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輪廻  作者: 代田さん
第四章 転落
176/203

6月21日 4

 紺野は、静かに眠っていた。


「二時頃、強い発作がありました。ずいぶん長く眠っているので、たぶん、そろそろ気がつくと思いますが……こちらにお座りになりますか?」


 沙羅は手近にあったソファをベッドサイドに移動すると、みどりに勧めた。

 みどりは義足をつけ、つえをついて立っていた。亨也のマンションはバリアフリーではないので、車椅子では身動きがとれない。中には義足で入るしかなかったのだ。


「ありがとうございます。助かります」


 みどりは沙羅に頭を下げると、よろよろと枕元のソファに腰を下ろし、眠っている紺野の顔を見つめた。

 亨也は離れた場所から、みどりの様子を黙って見守っている。席を外すようにして寝室を出た沙羅は、亨也の隣に来ると、そんな亨也を少し悲しげな目で見つめた。

 と、その視線にこたえるかのように、亨也も沙羅に目を合わせ、口を開いた。


「少し、話があるんだ」


「私にですか?」


 亨也はうなずくと、ダイニングの椅子に座るよう沙羅を促し、その向かいに自分も腰を下ろした。


「当初私は、アリゾナには一人で行くつもりだった。だが、彼の力を大幅に読み違えていたことで、その計画を変更せざるを得なくなってしまった」


 そう言って亨也は、沙羅の目をじっと見つめた。


「……君の力を借りたい」


 沙羅はその大きな目をより一層大きく見開いて亨也を見つめた。


「君が危険にさらされることは本当は避けたかったんだが、君の力がどうしても必要なんだ。申し訳ないが、一緒に来てくれないか」


 沙羅はしばらくは無言で亨也を見つめていたが、やがてゆっくりとうなずいた。

 やがてうつむいた目のあたりから、ぽつりと一滴、涙が落ちる。亨也は居たたまれないような表情を浮かべて、涙を落とす沙羅を見つめた。

 と、沙羅はゆっくりと涙にぬれた顔を上げた。

 自分を見つめる沙羅の表情を見て、亨也は驚いたようにその目を見張った。

 沙羅は涙にぬれた頬を引き上げ、笑っていたのだ。なんとも、嬉しそうに。


「そう言っていただけるのを、実は待っていたんです」


 沙羅は涙を拭いながら、つぶやくように言葉を継ぐ。


「嬉しいです、総代。総代のお手伝いができそうで……」


 その言葉に、亨也は困ったような笑みを浮かべた。


「嬉しいって……第一、私はもう、総代じゃないよ」


「いいえ」


 沙羅はきっぱりとかぶりを振る。


「私にとって総代は、あなた一人なんです。それは一生、変わらない」


 亨也は黙って沙羅を見つめていたが、やがて深々と頭を下げた。


「ありがとう、沙羅くん」


「とんでもない。やめてください、総代。当然のことですから」


 沙羅は頬を赤く染めて恥ずかしそうに手を振ると、居住まいを正す。


「で、何をすればよろしいんですか」


 亨也は真剣な表情になると、口を開いた。


「私は恐らくシールドを張るので精いっぱいだ」


 そう言うと、つらそうに目線を落とす。


「意識がある状態では、彼は恐らく百パーセントの解放をすることはできないだろう。だから彼には麻酔を使って眠ってもらい、例の鎮痛剤……麻薬を注射する。そうしたら、彼にできるだけ近い場所で、私はシールドを展開するつもりだ」


 そう言って目線を上げ、沙羅を見つめる。


「君にはその間、彼の意識を見張っていてほしい。たとえ無意識でも、彼の性格は油断がならないから……。もし途中で、彼が力の解放をためらったりしたら、全てが水の泡になってしまう。それを、避けたいんだ」


 沙羅は瞬ぎもせず亨也を見つめながら、ごくりとつばを飲み込んだ。


「おそらく、彼の能力影響で周囲は悲惨な状況になると思うが、彼がそうした状況に一切気づかないよう、彼の意識と外界を遮断シールドし続けてほしい。遊休地の外に被害が及んだり、……万が一、私に何かあったりした場合、それをもし彼が知ってしまったら、彼は恐らく一気に力を自分に向ける。それだけは、何としても避けたいんだ」


