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輪廻  作者: 代田さん
第四章 転落
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6月19日 1

 6月19日(水)


 玲璃は自室で机に向かいながら、時々ぼうっと窓の外に目を向けていた。数学の教科書を開いてみても、頭に浮かぶのはあの日の、寺崎とのことばかりだった。

 小さく息をついて鉛筆を置くと、指先でそっと自分の唇に触れる。寺崎の言葉が、頭の中で何度も何度もリフレインする。


『総代は、いいところだらけです。だから俺、総代に惚れたんです』


――会いたい。


 玲璃はドキドキする胸に手を当てて、目を閉じた。寺崎に会いたい。会って、話をしたい。だが、彼女は今、学校に行くことはできないのだ。

 ため息をつくと、静かに目を開ける。

 紺野のことも気になっていた。せっかく学校に行っていないのだから、本当は毎日でも見舞いに行ってやりたかった。だが、義虎の目のある時には気軽に出歩くことができない上に、病院へ行くとあの人――享也に会ってしまう可能性があった。今、こんな気持ちのままであの人に会うのは、彼女にとっては罪悪感が重すぎて耐えられないことだった。

 結局どうすることもできず悶々《もんもん》としながら、ほぼ一日中部屋にこもっている毎日が続いている。何だか、日の光を浴びないもやしにでもなってしまった気分だ。ため息をついて椅子から立ち上がると、頭からベッドに突っ伏す。

 その時、コンコンと部屋の扉がノックされる音がした。玲璃は慌てて起き上がって居住まいを正すと、「はい」と返事をする。

 部屋の扉が細めに開けられ、少しだけ珠子が顔を出した。


「総代、総帥がお呼びです」


 玲璃は父親の自室に向かった。そういえば今日は珍しく休みを取っていた。何の用だろうといぶかしみつつ、父親の部屋の前できちんと正座をする。


「玲璃です」


 程なく、「入りなさい」と中から声がかかった。玲璃は両手でそっと障子を開けると、一礼して中に入り、障子を閉める。


「何かご用でしょうか」


 パソコンに向かい何やら書類を作成していたらしい義虎は、玲璃に向き直ると、自分の前に座るように促した。


「実は、おまえの結婚のことだ」


 義虎の前に正座した玲璃は、どきっとして身を堅くする。


「予定としては、今月末に結納を交わすことになっていたんだが、それを延期しようと思う」


「延期?」


 義虎は厳しい表情でうなずいた。


「いろいろと、確かめなければならないことが増えてな」


「……確かめなければならないこと、とは」


「それはおまえが知る必要はない」


 ぴしゃりと断じられ、玲璃は不本意そうに口を閉じながらも、心なしかほっとしたような表情を浮かべていた。


「神代側には、おまえの心労から来る体調不良を延期の理由にしている。いま、ちょうど学校を休んでいるから、そういう言い訳もたつのだが、休み中に出かけることがもしあるようなら、そのあたりを念頭において行動してほしい」


「わかりました」


うなずいた玲璃に、義虎はじっと目を向けていたが、おもむろに口を開いた。


「学校に行き続けるのは、やはり難しかったようだな」


 玲璃は目線を手元に落とした。


「私も、無理だろうとは思っていた。まあ、こんな形ではあるが、おまえが家にとどまっていてくれて、私は正直ほっとしている」


 義虎は玲璃の言葉を待つようにいったん口を閉じた。だが、玲璃は手元に目線を落としたままで、じっと黙っている。義虎は小さく息をつくと、再び口を開いた。


「あの男も、かなりの重傷だそうだな」


 玲璃はハッと目を見開いてから、無言でうなずく。義虎は独り言のように言葉を継いだ。


「まあ、神代の病院にいられる方が、今のあの男にとっては安全かもしれんが」


「……どういうことですか?」


 玲璃が問いかけると、義虎はちらりと目線を娘に投げた。


「魁然側の一部に、あの男を抹殺しようという動きがあった」


「……!」


 息をのむ玲璃を視界の端にとらえつつ、義虎は淡々と続ける。


「あの男の存在自体が、おまえにとって危険と判断したらしい。詳細は調査中だが、先日どうやら、あの男を拉致して、かなり際どいところまでいったようだ」


 玲璃は瞬ぎもせず父親を見つめながら、震える声で問いかける。


「それは、いつのことですか?」


「五月三十一日だ」


 玲璃は自分の指先がわなわなと震え出すのを感じながら、思い出す。あの転落事件の、一週間前だ。

 そしてはっと気づく。確か月曜日、寺崎と紺野はやけに早く登校してきていた。寺崎は確か、「ゆっくり歩いて来たかった」ようなことを話していた。あの時は何だか訳が分からない説明をされて、少し腹をたてたりもしたのだが、恐らくあの時、紺野はケガの影響のために活動を制限されていたのだ。

