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輪廻  作者: 代田さん
第四章 転落
177/203

6月21日 5

 その後、亨也は沙羅と紺野の傷を完全に回復させた。病院側にどうのこうのという問題ではない。不安材料はできるだけ取り除かなければ、成功の可能性はさらに低くなるからだ。

 紺野を治療し、沙羅の治療に移る。その最中、紺野の発作が起きた。発作はさらに強まっているようで、継続時間も六分近い。あまりの激痛に、紺野は発作中に吐いた。吐しゃ物はすぐに転送したものの、そのまま気を失った紺野を、亨也は居たたまれない表情で見つめていた。


「……何としても、明日は成功させないとな」


 沙羅の治療を再開しながらひとり言のようにつぶやく亨也を、沙羅は不安そうな目でちらっと見やった。


「総代……」


「え?」


 沙羅はしばらく言いよどんでいたが、やがて思い切ったように口を開いた。


「私、自信がありません」


 硬い表情でうつむく沙羅を、亨也は黙って見つめた。


「総代が危険な状態の時、あの男の意識をシールドし続けられるかどうか……自信が、ないんです」


 沙羅は消え入りそうな声で言葉を継ぐ。


「今回の目的は重々承知しています。寺崎さん達のためにも、あの男を助けたい。でもその時、総代が危険な目にあっていたら……私、総代の方を選んでしまうかもしれない」


 亨也は、それきり口をつぐんでいる沙羅の、その絹糸のような美しい髪を言葉もなく見つめていたが、やがて目線を落すと、静かに口を開いた。


「どのみち、私は死ぬ運命だ」


 背筋を駆け上がる戦慄せんりつに、沙羅は息をのんだ。


「紺野が神代総代を継ぐべき存在であるなら、私は即刻その命を絶たれなければならない。今回、もし運良く生き残ったとしても、すぐに一族に粛正されるだろう」


 亨也は穏やかなまなざしでどこか遠くを見つめながら、淡々と言葉を継いだ。


「だったら、このまま死んだ方が簡単だ。私が死ぬ気で最大エネルギーを出し切れば、被害はあの遊休地の中だけで済む計算だ。だが、私がもし生き残ることを考えたら、被害は広大な範囲に及ぶだろう。私以外の罪もない普通の人たちが、おおぜい死ななければならない。……そんなの、おかしいだろ?」


 亨也はそう言うと、まるで同意を求めるかのようにちょっと笑って沙羅を見る。

 沙羅はしばらくは何も言えずにそんな亨也を見つめていたが、やがて震える声を絞り出した。


「総代、私……総代と一緒にいます」


 亨也は驚いたようにその目を見開いたが、すぐにきっぱりとかぶりを振る。


「そんなことはしないでくれ。君の能力なら、遊休地の外からでも十分に紺野の意識を操れる。何もわざわざ、危険を冒すことは……」


「いいえ!」


 沙羅は亨也の言葉をさえぎってそう叫ぶと、震える声でこう言った。


「私……総代のこと、ずっと、好きでした」


 亨也は目を見開くと、涙で潤んだ沙羅の瞳をまじろぎもせず見つめた。


「総代が総代でないって聞いた時、実は私、内心嬉しかったんです。だって、あなたは魁然総代と結婚しなくてもいいから。私にも、チャンスがあるかもしれないから……」


 沙羅は顔を上げると、その大きな目からこぼれ落ちる涙を拭いもせず、まっすぐに享也を見つめる。


「あなたと一緒にいられないなんて、考えられないんです。私は、あなたと一緒にいたい。それがあとわずかなんだとしたら、なおさら……」


 突然、沙羅の言葉は途絶えた。

 亨也の唇が、沙羅の唇をふさいだのだ。

 亨也は唇を合わせながら、沙羅の体をきつく抱き締めた。はじめは驚いたように目を見はっていた沙羅も、やがて静かにその目を閉じると、亨也の背にその細い腕をそっと添える。

 そのまましばらくの間、二人は唇を重ねていた。 

 やがてゆっくりと、亨也が唇を離した。沙羅はその頬をバラ色に染め、半ばぼうぜんと亨也の顔を見つめている。


「ありがとう、沙羅くん」


 亨也はそう言うと、何を思い出したのか、くすっと笑った。


「私が高校受験に失敗して私立に進学した時、君はもっとハイレベルの高校に合格していたにも関わらず、私と同じ私立に進学してきたよね」


 静かに語り出した亨也の口元を、沙羅は黙って見つめた。


「私はあの時、実を言うと君のことはあまりよく思っていなかった。多分、嫉妬していたんだと思う。あえてレベルの低いあの高校に来た君を、物好き程度にしか思っていなかった」