 そう言って亨也は、じっと手元に目を落とす。


「そんな状況には、私もできればしたくないんだが。絶対に大丈夫とは言い切れないからね」


 心なしか青ざめてそんな亨也を見つめていた沙羅は、ややあっておずおずと口を開いた。


「総代が危険な時も、遮断シールドし続けなければならないんですか?」


 亨也は、深々とうなずいた。


「そのために君にお願いしている。神代随一のテレパスである、君に」


 驚愕に頬を引きつらせて自分を見つめる沙羅に、亨也はやけに明るくほほ笑みかけてみせた。


「大丈夫、私だって死にたくはないから。計算上は、ギリギリで大丈夫だという結果もでているし。念のため、言っていることだから」


 だが、沙羅は硬い表情を浮かべてじっと黙っているだけだった。

 その時、玄関チャイムのやけに脳天気な音が鳴り響いた。うつむく沙羅を残し、亨也は立ちあがると、玄関の扉を開けた。


「総代……」


 息を弾ませながらそこに立っていたのは、制服姿の寺崎だった。先ほど、紺野の見舞いでみどりが自宅に来る旨を、亨也が送信で伝えたのだ。


「いらっしゃい。みどりさん、いらしていますよ」


「どうもありがとうございます」


 寺崎は恐縮しきって頭を下げると、亨也に促されて靴を脱いだ。

 寝室に案内されて中をのぞくと、ベッドで紺野が眠っていた。ベッドサイドのソファには、みどりが座っている。

 みどりは紺野の髪をそっとなでていた。愛おしそうに、優しく、何度も。頬を伝い落ちる涙が、顎を伝ってパタパタと音をたてて滴り落ちている。寺崎は声をかけられず、部屋の入り口に立ちつくしていた。


「……紘?」


 と、みどりが気配に気づいたのか、涙にぬれた顔を上げた。


「ああ」


 寺崎は短く答えると、ゆっくりとソファの側に歩み寄る。みどりは紺野の寝顔を見つめながら、悲しげにほほ笑んだ。


「紺野さんて、眠っている時は本当に無邪気というか、無防備というか……かわいいわね」


 みどりの言葉に、寺崎は黙ってうなずいた。


「こんなたいへんな状況だってことが、ウソみたい」


「そうだな」


 寺崎も、何とも言えない表情で紺野の穏やかな寝顔を見つめる。


「ほんとうに、ウソだったらいいのにな」


 と、話し声に気がついたのだろう、紺野の眉がわずかに動いた。

 うっすらとその目を開けた紺野の顔を、みどりは身を乗り出してのぞき込む。紺野はぼんやりと目を開けているだけだったが、やがて目の前にあるのがみどりの顔だということに気づくと、驚いたようにその目を見開いた。


「……みどりさん?」


「紺野さん、久しぶり」


 みどりは泣き笑いのような表情でほほ笑んだ。


「神代先生に、連れてきていただいたの」


「そうだったんですか……」


 紺野は弱々しくほほ笑むと、よろよろと起き上がって頭を下げた。


「すみません、わざわざ……」


「何を言ってるの」


 みどりは苦笑すると、紺野の頬にそっと手を添えて、愛おしそうにその瞳をのぞき込む。


「大事な息子に会いに来るのに、わざわざも何もないでしょう」


 みどりはソファから身を乗り出すと、こらえきれなくなったように紺野の痩せた体を両手で力いっぱい抱きしめた。


「みどりさん……」


「紺野さん、絶対に死んじゃだめよ!」


 紺野をきつく抱き締めたまま、みどりは普段より激しい語調で語りかける。


「何としても生きて帰ってきて! 私はずっと待っていますからね。あなたがまたうちに来てくれるのを……。それを、忘れないでくださいね!」


 紺野を抱きしめる腕に力を込めながら、みどりは言葉を継いだ。


「そうしたら、また朝ご飯をつくってくださいね。私も、おいしいお夕食を作って待ってますから……。そうだ! 夏になったら、みんなで旅行にでも行きましょう。海がいいかしら、それとも、山? 紺野さん、決めてくださいね……」


