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輪廻  作者: 代田さん
第五章 解放
193/203

6月26日 

 6月26日(水)


 玲璃は重い足を引きずるように、昇降口へ続くアプローチを歩いていた。

 時折足を止めてはじっと考え込むように立ち止まり、再びゆっくりと歩き始めるのを繰り返しながら、ようやく昇降口にたどり着いた玲璃の目に、靴を履き替えている寺崎の後ろ姿が飛び込んできた。


「寺崎」


 遠慮がちなその声に、寺崎も顔を上げて振り返った。玲璃の姿に、驚いたように目を見開く。


「おはようございます、総代」


「……おまえ、学校に来られたんだな」


「あ、はい。おふくろが、学習権は保証すべきだって訴えてくれて……まあ、監視はついちゃってるんすけどね」


 寺崎はそういって笑ってみせたが、硬い表情のままでうつむいている玲璃の様子にその笑みを収めると、後に続ける言葉を見失って黙り込んだ。

 しばらくの間、二人は向かい合ったまま、無言でその場にたたずんでいた。

 通り過ぎる生徒たちが、いぶかしげにそんな二人に目線を送っていく。


「あ、あの、総……」


「寺崎、今日……」


 同時に口を開きかけて、思わず顔を見合わせて黙り込む。


「……何だ? 寺崎」


 ようやく玲璃が小さい声でこう聞くと、寺崎は思いきったように口を開いた。


「総代、今日、少しお時間をいただけませんか」


 玲璃は驚いたように目を見張った。


「少し、話ができればって思って……あ、まあ、監視つきなんで、そんな込み入った話はできないと思うんすけど……」


 寺崎はちらっと背後の木陰にたたずむ男に目線を送る。


「……つか、総代は何を言おうとしたんすか?」


 すると玲璃は、少しだけ表情を緩めた。


「同じだ。おまえと、少し話がしたくて」


「じゃあ今日、お昼ご一緒にどうすか?」


 玲璃は深々とうなずくと、ようやく弱々しい笑顔を見せた。


「ぜひ、そうさせてくれ」



☆☆☆



 順平は身支度を調えると、そっとICUの扉を開けた。

 彼はこの病院の経理課業務を仕切っている。加えて顕性能力者でもないため、逃亡の危険性は低いとみなされ、軟禁されず、普通に仕事を継続している。無論、ICU周辺には魁然の見張りがいるが、同じ病室に一般の患者もいる手前、明らかに危険な行動に及ばない限りは、面会を制限されることもないのだ。

 カーテンを開いて紺野のブースに入る。電子機器の静かで規則的な音と、バイタルサインを表示するモニターの明かりが薄暗いブースを照らし出している。順平はベッド側に歩み寄ると、その顔をのぞき込んでじっと見つめた。

 酸素マスクをつけて、点滴の管につながれ、じっと目を閉じて眠っている紺野。若干低い血圧と、心持ち速い脈が、不安定な容体をうかがわせている。

 順平は、昨日のあの地下室での出来事を思い出し、深いため息をついた。

 魁然義虎の紺野に対する憎しみは深い。十六年前のあの事件……裕子をはらませ、結果的に殺した順也に対し、そういった思いを義虎が抱くのはある意味当然のことだと順平も思う。

 たとえ義虎がそういう思いを抱いていたとしても、これまでなんとかギリギリでバランスは保たれていた。それはひとえに、義虎にとって直接的な脅威にならない位置に紺野がいたからだ。

 だが、これからは違う。紺野は神代総代として玲璃を娶らなければならない立場になったのだ。義虎の無念はいかばかりだろう。自分の最愛の娘を他でもない、裕子を殺した男に差し出さなければならないのだ。殺したいほど憎んでいる、その相手にだ。

 順平は悲しい目で、紺野の顔を見つめた。

 命を捨てて彼を助け、死んでいった京子。彼女は、彼が生き残ることで、さらにこんな過酷な運命に立ち向かわなければならないことを予想していたのだろうか。もし彼女が生きていて、今のこの状況を知ったなら、彼女はどう行動するだろう。そしてなにより、自分はこの事態に、どう行動すべきなのか。昨日から、彼はずっとそのことばかり考えていた。今日、ふらりとICUに立ち寄ったのは、なかなかまとまらないその答えを見いだす手がかりがほしかったからかもしれない。

