進み始めた。



☆☆☆



「家族風呂、今すぐなら空いてるって。五時以降になると予約埋まってるらしいから、最初に風呂行こうか」


「そうか。じゃ、みどりさん、行きましょう」


 笑顔でそう言って、荷物から風呂の道具を取りだし始めた玲璃を、ゆったりした籐いすに座っているみどりは申し訳なさそうに見やった。


「申し訳ありませんね、玲璃さん。何だったら、紘と二人で行きますよ。こんな所に来てまで、疲れることをしなくても……」


「何を言ってるんですか。私はある意味そのために来たんですよ。ほんと、気になさらないでください」


 そう言って玲璃は笑うと、テキパキと風呂の準備を続ける。寺崎もみどりの風呂の準備をしていたが、部屋の片隅に立ち尽くして用意を始めようとしない紺野に声を掛けた。


「何ぼんやり突っ立ってんだよ、紺野。おまえもさっさと用意しろよ。念願の風呂だぞ、風呂」


 紺野は曖昧な笑みを浮かべると、言いにくそうに口を開いた。


「あの時はそう言ったんですが、……すみません、寺崎さん。やっぱり僕、お風呂は遠慮しておきます」


「はあ?」


 素っ頓狂な声を上げた寺崎が、眉根を思い切り寄せて詰め寄ってきたので、紺野は思わず一歩あとじさる。


「おまえさ、今さら何言ってんの? 何のために箱根くんだりまで来たんだと思ってんだよ」


「す、すみません……でも、よく考えたら僕、温泉に入れる体じゃないんで……」


「体? 何? おまえ、持病でもあったっていうのかよ」


 二人の会話を聞いていたみどりが、ハッとしたように顔を上げた。


「持病はないんですが、なんと言いますか、その……」


 言いながら、自分の腕をそっと押さえる紺野のしぐさに、寺崎もようやく気づいたらしい。はっとしたように口をつぐむと、目線を泳がせて黙り込む。

 四人の間に、気まずい沈黙が流れた。

 しばらくの間ののち、みどりが遠慮がちに口を開いた。


「……じゃあ、紺野さん、私と入る? 家族風呂なら、人に見られる心配もないし」


 目をまん丸くして、耳まで真っ赤になった紺野を見て、寺崎は思わず吹き出した。


「いいよ。紺野、行こうぜ」


 紺野はおずおずと寺崎に目を向ける。


「気にすんな。そんなの、誰も見ちゃいねえって。他人のことなんか、みんな気にしてねえんだから。おまえがどうしても気になるっていうならしかたねえけど、せっかく来たんだもん、入ろうぜ。な」


「寺崎さん……」


 紺野はしばらくの間、うつむいて黙り込んでいたが、ややあって、ゆっくりとうなずいた。


「分かりました」


「やった! そうこなくっちゃ」


 嬉しそうにガッツポーズをする寺崎を見て、紺野は申し訳なさそうな表情を浮かべた。


「ただ、ほんとに半端ないので……寺崎さん、もし嫌だったら、離れていてくださいね」


「何言ってんだ。俺が何を嫌がるってんだよ、バカ」


 寺崎はそう言って笑うと、ウキウキと風呂の準備を続けた。

  


☆☆☆



 寺崎は、Tシャツを脱いだ紺野を見て、言葉を失っていた。

 居合わせた中年男性がぎょっとしたように紺野に目を向けたが、それ系の人間だと思ったのか、慌てて目をそらし、そそくさと浴室に入っていった。

 腕の傷ばかりではない。体中が傷だらけだったのだ。寺崎と出会ってから幾度も瀕死ひんしの重傷を負い、体中にいくつも大きな傷を負ってきた紺野。そのたびに亨也が修復してくれていたとはいえ、顔など目立つ所以外は表層にどうしても傷が残るのだ。それが全く分からなくなるまで修復するには、かなりの時間をかけなければならない。次々に大きな傷を負った紺野に対して、そこまで丁寧にしている余裕はさすがの亨也にもなかったのだろう。先日、脇腹や肩に受けた傷が、まだ新しく最も目立っていた。


「……おまえ、つくづくたいへんだったんだな」


 寺崎がため息まじりにこう言うと、紺野は恥ずかしそうに笑って目線を落とした。


「ほんとにいいですよ。離れていて……」


「何言ってんだよ!」


 寺崎は慌てて腰にタオルを巻くと、紺野の首に腕を回して引き寄せた。


「おまえの背中流してやりたかったんだ、俺。行くぞ!」


 寺崎は紺野をぐいぐい引っ張りながら、大浴場に入っていった。

  


☆☆☆



 四人は運ばれてきた豪勢な海の幸、山の幸に目を見張っていた。

 移動が億劫おっくうなみどりのことを考え、食事は部屋に運んでもらうことにしたのだ。


「すげえだろ、ここは値段の割に料理がいいって評判なんだ」


 浴衣姿の寺崎は、机を部屋の端に移動して座椅子を壁際にセットし、みどりを座らせた。自分はその隣に座ると、斜め前に立つ玲璃に目を向けて何か言いかけ……その目を見はって凍りついた。

 玲璃の髪は四月当初は長めのショートだったが、最近は肩を覆う位の長さにまで伸びている。まだぬれている髪を無造作にまとめ上げ、浴衣をさらりと着たその姿は何とも色っぽい。寺崎は半分口を開けて、そんな玲璃に見とれていた。


