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輪廻  作者: 代田さん
第四章 転落
172/203

6月20日 3

 受信を終えた亨也は寺崎の手を離すと、深いため息をついた。

 亨也の診察室。壁に掛かっている時計の針は、午後六時を回っている。先ほど緊急手術が終わり、亨也はようやく寺崎の話を聞ける状態になったのだ。

 寺崎は、目線を落として黙り込んでいる亨也の、膝の上で組まれている両手の先にあるきれいに切りそろえられた爪先をじっと見つめていた。


「……ありがとうございました」


 ややあって、亨也は顔を上げた。


「つまりあの子どもは今、あの少女の体を使って行動しているんですね」


 寺崎は固い表情でうなずいた。


「あの右手のあざ、多分あれが何か関係してるんじゃないかと思います。赤い気を感じたのがあそこだったんで。マジで、わずかな気でしたけど」


 亨也もうなずくと、鋭い目つきになる。


「見たところ、あれはやつの脳細胞の集まりです」


 背筋を一気に駆け上がる悪寒に、寺崎はぞくっと体を震わせた。


「やつは、自分の脳細胞の一部をあの少女の右手に埋め込んだ。そして、あそこから直接意識を送っているんです。操っているわけではないので、今までのような反応を感知することができなかった。多分そういうことなんだろうと思います」


 震え始める指先をどうすることもできず、静かに語る亨也を瞬ぎもせず見つめる。


「だからやつが意識を送っていない時は、あの少女は全く普通と変わりなく生活することができる。意識を乗っ取られていることに、気づいているかどうかは分かりませんが。私がトレースできなかったのも、多分やつがあそこから直接シールドをかけているからなんでしょう」


 亨也は言葉を切ると、寺崎に深々と頭を下げた。


「ご苦労さまでした。あんな形で、あの子どもに対峙たいじして……。一歩間違えば、大変なことになっていたかもしれないのに」


 寺崎は目線を落としてかぶりを振った。


「とんでもないっす。こんなこと、紺野の苦しみに比べれば……」


 いったん言葉を切ると、暗い表情で灰色の床を見つめながら、おもむろに口を開く。


「あの子どもが言ってたこと、本当なんでしょうか」


 亨也は黙って目線を落とした。数刻そのままの姿勢でうつむいたきり何も言わなかったが、ややあって、小さくうなずいた。


「本当です」


 寺崎はまじろぎもせず亨也を見つめた。


「私も昨夜、紺野さんのエネルギーを算出しなおしてみたんです。一錠であれですから、私はかなり読み違えていたことになるので。そうしたら、とんでもない結果が出ましてね」


 亨也は言葉を切ると、SDカードを差し込んで、机上のパソコンに何かのファイルを読み込んだ。画面いっぱいに計算式が表示されたが、寺崎には難解な数式を読み解くことはできなかった。だが、話の流れから、それが何を意味しているかだけはわかる。享也は画面から目線を移して寺崎を見た。寺崎は呼吸すらしていないかのように凝然と享也を見つめている。亨也はそんな寺崎の視線を受け止めながら、静かに口を開いた。


「予測では、彼の最大エネルギーは、水素爆弾数百発分に相当します」


 寺崎には、その途方もない数値をすぐに実感するのは難しかった。


「当初の予測の、十倍ほどのエネルギーです。ここまで来ると、それを地球上で処理することはかなり難しい」


 亨也は心持ち目線を落としてため息をつくと、自嘲気味に笑う。


「私自身のエネルギーを、上回る計算になる」


 その言葉に、寺崎ははっと息をのんだ。


「それじゃ、紺野は……」


 亨也は寺崎の顔に目を向けると、その頬に疲れたような笑みを浮かべてうなずいた。


「おそらく彼が、神代総代となるべき人物だったのでしょう」


 寺崎は言葉もなかった。三十三年前東京駅に捨てられ、数奇な運命をたどってきた紺野。その彼が、実は神代総代となるべき人物だったとは……!

 亨也は目線を落とすと、ひとり言のように言葉を継いだ。


「何となく、そんな気がしていたんです。だからきっと、当初私は彼を殺すことに異議を唱えなかった。自分の存在が脅かされるような予感がしていたんでしょうね、今考えると」