 亨也は愛おしむようなまなざしで、自分を見上げている沙羅の大きな目を見つめ返す。


「でもそれから、君は何かにつけて私に挑戦してきたよね。学内テストで一位を取るとか、模試で全国百番以内に入るとか……。君にのせられていろいろやっているうちに、不思議と勉強が面白くなって。私はある意味君のおかげで、浪人もせず医大に合格できたんだ」


 すると沙羅は、恥ずかしそうに目線を落としてくすっと笑った。


「それなのに、私の方が医大落ちちゃって……総代とのできの違いを見せつけられましたね」


 亨也はかぶりを振ると、頬に浮かんでいた笑みを収めた。


「私は将来結婚相手が決まっている身だったから、あえて自分の気持ちには目をつむってきた。でも、その縛りが解けた今だから、言うよ」


 沙羅も顔を上げ、瞬ぎもせず亨也を見つめる。

 亨也は沙羅の視線を受け止めながら、静かに口を開いた。


「私も、君のことがずっと好きだった」


 沙羅は息をのむと、瞬きも呼吸も忘れ果てて、自分に注がれている亨也の温かなまなざしを全身で受け止めた。


「多分、あの高校に通っていたころから、ずっと……。君はいつでも私の側にいたから、何だか君といるのが当たり前になってしまって、あまりそうは感じなかったかもしれないけど。私的には君がいないと、何だか物寂しくて」


 少しだけ恥ずかしそうに笑うと、亨也は沙羅を優しく見つめた。大きな二重の目いっぱいにたまった涙をぽろぽろとこぼしながら、沙羅も亨也を見つめ返す。

 亨也はそっと手を伸ばすと、震える沙羅を優しく抱き寄せた。


「君には死んでほしくない」


 沙羅の体の温かみを体全体で感じながら、亨也は思いを込めてささやきかける。だが沙羅は、亨也の胸から顔を上げると、決然と首を振った。


「あなたがいない世界なんて、生きていても意味がない」


 驚いたように見つめ返す亨也に、沙羅は泣き笑いのような表情でほほ笑んで見せた。


「一緒にいさせてください。最期まで、ずっと……」


 何を言いかけたのか、享也の唇が震えながら開きかける。だが、言葉が紡ぎ出される前に、その唇は沙羅の唇によってふさがれた。

 ソファに倒れ込んだ二人の影が、薄暗い間接照明の光に照らされて白い壁に揺らぎながら映し出される。ゆっくりとうごめくその影と、微かな吐息だけが、部屋の空気にわずかな変化を与えていた。



☆☆☆  



 出流はじっと自分のベッドに腰掛けたまま、何も言えずにただぼうぜんとしていた。たった今、優子が送信してきたその事実に、思考が完全に停止してしまっていた。


【仕方ナインダ】


 ややあって、優子の遠慮がちな送信が届いた。


【コレ以上、出流チャンノ体ニイサセテモラウト、出流チャンニトッテモ負担ダケド、アタシ自身モモウ限界ナンダ】


「じゃあ、あたしはどうしたらいいの?」


 出流はやっとのことで言葉を絞り出すと、震える手を握りしめる。


「優ちゃんがいなくなったら、またあたしはさえないいじめられっ子に逆戻りになっちゃう。勉強もできない、運動もできない、気が弱くて意見も言えない、寺崎くんに見向きもされない女の子に……」


 こみ上げる嗚咽に言葉を奪われた出流は、その目から涙をあふれさせながらしゃくり上げる。優子はそんな出流の様子を見るように沈黙していたが、やがてぽつりと、こんなことを送信してきた。


【出流チャン、リレー選ニ立候補デキタジャン】


 出流はハッとしたようにその目を見開いた。


【百メートルノ記録モ、三秒近ク縮メタッテ話シテクレタヨネ。ソノ時、アタシハイナカッタンダヨ】


 優子の送信を感受しながら、出流はじっと足元を見つめている。


【勉強ダッテ、諦メズニヤッテミナヨ。アタシガ勉強ヲヤレタノハ、面白カッタカラ。ヤレルダケデ、嬉シカッタカラ。ダッテ今マデ、アタシハ動ケナカッタンダモン。教室デ、同ジ年ノ友達ニ混ジッテ一緒ニ授業ヲ受ケルコトガ、嬉シクテ嬉シクテ仕方ナカッタンダ。タダ、ソレダケ】


 出流は、優子が優しくほほ笑んでいる気がした。


【ダカラ出流チャンモ、面白イカモッテ思イ直シテヤッテミテ。絶対、前ヨリハデキルヨウニナルカラ。デキルヨウニナレバ、モット面白クナルカラ。大変ナノハ、最初ダケダヨ】