 玲璃はじっと畳に目線を落として黙り込んだ。自分の全然知らないところで、とんでもない目に遭いながらも、そんなそぶりは一切見せなかった二人。何だか仲間はずれにされてしまったような、寂しい気分だった。


「あの男が危険な存在だということは、百も承知の上だ。そのリスクを含んだ上で、おまえの護衛にしたのだから、いまさら何を言っているのだと思ってはいる。ただ……」


 言葉を切った義虎の顔を、玲璃はいぶかしげに見上げた。


「彼らの懸念が何に根差したものなのかは聴取すべきだろうと思っている。それをはっきりさせた上で、この結婚は進めていくべきだからな」


 義虎はそう言うと、玲璃に背を向けて再び机上のパソコンに向かい始めた。


「とにかく、私からおまえに伝えることは以上だ。おまえも自宅に閉じこもりきりで気分がふさぐとは思うが、予断を許さない状況だ。今しばらくがまんをしてくれ」


 玲璃は深々と頭を下げると、義虎の部屋を後にした。


『今月末に結納を交わすことになっていたんだが、それを延期しようと思う』


 この結婚に、何か大きな問題が生じていることは明白だった。あれほどまでに早く結婚せねばと言い続けていた父が、自分から延期を口にし始めたのだ。それがいったいどんな問題なのか、玲璃には見当もつかなかったが、何にしろ中途半端な気持ちのまま嫁ぐことに罪悪感を感じていた彼女的に、延期は願ってもないことに違いなかった。



☆☆☆   



 予鈴が鳴った。あと五分で次の授業が始まる。次は教室移動のため、教室に戻ってきた生徒たちは、慌ただしく次時の準備を始める。

 教科書や筆記用具を準備をしていた出流は、誰かが机の脇に立った気配を感じて何気なく顔を上げ、ドキッとして動きを止めた。寺崎だった。


「よお、いずるちゃん。理科室、一緒に行かない?」


 出流はドキドキしながら遠慮がちにうなずく。今日は黒川は家庭の都合で休んでいる。優子も今日一日休みたいと言って、まだ送信を一度も受けとっていなかった。

 寺崎の隣を歩きながら、出流は優子の言葉が本当だったことに驚きを感じていた。


『他の子に見向きもされない女より、他の子からも人気のある子の方が興味わくでしょ』


――すごい、優ちゃんの言ったとおりだった。


「いずるちゃん、なんか最近生き生きしてるよな」


「そ、そうかな」


 寺崎はにっと笑ってうなずいた。


「してるしてる。この間も感心した。ほら、数学の時間。俺が解けなかった問題を、出流ちゃん、すらすら解いちゃってさ」


 出流もそのことは優子からの送信で知っていたので、曖昧にうなずいた。


「一時期元気がなくて心配してたけど、もう大丈夫そうだね」


「うん。ありがとう」


 ほほ笑んでうなずいた出流の横顔を、寺崎は注意深く見つめた。


――今日の出流ちゃんは、今までと変わらないにおいだな。


 先日感じたあの違和感は、今日の出流からは全く感じられない。今まで通り、控えめで柔らかい雰囲気の、出流だ。


――俺の、思い過ごしかな。


 出流と並んで廊下を歩きながら、寺崎はいくぶん安心していた。

 出流はそんな寺崎の内心は知る由もなく、彼の横顔をちらちら見やりながら、嬉しくて嬉しくて仕方がなかった。



☆☆☆



 三日ぶりの見舞いだった。

 取りあえず、紺野があんな状態で危険なので、能力耐性のないみどりの見舞いは禁止され、寺崎も最低限にしてほしいと亨也から言われている。紺野自身も、頭痛の時に他の人間がいると気を遣って、さらに頭痛が激しくなるらしい。それを聞いて、寺崎は渋々間を空けたのだ。

 病室の扉をノックしたが、何の返事もない。


――眠ってるのかな。


 寺崎は起こさないように気配を消すと、そっと扉を開けた。

 寺崎の予想通り、紺野は眠っているようだった。向こうを向いた状態なので顔は見えないが、寺崎が入ってきてもじっと横になったままで動かない。

 だが、一歩足を踏み入れた途端、寺崎は何だか部屋の中の様子がおかしいことに気がついた。部屋の隅には折れ曲がった体温計が転がり、コップがその反対側に粉々になっている。中に入っていたらしい水が、周囲にまき散らされていた。

 寺崎は眉根を寄せてその様子を見やったが、何気なく眠っている紺野の顔に目を向けて、はっと息をのんだ。

 涙が一筋、その頬を伝っていたのだ。

 紺野は眠っているのではない。恐らく、激しい痛みで気を失ってしまっているのだろう。寺崎はしばしぼうぜんとその顔を見つめていたが、ゆるゆると荷物を置くと、粉々になったコップを片付け始めた。