 最後は涙声でこう言うと、みどりは紺野の体から手を離した。そのまま、ベッドに突っ伏して泣き崩れる。

 紺野は何を言う事もできずに目の前で震えるみどりの背中を見つめていたが、居たたまれなくなったように喉を震わせると、目線をそらしてうつむいた。

 離れたところに立っていた寺崎は、沈痛な面持ちでそんな二人を見つめていたが、そこでおもむろに口を開いた。


「紺野は、死なねえよ。……な、紺野」


 うるんだ瞳で自分を見上げた紺野に、寺崎はにっと泣き笑いのような表情をして見せる。


「だって、おまえも帰りてえんだもんな。生きてえんだもんな。……そのために、努力するんだもんな」


 寺崎は、先日自分に向かって紺野が言ったことを、かみしめるように繰り返してみせる。紺野もその時のことを思い出したのか、深々とうなずいた。


「……はい」


 みどりは涙でグシャグシャになった顔を上げると、紺野の手を取った。


「絶対よ、紺野さん」


 紺野はそんなみどりの目を見つめながら、はっきりとうなずいてみせた。


「よし、決めた!」


 と、突然寺崎が、やけに明るい口調でこう言ったので、みどりも紺野も、けげんそうな表情を浮かべて寺崎を見上げた。


「紺野が無事に戻ってきたら、みんなで旅行に行こう!」


 唐突なこの発言に、みどりも紺野も、あっけにとられて寺崎を見つめた。寺崎はそんなことには一切頓着なく、勝手に話を進めていく。


「どこがいいかな……旅行っつっても、今回、アリゾナなんてすげえとこに行っちゃうからなあ。近場の温泉なんか行っても、感動薄いよな……」


 すると紺野が、何を思いだしたのか少しだけ笑顔になって口を開いた。


「僕、温泉って入ったことがないんです」


 寺崎はびっくりしたように目を丸くして紺野を見やる。


「マジ? じゃあさ、おまえ、箱根とかでも感動してくれたりする?」


 紺野は深々とうなずいた。


「実は、一度温泉に入ってみたかったんです。修学旅行でずいぶん昔に箱根に行ったんですが、その時に熱を出してしまって、温泉に入れなかったので……」


 寺崎は数刻ポカンとしていたが、ややあってぶっと吹き出した。


「やっぱおまえ、意外性ありすぎだな。こんな生きるか死ぬかの一大事に、温泉旅行かよ……」


 寺崎はようやく笑いを収めると、紺野を見てにっと笑った。


「よし、分かった! 今回無事で帰ってきたら、みんなで箱根温泉旅行だ!」


 それからダイニングの方に振り返ると、部屋の入り口にたたずむ亨也を見やる。


「その時は、総代もご一緒していただけますよね?」


 亨也はいきなりふられて何のことだか分からなかったらしい。即答できずにいると、寺崎はこう続けた。


「今回は、ご苦労さまでしたってことで、みんなで旅行に行きましょうよ! この一大事に関わった人間、みんなで……いかがです?」


 亨也はようやく寺崎の意図を理解したのか、戸惑ったような笑みを浮かべた。


「いいんですか? 私なんかが加わって……」


「何言ってるんすか!」


 寺崎はちょっと怒ったようにこう言ってみせると、奥に座っている沙羅にも声をかける。


「神代先生も、ぜひご一緒に! 箱根なんて、超近間で退屈でしょうけど」


 ダイニングテーブルに座ってうつむいていた沙羅も、その言葉に思わず顔を上げて苦笑した。


「そうね。ぜひご一緒させていただきたいわ。何だか楽しそうですもの」


「やった! ありがとうございます!」


 寺崎は明るくそう言ってから、おもむろに首を巡らせて紺野に向き直る。


「……つーことで、責任重大だぞ、紺野」


 紺野も顔を上げ、寺崎の視線を受け止める。


「箱根温泉旅行のためにも、おまえは何としても生きて帰ってくるんだぞ。神代総代も、神代先生も、誰一人欠けずに帰ってきて、みんなで温泉旅行に行くんだからな!」


 寺崎の言葉に、沙羅も、そして亨也も、何だか救われるような気持ちでうなずいた。

 と、寺崎が、何とも決まり悪そうにこう付け足す。


「ただ、旅行代金は皆さん各自で自腹ってことで……よろしいっすか?」


 その言葉に、亨也はぷっと吹き出した。みどりも、息子の言葉に恥ずかしそうに苦笑している。沙羅と紺野は、下を向いてくすくす笑っている。


「大事な予定が決まったみたいで、よかったです」


 亨也は笑いをおさめると、寺崎とみどりに向き直った。


「では、そろそろ次の作業にかかってよろしいでしょうか。紺野さんの発作があってもおかしくない時間帯に入ってきましたので。寺崎さん、タクシーを呼びますので、みどりさんを送っていっていただけますか」


 亨也の言葉に、寺崎は改めて紺野を見つめ直した。紺野もじっと寺崎を見つめ返す。

 寺崎は紺野の頭に手を伸ばし、その頭をぐしゃぐしゃっとなで回した。


「がんばれよ、紺野!」


 そう言って、にっと笑う。


「一緒に箱根に行こうな!」


 紺野はそんな寺崎を何とも言えない表情で見つめていたが、やがて深々とうなずいた。


「……はい」


 そして、いつもの、優しい笑顔を浮かべる。


「寺崎さん、……本当に、ありがとうございます」


「礼なんかいらねえよ」


 寺崎は照れたようにそう言って、にっと笑った。


「俺が欲しいのは、おまえが生きて帰ってくることだけだからさ」


 紺野はその言葉に深々とうなずくと、かみしめるように言った。


「必ず、帰ってきます」


 そして、泣き笑いのような表情を浮かべる。


「そうしたら、箱根に連れて行ってくださいね」


 寺崎も何だか泣きそうな表情で笑うと、うなずいた。


「約束だ。一緒に芦ノ湖を渡ろうな!」


 寺崎はそう言うと、立ちあがってみどりを支えた。みどりは、潤んだ目で紺野を見つめている。


「じゃあ紺野さん、行くわね。必ず、また会いましょう」


「みどりさん……」


 紺野はよろよろとベッドから降りると、みどりと寺崎を見送りに玄関に出た。

 玄関先でもう一度振り返ったみどりは、紺野の手を取って固く握りしめた。


「あさって、また会いに来ますからね」


 紺野はみどりの手をそっと握り返し、深々とうなずく。


「その時、箱根旅行のことを、みんなで詳しく決めましょう」


「はい」


 みどりは引きつる頬を無理やり引き上げてにっこりほほ笑んでみせると、寺崎とともに亨也のマンションをあとにした。名残惜しそうに、何度も何度も振り返りながら……。

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