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輪廻  作者: 代田さん
第五章 解放
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6月23日

 6月23日(日)


 ひっきりなしにかかってくる電話の音。走り回る珠子や使用人達の浮き足だった気配。

 この日はいつも通りの穏やかな休日の朝になるはずだった。いや、つい先刻までは確かにそうだった。だが、それがまるで夢ででもあったかのように、今は家中が戦場さながらの殺気だった雰囲気に包まれてしまっている。


「それでは全く分かりません! いったいどういうことなのか、そちらへ行って直接お話を伺いたいのですが!」


 義虎が電話口で怒鳴る声が、家中に響き渡っている。詳細の確認のため、珠洲は化粧もそこそこに先刻警視庁に出向いたばかりだった。 

 先ほど魁然家に届いた二通の手紙。神代亨也からのものだった。その手紙の封を義虎が開けた瞬間から、この騒ぎは始まった。それから二時間ほどが経過しているが、騒ぎは収まるどころか、ますます混迷の度を深めていた。

 玲璃は部屋の真ん中に座り込み、階下の騒ぎをぼんやりと聞きながら、手にしたもう一通の手紙……自分に宛てられた、その手紙をそっと抱きしめた。


――亨也さん。


 喉が不規則に痙攣し、頬を再び涙が伝う。手紙に目を通した瞬間から、玲璃はずっと泣きはらしていた。部屋の真ん中に座り込んだきり、そこから動くこともできず、ただ止めどなく涙を流し続けている。自分の体に、よくこれほどまでに水分があったと思うほどだった。

 その時、自室の扉が、ノックもなしにいきなり乱暴に開け放たれた。

 そこに仁王立ちで立っているのは、眉根に深い縦じわを寄せた義虎だった。

 気配を感じていたのか、玲璃は驚いた様子はなかった。どちらかと言えばぼうぜんとした様子で、泣きはらしたその顔をゆるゆると戸口に向ける。

 義虎はそんな玲璃に、低い声で命じた。


「出かけるぞ。用意しなさい」


「どこへ……」


「神代家本宅だ」


 短くそう言い捨てるときびすを返し、足早に階下へ降りていった。



☆☆☆



 西城にある神代家本宅に玲璃と義虎が到着したのは、午前十時をまわった頃だった。

 車を降り、チャイムを押すと、ややあってゆっくりと扉が開く。広々とした玄関に立っていたのは、穏やかそうな初老の男性だった。


「朝早くから申し訳ない」


 義虎が儀礼的に短くこう言うと、男性は小さくかぶりを振って深々と頭を下げた。


「とんでもありません。こちらこそこの度は、たいへんなご心労をおかけしました」


 そう言って、丁寧に二人を招き入れる。

 これだけ大きな邸宅にも関わらず、使用人らしき者の姿は見えない。邸宅全体がやけに薄暗く、しんと静まりかえっている。


――ここが、亨也さんの、実家。


 そう思ってから、どきりとする。それはすなわち、紺野の実家、ということになるからだ。玲璃は先ほどの手紙の内容を思い出し、汗ばんだ手を握りしめた。


「亨也さんは、大丈夫なんですか」


 廊下を歩きながら、義虎はどこかつっけんどんに問う。あえて「総代」という呼称を使わなかった義虎に、玲璃は再びどきりとした。だが、初老の男性は動揺する様子もなく、当たり前のようにうなずいた。