 あれこれ考えつつ、順平は、眠っている紺野の茶色い髪に手を伸ばした。

 こんなに近くで、じっくり彼の顔を眺めるのは初めてだった。以前も何度か神代の病院に入院してはいたが、順平は経理という仕事柄、あまり大っぴらに病棟をうろうろすることもできず、遠くから、すれ違いのような状況で、その姿をたまに目にする程度のことしかできなかったのだ。


――本当にそっくりだな、亨也に。


 順平は悲しげなほほ笑みを浮かべながら、愛おしそうにその髪をいつまでもなでていた。



☆☆☆



 にぎやかな学食の片隅に、玲璃と寺崎は向かい合って座っていた。


「大丈夫かな」


 入り口に背を向ける形で座っている玲璃が、不安そうに問いかける。

 寺崎はちらっと学食の入り口に目を向ける。制服姿の学生に混じり、食材を配達してきた業者然とした格好の見慣れない男が、ちらちらとこちらに目線を流しているのが見える。だが、玲璃たちは学食の一番端のテーブルにはいる。昼食をとる学生でごった返す学食を突っ切ってまで会話を盗み聞きする豪胆さは、さすがに持ち合わせてはいないようだ。

 寺崎は安心させるようにちょっと笑って見せた。


「大丈夫っすよ。調理場の方でうろうろしてるけど、学食はざわざわしてるから、いくら魁然の護衛でもあの位置からじゃ話し声までは聞こえない。気にしなければいいっすから」


「そうか」


 玲璃はそれを聞いて安心したように表情を緩めたが、すぐに改まったように居住まいを正すと、寺崎に向かって頭を下げた。


「寺崎、昨日はすまなかった。父が、あんなことをしてしまって……」


 寺崎は目を丸くして、慌てたようにかぶりを振る。


「とんでもないっすよ。総代のせいじゃないっすから。そんなこと、しないでください」


「でも……」


 顔を上げた玲璃の目には、今にもこぼれ落ちそうな大粒の涙が浮かんでいた。


「あんなひどいことをするなんて、考えられない。謝ってすむことじゃないと分かっているけど、謝らずにはいられなくて……」


 寺崎は何を言っていいものか分からず、硬い表情でテーブルに目線を落とす玲璃をただ黙って見つめた。


「本当に申し訳なかった。おまえだけじゃない。亨也さんに対しても、そして、……紺野に対しても」


 紺野の名前を口にした途端、玲璃の目から堰を切ったように涙があふれた。

 しばらくはそのままうつむいて、学食の安っぽい簡易テーブルにパタパタと涙を落とし続けていた。


「父様が、紺野のことを憎んでいるのは知っていた」


 ややあって玲璃は、消え入りそうな声を絞り出した。


「でも、まさかあれほどとは思っていなかった。昨日は本当に怖かった。紺野を本当に父様が殺してしまうんじゃないか、そう思って……」


 寺崎は、言葉もなくそんな玲璃を見つめることしかできなかった。

 ややあって、寺崎はぽつりと口を開いた。


「昨日の紺野、凄かったっすね」


 その言葉に、玲璃はゆるゆると涙でぬれた顔を上げた。


「あの魁然総代相手に全然ひるむ様子もなくて、自分の思いを、あんだけはっきり伝えられるとか……正直、驚きました」


 玲璃も、昨日の紺野の、義虎を見据える強いまなざしを思い出した。


「そうだな。なんか、今までの紺野とは別人みたいだった」


「でも、当然かもしんないっすよね。やっと会えた母親と娘には死なれ、あげく、総代だなんて一方的に決めつけられれば、頭にもきますよ」


 寺崎の言葉に、玲璃も暗い表情でうなずいた。


「紺野、総代にならないって言ったな」


「そうっすね」


「そんなこと、可能なんだろうか……」


 玲璃は不安そうな面持ちでつぶやいた。昨日の父親のあの剣幕。そして、魁然家の一族のあの態度。あれで終わりになるとはとても思えない。


「俺は、可能だと思いたい」


 寺崎は、テーブルの表面をじっと見つめた。


「可能にするためなら、俺は何でも協力するつもりです。でないと、俺……」


 言葉を切ると目線を上げ、じっと玲璃を見つめる。


「俺は、自分の意志を尊重されてしかるべきだと思うんです」


 玲璃も、寺崎の目を見つめ返した。


「総代が自分の意志で、例えば紺野を選んだんだとしたら、俺は納得できる。でも、組織の意向で無理やりそうさせられるのは、俺は絶対に納得できないんです。もしそんなことになったら、たとえ相手が紺野だろうが魁然総帥だろうが、俺は、総代を……」