「何だ? 寺崎」


 視線に気づいた玲璃がいぶかしげに聞き返してきたので、寺崎は慌てて目線を泳がせる。


「え、いや、何でも……。取りあえず座ろ。料理冷めちゃうし」


 寺崎の向かい側に玲璃、みどりの向かい側に紺野が座ると、寺崎はジュースの瓶を開けてコップに注ぎながら、ちらっとみどりをうかがい見る。


「……ビール頼んじゃ、だめだよね」


 そんな寺崎に、みどりはちらりと厳しい目を向ける。


「何か言ったかしら? 未成年」


「いや、何でもないっす」


 しゅんとしおれた寺崎を見て、玲璃はくすくす笑った。紺野も苦笑しながら注がれたジュースをそれぞれの前に置く。


「じゃ、乾杯……って、何に乾杯する?」


 寺崎の言葉に玲璃は斜め上に目を向けて考えていたが、やがて笑顔でこう言った。


「ここにいるみんなの新しい未来に、かな?」


 寺崎もみどりも感心したようにうなずく。


「確かに、それ滅茶苦茶いいかも。じゃ、先輩音頭お願いするっす」


 玲璃は恥ずかしそうにうなずくと、グラスを手にする。他の三人もグラスを手にして玲璃を見つめた。


「じゃあ、みんなの新しい未来に、乾杯!」


「乾杯!」


 全員のグラスが、カチンと涼しい音をたてて触れ合った。



☆☆☆  



 十時頃まで、四人は何やかんや楽しく話をして過ごしていたのだが、さすがにみどりも疲れた様子が見え始めたので、寺崎は奥のダブルベッドにみどりを移動させた。


「こっちのベッドに、おふくろと先輩が寝て。俺たちはあっちの和室に布団を敷くから。間に扉があるから、大丈夫っすよね」


「全然構わない。みどりさんが一緒なら安心だもん」


 玲璃はそう言って笑うと、みどりにあいさつをして電気を消し、静かに仕切りの扉を閉めた。


「でもまあ、おふくろが寝るならあんま大きな声も出せねえしな……表に出ようか」


「ちょっと外でも散歩するか? ここ、お庭が奇麗だし」


「そだな、行こっか」


 すると、そんな二人を黙って見つめていた紺野が、おもむろに口を開いた。


「すみません。僕も寝ていいですか?」


 それを聞いた寺崎は、思わずぷっと吹き出した。


「何? おまえ、相変わらず早く寝てんの?」


「さすがに八時ではないですけど。十時には寝てますね。大体」 


「マジで? ホントおまえって面白いやつだな。いいよ、じゃ、二人で行こっか」


「そうだな。じゃ、おやすみ、紺野」


 玲璃は振り返り、笑顔で手を振る。紺野は一瞬、何とも言えない表情を浮かべたが、やがて小さく頭を下げると「お休みなさい」と答えた。

 寺崎と玲璃が連れだって部屋の外に出、扉の閉まる音が低く響く。

 紺野は何を考えているのか、しばらくの間、部屋の真ん中に立ち尽くしていたが、ややあって、気を取り直したように自分と寺崎の布団を敷き始めた。

  


☆☆☆



 中庭では、ついさっきまで夜店が出されてにぎやかな雰囲気だったが、子どもたちの姿もまばらになり、店も片付けを始めているようだった。

 玲璃と寺崎はそんな夜店を横目で見やりながら、静かな裏庭の方へゆっくりと歩いていく。

 裏庭は人気もなく、微かな虫の声だけが通奏低音さながらに響いていた。


「それにしても、マジで箱根に来られたんだな、俺たち。よかったよな……全部、丸く収まって」


 寺崎がしみじみとつぶやくと、隣を歩いていた玲璃もうなずいた。


「本当に。こんなに丸く収まるなんて、あの時は思ってもみなかった」


「玲は大学受験できることにもなったし」


 寺崎の言葉に、玲璃は笑顔を見せた。


「そうだな。これからは自分の思う通りに人生を決められると思うと、本当に嬉しいし、信じられない。少し、怖いくらいだ」


 寺崎は深々とうなずいた。


「……俺も、マジで嬉しいし、信じられない」


 そう言うと、寺崎は隣を歩く玲璃を横目でちらりと見やる。

 まばたきとともに上下する長いまつ毛と、白い耳を覆う柔らかそうな産毛。うつむき加減の白い首筋に、まとめ上げた髪の後れ毛がはらりとかかる。庭を照らすライトに浮かび上がる玲璃の浴衣姿は、なんとも艶やかで色っぽい。

 と、玲璃も寺崎の視線に気づいて、足を止めた。首を巡らせて寺崎を振り仰ぐと、大きな瞳でまっすぐに見つめる。

 玲璃は、やがて恥ずかしそうに笑うと、つややかな唇の隙間からこんな言葉をもらした。


「ほんとうに、嬉しい」


 長いまつ毛を伏せて、ささやく。


「おまえと、一緒にいられるのが」


 寺崎は、あんな力が隠されているとは到底思えないその細い体を、両腕でしっかりと抱き締めた。

 寺崎の胸に顔を埋めながら、玲璃は幸せなため息をもらした。

 感情に突き動かされるまま、寺崎は玲璃を抱きしめる手に力を込める。

 言葉は必要なかった。鼓動を感じ合い、体温を伝え合い、呼吸さえ重ね合わせながら、やがてどちらともなく視線を交わし、どちらともなく目を閉じて、そっと互いの唇を触れ合わせる。

 葉擦れの音と、かすかな虫の声と、温かく湿った夏の夜の空気が、そんな二人を優しく包んでいた。

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