「意識もはっきりしてきましたし、出血も止まっています。短時間でしたら、会話も可能です。……会っていかれますか?」


「当然です」


 義虎はいくぶん語気を強める。


「私は直接彼から話を聞きたい。そのために来たんです」


「分かりました」


 二階へ上がると、初老の男性は部屋の前でぴたりと足を止め、振り返って背の高い義虎を見上げた。


「できれば、十五分程度にしていただけますか。彼は昨日の一件で、瀕死ひんしの重傷を負っています。今無理をさせると、命に関わりますので」


 義虎は鼻で笑うと、傲然とこう言ってのける。


「別に構いませんでしょう」


 その言葉に、玲璃は自分の耳を疑った。


「今回、彼は総代でないとはっきりしたわけですから。どのみち、そう長い命ではない」


 冷然とそう言い放つ義虎を、玲璃は背筋が凍るような思いで見つめた。

 黙って義虎の言葉を聞いていた初老の男性は、おもむろに口を開いた。


「……物騒なことは、言わないでいただきたい」


「何ですと?」


「亨也が死ぬとは、まだ決まってはいません」


 義虎はあざ笑うようにその口元をゆがめる。


「決まったようなものでしょう。総代の地位にある者に双子が産まれれば、総代でない方の者は即刻その命を絶たれるおきてだ。揺るがしがたい決定事項なんですよ」


「決定事項ではありません」


 義虎はその目に、刃のように鋭い光を宿した。


「そんなこと、あなたには決められませんよ、順平さん」


「あなたにも決められないでしょう」


 義虎をまっすぐに見据えながら、順平は言葉を継ぐ。


「全ては、一族の会合で決定されることです。まだ開かれてもいないうちから、結果が決まっているような物言いはできないはずです」


 義虎はそんな順平をいまいましそうに見下ろしていたが、バカバカしいとでも言いたげに鼻で笑うと、肩をすくめた。


「結果は決まっているようなものでしょう。まあ、そう思いたければ勝手に思っていればいい。せいぜい、残された親子の時間を大切になさることですな」


 バカにしたようにそう言うと、順平を押しのけてノブに手をかけ、ノックもせずに扉を開け放ち、ずかずかと部屋の中へ入っていく。玲璃は廊下にたたずむ順平を申し訳なさそうに見やり、小さく頭を下げると、父親の後に続いて中に入った。順平は何も言わずにその後から中に入ると、静かに扉を閉めた。



☆☆☆  



 亨也は窓際のベッドに横たわっていた。点滴の管につながれ、体中に包帯を巻かれているが、傷だらけの顔はそれでも穏やかな表情だった。

 三人が入室してきた気配を感じたのか、享也はその目を薄く開いた。


「説明をしてもらおう」


 義虎は低い声でこう言うと、横たわる亨也を刺すように見据える。


「一体どういう訳で、こんなふざけた結果になったのか……しかも、あんたが総代ではなく、あの人殺しが総代だったというじゃないか。全く、訳が分からない」


「あの手紙にあったとおりです」


 亨也はかすれた声で答えた。


「彼は無事、百パーセントの力を解放することができました。あの頭痛からは解放され、能力のコントロールも以前よりスムーズにできるはずです」


「あの男は、神代の病院か?」


 それには亨也の代わりに順平が答えた。


「ええ。なにぶん供血者が私一人では輸血量が足りなくて。消耗も激しいので、まだ意識は戻っていません。ICUにいるはずです」


 義虎は忌々しそうに顔をゆがめた。


「神代総帥が、双子の出産を偽っていたというのは、本当だったんだな」


 順平は、はっきりとうなずいた。


「その件に関しては、私も同罪です。責めを負う覚悟はできています」


 義虎はそんな順平を、仁王さながらの形相でにらみつける。


「当然、それ相当の罰は受けてもらいましょう。われわれを欺き、虚仮こけにした罪は重い」


 吐き捨てると、憤まんやるかたない様子で、背後に横たわる亨也もめつけた。


「私の娘を侮辱した罪も相当にあがなってもらうから、そのつもりでいろ!」


「亨也さんは侮辱なんかしていません!」


 突然、それまで黙って聞いていた玲璃が、こらえきれなくなったように叫んだ。目を丸くして自分を見つめた義虎を、玲璃はうるんだ瞳で真っすぐに見つめ返す。


「亨也さんは、私のことを本当に思いやって、私の気持ちを第一に考えてくれていました。私は亨也さんのことを、何ひとつ怒ってなんかいません!」


 涙声になりながら、玲璃は絞り出すように言葉を継いだ。


「本当に、つらかったと思います。ひょっとして自分は総代ではないと感じながら、その責務を負って、自分の責任をきちんと果たして……私は亨也さんを尊敬しています。責めを負うべきことなんて何ひとつない!」