 小さく息をつくと、優しいまなざしでどこか遠くを見つめる。


「でも、彼がああいう人間だと分かって、本当にそんなことをしなくてよかったと……彼には何としても生きてほしいと、今はそう思っています」


「でも、このままじゃ、あいつは……」


 亨也は小さくうなずくと、鋭いまなざしで前方を見据える。


「ええ。彼の性格から考えると、周囲に多大な影響を与えるくらいなら、自死する道を選ぶでしょう。このままだと」


 寺崎は顔から音をたてて血の気が引くのを感じた。膝がわなわなと震え出すのを感じて、寺崎は思わず拳で情けない太股を殴りつけた。

 亨也は、そんな寺崎を優しく見つめた。


「大丈夫ですよ、寺崎さん」


「え?」


「彼は絶対に死なせません」


 寺崎は亨也をじっと見つめた。亨也は木漏れ日のように温かく穏やかな表情を浮かべながら、パソコン画面に目を向ける。


「私の計算では、ギリギリで大丈夫なんです」


「大丈夫って……」


「私が最大エネルギーを出し切れば、何とか被害はあの遊休地の中だけですむ、そういう結果が出ています」


 寺崎は瞬きすら忘れてその言葉の意味を考えていたが、やがておずおずと口を開いた。


「最大エネルギーを出し切って、総代は大丈夫なんですか」


 亨也はどこかいたずらっぽく笑うと、首をかしげてみせる。


「さあ、どうでしょうね。やったことはありませんから」


 おどけた表情の裏側にある悲壮な覚悟を感じとった気がして、寺崎の顔から血の気が引いた。


「総代、それって、かなりヤバいんじゃ……」


 亨也は穏やかな表情で、難解な数式がずらっと並んだパソコン画面に目を向ける。


「一応、計算ではギリギリでいけるんですけどね。ただ、これはあくまで予測ですから。紺野さんのエネルギーが予測を超えることも十分に考えられる」


 それから寺崎を見やって、にっこりと笑った。


「大丈夫、紺野さんは絶対に守ります。約束します」


 目線を画面に移し、表示されている数字をなぞりながら、ひとり言のように言葉を継ぐ。


「私は、彼に生きてほしいんです。今まで散々な目にあってきた分、これからはたくさん楽しい思いをしてほしい。そのためなら、このくらいの危険は何ていうことはないです」


 亨也は画面から再び目線を上げると、まっすぐに寺崎を見つめた。


「だから、寺崎さん」


「は、はい」


「彼を、よろしくお願いしますね」


 寺崎は言葉もなく亨也を見つめ返した。


「私の分も、彼を支えてあげてください」


 亨也は寺崎に目線を合わせてはいたが、もっと先の、どこか遠いところを見つめているように見えた。


「彼がもし、神代総代としての責務を負わなければならなくなったとしたら、精神的なフォローが必要でしょう。彼がそれを、受け入れるにしても、拒むにしても……。その時、支えてあげて下さい。あなたなら、きっとそれができる」


 静かに言葉を継ぐ亨也を、寺崎は瞬ぎもせず見つめていた。何も言うことができなかった。震えの止まらない自分の手を、まるでひとごとのように感じていた。

 この時、享也も寺崎も気づいてはいなかったが、診察室の扉の向こうには、初老の女性がたたずんでいた。白髪交じりの茶色い髪を一まとめにし、手にはファイルを抱え、白衣を着ているその女性は、扉に耳を添わせるような姿勢でその場にたたずんでいたが、やがて体を離すと、廊下をゆっくりと歩き出した。



☆☆☆


  

 亨也が自宅に戻って玄関の鍵を開けようとすると、中から鍵が開けられる音がした。勢いよく開けられた扉の向こうから、沙羅がぴょこっと顔を出す。


「総代、お帰りなさいませ!」


 やけに嬉しそうに満面の笑顔でそう言うと、亨也のカバンを受け取ろうというのか、両手を差し出す。亨也は恥ずかしそうに笑うと、沙羅にカバンを預けて中に入った。


「紺野さんは、どんな様子?」


「さっき、夕食をとったところです。七時頃に大きな発作があって、ちょっと気を失っていたので。でも、今は大丈夫です」


「そうか、ありがとう。君にいてもらえて助かったよ」


 沙羅は昨日の骨折を理由に、仕事を休んだのだ。その口実に使うため、亨也はわざと途中で治療を中断した。そのせいで、今日も沙羅はいくぶん右足を引きずっている。


「とんでもないです。お役に立てて良かったです」


 沙羅はそう言うと、苦笑した。


「夕食を作るの、結局、彼にほとんどしてもらっちゃいました。ほんと、料理上手ですね、あの男」


 見ると、ダイニングテーブルには、亨也と沙羅の分の夕食がきちんと並べられている。こっくりと色よく煮詰められたビーフシチューが、いいにおいをたてている。彩りよく取り合わせたサラダには、手作りのドレッシングまで添えられている。

 亨也が感心したようにそのテーブルに目をやった時、奥から紺野の声がした。


「お帰りなさい、神代さん」


 亨也がベッドルームをのぞくと、紺野はベッド上に半身を起こしていた。亨也を見てほほ笑んだその顔は、心なしかやつれて見えた。


「紺野さん、無理したんじゃありませんか?」


「いいえ、その位しないと申し訳なくて。僕は先にいただいてしまったんですが、よろしければ召し上がってください。結構うまくできたと思うので」


 亨也はベッドサイドに歩み寄ると、紺野の様子を見るために目元にかかった茶色い髪をかき上げた。額や首元に手を当て、注意深く状態を診てから、その手を離してほほ笑みかける。


「ありがとうございます、紺野さん。遠慮なくいただきます」


 立ちあがってネクタイを取り、上着をハンガーに掛ける。着替えながら、亨也は急にくすっと笑った。


「……人がいる家に帰ってきたの、何年ぶりだろう」


 そう言ってベッドの上の紺野に目を向ける。


「何だか嬉しいもんですね。帰ってきて、誰かがいてくれるのって。飯ができているのも嬉しいし」


 その言葉に、紺野もうなずいてほほ笑んだ。


「僕も寺崎さんの家に来た時、それは凄く感じました。ご飯ができていた時は、

やたらと感動しましたから」


「あなたも一人でしたもんね」


 亨也はスーツをクローゼットにしまうと、優しい表情で紺野を見つめた。


「ありがとう、紺野さん」


 紺野は赤くなって、かぶりを振る。


「とんでもないです。こんなことなら、いつでもやります」


 亨也はほほ笑むと、静かにベッドルームを出て行った。

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