 そこまで言うと、寺崎は口をつぐんだ。目線を落とし、絞り出すようにつぶやく。


「俺は、総代を守りたい」


 寺崎を見つめる怜璃の頬に、再び涙が流れ落ちた。

 二人はそのまましばらくの間、明るく騒がしい学食の片隅で、黙って向かい合っていた。

  


☆☆☆


 

 ようやく仕事の区切りがついた義虎は、遅い昼食の時間を迎えていた。

 珠子が作った弁当の包みを開ける手をふと止めて、義虎はじっと自分のデスクに敷かれている緑色のマットを見つめた。

 頭の中に、昨日の紺野の台詞がよみがえってくる。


『裕子は、あなたしか見ていなかった』


 脳裏をよぎる、十九年前、自分に初めて引き合わされた時の、裕子の初々しい姿。

 中学校の制服を着て、父親である魁然義巳に付き添われて自宅にやって来た、あの日の姿が。

 その時はまだ彼女に本当の目的は知らされておらず、ただ義巳の従弟に会うとしか伝えられていなかった。目的を知っている義巳は暗い表情だったが、何も知らない裕子はまだ幼さの残る愛らしい顔に恥ずかしそうな笑みを浮かべ、小さくお辞儀をしてあいさつをした。


『裕子です。初めまして』


 そう言って顔を上げた彼女と目があった瞬間、義虎の全身に鳥肌が立った。裕子自身も、何かを感じたのだろう、息を呑んで義虎を見つめる。

 義虎は実際に彼女に会うまでは、正直気が重かった。彼は珠子のことを愛していた。彼女とは既に十年以上連れ添って、珠洲という娘ももうけている。今まで築きあげてきた家庭生活を踏みにじるような行為は、いくら珠子が理解してくれているとはいえ、したくはなかった。しかも五年以上かけて調査し、ようやく探し出した自分の相手は、わずか十四歳の子どもだったのだ。親子ほども年の離れた娘が相手だと知った時は、正直自分が犯罪者のような気さえして眠れなかったほどだ。

 だが、その瞬間、義虎は確信した。血の繋がりに勝るものはないと。自分の中に流れている魁然の血が、目の前の裕子を欲しているのだと。義虎は裕子にのめり込んだ。会って数時間で、彼女を自分のものにしたいという欲求が彼の中で抑えがたいものになっていた。

 しかし義虎は、表面的にはあくまで組織の目的のためという態度を崩さなかった。裕子が徐々に自分に心を開き、最終的に体を許すようになっても、それは変わらなかった。二十五歳という年の差に対する羞恥心に加え、彼は珠子も珠洲も失いたくなかったのだ。 

 裕子が子を成した時、義虎は珠子にこう言った。


『あれはまだ子どもだ。子どもが子どもを育てることはできない。君に、育ててもらいたい。私と、君の子として』


 そうして玲璃は、裕子から引き離された。

 義巳が自殺し天涯孤独となっていた裕子に、義虎は叔父として援助の手を尽くした。本当は会いたかった。だが、彼は壊したくなかった。彼の築き上げてきた家庭を。裕子の存在を表舞台に出す訳にはいかない一族にとっても、義虎の態度は渡りに船だった。

 そして裕子は、玲璃を産んだ謝礼として一族から支給された壱千万円を手に、姿を消した。その一年後、あの事件が起こったのだ。

 義虎はデスクマットに両肘をつき、うつむいて頭を抱えた。

 彼の頭に、再び紺野の声がこだまする。


『彼女が一族の目的を成就するためだけに、あなたとそういう関係になったと思っているんですか。それこそ、裕子のことを何も分かっていない! だから裕子は、あんな事件を起こしたんです!』


 頭を抱えた義虎の顔の下、緑色のデスクマットの上に、小さな丸い滴が一つ、ポトリと落ちた。

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