 破片を拾い集めて、その辺にあった包装紙にくるむ。まとめようと力を入れた際、破片の先が出ていたのか、指がすっと切れて、血が流れ落ちた。


「……ってえ」


 思わずつぶやいて、口に含む。

 そのまましばらく、寺崎は動かなかった。

 自分が玲璃とのことで舞い上がっている最中も、紺野は激しい痛みと一人で向き合い、涙を流して耐えていた。恐らくいつものように声も立てず、じっと目を閉じて震えながら。そのことを思うと、寺崎は何だか自分がとんでもなく無慈悲な人間のような気がしてきて、紺野に対して申し訳ない気持ちでいっぱいになった。目頭が熱くなってきて、慌ててごしごしと何度もこする。

 と、背後から、聞き慣れた声がした。


「寺崎さん?」


 振り向くと、目を覚ました紺野が顔をこちらに向けている。驚いたような表情をしていた。


「どうしたんですか? そんなところで……」


「なんでもねえよ」


 急いで丸めた包装紙を手近にあったガムテでくるんでゴミ箱に入れると、立ち上がった。水道にかけられていたぼろ雑巾で床を拭き、破片がついて危ないのでそれもゴミ箱に捨てる。

 その様子を見て、紺野も寺崎が何をしているのか分かったらしい。慌てた様子で起き上がると、申し訳なさそうに頭を下げた。


「ありがとうございました」


「たいしたことねえって。こんなことならいくらでもやるよ」


 壊れた体温計もゴミ箱に入れると、危ないので部屋の外にゴミ箱ごと出してくる。

 部屋の戸を閉めると寺崎は紺野の枕元に歩み寄り、その顔をのぞき込んで笑顔をみせた。


「久しぶり、紺野」


 その笑顔につられるように、紺野も柔らかい表情になる。


「日曜日も来てくれたじゃないですか」


「俺にとっては久しぶりなの」


 寺崎は丸椅子に腰掛けて、にっと笑って見せた。


「何たって、前は毎日欠かさず顔合わせてたんだから。毎日見てねえと、何か物足りなくなっちまったんだ、この顔」


 そう言って寺崎が額をちょんと小突いたので、紺野は何だか恥ずかしそうに笑った。


「どうだ? 調子は……」


 寺崎が真顔に戻ってこう聞くと、紺野は目線をそらして曖昧にほほ笑んだ。


「大丈夫ですよ。何とかやってますから」


 寺崎は黙ってそんな紺野を見つめていたが、やがてうつむくと、ポツリと口を開いた。


「申し訳ねえな。何も力になってやれなくて」


「そんなこと……」


「一日交代とかで、痛みを肩代わりしてやれたらいいのにな」


 足元に目線を落としたまま、切なげなため息をつく。紺野は心配そうにそんな寺崎を見つめていたが、取り繕うような笑顔を浮かべると、明るい声でこう言った。


「大丈夫です。痛みの間隔はだいぶ開いてきていますから。楽になってます」


 その分一回の痛みが激しくなっていることは知っていたが、自分を安心させようと明るく振る舞う紺野の気持ちを思うと、寺崎は何も言えなかった。中途半端な笑顔でうなずくと、紺野の頭をぐしゃぐしゃっとなで回して立ち上がる。


「さて、じゃあゴミ出してくっか。新しいコップももらってくっから」


 紺野は申し訳なさそうに頭を下げた。


「すみません。ご迷惑をおかけして……」


「何言ってんだ。ゴミ捨てくらい大したことねえし。何か欲しい物はねえか? ついでに買ってきてやるぞ」


 紺野が首を横に振ったので、寺崎はうなずくと病室を出た。


  

☆☆☆



 寺崎がゴミ箱を抱えて歩いていると、廊下の向こうから沙羅がやって来るのが見えた。


「あら、寺崎くん。ご苦労さま」


 寺崎は黙って頭を下げると、沈痛な面持ちで足を止める。


「あの、神代先生……、紺野はどうなんですか」


 沙羅はため息をつくと、首を横に振ってみせた。


「かなりきてるわね。この頃は、頭痛のたびに気を失ってる。多分、放出されるエネルギーの値が上がっているんだと思う。それを抑えつけようとする分、彼の体にも負担がかかってるのね」


 沙羅はそう言うと肩をすくめて、先ほどより深いため息をつく。


「総代が渡した薬も、全然使おうとしないし……」


「薬?」


「終末期医療……ターミナルケアで使われている、痛み止めの麻薬。あれを使えば、痛みはいくぶん和らぐはずよ」


 寺崎は驚いたように大きくその目を見張った。


「そんなものがあったんすか⁉ それなら、飲めばいいじゃないすですか! 何で紺野は使おうとしないんすか?」


 半分怒ったようにまくし立てる寺崎に、沙羅は悲しげにほほ笑みかけると、目を伏せた。


「それがあの男があの男たるゆえんなのよ。あの薬を飲むと、能力発動は強まらざるを得ない。彼はたぶん、それを恐れてるの。どんな状況になるか、予測がつかないから……」


「そんな……」


 寺崎はしばらくの間、何も言えずその場に立ちつくしていた。

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