「子どもは黙っていなさい!」


 義虎に一喝され、玲璃は息をのんで黙り込んだ。


「おまえは、私の言うとおりにしていればいい。組織のことも一族のことも大人の世界のことも、何ひとつ分かってはいないくせに……生意気な口をきくんじゃない!」


「全ては、私たちの責任なんです」


 義虎の怒号をさえぎるように、順平がぽつりと口を開いた。


「あの時、順也を捨てると決めたのは私たちです。京子にも私にも、当然その責任がある。ですが、亨也は何も知らなかった。順也においてはなおさらです。責めを負うべきは私たちだけで十分です。亨也にも、順也にも、何ひとつ責任はありません」


 義虎は血走った目を見開くと、いきなり順平の襟首をつかみ上げた。目にも止まらぬスピードだった。


「何ひとつ責任がない、だと……? そんなことが通用すると思っているのか。これ以上、怒らせないでいただきたい。あなたなんて、一瞬であの世にいきますよ、私が本気を出せば……証拠なんて何一つ残さず、あなたの存在は消える」


 刺すような目で順平をにらみ付けながら、地をはうような声音で脅しつける。だが、順平はそんな義虎を、どこか悲しい目で見つめていた。


「そうされても、仕方がないでしょう。私はそれだけの罪を犯している。それであなたの怒りが静まり、あの子たちを許していただけるのなら、それ以上に嬉しいことはない。どうぞ殺してください」


 一向にうろたえる気配のない順平に、義虎は奥歯をきしませると襟首をつかんでいる手の力を強めた。苦しげに顔をゆがめた順平を見て、玲璃が顔色を変えて叫ぶ。


「やめてください、父様!」


 亨也はその一部始終を黙って見ていたが、ここにきて静かに口を開いた。


「全ては、会合の結果、決まることです」


 義虎は振りかえって享也をにらみつけたが、亨也はそんな義虎からは少しずれたあたりを見つめながら、静かに言葉を続けた。


「私は、別に逃げも隠れもしません。会合で皆さんの意見がそう一致すれば、殺していただいて構いませんから……。ただ、会合を待たずにそういった行動に出るのは、確かにおかしいかもしれませんね」