「優ちゃん……」


【ソウスレバ、少シズツ自分ニ自信ガ持テル。自信ガ持テルト、人カライジメラレタリ、無視サレタリスルコトモ少ナクナルヨ。人カラサレタコトガ、気ニナラナクナッテクルカラ。反応ガナケレバ、ミンナツマンナクナッテ、ソウイウ事モヤメルハズ】


 いつのまにか出流は泣くのをやめて、じっと優子の送信に集中していた。


【……出流チャンハ、幸セナンダヨ】


「幸せ?」


【ソウ。両親ガソロッテイテ、金銭的ニモ不自由ガナクテ、外見的ニモカナリイケテテ、何ヨリ、自由ニ動ク手足ヲ持ッテイテ】


 優子はふっとため息をついたようだった。


【アタシニハ、何モ無カッタ。親モ、金モ、見テクレダッテコンナンジャドウシヨウモナイシ、動ケナイシ……。ズット恨ンデタ。周リノ者、ミンナ。何モカモ、敵ノヨウナ気ガシテタ】


 かけるべき言葉も見つからず、つらそうにうつむく出流に、優子は明るくこんな言葉を送信してきた。


【デモネ。出流チャンニ会エテ、良カッタヨ】


 その言葉に驚いたように目を見張り、出流はうつむいていた顔を上げた。


【ホントノコト言ウト、最初、アタシハ出流チャンヲ利用スルツモリダッタ。ウマイコト言ッテ、体乗ッ取ッテ、ヤリタイ事ヤロウッテ、ソンナ事考エテタ。デモ、出流チャンハ、ソンナアタシノコト、何ヒトツ疑ワナカッタ】


 優子は一度送信を切ると、思いのたけを絞り出すように言葉を継ぐ。


【ソレドコロカ、アタシニオ礼ナンカ言ッテ、友達ダッテ言ッテクレテ、ステキナプレゼントヲシテクレタリ、一緒ニ散歩シテクレタリ……信ジラレナカッタ】


 出流ははっとした。優子が、泣いているような気がしたのだ。


【初メテダッタ。同イ年ノ子ニ、ソンナ事ヲシテモラッタノッテ。嬉シカッタンダ。自分ニモ、友達ッテ呼ベル存在ガデキタノガ】


「あたしも、嬉しかった」


 出流の目から、せきを切ったように涙があふれた。


「あたしはいつも、ひとりぼっちだった。みんなあたしのこと、お金持ちの過保護娘って目でしか見てくれなくて……。悩みがあっても、相談できる友だちなんかほとんどいなかった。いじめられても、じっと耐えるしかなかった」


 そう言うと出流は、涙にぬれた頬を引き上げていたずらっぽく笑ってみせる。


「あの時は、ほんとにすっきりしたよ。あたしには、絶対できないことだったから。今までよくもやってくれたなって、敵討ちしてもらった気がした」


 出流は涙でうるんだ目を伏せると、頭を下げるようなしぐさをした。


「優ちゃんといられて、ほんとに楽しかった。トイレの時だけは、ちょっとまごついたりもしたけど、……ほんとうに、楽しかった。ありがとう、優ちゃん」


 優子は何も言わなかった。ただ、泣いている気配だけがひしひしと感じられた。


「あたし、やってみるよ」


 ややあって出流は顔を上げ、にっこりと笑った。


「優ちゃんなしで、自分に何がどれだけできるか、やってみる。できないこともあるかもしれないけど、できることも、あるかもしれない。だから、……頑張ってみるよ」


 優子が深々とうなずいたような気配がした。


「あたし、時々優ちゃんに会いに行く。だって、優ちゃんと会えなくなっちゃうわけじゃないんだもんね。そうしたら、怒られない範囲でお散歩しよう。その時、あたしもいろいろ報告するから。勉強も、こんなことやってるよって教えるから。そうしたら優ちゃんも、あたしにいろいろアドバイスして」


【……分カッタ】


 ややあって、優子はつぶやくように送信してきた。


【楽シミニ、待ッテルヨ】


 出流もほほ笑んでうなずき返す。


【ジャア、アタシ、消エルネ】


「うん」


【少シ、体ニ負担ニナルケド、許シテネ。頭痛ガシテ、チョット意識ガトブカラ。デモ、ソノ後ハ、何モ影響ガ残ラナイヨウニスル】


「分かった」


 出流は自分のベッドに静かに横になり、目を閉じた。


「いいよ、優ちゃん……いろいろ、ありがとう」


【ジャア、イクヨ。アタシコソ、……アリガトウ】


 次の瞬間、出流の五感は赤い輝きで覆い尽くされた。こめかみを射貫かれるような頭痛と、星のきらめきに似た輝きに、目がくらむ。

 そのとき、ほんの一瞬、出流の視界を優子が横切ったような気がした。


――さようなら、出流ちゃん。


 微かな優子の声とともに、出流の視界は暗転した。

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