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輪廻  作者: 代田さん
第四章 転落
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6月18日 1

 6月18日(火)


「OKしたんだよね」


 湿った朝風の中を学校に向かって歩きながら、出流が小さい声で確かめると、出流の右手は小さくOKサインをつくって見せた。


「じゃあ、黒川くんが話しかけてきたら何て答えればいいの?」


 ややあって、優子はごく弱い送信を送ってきた。


【ソノ時ダケ、アタシ代ワロウカ?】


 ややきつい頭痛が走ったが、以前ほどひどくない。出流に耐性ができたというよりは、優子が強い送信にならないように気をつけているらしかった。


「でも一回優ちゃんと交代すると、あたししばらく眠っちゃうんだよね」


【ソノ間、勉強モ交代スルヨ】


 出流はそれを聞いて思わず目を輝かせた。


「……本当?」


【イイヨ。アタシ、勉強面白イカラ】


 出流は心が動いた。彼女は寺崎と同様、かなり無理をしてこの高校に入った口である。あの点数でよく入れたと、自分でも思っている。内心、親が見えのために裏金でも送ったのではないかと疑っているくらいだ。当然、普段の授業もちんぷんかんぷんで、お経でも聞いている気分だった。

 対照的に優子は、驚くべき理解力で教科書を読み解いていく。全く授業を受けていなかったにも関わらず、先日宿題で出されたレポートを二時間ほどで書き上げたのは、他ならぬ優子なのであった。

 その優子が授業で交代してくれれば、寺崎の自分に対する評価も上がるのではないか……そんな打算が、出流の胸をちらっとかすめた。


「じゃあ、お願いしちゃおうかな」


【分カッタ。ソノ代ワリ、寺崎クンニハ話シカケナイヨウニスルヨ。普段ノ出流チャントハ違ッチャッテ、気ヅカレチャウカモシレナイカラ】


「そうだね。そうしてもらえると助かる」


 出流はにっこり笑って、うなずいた。



☆☆☆  



「村上さん! おはよう!」


 案の定、クラスに入ると同時に黒川が声をかけてきた。

 出流は黙って自分の席に座ると、しばらくは下を向いて動かなかった。


「村上さん?」


 いぶかしげに近づいてきた黒川に、出流はふっと顔を上げた。艶やかなほほ笑みを浮かべながら、凛とした瞳で黒川を見つめる。


「出流でいいよ」


 大輪のバラのようなそのほほ笑みに、黒川は背筋がゾクゾクして、知らず頬が赤く染まる。そんな黒川に向かって、出流はちょこんと小首をかしげてみせた。


「おはよう、黒川くん」


「……ぼ、僕も、祥吾でいいよ」


 その言葉に、出流は目を丸くして顔を赤らめ、上目遣いに黒川を見つめる。


「祥吾、……くん?」


 黒川は赤くなりながらも嬉しそうにうなずくと、隣の空席に座った。


「出流ちゃん、今日は放課後、何か予定ある?」


 出流はいたずらっぽくほほ笑むと、首を振る。


「ほんとは部活があるけど、今日は休んじゃおうかな」


「じゃあ放課後、一緒に渋谷行かない? 試写会のチケットもらったんだ」


「ほんと? どんな映画?」


「イギリスのインディーズなんだけど、結構面白いらしいよ。恋愛五〇,アクション五〇,みたいな」


「わあ、嬉しい!」


 両手を顔の前で合わせてにっこり笑うと、出流は心持ち上目遣いに黒川を見つめた。


「ありがとう、祥吾くん」


 黒川は真っ赤になって、目線をあちこちに泳がせながら不必要なほど手を振ってみせる。


「いや、そんな……。喜んでくれて、よかった」


 出流はそんな黒川に、極上のほほ笑みを投げた。


「楽しみにしてるね、祥吾くん」



☆☆☆



 数学の授業。意味の分からない記号の羅列を前に、寺崎の思考は全く別の方向にとんでいた。

 あの子どもの気配を読む……亨也や玲璃と約束したにも関わらず、この数日間、寺崎はそんな気配を全く感じ取れずにいた。


――やっぱ、紺野じゃないとだめなんだよな。


 小さくため息をついた寺崎の脳裏に、あの時の玲璃の顔がよぎる。

 唇を離し、少し顔を赤らめて恥ずかしそうに目線をそらした、あの顔が。


『おまえのこと、私はたぶん……好きなんだ』


 たちまち頬が緩んできてしまうのをどうにも止められず、慌てて突っ伏して腕に顔を埋める。昨日からずっとこんな調子で、授業に身など入るわけもなかった。


「じゃあ、この問題を……寺崎さん」


 いきなり指名されて、寺崎は飛び上がった。突っ伏していたので、逆に目立ってしまったらしい。寺崎は後悔しつつ、分かりませんと小さな声で答えた。


「そうですか。ちゃんと聞いていてください。じゃあ、他に……」


 すると、一人の女生徒の手がすっと挙がった。


「はい、じゃあ村上さん」


 出流は立ちあがると、何のためらいもなくすたすたと黒板の前に進み出た。チョークを手にすると、アルファベットや記号を、流れるようにすらすらと書き連ねていく。教師は感心したように目を見はった。


「正解です」


 微かに教室がざわめいた。今まで出流にちょっかいを出していた女生徒たちが、ひそひそと顔を寄せて何か話しているが、出流はわれ関せずと言う雰囲気ですたすたと自分の席に戻ると、その頬に微かな笑みすら浮かべながら着席する。

 寺崎はそんな出流を感心したように見やっていたが、ふと、何かよく分からない違和感を覚えた気がした。それが何なのかは、よく分からなかったのだが……。


  

☆☆☆



「すごいじゃん、いずるちゃん」


 机の上を片付けている出流に、寺崎は声をかけた。あの違和感が何だったのか、確認したかったのだ。

 出流は小さく首を振ってほほ笑んだが、寺崎に対しては何も言わなかった。黙って、机の上のノートやペンをしまっている。

 寺崎はふと、ペンケースのふたを閉める出流の右手の甲に、何かアザのようなものがあるのに気がついた。


「あれ、いずるちゃん。どうしたの? その手……」


 出流ははっとしたように右手を机の下に隠すと、寺崎から微妙に目線をそらした。


「この間、ヤケドしちゃったの」


 小さい声でそれだけ言うと、急いで残りの道具を片付けて、席を立つ。


「ごめん。あたし、約束あるから」


 言い捨てて、急ぎ足で教室の外に出て行く。廊下には、笑顔で手を振る黒川の姿があった。


――へえ。いずるちゃん、黒川と?


 寺崎は感心しつつも、何か形容のつかない違和感を覚え続けていた。何といったらいいのか、……そう、においが違うのだ。

 寺崎の鋭い五感は、出流に対して今までと違うにおいを感じていた。その人個人個人が持つ独特のにおい、……すなわち、雰囲気が。


――新しい自分でも発見したのかな。


 寺崎は首をかしげつつ、自分も昼食をとる準備を始める。

 出流は黒川と廊下を歩きながら、ちらっとそんな寺崎に目線を送った。何とも鋭い、研ぎ澄まされた刃物のような目線を。

 黒川はそんなことには一切気づかず、今日の映画の話に夢中になっていた。

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