 義虎は小さく舌打ちすると、荒々しく順平の襟首をから手を振りほどいた。よろける順平を、玲璃があわてて支える。


「会合はあさってに開く予定だ。結論が出次第従ってもらうから、そのつもりでいろ。帰るぞ、玲璃!」


 吐き捨てるようにこう言って部屋を出ようとする義虎に、玲璃は小さく首を振ってみせた。


「私は少しだけ、残ってお話をさせていただいてもいいですか」


 義虎は血走った目で玲璃をにらんだ。


「何を話すというんだ? その男は総代でも何でもない! いまさら話すことなんて何もなかろう」


「私は、亨也さんとお話がしたいんです」


 玲璃がそう言って順平に視線を向けると、順平は小さくうなずいた。


「総代ではなく、亨也さんに……。いいでしょう?」


 義虎はそんな娘をじっと見据えていたが、小さく息をつくと、腕時計に目をやった。


「十分間だ。車で待っている」


 言い捨てると、扉の外に待っていた護衛とともに廊下の向こうへ消えた。

 部屋の扉が閉まると、玲璃は二人に向き直り、深々と頭を下げた。


「父が失礼なことを申し上げて、本当に、申し訳ありませんでした」


「いいんですよ」


 そう言って柔和なほほ笑みを浮かべた順平の雰囲気に、玲璃はどこか覚えがあるような気がした。


「お父さんも、突然のことで混乱なさっているのでしょう。あなたのお母さんの一件では、あの方も本当につらい思いをされたから……」


 そう言って、心持ち目線を落とす。


「その当事者であるあの子が、あなたの相手だと分かって、やりきれないんだと思います。それは私にも分かります」


 返す言葉もなく、玲璃も神妙な面持ちでうつむく。玲璃に優しいまなざしを向けていた亨也が、そこでおもむろに口を開いた。


「いろいろとつらい思いをさせてしまって、すみません」


「亨也さん……」


 玲璃は枕元に駆けよると、大きく首を横に振った。


「私は大丈夫です。それより、亨也さんの方が……」


 布団の上に出されていた亨也の右手を取ると、ぽろぽろと涙をこぼす。


「お手紙、本当に、ありがとうございました。でも良かった。亨也さんや、みんなが、生きて帰ってきて……」


 途切れ途切れにそう言いながら涙をこぼす玲璃を、亨也は優しい表情で見つめていた。

 玲璃は、しばらくは嗚咽に言葉を奪われて言葉にならない様子だったが、ややあって涙にぬれた顔を上げると、問いを発した。


「……昨日の件で、神代総帥が亡くなったというのは、本当なんですか?」


 亨也はゆっくりとうなずいた。


「そのことも含めて、昨日の件については、あさっての会合で皆さんに全てお見せしようと思っています。私が見たこと、全てを……。ただ、今は消耗が激しすぎて。ちょっと能力は使えそうにないんです。あさってまで、待っていていただけますか?」


「当然です」


 うなずいてから、玲璃は何か言いかけるように口を開いたが、その言葉を発するのをためらうようにいったん言葉を飲み込んでから、ややあって、再び遠慮がちに口を開いた。


「……亨也さん」


 呼びかけてから、玲璃は享也のまなざしから逃れるように手元に目線を向けた。


「紺野は、本当に……神代総代、だったんですか?」


「そうなるべき人間だったのは、事実です」


 曖昧なその表現に、玲璃はいぶかしげに顔をあげた。


「ただ、それを彼が受け入れるのか、はたまた拒むのかは分かりません。彼自身の選択ですから……われわれがどうこう言えることじゃない」


 玲璃は大きくその目を見開き、驚いた様子で問い返す。


「拒むなんて選択肢、あるんでしょうか」


「ありますよ」


 亨也はうなずくと、こともなげに笑ってみせた。


「どんな選択肢もあり得ます。その人が、それを望みさえすれば」


 玲璃は言葉を飲み込むと、穏やかなほほ笑みを浮かべる亨也の傷だらけの顔を、まじろぎもせず見つめていた。



☆☆☆



 寺崎は居間のソファで膝を抱え、じっとしていた。

 横目でちらっと窓の外に目をやると、魁然家の監視役が、マンションの周囲をうろうろしているのが目に入る。

 小さくため息をつくと、再び膝を抱えている腕に顔を埋める。

 寺崎は重大事件に関わった咎で、軟禁状態にされている。一族の会合が行われるまで、逃げ出したり自殺したりしないように、四六時中見張られているのだ。


――んなことしなくたって、俺は逃げも隠れもしねえよ。


 そう言ってみたところで、一族側が信じてくれなければどうしようもない。紺野や亨也の様子も見に行かれず、学校に行けるかどうかも分からないまま、寺崎は悶々とした思いを抱えて、何をするでもなくソファに座っているしかなかった。

 と、玄関の扉が開く音がした。

 買い物に出ていたみどりが戻ってきたのだ。寺崎は急いで玄関までみどりを出迎えると、ひざに抱えている荷物を受け取った。


「おかえり」


「ただいま。まったく、いやになっちゃうわね。あとをつけてくるなら、荷物をもってくれるとか、車椅子を押してくれるとか、やってくれてもいいのに」


「気が利かねえよな」


 そう言って苦笑しながら、寺崎は買ってきた物を冷蔵庫に入れ始める。


「紺野さんも神代先生も、生きて帰ってきれくれたのはなによりだったけど……。とても温泉どころじゃない騒ぎになっちゃったわね」


「……そうだな」


 寺崎は、じっと冷蔵庫の白い扉を見つめた。

 脳裏に、あの時の優子の言葉がよみがえってくる。


『オマエラニ会エテ、……良カッタ』


 そう言って、腕の中で冷たくなっていった優子。

 あのあと、彼女の亡骸は神代の病院に引きとられたきり、どうなったか分からない。優子の死も、紺野には伝えられていない。そして、彼女の最期の言葉も……。


「俺……、また、紺野に会えるよな」


 ポツリとつぶやいた息子の顔を、みどりはじっと見つめた。


「俺、あいつに伝えなきゃならないことが、山ほどあるんだ」


「大丈夫よ」


 みどりは深々とうなずいてみせる。


「生きてるんなら、必ずまた会える。その時にちゃんと伝えてあげられれば、大丈夫よ」


 その言葉に、寺崎は暗い表情でうなずいた。

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